// 9 ツバサ
ユニについて、解った事が三つある。
一つはステータスについて。
ストラグルのシステムに読み込まれた事によって、今まで隠しパラメータだったユニのストラグルでのステータスが判明した。
端的に言えば、スピード極振り型。ほかの全パラメータを捨て、移動速度に全ての比重を傾けたスピードタイプのArts。
ヴァーヴス・ストラグルに限らず、対戦系ゲームや|ロールプレイング・ゲーム《RPG》ではスピード型のキャラクターは珍しくない。ユニほど極端にではないにせよ、速さによって相手を翻弄し、素早い一撃を放つスピードタイプはあらゆるジャンルのゲームで強力かつ人気のキャラだ。
しかしながら、ユニはそれらの花形スピードキャラとは少々、いやかなり勝手が違うようだった。
表示されたステータス欄を見て、僕は愕然とした。
スピード以外の全パラメータが軒並み最低値にもかかわらず、唯一の武器であるスピードですら、せいぜい中の上程度の数値に留まっていたのだ。
Artsのステータスは基本的に作品として完成した瞬間に確定され、以降は一部のステータスアップ系特殊能力などの例外を除いて変動することはない。
ステータスの決定にはArts創作時の情動、作品へ込めた想いが少なからず関係するため、だからこそデザイナーたちは自分たちの理想とする『強さのカタチ』をArtsに表現する。
パワーならば屈強な腕を、速度なら俊敏な脚を、守りなら強固な盾をArtsに描くことで、その想いがそのままArtsのステータスとしてアーキタイプチップに記憶され、Artsの強さとなるのだ。
逆に言えば、Artsのステータスの低さはそのまま、込められた想いの純度の低さを表している。
昨晩の僕がユニにどんな想いを込めて描いたのかがずっと気がかりだったが、この驚くほど低い上に、ひどく偏ったステータスから考えると、少なくともロクな想いではなかったのだと推察せざるを得ない。
もう一つは、特殊能力についてだ。
ゲームセンターで行うフリーマッチモードではArtsの特殊能力演出はかなり制限されているが、一度システムに読み込まれたArtsの特殊能力はステータス同様確認することができるようになる。
ユニの絶望的に低いステータスを確認した僕は、それを補うほどの強力な特殊能力が備わっている事を期待し、祈るような気持ちでウィンドウを覗き込んだ。
そして、二度目の驚愕が僕を襲う。
ステータス欄の下部をスクロールして出現した特殊能力の説明欄は、特殊能力名も含めて全文が狂った記号の羅列に文字化けしており、何が書いてあるのか全く読み取ることができない状態だったのだ。
初めは、システムに読み込まれた直後ということで表記がバグってるだけだと半ば強引に結論づけて、Ninephを再起動したり、ストラグルの筐体端末に再びデータを読み込ませたりと考えられる限りの方法で対処しようとした。
しかし、何度再起動しようと文字化けは直らず、欄いっぱいにびっしりと並んでいる特殊能力の説明文は一文字たりとも解読することはできなかった。
希望が絶たれたように途方に暮れ、僕はゲーセンのレストスペースのベンチに腰掛けながら、ユニについて判明した事実の三つ目をぼんやりと頭の中で無限リピートしていた。
ユニは間違いなく、僕が今まで描いてきた――――否、目にしてきたArtsの中で最も異質で、詳細不明で、ステータスが悪い方向に崩壊した高知能Artsだった。
「いつまでボーッとしてんのよ、ほれ」
放心気味に天井を見つめていると、ユーリの鈴のような声が左側から聞こえてくる。顔の横に差し出された缶ジュースを受取ると、ユーリは小さなテーブルを挟んだ向かいの席にすとんと腰を下し、自分のぶんの缶ジュースをぐびぐびと景気良く喉に流し込んだ。
「ぷはー!ストラグルの後はこれに限るわー……って、まだそんな顔してんの?」
缶から口を離したユーリが、怪訝そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「いつまでも落ち込んでたってしょうがないじゃない。大会までもう一週間もないんだし、エントリーは明日まででしょ?ジタバタしたってもう時間ないんだからさ、今はユニみゃんと一緒にどうやって勝ち進むかってことだけ考えようよ」
「ユーリ……その、ユニみゃんって呼び方何さ……」
「え?可愛いでしょ?」
「…………頼むから、絶対他の人がいる前でその呼び方しないでよ。余計弱そうに聞こえる」
「えー、可愛いじゃん」
「それが問題なの!」
相棒に珍妙なあだ名を命名されるのを食い気味に阻止しながら、僕は小さな丸テーブルの上で呑気に寝息を立てる当の相棒Artsへと視線を移した。
