// 3 アトリエ
東京都港区台場。
つい数年前までお台場と呼ばれ親しまれていたこの土地は、今は別の名で呼ばれている。
産業実験都市、通称『アトリエ』。
人口は約15万人。その殆どが芸術、音楽、ゲーム、漫画、小説、webデザイン、更にはロボット工学など、何かしらのクリエイティブ分野に深く関わるクリエイターで占められていて、その比率はなんと脅威の8割強。
年々、先進各国との技術力の差が開き続ける日本の現状を憂いた政府が、日本を再び産業と文化の発信地とするべく都市開発の一環として実験的に新設した、いわば『クリエイターとエンターテインメントの楽園』だ。
若いクリエイターや学生、アイデアはあるが資金に困って立ち往生しているベンチャー企業などを一箇所に集め、研究・活動資金を援助するとともに、お互いが切磋琢磨できる環境を用意し『かつての技術大国としての威光を取り戻し、日本が世界に誇るサブカルチャー文化と融合させ新たな形で昇華させよう』という、かなり思い切った試みだ。
アトリエに住むクリエイターには、アトリエ内の創作に役立つ様々な公共サービスを無料で利用できる上、創作の種類や個人・企業・グループを問わず、その活動内容によって政府から特別支援金が支給される。ゆえにアトリエには、世界中から自慢のコンテンツを引っさげた娯楽系ベンチャー企業やシンクタンク、個人クリエイターが集まってきて、その斬新なアイデアをアトリエのクリエイターたちに絶えず発信し続けている。
爆発的に普及したNinephを代表とするツールやガジェット、webサービスは毎日のように更新され、興味を持ったクリエイターたちがそれらを使い、また新たな作品やコンテンツを生み出していくという創作の無限ループ。
そして若き才能と革新的な技術が集まれば、それを求めて資金潤沢な大企業までもが参入してくる。共同事業や資金援助の契約が結ばれれば開発は一気に加速し、また新たな人気コンテンツがアトリエから世界中に発信されていくというわけだ。
多くの創作を愛する人々とそれらを応援するユーザーたちによって、アトリエは創設わずか十年あまりという驚異的なスピードで、世界中から注目されるエンターテインメントの中心地となった。
そんなアトリエに住む若者たちを、今最も熱狂させているコンテンツ。
それが、ArtsとNinephを用いた対戦型複合現実e-スポーツ『ヴァーヴス・ストラグル』だ。
verveとは、芸術作品あるいは行動に表れた熱意や情動のことであり、ヴァーヴス・ストラグルにおいては創作に込めた想い・自意識をリソースに生み出されるArtsという存在そのもののことを指している。
ルールは単純。二人のプレイヤーがお互いのArtsを専用のフィールド内で戦い合わせ、Artsに設定された体力をひたすら削り合う。先に相手の体力を0にしたArtsが勝利し、負かした相手の強さによって公式ランキングの順位を上げることができる。
ゲームの世界では最もシンプルでポピュラーな、だからこそ人々を熱狂させるジャンル。
いわゆる、『Artsを用いた格ゲー』である。
その最大の特徴は、一昔前のe-スポーツ=(コンピュータゲームを用いた対戦競技)とは違い、プレイする側であるプレイヤーは、同時にArtsを描いたクリエイターでもあるという一点に尽きる。
ヴァーヴス・ストラグルのプレイヤーは専用の呼称である『デザイナー』と呼ばれ、対戦中は常にNinephを着用しArtsと脳内で相互通信することで戦略や行動といった指示を出す。Artsはそれを忠実に実行、あるいは高度に発達した知能によって自己で判断し、対戦相手のArtsに立ち向かっていく。
Artsの素体となったアーキタイプチップの中には、創造時にデザイナーから込められた想い、つまりArtsの知能の元となった固有データが記憶されており、ヴァーヴス・ストラグルではその固有データから構築された特殊能力がArtsに付与され、対戦を有利に運ぶ手助けとなる。特殊能力の内容はデザイナーがArtsに込めた想いによって千差万別で、一つとして同じ特殊能力は存在しないとも言われている。
さらに、デザイナーは対戦の最中もNinephによる創作が認められており、Artsが戦っている間もリアルタイムで剣や銃などの武器、あるいは壁などの障害物をスタイラスペンで自由に描き、対戦中のフィールドに放り込むことができる。
