第六十二話:ピンチヒッターズ
荒れ果てた通路を歩き、ポリーシャ・ホテルに入る。
草が伸び放題、生え放題であった道中とは違い、ホテルの周囲は人の手が入っているのが分かった。
長い階段を上り、途中でお婆さんを支えながらも上り続けて吹き抜けのある最上階に向かうと、何十人かの集団がそこにいた。
机やテーブルの他にも本棚のような生活用品が用意されており、高齢者らしき人達がそこで休んでいたのだが、お婆さんと自分の姿を見ると中高年の男性がこちらに駆け寄ってきた。
「ローザ! そいつはいったい―――」
「孫のアルチョムに決まってるだろう、シド。あんたの姪も一緒に帰ってきたよ!」
「ド、ドウモ……」
エレノアが気まずそうに頭を下げるも、その後ろには銃で武装しているイーサン達がいる。
それを見て一瞬たじろぐも、すぐに勢いを取り戻して詰め寄ってきた。
「なんだお前らは! ローザの孫を騙してまで何の用だ!?」
「いいかげんにしなッ! 確かにアンタはニーナと気まずかっただろうけど、それでも姪っ子がきたなら歓迎するのがスジってもんだろう!」
こちらが何か言う前に、ローザと呼ばれているお婆さんがシドと呼ばれた人を叱りつけた。
その迫力に思わずその場にいた全員がたじろいだ。
「まったく…歳をとると頭が固くなってかなわないよ。ほら、二人共こっちに座りな。今アルチョムが好きだったヒンカリを作ってあげるよ」
そう言ってローザお婆さんは自分とエレノアを座らせて、調理場へと向かった。
「ア、アノ―――」
「いいから、いいから。歳とってもこれくらいはできるもんさ。さぁ、お茶でも飲んでのんびり待ってな」
エレノアが何か言おうと立ち上がるも、ローザお婆さんがエレノアの肩に手を置いて座らせてお茶を淹れる。
何を言っても聞かないだろうと察して俺とエレノアは大人しく座る事にした。
シドと呼ばれた老人もローザお婆さんの機嫌を損ねたくないのか、近くのイスに座った。
それからローザお婆さんが調理をしている間、簡単な情報交換が行われた。
「事故が起きた当時、ワシらはここから追い出され、外で生きてきた。だがな……年老いる度に思い出すのだ、故郷の匂いを」
シドと呼ばれた老人は懐かしむように言葉を続ける。
「故郷へ帰りたい。せめて最期に一目だけでも……そして我々は数年前にここへ戻ってきたのだ」
「数年前? 単独で?」
「いや、運び屋の伝手があってな。金はかかったが、もうワシらには不要だったからな」
イーサンも話しに加わり、話の節々から役に立つ情報を聞こうとする。
今分かっている事と言えば、このプリピャチにいるのはここにいる十数人程度。
食料や飲料水は定期的に運び屋が持ってきてくれるが、足りない場合はモンスターをも食料にしているとか。
なんというか、ギリギリの生活に思える。
「病気で死んだやつもいる。だがそいつはここで死ねたんだ、本望だろうよ」
周りにいた人達も話に加わり、湿っぽい空気になってきた。
「できたよ、アルチョム! お友達も一緒に好きなだけ食べな!」
ローザお婆さんが大きな皿をテーブルの上に置く。
皿の上には皮が小麦色に焼きあがったものと、そして煮られて茹だっている白い皮に包まれたものがのせられていた。
「あの……これ、ギョウ―――」
「ヒンカリだよ!」
どう見てもギョウザなのだが、ヒンカリだというのならそういうことにしておこう。
