学園編5
「はっはっは!ハンナ嬢もやるなぁ!」
登城を待っていたアリントン卿に訓練場への道すがら、学園で見た信じられない光景を話すと、彼は大口を開けて笑った。
彼はあの強さを知っていたということだろうか。
「彼女は僕が指南した中でも最高の剣士だからね」
幾人もの剣士を指南しているアリントン卿を以てして、最高の剣士と言わしめる彼女は本当に一体何なんだろうか。
「彼女は剣に愛されてる、所謂、剣聖ってやつさ。勝てると思わない方が良いね」
「そこまで、なんですか?」
「えぇ……天性のものもあったけど、それに加えて努力も物凄かったからね、彼女の場合」
何がハンナをそこまで掻き立てたのかは不明だが、元々一つの物にのめり込むと周りが見えなくなるタイプなのは確かだ。それが彼女の強さをそこまでにしたのだろう。
だが、剣聖だのなんだのというのは、そのまま鵜呑みにするには普段のハンナを知る身としてはかなり抵抗のある言葉だった。
「っと、着きましたよ」
そうしてアリントン卿に招かれて入ったのは一つの屋敷がすっぽりと入りそうなほど、巨大な空間だった。地面は外と変わらない、土で埋められ、四方は木で囲まれている。
2F部分にはガラスが張り巡らされており、まぶしいほどの夕日が差し込んでいる。
その日差しに照らされるようにそこかしこで、鎧に身を包んだ兵士達が互いに研鑽を重ねている。
「どう、大きいでしょう?」
「さすがは王城の訓練所と言った感じですね」
素直に感心せざるを得なかった。
「早速で悪いんだけど、手合わせを願えるかな?まずはトッド殿の実力を確かめてみたいのでね」
アリントン卿から訓練用の木刀を受け取ると、背中について訓練所の一角へと向かう。
いざ、対峙すると、真正面に立つアリントン卿から受ける圧は、これまで感じた事ないものだった。
訓練用の木刀とはいえ、一歩でも動けば殺されるような感覚を覚える。ビリビリと肌を刺激するのは、彼から放たれる殺気だろう。
自然に立っているだけ、のはずだが、その構えから隙を伺う事は全くできなかった。
両肩にはずっしりとした重みを感じ、思うように足も踏み出せないような感覚に陥る。
大きく深呼吸をし、ゆっくりと、しかし確実に片足だけを動かすことに集中する。
よし、何とか動かせる。
「では、参ります」
右脚を蹴り上げ、思いきり相手の懐に飛び込む――瞬間、体に死が纏わりつくのがわかった。
それでもなんとか恐怖を振り払い、アリントン卿の胴を目掛けて脇に下げた剣を思いきり振りぬく、が、突然目の前からアリントン卿は姿を消し、目標を失った剣は空虚を切った。
唖然とする俺の頭にこつんと何かが当たった。
「うん、僕相手に初見でここまで飛び込んでこれるんだ、筋は悪くないかな」
先程まで目の前に突っ立っていたはずのアリントン卿がいつの間にか後ろに回っており、木刀を俺の頭にのせていたのだ。
ハンナの動きも人間離れしていると感じたが、この人はそれ以上だ。王国最強とはこういうことなのだろう。
「だけど……もしかして人に剣を振るうのが怖いの?振るう剣に迷いしかなかったけど」
今の一太刀で見抜かれるとは……つくづくこの人には適わないなぁ。
別に隠し立てするほどのことでもないので、アリントン卿には俺が剣を振るえないことを正直に話した。
「なるほど、トラウマってやつだね。兵士の中でもそれで駄目になるやつは多いから直し方は分かるけど……言っておくけど、結構つらいよ?」
「大丈夫です。それぐらいの覚悟はしてきました」
アリントン卿を見据え、真っすぐと返事をした。俺の真剣な目が伝わったのか、アリントン卿は少しだけ破顔した。
「そうですか、覚悟のある目だと思います。……では東の森へ行きましょうか、今から行っても夕刻には戻れるだろうし……」
「東の森、ですか?」
「えぇ、あそこには多くの魔物が住んでいることは知っているよね?」
子供の頃に親からまず教えられることは、東の森へは近づくな、ということだった。東の森は不帰の森とも呼ばれ、大人でさえ、時折行方不明者が出るほど、危険な場所として有名だからだ。
その理由は森の潜む魔物達の存在だ。
