モンスター
そこには一人の女が立っていた。
年頃は大駒と同じくらいだろうか。少し上に見えなくもない。
肩ほどまでの髪に、鋭い視線。その女は大駒の通う九鳴高校の隣にある女子校、五雛女学院の制服を身にまとっている。ピンクのワンピース型の制服だ。波打ったスカートが特徴的である。
「なんだ、お前?」
誰もが恐れおののいて逃げ去ったはずなのに、だがその目つきの鋭い女はゆったりと大駒に近づいてくる。
「宝華比美。貴方の通う九鳴高校の隣、五雛女学院に通う三年よ」
「へぇ……ほいで、そのお嬢様が俺になんか用か? こんな時間に」
「貴方を退治しにきたのよ――――怪物」
「ッ!?」
言葉と共に、宝華は地面を蹴って大駒に駆けた。
大駒は慌ててノラを地面に放り投げ、彼女の腕をわしづかみにする。
受け止めた宝華の手には、確かな殺意が込められた鋭いナイフが握られている。
「な、お前! 急になんなんだ!」
大駒は宝華の腕ごと彼女の身体を持ち上げた。
そして大けがを負わさない程度に振り回し、投げた。
だが投げられた宝華は、空中で身体をひねって体勢を整え、見事に滑り台の上へと着地する。あまりにも美しく、見取れてしまいそうな動きだった。
だがそれは、ただの女子高生にできる動きではない。
大駒は警戒する。
「テレビを見たわ。貴方の人間離れした行いは、全国の人間が目の当たりにしている。そしてその全員は思ったはずよ。あれは怪物だ、って」
「ち、違う! 俺は怪物じゃねェ!」
「いえ、貴方はまごう事なき怪物よ。貴方はその宿命にある。その才能に恵まれていると言い換えても構わないわ」
「……才能?」
少しだけ、空気が変わった。大駒はそれを確かに感じ取った。
「そう。知ってる? 全ての人間には、生まれながらに定められた〝役割〟というものがあるの」
「ろーる? あの、あれか。ケーキか?」
「……見た目通りの、単細胞ね」
やれやれ、と宝華はため息をついた。
「な、どういう意味なんだよ?」
「スポーツ選手、科学者、芸能人、医者に探偵から社長にサラリーマンまで……数え切れないほどの役割がこの世界には存在する」
大駒の言葉を無視し、宝華は淡々と話を進める。
夜風に髪がなびき、その短いスカートも揺れる。どんな真剣な場でもちらりとその太ももに目が行ってしまうのは、悲しいかな男の性である。
「細分化すれば切りが無いけれど、でもそれら役割は、誰もが生まれながらに持っている才能と言い換えられる。才能は、大人になったその人間を、定められた役割に導いていく」
そう言って彼女は、カバンの中から一冊の分厚い本を取り出した。なにやら見た事のない文字が縫い込まれている、革張りの高そうな本だ。
彼女はそれを適当に開き片手で持つ。
「例えば私の場合は《魔術師》――」
宝華が小さく何かを呟いた。
すると彼女の周囲の空気が凍り付くように凝固し始め、あっという間に無数のツララを創り出す。それは彼女の周りを浮遊し続け、先端は大駒に向いている。
「な、何だ……そりゃあ?」
大駒はどんなマジックか、と目を凝らした。
「くらってみれば、嫌でもわかるわ」
本を持った手を、前に差し出した。
すると周囲を漂っていただけのツララが、一斉に大駒に襲いかかる。
「ぬあっ!?」
大駒は慌てて走り出し、ツララは大駒の走った跡の地面に次々と突き刺さっていく。
だが大柄の大駒よりも、ツララの方がスピードが速い。最後のツララが、容赦無く大駒に襲いかかる。
「クソッ!」
大駒は不細工に逃げる事を諦め、振り返って飛んできたツララを拳で砕いた。
ツララは呆気なく粉々になる。
「痛ぇ!」
だがそれは間違いだった。
ツララを殴った大駒の手が、一瞬にして凍り付いた。見れば地面に突き刺さったツララも、その地面を凍らせている。今の日本はそんな季節ではない。そもそも大駒の住む地域には、雪すらも降らないというのに。
「なんなんだこれっ!」
「〝魔術〟よ」
「魔術?」
「そう。それが私の能力。そしてそれが私の役割、《魔術師》」
「《魔術師》……?」
その言葉を、もちろん大駒も知っている。
アニメや漫画にはもちろん、大駒に関しては、ファンタジー劇を行った際、そういった類いの配役が存在するからだ。
無から有を創り出し、言霊一つで異なる力を操る存在――それが魔術師。
