学園編7
「最近どこかから流れてきたみたいなの。森の奥にいた魔物達がこぞって逃げ出して、王都の近くまで出てきちゃってるのよね。困ったことに」
「ウィッチってあの、ウィッチですか?」
ウィッチはアンデッドの中でも最も高級な種族だ。
様々な魔法を操り、死を招くものとして知られている。
ウィッチが元ネタとなった童話も多く、その凶悪さに心の傷を持つ子供達も多いのではないだろうか。
「それ以外にどのウィッチがいるのよ」
ロイは平然とした表情で言うが、ウィッチなんてものはそこいらの平凡な狩人が手を出して良いものではない。
ロイはそりゃまあ強いから良いのだろうけど、俺みたいなぼんくらはいくつ命があっても足りないだろう。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。頼もしい助っ人も呼んでいるから」
なんだ、そういう事なら早く言ってくれ。
要はそいつにおんぶにだっこで倒せばいいってことなのだろう。
そのとき、入口の扉が2回音をたててなると、ロイの「どうぞ」という声に合わせてガチャリと扉が開いた。
もしかしなくても、ロイの言う、頼もしい助っ人というやつだろう。
「こんにちはー」
「いらっしゃい。ハンナちゃん。あれ?髪切った?」
ギョッとして扉に目をやると、やはりそこには見慣れた幼馴染の姿があった。
いつもの装いとは違い、白銀の鎧を身にまとい、腰には細長い剣を携えている。
その剣は確か、彼女が14の誕生日に父からもらったと言って、昔見せてくれたものだった。
「なんでトッドが!?」
驚いたのは俺だけではなかった。
ハンナに俺がここにいる経緯を簡単に話すと、何故か妙に嬉しそうな表情をしていた。
「あら、2人は知り合いなの?まぁ年も近そうだし、ウォーターハウスとアルメリアの家なら親交があってもおかしくないか」
年が近いというか同い年ですけどね。
「こいつが助っ人ですか?」
分かり切った質問だったが、それでもなお、聞かずにはいられなかった。
「そうよ。ハンナちゃんは私の狩猟仲間なの。私が王都にいるときは、よく2人で狩りに出かけるのよ」
「そうそう。この間もトロール狩りにいったところよ」
トロール……そんなものまでハンナは倒せるのか。
あっけらかんと口にする幼馴染に感嘆するばかりであった。
「で、今日は何を狩りに行くんですか?」
「ウィッチよ」
「あー」
なんでそんな淡泊な反応なんだ!?
ウィッチだぞ、ウィッチ。まさかウィッチすら倒したことがあるとでも?
「お前、ウィッチって何か知ってる?」
「私は苦手、遠くから魔法打ってきて近寄らせてくれないからね。なんか陰湿」
やっぱり戦ったことあるんですね。
そうですか。でも、流石にもう驚かないです。
「それじゃ、行きましょうか」
**********
馬にまたがり、東の森の相当奥の方までやってきた。
森の入口では魔物の気配をそこかしこから感じていたが、この一帯からは不思議と何の気配も感じない。
しかし、その代わりに強烈な死臭が鼻をついた。
「いますね」
「えぇ」
2人とも、組合にいるときとは別人のような真剣な雰囲気をしていた。
静かに馬から降り、近くにあった木に留め置くと、死臭がより強い方へと足を向ける。
そのときだった。
「トッド君、避けて!」
ロイの声に驚いてとっさにその場を飛びのくと殆ど同時だった。
森のさらに奥から魔力の塊が飛来し、さっきまで立っていた場所に強烈な火柱が立ち上る。
「相変わらずやり方が陰湿なのよね」
苦虫をかみ殺したような表情のハンナの言葉通り、ウィッチの姿はどこにも見当たらなかった。
仕方がなく、魔法が飛んできた方へ向けて慎重に足を進めていく。
時たまに火球が飛んでくるが、ロイがその前兆を的確に教えてくれるため、俺達は誰も攻撃を受けることなく、確実にウィッチとの距離を詰める。
しばらく進むと、今度は、木々が少なくなり、というよりは草木が枯れ落ちてしまっている一帯に出た。
目の前には小さな丘陵が2つ連なり、まるで大きな墓標のようだった。
「ここが根城ね……」
「ちなみにアンデッドの死臭にあてられ続けると、人間ですらこの草木と同じようになっちゃうの。ウィッチみたいな上位種ならそのスピードも段違いに速いから気を付けてね」
何の疫病だよ。怖いよ。
もう自分が今から何を相手にしようとしているのか訳が分からなくなりそうだった。
「2人とも、気を付けてね。向こうも本気みたい。」
その言葉どおり、無数の火球が飛来する。
なんとか飛び回ってそれらを回避するが、避けたところに枯草が大量に地面に転がっているため、それらを火種としてあっという間に周りは火の海となってしまった。
「『豊穣の雨』(」)」
ひとしきり火球が飛んできたところで、突然、頭上から雨が降りそそぎ、地面を覆っていた火を消し去っていく。
そう言えばハンナは水の魔素に適正があったのを思い出した。
アンデッドは一般的に水に弱いと聞くし、ロイが助っ人として呼んだ理由もわかった気がした。
火球が飛んできた方を見ると、丘陵の上に黒くボロボロのローブに身を包んだウィッチの姿をその目にとらえることが出来た。
ローブの下は暗くてよくわからないが、怪しく光る赤い目がこちらをじっと見つめている。
「ハンナちゃん、お願い」
「わかりました。『水の鎧』」
水のベールに身を包んだロイが脱兎のごとく駆け出していく。
近づいてくるロイに対してウィッチは火球を集中するが、それをものともせず、あっという間にウィッチまでの距離を詰めると、背中に掲げた大剣を引き抜き一閃した。
ウィッチのけたたましい断末魔が森に鳴り響いた。
慌ててロイの方へ駆け寄ると、ボロボロのローブだけを残して、目標の魔物は既に姿を消していた。
電光石火でウィッチを倒してしまった2人に驚愕するとともに、あまりにもあっけない結末に何となく消化不良気味だ。
俺まだ何もしてないんだけど?