対戦中に昼寝を始めるというユニのAIらしからぬ暴挙によってあっさりと敗北した初戦の後、僕とユーリはあまりにイレギュラーな決着をすぐには受け入れられず、すぐに次の対戦を始めた。
しかし、今度もユニはうたた寝を始めてしまい、僕があの手この手で起こそうとしてもまるで効果はなく、勝負にならないという有様だった。
結局、フィールドの使用時間いっぱいまで対戦のリセットと再開を繰り返したが、ただの一度もまともに対戦になることはなく、ユニとのシンクロや連携の確認もできないまま今日のストラグルはお開きとなった。
あれだけ寝て起きてを繰り返してなお、テーブルの上のユニは気持ちよさそうに身体を丸めながらミュウミュウと聞き慣れない寝息を立てている。そもそも、Artsであるユニには睡眠などという脳が起こす生理現象は必要ないはずで、当然、僕自身がユニに学ばせた動作でもない。アーキタイプチップの四足獣骨格に予め組み込まれていた動作なのだろうか?だとしても、ストラグルの対戦中に発動するなんて仕様は、ゲームデザイン的にも気持ち的にも、あまりに理不尽じゃないだろうか。
アトリエ中にいる獣型Artsの使い手は皆、こんなバグ同然の仕様に悩まされているのか、それともユニが特別なだけなのか――――。
ふと浮かんだそんな疑問を頭の隅に追いやりながら、僕は向かいの席でジュースの缶をちゃぷちゃぷ鳴らすユーリへと視線を戻した。
「別に、落ち込んでるわけじゃないよ。ただ……考えてたんだ。ユニがこんな、今まで描いてきたArtsとはぜんぜん違う感じになっちゃった理由をさ」
「ん……まぁ、確かに珍しいっていうか……ちょっと変わってはいるけどさ」
そう言いながら、ユーリはユニの頭に人差し指を近づけ、鼻先を優しく撫でた。それを認識しているのかしていないのか、ケーブル状の尻尾の先がぴこぴこと動く。
「全ステータスが一つを除いてほぼ最低値、しかも特殊能力欄は全部文字化け。それなのに飛び跳ねたり走ったり、丸くなって眠ったりっていう、生まれたてのAIにしては高度な動作が最初からできるなんて、整理して考えたら本当に不思議なコだね……」
「不思議すぎるよ……結局一回も対戦できなかったし」
「でもさ、ステータスのことも特殊能力のことも、大会前に知れてよかったじゃん。おかげで来週の大会までにみっちり対策立てられるんだしさ」
「そりゃそうだけどさ……Artsの居眠り対策なんてどうやればいいんだよ?」
「んー、対戦前にいっぱい寝かせてあげるとか?そういえばユニみゃん、お昼もずっとあくびして眠そうだったし」
そう言われれば確かに、ユニはMR化するたびにしきりにあくびをしていた気がする。朝に初めてメディア・コンバートした時も、昼食中にMR化した時もやたら眠そうにぼうっとしていた。だからといって対戦前に寝かせてやればストラグルでは目が冴える、というのはさすがに安直すぎる気もするが。
「それにさ、ユニみゃんとのシンクロ値を測ってみるっていう当初の目的は達成されたわけだし、今日の収穫は十分だって。最高記録、更新したのは事実じゃん」
「それはそうだけどさ……まだ89ぽっちだと思うと、先が思いやられるよ……。予選でも100や200超えはゴロゴロいるだろうしさ」
「うわ、昨日まで最高記録33だったくせにナマ言うわー。ユニみゃん描く前はシンクロ値なんか気合でどうとでもなる!って気張ってたのに。もしかして、急に数値上がったから現実感出てきちゃって、ビビってらっしゃる?」
「べ、別にビビってなんかないよ!今日はユニの調子が悪かっただけで、ちゃんと集中して戦えばシンクロ値なんかすぐに上がるさ!てゆーか上げるし!」
「うんうん、その調子その調子」
すまし顔でそう答え、ユーリは缶ジュースの最後の一口を一気に飲み干し、いつもの意地悪スマイルを浮かべながら空き缶を近くのダストボックスへと放った。
まんまと煽りに乗せられ釈然としない気持ちを長大なため息にコンバートしながら、僕は自分のぶんの缶ジュースを開けて一息に呷った。中身はユーリの好きなアップルサイダーで、キツめの炭酸が重苦しくなった脳内を多少軽くしてくれる気がした。
「そういえばさ」
アップルサイダーの缶を口から離すと、向かい側で前髪をいじっていたユーリがふと、何かを思い出したように言った。
「来週の大会、《ジャバウォック》さんも出るって噂、本当なのかな?」
何気ないユーリの言葉に、僕は危うく口に含んだアップルサイダーを噴き出しそうになった。
「うええっ!?そ、それ本当なの!!?」
「いや、そういう噂だってば。私も昨日、ファンタジー系デザイナーの知り合いの子に聞いたばっかりで、まだ本当かどうかは……」
「本当さ」
突然、ユーリの言葉を遮ってハスキーな艶のある声が背後から飛んでくる。僕とユーリは同時に振り返ると、聞き慣れた声の主を確認して口元を綻ばせた。
「「ツバサ!」」