これにより、描いた武器をArtsに装備させて弱点をカバーしたり、逆に相手の作戦を潰すなどといった、まさにクリエイターならではの戦略が可能となるのである。
Artsが戦い、デザイナーがサポートする。プレイヤーが創作者であることを最大限に活かしつつ、一対一の対戦というシンプルなルールで構成されたこの複合現実e-スポーツは、サービス開始以来瞬く間にアトリエ中の若者を虜にした。
NinephとArtsの開発元であるヴァーヴス・エンライト社がコンテンツを運営しているゆえにサービス内容が豊富だったこと、プロモーションに有名な絵師やゲームデザイナー、モデラ―を起用したことなども若者の支持を得る大きな要因だった。
しかしなによりも、『自分の創造したキャラクターと心を一つにし、ともに戦う』という、クリエイターを志す者なら誰しも幼い頃に空想した世界を現実に体験できるという事実が、Artsに魅せられた多くの若きクリエイターの心を掴んで離さなかった。
そして、それは僕も同じだ。
4年前、ユーリに連れられて行ったヴァーヴス・ストラグルの正式サービス開始記念セレモニー。そこで観た光景は今でも鮮明に覚えているし、なんなら写真なんかよりも鮮烈なタッチで描き起こせる自信がある。
5000人収容の専用アリーナは超満員。眼下のバトルフィールドの中央には男女7人のデザイナーと、それぞれの作品と思われる8体のArtsが並ぶ。
当時まだ小学生だった僕でも、そのArtsがいかに非凡で凄まじい才覚によって生み出されたのか、手に取るようにわかった。
あまりにも、美しすぎたのだ。
人型、獣型、人獣型、中には鳥型や巨大なロボット、複数の腕と目玉を持つクリーチャー型などもあったが、8体全てに強烈な個性があり、なおかつ線や造形のバランス、精緻な描き込みと鮮烈な塗りはまるでArtsがそこに実在しているようなリアリティを彼らに宿らせていた。
中でも、たった1体だけデザイナーの姿がなく単体でセレモニーに参列していた少女型Artsに、僕はひと目で眼と心を奪われてしまった。
白銀の髪にサイバネティックなコンバットスーツを纏う少女のArts。ほのかに光の粒子を放って佇む彼女の表情は、とうていデジタルデータで構成された3Dモデルであるとは思えず、一人だけArtsの衣装を纏って参加したデザイナーなのではないかと思ったぐらいだった。
この話をユーリにするたびに「Artsの女の子に一目惚れとか本気でキモい」と割りと冗談じゃなく引かれるが、それくらい僕は衝撃を受け、4年経った今でも『彼女』のデザインやタッチは僕の画風に大きな影響を与えているし、目指すべき理想の作品像として心に焼き付いている。
――――けれど、そんな憧れもこだわりも、もう必要なくなった。
名前も知らない大きな道路橋の歩道に、僕は立っていた。
明るすぎるアトリエの街の光によって星の消失した夜空の下、外したNinephのヘッドセットと本体を右手に握りしめ、手すりの向こうに広がるジェットブラックの東京湾の水面へと、ぎこちなく振りかぶりながら。
ユーリたちから逃げるようにゲームセンターを飛び出して、ただ脚が向く末に任せデタラメに、自棄的に僕は走った。
15年の短い人生のうち、運動よりも絵を描いている時間の方が長かったような僕だが、しかし今夜だけは自分でも驚くほど長い時間と距離を感情に任せて走り続けた。
必ず勝つと自分に誓い、ユーリにも宣言したはずの大会であっけなく予選落ち。今度こそはと想いを込めて描いたArtsともシンクロ出来ず、開始一分ももたずに真っ二つにされた。
恥ずかしさ、悔しさ、情けなさに吐き気すら覚えた。これまで何度も大会や対戦に挑んできたが、一度として勝てたことがない僕にはもう自分をデザイナーと呼べる自尊心は残っていなかった。
だからこそ、公式大会を来週に控えた今夜だけは、たとえ小さなゲームセンターの出張大会であったとしても一勝をもぎ取り、デザイナーとしての自分を証明したかったのだ。
なのに。僕は。
呼吸が浅くなる。長年使い込んできたNinephを握る手に、力がこもる。
Artsとシンクロできない、つまり自分の脳の分身であるArtsを拒否してしまっている僕には、もう絵を描く資格などない。
創作とは内に眠る『自分』と向き合い、表現することに他ならない。そして、今の僕にはそれができないという事はもう、これまで幾度となく重ねてきた敗北によって明らかだ。