最近はあまり目撃されていないらしいが、オーガなど、人を食糧としてするような種族も魔物の中にはいる。
「あそこはうちも魔物の駆除をたまにやっていてね。安全な場所は大体分かっているから、そこで少しだけ訓練をしよう」
「ここでは出来ないんですか?」
未知の場所へ行くという事に少なからず不安を覚えない、という人はいないだろう。そこが危険地帯ならなおさらだ。
「当たり前だろ?殺しの訓練なんだから」
アリントン卿はおどけた口調で言うが、その瞳に笑みは一切見られなかった。
**********
「この辺で良いかな?」
東の森へやってきて、しばらく歩いたところでアリントン卿は足を止めた。
四方は木々で囲まれ、足元はうっそうと生い茂った草木が地面を覆い隠している。
「この辺にゴブリン共が寝倉を作っているって報告があったんだけどなぁ」
ゴブリン……姿こそ見た事はないが、世界で最もポピュラーな魔物の1つだった。
体長は80cm程で一匹一匹は強くないものの、群れを成して生活し、作物や森の果実を荒らしまわるため、厄介な存在として知られている。
食性は草食性のため、積極的に人間を襲うようなことはないものの、危害を加えれば一斉に攻撃をしてくる。
あたりを探索していたアリントン卿がしばらくして戻ってくる。どうやらゴブリンの巣穴を見つけたらしい。
枝葉で入口はカモフラージュされているが、人一人這って入れそうなくらいの大きさの穴が地面にぽっかりと空いていた。
「この中に入るんですか?」
「馬鹿言っちゃだめだよ。こんな小さな穴でどうやって戦うんだよ」
そう言ってアリントン卿は懐から小さな包みを取り出した。
「燻り出しってやつだね」
そうして包みの端に火をつけると、それをそのまま巣穴に向かって投げ入れた後、入口を土の壁で塞いで、その口を完全に閉じてしまった。
「しばらくすれば、沸いて出てくる。……それよりも……ゴブリンと言えど、下手をすれば死ぬ。この意味が分かる?」
わかっている……アリントン卿は俺のトラウマ克服にあたって荒療治をしようと言うのだろう。つまりは死にたくなければ殺せ、そういう事だろう。
「トラウマを克服する唯一の方法は、悪いイメージを良いイメージで書き換える事だ。まぁ雑草狩りだと思って気楽にいこう。あ、ちなみに僕は一切助けないから安心していいよ」
務めて明るくしようとしてくれる気遣いはうれしいが、とてもそんな気分にはなれないのであった。
事前にアリントン卿から授かった鉄製の剣を手に構え、その時に向けて万全の準備を整える。
2、3分待つと、巣穴の入口を塞いでいた土がガタガタと音を立て始めた。
剣を持つ手に一層、力が入り、手から汗が噴き出す。
そしてついに土の壁は内側から崩れ落ちた。それとともに中からギャーギャーとわめきながら数匹の緑色の小動物が飛び出してくる――いや、数匹などではない、小動物たちは途切れる事なく次々の穴から外にはい出し、巣穴の周辺はあっという間にゴブリンで埋め尽くされてくいく。
栓がなくなり、もくもくと巣穴から煙が上がり始めるころには、ゴブリンの声が当たりに響き渡るほどの大音量となっていた。
ゴブリン達は武器と呼べるほどのものは殆ど持っていない。石でできたナイフのようなものは数匹持っているが、それ以外は太い木の枝を棒替わりに持っているくらいのものだった。
ゴブリンの中には弓や剣を持つものもいるらしいが、それはもう少し上位の種族なのだろう。幸いにも今回の相手はそういった複雑な工作が出来ないらしい。
一匹のゴブリンがこちらに気付き、よけいにわめきたてると、辺りにいたゴブリンもこちらの存在を認めた。
そして、石のナイフを手に持ったゴブリンを先頭にゴブリン達は隊列を組むとと、一斉にこちらへ襲い掛かってきた。
「ちっ!」
いくらなんでも数が多すぎる。次々と繰り出されるゴブリン隊の攻撃を夢中になってかわしていく。
そうして何度目かの攻撃を躱したとき、ふと、手に肉を断つようなねっとりした感触が伝わってくる。
見ると、木の棒を交わそうとして薙いだ剣先が1匹のゴブリンの胴を真っ二つに切り裂いているところだった。
「うっ……」