「よう、二人とも。描いてるか?」
軽い調子で挨拶しながら現れたのは、僕とユーリの幼馴染にして、ヴァーヴス・ストラグル公式ランキングのトップ10位内に入るハイランカー、メカニカル系デザイナーの桐島翼だった。
黒と銀を基調にしたシャープなデザインの制服に身を包んだ長身の幼馴染は、榛色の髪の下に控えめな笑顔を浮かべて、僕とユーリが伸ばした手と自分の手を順番に軽く叩き合わせた。
「学校、もう終わったの?こんな時間に会うなんて珍しいね!」
思いがけずいつものメンバーが揃ってテンションが上がった様子のユーリが、空いていた椅子に腰掛けようとしていたツバサに明るい調子で笑いかける。
「スプリングカップが近いからな。親のメンツ立てるために入ってやった進学校でダラダラつまらん勉強してるより、ゲーセンでストラグルやってる方がよっぽど有意義だって。俺だけ別の中学だからゲーセンじゃないとススムとユーリに会えねーし」
「はは、ツバサらしいなぁ」
長い脚を組みながらウンザリしたように椅子に背中を預けるツバサ。僕は相変わらずな様子の幼馴染に少しホッとしながら、茶化すように小さく笑った。
ツバサの父親は超有名なゲーム会社のCEOで、一代で日本有数の大手パブリッシャーへと会社を成長させたやり手のプログラマーなんだそうだ。かなり厳格な人で、ツバサは小さな頃から遊ぶ暇もないほど厳しい教育を受けてきたらしい。
ただ、幸いというかなんというか、ツバサはその厳しさを軽々凌駕するほど多彩な才能に恵まれていて、父親の課す勉強やら習い事やらを短時間ですぐにマスターしては、隠れて好き放題にイラストを描いていたそうだ。
父親の会社がヴァーヴス・ストラグルの協賛企業だったのをいいことに、発売されたばかりだったNinephも真っ先に手に入れ、親の目を盗んではちょくちょく家を抜け出してゲームセンターに通っていたというのは本人の談。僕やユーリともゲーセンで知り合い、すぐに意気投合した。
逆境をそれ以上の才能でねじ伏せる豪胆な性格にはいつも驚かされてきたが、純粋に創作を楽しむ気持ちは人一倍強い、僕とユーリの良きライバルであり親友。それがツバサだった。
「それよりさぁ、二人ともこれ見てくれよ」
ふと、何かを思い出したらしいツバサが、制服の袖をまくりながら右腕を差し出してくる。一見すると、細身ながら程よく締まった普通の右腕だが、僕とユーリは、ツバサが健康自慢をしたいわけじゃないことを知っている。
僕とユーリが腕に注目しているのを確認すると、ツバサは前腕の真ん中あたりを左手の人差し指でぐっと押した。すると、肌色の皮膚の一枚下で青い光点が三つ点灯し、チカチカと順番に明滅を始めた。
「きゃっ!」
腕の皮を透かして点滅する光を見て、ユーリが細い悲鳴を漏らす。その向かい側で、僕も顔を引きつらせて絶句していた。
「はは、びびったか?」
言葉を失う僕らの様子を愉快そうに笑いながら、光を放つ腕をぶんぶん振ってみせるツバサ。かなり昔のSF映画でこんなシーンを見たことがある気がするが、今は気が動転しすぎていてちょっと思い出せそうになかった。
「ツ、ツバサそれ……」
「ああ、思い切ってNinephごと中に入れてみたんだ。こっちのほうがサイボーグ感三割増しでかっこいいだろ?」
飄々とした笑いを口元に浮かべながら、ツバサは自分の右腕を握ったりひっくり返したりして満足そうに眺める。
「呆れた……サイボーグ好きもここまで来ると病的ね」
「はは、デザイナーは人と違ってナンボってね。好きなことほど突き通さないとな」
「それは自分の身体じゃなくて作品に反映させようよ……」
光の浮かぶ右腕で自慢げに拳を握ってみせるツバサに、僕とユーリは呆気にとられて小さくため息を吐くしかなかった。
ツバサの右腕は、義手なのだ。
3才の頃に遭った交通事故で、ツバサは乗り合わせていた母親と、右の上腕から先を失った。その時のことは全く記憶に無いらしく、母親についても写真だけでしか知らないために本人はあまり事故にあった実感が無いらしい。
義手についても、むしろツバサはメカやテクノロジー系の創作物が大好物で、義手であることに負い目を感じるどころか自慢してくる有様だった。
初めて知り合ったその日に「俺、サイボーグなんだぜ」などと言いながら、シリコン製の皮膚カバーをベリベリ剥がして金属の骨格芯を見せつけてきた時など、ユーリは卒倒し、僕も腰を抜かして立てなくなったものだ。
父親の財力とメカトロニクス系のコネがあるのを良いことに、毎年一回は腕のアップデートを行っているそうだが、今回はいよいよNinephそのものを腕の中に組み込んでしまったらしい。ストラグル協賛企業のCEOの令息だからこそできる事ではあるが、先進的もここまでくると友人としてはちょっと心配になってくる。