大駒は自分の手を見下ろした。それは確かに凍っている。幻覚ではない。
「細かい事は説明しないわ。でも世の中には、確かにこうしたマイノリティな役割を持った人間が存在する。そしてそう言った人間を、私達はこう呼ぶのよ――」
〝異端者〟――と。
「まーべりっく……」
聞き馴染みのない横文字の連続に、大駒は上手く言葉を処理できないでいた。
元々頭の良い人間ではない。現状を受け入れようとするだけで精一杯なのだ。
「俺馬鹿だから良くわかんねえけどよォ、だからってどうして俺が殺されかけなきゃならないんだ?」
「それは貴方が私たちと同じ〝異端者〟だから」
「俺が……同じ?」
大駒は首を傾げた。
大駒と宝華は似ても似つかない、真逆と言ってもいい存在だ。
方や二メートルもある巨漢で、方やお嬢様学校に通う可憐な美少女。大駒は何を思ったか、とりあえず自分の胸を触ってみた。
「俺にはおっぱいはないぞ!」
「おっ……な、何の話よ!」
「あれ、そうか。お前もそんな無ェもんな」
「なっ!? ……やっぱり馬鹿なのね、この野蛮人!」
突然の言葉に、宝華は顔を赤らめて大駒をいっそう睨み付けた。
目で睨み殺さんとばかりに。
鈍感な大駒は女性のそういう所を容赦無く指摘する。本当に馬鹿だ。
「馬鹿ってなんだお前! 失礼だろ!」
「身体の大きな怪物は馬鹿だと相場が決まってるわ! 野蛮人!」
「だから俺は怪物じゃねえっつってんだろ! 変質者!」
「へ……誰が変質者よ!」
「変な本持って魔法使いとか言ってる奴の、どこがまともなんだ? んん?」
大駒は馬鹿にしたようにおちょっくった顔を見せる。
それに腹を立てたように、宝華は本を上空に振り上げた。
「まだ状況が理解できてないみたいね……いいわ! とことんやってあげるッ!」
今度は宝華の背後から二本の氷の柱が飛び出てくる。さっきよりも随分大きい氷柱で、しかもそれはまるで蛇のようにうねって伸びてくる。
それはもはや氷の龍だ。二体の氷の龍が、大駒に迫る。
「ぬおあっ!」
すんでの所で、大駒は横に跳ねてそれを避けた。
すると二体の龍は地面へと衝突する。
「くだらん手品だ! へいへーい!」
勝ち誇った顔でその地面に衝突した氷龍を見た大駒は、しかしすぐにその顔を凍り付かせる。
何と長くうねる氷龍の身体から、枝分かれするように氷柱が伸び始める。
それは次々と増え、大駒目がけて襲いかかる。
「うおっ! ぬあっ! 待って!」
避けても避けても、氷柱は次から次へと顔を出し、大駒を追いかける。
公園内をぐるぐると逃げ回っていた大駒だったが、しかしその時、枝分かれして伸びた氷柱の一本が、大駒ではなく端で大駒の様を楽しそうに見ていたノラへと標的を定めた。
「危ねェ!」
氷柱がノラを食い尽くそうとしたその瞬間、大駒がその間に入る。
そして自分の拳を氷柱に真正面から突き出した。
すると氷柱は殴られた先端からヒビが入り始め、それはどんどんと広がっていき、ついには氷柱が力を無くしたように先端から砕け散っていく。氷柱の無限増殖は、ようやく止まった。
「ふゥ……大丈夫だったか? ノラ」
にっ、と笑顔を作り、ノラを振り向く大駒。
ノラはこんな状況にも至極楽しそうに大駒を見上げていた。
「いッ!」
氷柱に触れた大駒の手が、案の定凍りついていく。
さっきは手首までだったのが、今度は肘の辺りまで凍りつき、大駒の腕を痛めつける。
「さすがの馬鹿力ね。ほんとマーベリック」
「お前……」
「でもこれでわかったでしょう? 私の力は手品でも幻覚でもない。正真正銘の、現実の力よ。もちろんこの力で、人を殺すことだってできる」
「だからその〝異端者〟とか言うのが、何で俺に関係あんだよ! 俺はそんな超人でもなんでもねェよ!」
「充分超人じゃない」
「あ……?」
宝華は滑り台の上から、その細く柔らかそうな指で大駒を差した。
「その恵まれすぎた体躯。そして常人離れした筋力。さらに些細な事で暴れ出す破壊衝動。その全てが人のそれを超えている。まさに、超人」
「こ、これは……でも俺はお前みたいに魔術とかなんとかなんて使えねェ!」
「私が魔術を扱えるのは、私の役割が《魔術師》だから。でも貴方は違う」
「じゃあ俺がなんだっつうんだよ」
「天が貴方に与えたもうた役割、使命、それは――」
《怪物》