一応毒見ということで、エレノアより先に恐る恐るまだ白い湯気がのぼっているヒンカリを口にした。
「ア、アノ……どうデスカ?」
「……うん、うん。まぁ不味くはないよ」
だが何だろうか、表層意識ではギョウザではないと理解しているものの、深層意識ではギョウザと認識しているせいで、意識と実際の味覚でギャップが引き起こされてどうにも感想に困る。
何度も咀嚼して飲み込むのだが、どうしてもギョウザっぽいようで違うものであるという認識によるジレンマが脳を刺激する。
しかも米じゃなくてパンが添えられているせいでその違和感がマックスだ。
「ウン……美味しいデス、ローザさん!」
エレノアや他の人もドンドン食べていき、皿の上にあるヒンカリという名のギョウザがなくなっていく。
別に好物というわけではないのだが、ドンドン数が少なくなっていくのを見るともっと食べたくなるのがぽっちゃり系の本能。
サクサクと小麦色に焼きあがったヒンカリを口の中に入れていく。
「やっぱりアルチョムだよ。焼いたやつが大好きなのは変わってないねぇ!」
ローザお婆さんが嬉しそうな顔をしているのだが、もの凄く気まずい。
助けを求めるようにシドのお爺さんに目を向けるも、どうしようもないといった顔で返されたので、現実逃避をするように更にヒンカリを食う。
間食も終わり、ゆったりとした空気が流れる。
一応食べさせてもらったということで、食器洗いは俺とエレノアの方でやらせてもらう事にした。
「アルチョムはやっぱり優しいねぇ~」
「そうですね。頼もしいお孫さんです」
ローザお婆さんが嬉しそうに語りながら、その横でイーサンが銃のマガジンに弾を込めながら同意する。
もの凄く不穏な空気なのは俺の気のせいだろうか。
そんなこんなで雑務をしていると、シドのお爺さんが外の景色を見て眉をひそめる。
「霧が出てきたな。皆、そろそろ中に入るぞ。お前さんらも適当な部屋に入れ」
そして最上階でゆったりとしていた人達がイソイソと下へと降りていった。
「あら、フラールがいるの? ご飯を用意してあげないと」
「ローザ、あいつはもう野生にかえったんだ。早く中に入らないと、ワシらがエサになっちまう」
「残念だねぇ、カワイイ子だったのにねぇ」
エレノアはよろよろと歩くローザお婆さんの手を引き、俺達もその後についていく。
ただ先ほどの話が気になったのか、イーサンがシドさんに尋ねる。
「失礼、フラールというのは?」
「元は子犬だったが大きくなってからは近くのモンスターから我々を守ってくれる頼もしい番犬でな」
懐かしそうに語るその声には優しさがあり、愛着があることがよく分かった。
しかしその表情はあまり良いものではなかった。
「ある日、フラールは霧に飲まれた。そしていつしか霧の中にいるものを襲う凶暴な牙となったのだ」
「霧に飲まれた……?」
どういう意味かは分からずにイーサンが聞き返したが、そうとしか表現できないとシドお爺さんが告げる。
「今となっては、アレは霧の中にある命を区別なく襲う牙となった。まるでトゥマーン・ヴォルクだ」
「霧の狼……聞いたことがないな」
霧の中にいる獣……まるで妖怪か化物だ。
まぁ場所が場所だけに新手の外来異種だとは思うが、俺もイーサンも知らないとなると面倒だ。
ん? 霧の中にある命を区別なく襲う……?
