逢魔ヶ時
ほんっとさむい……
「どうして来たんだ、黄磊くん」
ようやく二人になった状況で、初めに口を開いたのは奈良だった。
大駒はビッグマンのマスクを取り、素顔を晒す。
「君には全てを忘れて、今すべきことに全力を注いでほしかったんだが」
「これが今俺のすべきことだ」
「本当にそうかな? ほら、興奮したから所々覚醒が近づいている」
大駒の身体を見ると、所々髪は白くなり、犬歯が少し伸びて口が大きくなり、そして手は不自然に肥大していた。まるで獣のように爪が伸びている。
「常識的に考えて普通の人間にあんな高く飛び上がる事はできないし、素手で分厚い岩を粉々に出来はしない。それは君が着実に〝異端者〟に近づいている証拠だ」
大駒は自分の変化した手を見下ろし、それを握りしめた。
「それでも俺は、俺だ」
「今はね。いずれ完全に覚醒し、破壊衝動を抑えられなくなる。それ以上暴れれば、言わずもがなだ。大人しく家に帰ってくれないか? 明日も早い」
「奈良監督。俺、思ったんだ」
「ほう」
「俺は、馬鹿だ」
照れ笑いするように大駒はいって、にっと笑った。
「勉強もできねぇし、台本の憶えも悪いし、人の気持ちもわかんねぇ。どうしようもない、馬鹿なんだ」
「……突然どうした。私はそうは思わない。例え勉強ができなかったり物覚えがわるかったとしても、それは人間的な価値を下げるものじゃない。君は意欲もあるし、何より元気がある。芝居も筋がいい。それの何が悪い?」
「良い悪いんじゃねえんだ。結局、俺には俺の生き方ってもんがあるんだって、そういう事だ」
「意味をうまく計りかねるが……君は《怪物》としての自分を受け入れる、とそういう事かな?」
「ああ。俺はどうしようもない、《怪物》だ」
でもだからなんだ――大駒は堂々とそう言い放った。
「怪物だろうがなんだろうがそんなもんは関係ねェ! 俺は俺が思った事をやるし、運命だとか使命だとか、そんなもんに踊らされねェ!」
「いいのか? そのまま行けば、君は必ず〈逢魔ヶ時〉を迎え、私と同じ完全な《怪物》となる」
静かに佇む奈良の身体から、ボコボコと何かが吹き出るように出てくる。小さかった初老の男の身体が、あっという間に岩に覆われ、一回りも大きくなる。その体躯は大駒のそれとそう変わらない。
「そうなれば、君のやりたいこともやらなければいけないことも全て、できなくなるんだぞ! こんな醜い姿になって、犯したくもない罪を犯すことになるんだぞ!?」
「勝手に、俺の未来を決めんな!」
互いにぶつけるように叫び合う。
「俺はあんたらとは違う! 俺は絶対に、自分を見失わねぇッ!!」
大駒が地面を蹴った。
そしてその巨体で奈良に向かって跳んだ。
大きく振りかぶり、拳を放つ。
だが奈良は、その大駒にカウンターのように拳を振り抜いた。
「ぐぅっ!」
跳んできた勢いと同じ勢いで、今度は後方へ飛ばされる。
大駒は不細工に地面に転がった。
「無理だよ。そんなことは。気合いの問題じゃないんだ。これは私達に課せられた役割だ。架せられた十字架だ。逆らうことなんてできやしない」
「うぐ……!」
苦しそうに殴られた胸を押さえて、大駒は地面でのたうち回っている。
「どうしてこんな馬鹿をした!? 大人しく普通の高校生活を送っていればよかったろう! そうすることが君の願いだっただろう! 私はそれを応援したかった!」
「ぐ、う……ウァ……グ……」
大駒の身体が、怒りによって徐々に変化していく。大駒はそれに抵抗するようにもがいていたが、しかし侵食は止まらない。
のそり、と大駒は立ち上がった。そしてその人と獣の間のような眼光で、奈良を睨み付けた。
「ウガァッ!」
「もう、止められぬのか。若い芽を自分から潰して……なんとも虚しいものだ」
近づいてくる大駒に向かって、奈良は両手を差し出した。
そして大駒と両の手を組みあう。
「グ、ゥゥゥゥッ!」
