野獣と美女
文化祭2日目。
九鳴高校における文化祭、九鳴祭は2日間行われる。
黄磊大駒が所属する演劇部の公演は一日目の午後に行われたため、今日は大駒が自由に過ごせる一日となる。
ただしかし大駒にはもう一つ、クラスの出し物であるお化け屋敷が残されていた。しかも大駒はその中でも一番の妖怪大男役を任されており、このお化け屋敷の肝であることは間違いない。
午前中、ずっと働きっぱなしだった大駒に、ようやく休憩があたえられる。ただそれは三十分程度の短い休みであり、大駒は昼食を取ったら、すぐにそこに戻ってこなければならなかった。
とんだ労働環境だ。普段は怖がって話し掛けてもこないくせに、こんな時だけ利用する。
まあそれも仕方が無い。利用されるだけ、まだ価値があるというものだ。
さて何か食事を取るか、とそうなるはずだったのに、しかし大駒はそのまま校舎を出て、正門とは反対の裏門へと隠れるように歩いていった。のそのそと。
「どこ行くんですか? 黄磊先輩」
裏門に手をかけたところで、後ろからそう声を掛けられる。
恐る恐る振り向くと、そこにいたのは大正の女学生のようなコスプレ衣装をまとっている、南都伊子が立ってこちらを見据えていた。大きな目おパチパチさせている。
「お、お前か」
クラスメイトに見つからずに済んだのを安堵しつつも、しかしこんな所に伊子がいる事に疑問を感じる。裏口なんて誰も通らないはずだ。
「どうしてここに?」
「私、先輩のクラスのお化け屋敷に行こうとしてたんですっ。そしたら教室から出てくる先輩見つけて、休憩なら一緒にご飯でも食べようかなあと思ってたんですけど、気がついたらここにいて……」
「そ、そうなのか。まさか見つかってたなんてな」
「先輩、身体大きいんですぐわかりますよ」
「う……」
できるだけ身を小さくして人混みに紛れていたつもりだったが、それは浅ましい手段だったようだ。蟻の中に一匹だけダンゴムシが居れば、それはすぐにバレる。
伊子はキラキラとした表情で大駒を見つめている。
彼女は大駒の後輩で、九鳴高校の一年だ。大正の女学生の着物がよく似合う、古き良き日本女性といった感じで、入学早々数十人の男子が教室に押し寄せて彼女の連絡先争奪戦が勃発したのは記憶に新しい。
その恵まれた容姿とえり好みしない性格に、名門演劇部も勧誘をしていたが、しかし彼女は家が厳しく、放課後の時間がほとんど融通効かないために、それは適わなかった。
そんな可愛らしい少女が、首を傾げて大駒を見つめている。
まるで美女と野獣だ。
「それで先輩、どこ行くんですか?」
「あ? お前には関係ねえだろ」
そんな誰もがうらやむ美少女に、大駒は鬱陶しそうに冷たく対応する。
「そんな事ないですよっ。お昼ご飯食べに行くんでしたら、私も一緒に行きたいですっ」
「違う違う。昼飯じゃねえよ」
「なんと! ではどちらに?」
大駒はそう言って構わず裏門に手を掛ける。裏門は常時閉じられているため、出る場合はそこに足を掛けて飛び越えるしかない。2メートルある大駒は、それをなんなく飛び越える。
「いいからおめえは戻ってろ」
「わわっ」
付きまとおうとする伊子を門の向こうに残し立ち去ろうとした時、背後から伊子の慌てたような声が聞こえた。大駒が振り向くと、なんと伊子が同じように裏門を飛び越えようとしているではないか。
しかし大駒と違い背の低い女の子である伊子は、上手く飛び越えることができず、一生懸命に踏ん張っていた。持ち上げた足から垣間見える袴の奥に、つい目が行ってしまう。そしてようやく門の上に登ったのだったが、しかしそこから飛び降りる際に、彼女の来ていた袴の裾が、門の一カ所に引っかかった。
そのせいで袴の裾だけが門の上に取り残され、伊子はまるで裾を持ち上げられたような状態になる。まくり上げられた袴から、彼女の華奢な生足と下尻までが露わになる。
「うわっ、え、は、外れないです先輩っ!」
伊子は顔を真っ赤にしてなんとか下着が見えないように袴を抑えている。しかし強く引っ張られた袴のせいで、彼女の内股に衣服が食い込んで行く。
そんな淫らな彼女を見ないように、大駒は顔を手で押さえていたが、しかし実はばっちりと指の隙間からガン見していた。大駒の鼻息が荒くなる。
「わ、やんっ」
「フゥ……フゥ……フゥ……!」
もっと、もっと捲れろ、とありもしない念力に頼りだしたところで、大駒は我に返る。
頭を振って興奮する自分を押さえつけ、大駒は門の上部に引っかかった袴の裾をひょいと取ってあげた。
「あ、ありがとうございます先輩……」
「だから来んなっつったんだよ。おめえはいっつもそうやってドジッ子なんだからよォ。見てて危なっかしいんだよ」
「でもそんな私をいつも先輩は助けてくれますよねっ」
「……」
ぶすっ、と顔を作り、大駒はそのまま最初の予定通り歩き出した。
裏門の先は静かな農道ばかりで、人目も少ない。