「そんなに寂しい顔しなくても大丈夫よ。あと一匹はトッド君にやってもらうから」
「え?」
耳を疑う言葉に思わず聞き返してもらう。
「これで終わりなわけ、ないでしょ?」
そりゃそうですよねー……。
楽な仕事だったぜ。とか思っていた自分が恥ずかしい。
「今回のウィッチは番なの。流石に2体同時に、は荷が重いだろうから、ひとまず私の方でこっちは倒したけど、あっちはお願いね」
そう言って、もう一方の丘陵の上を指した。
そこには先程倒したはずのウィッチと同じ、黒いローブに身を包んだ魔物の姿があった。
ローブの下の赤い瞳は相変わらず怪しく、そして鋭く光っていた。
「キサマラ……ヨクモ……クルエヲ……」
呪怨を唱えるようなウィッチの声は、そのおぞましさを一層にかきたてている。
「……あれ、俺がやるんですか?」
無理無理無理。
ゴブリンしか倒したことないのよ?ちょっといきなりハードモードすぎない?
「だって、トッド君は強くなりたいんでしょ?強くなるには死線を潜り抜けることが一番!」
そんな、「子供は元気が一番!」みたいなノリで言われても……。
「心配しなくても大丈夫。本当に死んじゃわない限り、ハンナちゃんが治してくれるから」
本当に死んじゃう可能性があって、何がどう大丈夫なのか教えて頂きたく。
「トッド、頑張ってね。一応これはかけておいてあげる。『水の鎧』」
不安そうな顔をしながらも、補助魔法をかけて背中を押してくる幼馴染……。
どうやら逃げ場はないらしい。
覚悟を決めて、丘陵の上にいるウィッチに向き直る。
右脚を蹴り上げ、ウィッチの元へ向かって走り出した。
見様見真似だが、今の俺にはこれくらいしかできない。
「シネ……『大地の槍撃』」
「トッド!危ないよー」
ウィッチが何やら唱えると同時に、ハンナが遠くから助言を送ってくる。
「へ?」
轟音を上げて唸りはじめる地面に足を止められる。
そして、地面の一部が隆起したかと思うと、次々とこちらに向かって、鋭い棘となって襲い掛かってくる。
グラつく足元に立っているのがやっと、という状態では、全てを躱しきることは出来ず、そのうちの一つが左肩に直撃し激痛が走る。
あまりの激痛に意識が一瞬飛びそうになりながらも、なんとか持ちこたえるが、地面から放たれた細い槍は左肩を貫通し、ぽっかりと穴をあけていた。
「『治療』」
すかさずハンナが治療魔法であっという間にその傷を塞いでくれるが、痛みまで取り去ってくれるものではない。
一度体が覚えた痛みは、傷がふさがろうとも、残り続けるのだ。
何だ今のは?さっきまでのウィッチは火球やら、火の魔法しか使ってこなかったはずだったが、今のは完全に地の魔法だ。
ハンナがかけてくれた『水の鎧』も火の魔法に対しては抜群の効果を発揮するが、地の魔法に対してはちょっぴり勢いを弱めるだけで、大した効果は見込めなかった。
「ごめん、言ってなかったけど、多分そっちの方が強いから頑張ってねー」
暢気な声でロイが教えてくれる。
おいおい、お茶目さんか。
そういう事先に行ってくれたら絶対に1人で、とかやらなかったのに!
「『風刃』」
そんな俺の戸惑いをあざ笑うかのようにウィッチは次の手を繰り出す。
一迅の風とともに体の至るところに鋭い痛みが走り、鮮血が噴き出す。
「『治療』」
先程傷を負った左肩の痛みといい、このままずるずると長期戦になれば体は大丈夫でも精神が持たない。
すでに折れかけている心をもう一度奮い立たせ、なんとか、ウィッチの方へ向かってもう一度駆け出した。
「チッ……『大地の槍撃』」
再び地面が唸りを上げるが、二度と同じ手にひっかかるか。
決しの思いで揺れる足場から飛び退き、直撃は回避する。
土の槍はふくらはぎをかすめるが、先程までの痛みに比べればなんともない。ウィッチへと向かう足は止めない。
その後も風と地の魔法を次々に繰り出すウィッチに対して、寸でのところで回避しながら、なんとかもう少しで手が届きそうな距離まで詰めた頃には、もはや受けた傷を数えるのも面倒で、痛みの感覚も殆ど麻痺していた。
「シブトイ……コレデ、キエロ……『落石』」
一際濃縮された魔力がウィッチから解き放たれ、大地が激しく揺すられる。
だが、震源は足元ではなく、ウィッチの目の前だった。
地面が丸ごと持ち上がり、俺の頭上へと送られる。
あ、やばい、これは死んでしまうかもしれない。
慌てて範囲外へ逃げようとするが、それを待ってくれるはずもなく、無情にも宙へ舞った地面は俺の上へと降り注いだ。
そうして目の前はまっくらになった。