「ふんっ……半覚醒でこの力か……末恐ろしいな! 若者の力というものはっ!」
両手を組んだまま、奈良は大駒の身体を逆さに持ち上げた。
そしてそのまま後方へと放り投げる。
大駒は手をついて着地し、しかしすぐさま奈良に向かって走り出した。
「君をそうまでさせるのは何だ? あの少女への執念か。それとも正義の心か。はたまた私への、怒りか……だがそれも、時期に消えて無くなる」
奈良はぐっと身を丸め、その尖った岩の肩をつきだして大駒と正面衝突をする。
大駒の巨体は呆気なく吹き飛び、地面を転がった。
「ゥ……あ……ぐゥ……フッ……」
胸にできた大きな傷。溢れ出る血。
大駒は苦しそうに胸を押さえ、地面でじたばたと暴れている。
「これでわかったろう。もうやめろ。諦めて興奮する自分を抑え込め。まだ戻れる!」
「お、デは……」
ずたぼろの身体で、しかし大駒はもう一度地面に手をついて立ち上がろうとした。
「俺、は……バゲもノだ……醜イ醜イ、かイブヅだ……」
ゆっくりとその震える足で、立ち上がった。
今にも倒れそうな、そんな姿をしている。
その時、大駒の半人半獣の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
大駒が泣いている。
痛みも、悲しみも知らぬはずの怪物が。
「俺はごの馬鹿でがい身体が大っぎらイだっ! 俺はごノスぐ怒っぢまウ性格が大っ嫌いダ! 田舎くぜぇ喋りガだモ、人のキもぢわがんねぇ単純ざモ、全部全部、大っギらいなんだよッ!!」
不細工に鼻水を垂らして、大駒は叫び続ける。
「モっどがっごヨぐナりでぇ! もっど普通にナりでぇ! モっどモっど愛さレる人間になリでぇ! ……でも、無理なんダよォ……」
訴えかけるように叫ぶ大駒に、奈良は口を挿まず黙って彼を見据え続けた。
巨大で小さな少年の、悲痛な叫びを聞き続けた。
「俺ハ、どごまで行っでモ化け物なんだよォ!! だったらソんな自分を受け入れでやるじがねぇじゃねえがッ! 受ケ入れるごどでしガ、前に進めネェじゃねえがッ!」
「だからと言って無闇矢鱈に突き進む事が正しいわけじゃない! 探せばいくらでも道はある! 君はまだ若いんだ!」
子供に言い聞かせるように、奈良はそう言った。
大駒の考えは、あまりに無鉄砲すぎると感じたからだろう。自暴自棄になっていると思ったからだろう。それを止めてやるのは、大人の仕事だ。
「オでは、負ケない! 運命にモ、破壊衝動にモ、負ケやジなイッ! ウアァァァァッ!!」
泣いているのか、怒っているのか、どちらかわからぬ大駒の咆吼が響き渡る。
すると大駒の身体はもはや人の部分が見えなくなるほどに、変化していく。
ドウッ――と突如大駒が上空に飛び上がった。
先ほどまでとは比べものにならない程に高く、鋭く飛び上がった。
「速い……!」
その動きに危険性を感じ取った奈良は、即座に体中から石つぶてを上空向かって放った。
一つ一つが大砲級のその攻撃を、大駒は両腕で顔を隠すように身を丸めて受けた。
ドドドドドッ――石つぶてが着弾し、黒い煙を巻き起こす。
その煙を切り裂くように大駒が落下してくる。
だがそれは傷ついて落ちてきたのではない。奈良の攻撃を完全に物ともせず、迫力を持って奈良に飛びかかってきた。
しかもその姿は、完全に怪物に成り果てている。
「ガアッ!」
「ッ!?」
奈良に接触する直前に一回転を入れ、その上で両手を合わせた拳を奈良に叩き付けた。
大地が、揺れた。
地は割れ、森は鳴き、空は震えた。
あまりの衝撃に、誰もが最悪の災害を疑った。
パラパラと、飛び散った破片がようやく地面に落ちてくる。
粉塵が少しずつ風に流されて消え、衝撃の中心が露わになっていく。
そこにいたのは大駒だった。
いや、それはもはや大駒ではない。白髪の、黒い怪物だった。
「ガァァァァァッッ!!」