ならば、僕にはもう筆を握る資格はない。Ninephを身につける必要はない。こんなものいつまでも未練がましく使い続けているから、僕は自分がデザイナーとして、クリエイターとしてとっくに死んでいることを認められないんだ。
なら、いっそ――――こんなもの。
僕は歯をぎっと食いしばり、振りかぶった右手をぐっと前に押し出そうとした。
しかし、Ninephのフレームが指から離れそうになった瞬間。
「捨てちゃうのかい?」
横から突然誰かの声が飛んできて、僕は直前でつんのめりながら道路橋の手すりにしがみついた。
心臓が思い出したように激しく鼓動を始める。どうやら知らない間に息を止めてしまっていたらしい。
僕は乱れる呼吸を整えながら、ずれた眼鏡を直して声のした方を向いた。
そこには、中性的という表現がぴったりな長身の青年が立っていた。
白いシャツに折り目もシワもないすらっとしたジーンズ、やや長いプラチナブロンドの髪を後ろで結い、左手首にはアルミシルバーのNinephという出で立ちの青年は、まるで旧知の友人に向けるような人懐こい微笑をこちらに向けていた。
反射的に記憶の中から青年の顔と名前を照合しようとするが、間違いなく見覚えはない。
「あんまりじゃないか。Ninephにも、その中にいるさっきの騎士君にもさ」
ゆったりとした足取りでこちらに歩み寄りながら、青年は訝しげに見返す僕に柔らかく笑いかけた。
男性にしては高めのテノールが、車の通らない閑散とした道路橋に緩やかに響く。
「だ、誰ですかあなた……?」
「いやなに、さっきの出張大会の観客だよ。キミ、予選の二試合目ですぐ負けちゃった子だろう?あの対戦、ボクも見てたんだよね」
夜中ということもあって、見知らぬ青年に警戒した態度で応答すると、しかし青年は気にする風でもなくにこやかに答えた。
「いやあ、さっきはトラブルがあったみたいで残念だったね。あの騎士君、シンプルだけどなかなか洗練されたデザインで丁寧に描き込まれてるように見えたから、久々にいい対戦が見れるかと思ったんだけど」
「そうですか……なんか、すみません。がっかりさせちゃって」
手すりにもたれかかりながら、僕は深く俯いて消え入りそうな声で答えた。
青年は僕と少し間隔を開けて横に立つと、同じく手すりに寄りかかりゆっくりと息を吐く。
「まぁ多少期待してたのは事実だけどね。キミ、対戦前も対戦中もすごい気迫っていうか、必死そうな顔してペンを握ってたからさ」
青年の言葉に、ずきん、と胸が痛む。
「あれだけ思い入れた様子で、あんな負け方したキミにこれ以上何か言って傷つける気にはなれないよ。まあ同じデザイナーとして、とりあえずお疲れ様ってことくらいかな」
そう言って彼は、隣で俯く僕の背中を軽く叩いた。
どうやら、彼もデザイナーであるらしい。それならばさっきの対戦はほとほと退屈なものだったろう。開始一分も経たず僕のArtsは行動不能になり、そのまま真っ二つに斬られてあっけなく対戦終了したのだから。
「まぁだからって、Ninephを橋の上から投げ捨てるのはよくないけどね。クリエイター的にも、環境的にもさ」
「……すみません」
苦笑気味な青年の言葉にまたしても重く返事をしながら、僕は手元のNinephを見つめた。
さっきはひどく憎らしく見えた長年の戦友が、今はちゃんと手に握られていることにひどく安心している自分がいて、それが物凄く惨めで情けなく思えた。
「さっきの対戦がよほど悔しかったのか……何か事情があるのかな?」
彼は優しい声色で問いかけてくる。
青年の声は、さっきまで暗い水に満たされていた僕の心をゆっくりと鎮めるような、不思議な安心感を帯びた声だった。
跳ねるようだった心臓の鼓動も今は落ち着いている。
初対面の人と、特に年上と接することに大きな苦手意識のある僕だが、この白金髪の青年にはそんな心理的な壁も無いような気がした。
彼がデザイナーとしてどれほどの位置にいるのかはわからないが、今も自然と浮かべている気さくな笑顔には少しの悪意も感じ取れないし、きっと対戦マナーの悪い一部のデザイナーとは違うだろうとも思えた。
だからなのか、あるいは自暴自棄になっているだけなのかはわからなかったが、僕は普段ユーリともう1人の幼馴染にしか話さない胸の内を、ぎこちない言葉で少しずつ青年に吐露した。