「その格好はなんなんだ?」
「私クラスで大正喫茶をやってるんです。ほら、最近大河ドラマで人気じゃないですかっ」
伊子は両腕を持ち上げて、自分の着た着物を見せつけるようにくるりと回った。
「ていうかこれ、先週先輩に話しましたよね? それでうちに来てくださいって言いましたよね?」
「なんと……そうだったか?」
「あ、今惚けましたね? 私の目は誤魔化せないですよ?」
伊子は大駒の横まで小走りで近づき、大駒の目を下から見上げた。
可愛らしく着飾ったその姿は抱きしめたくなるような愛らしささえ感じる。
だが大駒は呆れたように息を吐き、
「おめぇも変わりもんだよな」
「何がですか?」
「俺なんかに付きまとって」
「それのどこが変わりものなんです?」
「わかってるだろ。誰も俺の事を良く思ってねえ。こんな化けもんみたいな生徒を、ビビッてる。おめぇもいい加減にしとかないと、俺の仲間だと思われてハブられちまうぞ」
それは彼なりの優しさだった。
恵まれた容姿を持つ伊子ならば、もっともっと輝けるはずだ。それをこんな自分といれば、悪い噂が立ってもおかしくはないのだから。
「なんと。そんなの関係ないですよっ。例え世界中の人が先輩を嫌っても、私は先輩の味方ですからっ。私は先輩が実は優しい人だって、知ってますっ」
突き放そうとする大駒の態度にも、伊子は一切妥協しない様子で、にこやかな顔を崩さない。
「あ、そういえば昨日の劇、見ましたよっ。一番前の席を朝から並んで取ってたんですっ。気付いてくれましたかっ?」
「あ? 舞台からはライトの光で見えねえんだよ」
「そうですか……でもでも、先輩の演技、凄い良かったですっ! 私、感動しましたっ!」
「怪物役のどこに感動するんだよ」
やれやれ、といつもの調子に戻った事に辟易しながら、大駒はさらに歩を早める。
「先輩、どこ行くんですか?」
伊子の質問に、しかし勝手についてきた奴にそれを律儀に説明してやるのも面倒で無視し、大駒は昨日の川沿いの小さな公園へと足を踏み入れた。
「公園……?」
「いるかな、あいつ」
大駒はキョロキョロと首を回す。
「お、いた」
するとぽつんと設置してある滑り台の陰に、一人の少女がいるではないか。少女は何か怖い物でも見るように、公園に訪れた大駒たちを見つめていた。隠れているつもりらしい。
「おーい」
大駒は昨日会った仲なので、そう馴れ馴れしく手を振って少女を呼んでみるが、しかし少女は近づいてこない。警戒しているようだ。
「先輩、お知り合いなんですか?」
「昨日な。イジメられてるとこ助けてやったんだ」
「それにしては随分怯えているみたいですけど……」
「ひ、人見知りが激しいんだ。お前が来て怖がってるんだよ」
「な、なるほど」
伊子はさささ、と身体を一歩引く。
そして大駒が少女に近づくと、しかし少女は大駒から逃げるように下がった。
あからさまに大駒に怯えている。
「き、昨日の俺だ。憶えてるだろ? ほら、よーしよし」
ちょいちょい、と手で招いてみるが、しかし少女は首を横に振るって拒絶反応を示す。
短気故に痺れを切らした大駒は、大股で少女に近づいていく。
すると少女は慌てて後ろ向きに走り出し、逃げようと思ったのだろう、滑り台の階段を昇り始めた。だがそれを一番上まで昇ったところで、大駒は待っていましたと言わんばかりにそこにいた少女の首根っこを掴み上げた。大駒の身長からすれば、この程度の高さ、余裕で手が届く。
「ん~ん~!」
「こらっ、ジタバタすんな!」
「せ、先輩。その子嫌がってますよ?」
「そんな事ねえよ。俺はこいつとマブダチなんだ。ほら、仲よさそうだろ?」
摘まみ上げた少女を、大駒は自分の顔の横に持ってくる。
ぎこちない大駒の笑顔と、ぶすっとした顔を見せる少女に、伊子は一切二人が仲良い関係には見えない。
すると少女は両手で大駒の顔を容赦無く叩き始めた。
「い、痛っ! 痛ぇって! やめろ、おま……」
大駒はしょうが無く、その少女を手放してしまう。
「お前……俺が昨日助けてやったってのに……!」
大駒は恩着せがましく言って表情を一変させて怒り、わなわなと身を震わせる。
少女がそれを見て逃げ出し、それを大駒は追いかけた。少女はすぐさまジャングルジムへと隠れた。そこならば身体の大きな大駒には入って来れないであろうから。
しかしそれは甘すぎた。大駒はジャングルジムに手を掛けると、なんとそのジムを形成する棒を腕力でねじ曲げたのだ。ぐにゃりと曲がり、口が大きくなる。
「逃がさねえぞォ」
一本、二本と、大駒は次々と鉄の棒を曲げて口を広げていく。そしてそこから顔を突っ込み、少女へと迫った。そしてその長く太い手を、少女へと伸ばしたその時、恐怖でいっぱいいっぱいになった少女が泣き出した。
その泣き声にようやく我に返った大駒は手を引いたが、しかし今度はジャングルジムに挟まった自分の体が全く身動きが取れない事に、気がついたのだった。