贓物を飛び散らせながら、赤黒い血を噴き出すその姿と、手に残る感触に胃の中のものが逆流してきて、嗚咽する。しかし、そんなことを知る由もないゴブリン達はおかまいなしに攻撃をしかけてくる。
なんとかして攻撃をしのぐが、頭の中は気持ち悪さでぼうっとしてきて、もはやゴブリン相手に余裕などはなくなってきている。
そして――ゴブリン達の攻撃が徐々に体をかすめ、あちこちに切り傷や木の棒で殴られた痕が出来始める頃には、トラウマを思い出してうまく剣を振るえない、なんて余裕もなくなっていた。
最早思考能力は断たれ、体を動かしているのは生存本能だけだ。ただ無心に剣を振るい、目の前のゴブリンを駆逐していく。
首を刎ね、胴体を寸断し、際限なく目の前に現れるゴブリンをただただ無機質に、その命を摘み取っていく。
気が付いた頃には辺りは血にまみれ、無数のゴブリンの死骸が転がっているだけだった。
「お見事」
木の影に隠れ状況を見ていたアリントン卿が手をたたきながら姿を現したが、俺はというと肩で息をしながら、地面に突き立てた剣を頼りに立っているのがやっとだった。
「ゆっくり休みな」
満身創痍の俺を温かい手が包み込んだ瞬間、意識がすうっと遠のいていく。
初めての魔物退治は大半がぼんやり意識の中に沈んでいった。
**********
「気が付いたかい?」
「アリントン卿?ここは?」
どうやらベッドに寝かされていた俺は起き上がって周りに目をやる。
机の上に置かれたランタンが煌々と辺りを照らしているが、他に光源はなく全体的には薄暗い部屋だった。
その部屋の片隅で本を片手に椅子に座るアリントン卿の表情は、訓練の時とは違い、知性を感じさせる表情だった。
「ここは僕の自室だよ。気を失っていたから、とりあえず運んでおいた。寮には連絡済だから安心して」
「そうですか、それはご迷惑をおかけしました」
「それで、どうだった?初めての殺しの感想は?」
気を失う前、無数のゴブリンをこの手で殺した。その感触は今でも残っている。
しかし、不思議とそこに不快感はなく、夢だったんじゃないか、というくらいの感覚だった。
「正直、あまり覚えていません……」
「そうかい?まぁそういうものかもしれないね。僕は初めて魔物を殺したときは一晩中眠れなかったよ」
「アリントン卿が?」
昔を懐かしむアリントン卿だが、今の彼からその光景は想像しずらかった。
「おいおい、僕をなんだと思ってるんだ。誰だって初めて命を奪うときは怖いものだよ」
その言葉に少しだけ心が軽くなった。
今、締め付けられるような思いをしているのはきっと誰もが通る道なのだ、と思えばなんでもないと感じるものだ。
「……それが快感に変わるまでは、まぁ人それぞれだね」
やっぱりこの人は頭のねじがどこか外れているのかもしれない。
「言っておくけど、僕は正常だよ?仲間が殺されれば悔しいし、敵を殺せばうれしい。兵士なんてものは、そうまでならないとやってられないものさ」
オリオール王国では今でも諸外国と戦乱が続いている。その最前線で戦ってきたアリントン卿だからこそ言える言葉なのだろう。今の俺にはその言葉の意味が全く理解できなかった。
「そうですか……」
「それにしてもトッドはやっぱり才能があるね。初めてであそこまで魔物を殺せるやつはそういないよ」
それは、喜んでいいのか?
あまり嬉しくない才能を褒められている気がする。
「そう……ですか」
「あぁ、しばらくは剣の稽古をつけてあげる。と言いたいところだけど、来週からまた戦争なんだ。あまり時間はないかもしれないね」
「また、ゴルティコバとですか?」
ゴルティコバはここ数年、オリオール王国と争いを続けている宿敵だ。大きな商業国家で、昔、父に連れられて一度訪れたときは様々なものが街頭で売られ、華やかな町々が多かったことを覚えている。
ゴルティコバとの戦争は数か月に1回は発生しているが、先月、先々月と行われていないことからそろそろ一戦あるというのは不思議なことでもなかった。
「まったく、嫌になるよ。いつまでやるつもりなのやら……」
心底うんざりしたような表情だったが、俺からは何も言う事ができなかった。