廊下にある窓から外を見ると薄い霧の中に、一際濃い霧の塊が見える。
輪郭が影絵のようであまり分からないが、それはシドのお爺さんが言っていたような狼であった。
そしてそれは隣の建物……壁をつたってエネルゲティック文化会館の屋上へ向かう。
「ヤバイ、イーサン!」
「ああ、分かってる! ジェイコブ、トビー! 今すぐその場から離脱しろ!」
『どうした、イーサン? 何かあったのなら……な、なんだコイツ!?』
コロニー化した場所でも使える高出力の通信機で危険を知らせるも、一足遅く霧の中から小さな光と発砲音が聞こえた。
『クソ、クソ、クソ! なんだよコイツ! 弾がすり抜けるとかゴーストかよ!?』
「ジェイコブ、トビー! 応戦するな! 撤退しろ!」
イーサンが叫ぶも、通信機の向こう側から聞こえる銃声は止まらない。
例え銃が効かないとしても、目の前に敵がいる状態で背を向けるのは難しいだろう。
「二人共伏せてください!」
突然、エレノアが大声をあげて両手を合わせる。
そして富山で見せたように合わせた手を捻り、扉を開けるように手を開いていくと、霧の中にあった獣の姿は横一文字に引き裂かれた。
『―――ダメだ、まだ生きてる!』
霧の中で確かに上半身と下半身が分かれたというのに、その獣はゆっくりと逃げる二人を追う。
それどころか切れた下半身が消えていき、徐々に上半身に戻っていってる。
「アレでまだ動くのか!?」
イーサンが驚くのも無理はない、俺だって驚いてる。
弾丸がすり抜けたというが、まさか真っ二つになっても再生するとは思わなかった。
エレノアは必死に切り開いたままの状態を維持するが、このままでは二人が逃げ切る前に元に戻るだろう。
どうする、どうする?
ここから銃を撃ったところで効果はないだろう。
俺の秘密兵器だってこんな場所じゃ使えない。
どうやれば殺せる……いや、殺せなくとも動きを封じられればそれでいい。
そういえば……霧の狼……どうして霧なんだ?
物事には必ず理由がある。
俺が甘いものと一人前以上に飯を食うから太るように。
霧の狼と呼ばれているのであれば、霧に何か理由があるはずだ。
「イーサン! 野球やったことある!?」
「こんな時に何をッ!………リトルリーグに所属していたことならあるが」
「よし! じゃあこれ使おう!」
俺はイーサンのチェストリグから手榴弾を取り出して、それを見せる。
「私はたまにバッティングセンターに行く程度だ、ここから投げても届かない可能性の方が高い!」
うんうん、ここから約七十メートル……野球の外野手だったら百メートルは飛ばせるけど、そうじゃないなら難しいかもしれない。
「イーサン、野球は投げるだけじゃないよ」
「―――まさかッ!?」
そう、投げるよりも打った方が飛距離が出るものだ。
「無謀すぎる!」
「知ってる。……で、どうする?」
銃も効かない、エレノアの力も少しの足止めにしかならない。
ならば爆発の衝撃で一時的に霧を吹っ飛ばす手を試すしかない。
もしもあの二人を巻き込んだとしても、このまま見殺しにするよりかはずっとマシなはずだ。
「フゥー……エリー、私が合図をしたら手を戻してくれ」
「ウ、ウン……」
イーサンも覚悟を決めたのかライフルのマガジンを外し、コッキングで薬室にあった弾も取り出す。
即席バットが銃って何だろうね、ほんと。
イーサンが銃をバットのように構えて、向き直る。
俺は手榴弾の安全レバーを握りながらピンを抜く。
イーサンが静かに頷くのを見て、手榴弾をトスする。
フルスイングするでもなく、まるで野球の守備練習でやるようなバッティングでイーサンはトスされた手榴弾を銃で打ってみせた。
緩やかな曲線を描くその弾道は霧の狼と逃げる二人の間へ吸い込まれるように落ちていき―――。
「今だ!」
エレノアが力を解除すると身体を取り戻した霧の狼が再び二人を襲おうとし……爆音と共に霧散していった。
「ホームラン!」
「いや、この場合はヒットだろう。二人共、屋上から降りたらどこかの室内に立て篭もれ」
『了解。助かりました』
ふぅ、これで一先ずは安心といったところだろうか。
それにしてもヤバイやつがいたものだ。
まぁ流石に手榴弾の衝撃で霧散させればもう追ってこないだろう。
「お前ら、あやつを怒らせたようだぞ」
「へ?」
一部始終を見ていたシドお爺さんが窓の下を指差し、つられるようにそこへ目を向ける。
まるで意思を持つかのように霧が集まり、形が作られていく。
「……やっべ」
先ほどまでエネルゲティック文化会館にいた霧の狼の形をしたソレは、見えるはずのない双眸の光をこちらに向けていた。




