ビッグマン!
さむい……
宝華が本を閉じたのを合図に、氷の塔が一気に砕け散る。空高くから、岩の怪物が振ってきて、地面へと落ちる。そしてそれは動かない。
宝華は奈良の動かぬ死体へと近づいて、それを見下ろした。
「……?」
だがその時、彼女は違和感を憶える。
「まさか――」
気付いた瞬間、宝華はその手を叩かれ、本を地面に落とす。
そして後ろから羽交い締めされるように身体を拘束された。宝華を拘束したのは最後に残った一体の石像だ。
「危なかった……脱皮しなければ終わっていたろう」
宝華の正面から、死んだはずの奈良が現われる。
だが彼は岩で全身を覆ってはおらず、人の姿で現われた。
「そうか……凍り付いた岩の表面を脱ぎ捨てて、身体は外へ脱出したのね……」
そう、まさに脱皮だ。
凍り付いて動かなくなった岩の身体から、まるで服でも脱ぐかのよう脱出したのだ。
「腐っても〈少数派劇団〉だ。その若さで任務を任されるだけのことはある。私の仲間や友達も、何人君たちに殺されたか……」
「貴方たちのせいで、何人の善良な市民が殺されたか」
宝華を羽交い締めにする石像の腕は決して外れない、それこそ石のように、動じない。
奈良はゆっくりと宝華に近づいて、なんとそのスカートを、思い切りまくり上げた。
「なっ――」
「ふむ、青臭い」
長いスカートの内に隠されていた可愛らしい純白の下着を、奈良はじっとりと見つめた後、つまらなさそうにそう呟いた。
「これで魅力的などと、聞いて呆れる。君は男性経験がないね。身体がまだ成熟していない」
「う、う、うるさいわね! 変態! 余計なお世話よ!」
そしてようやくその手を離し、そして今度はそっと自分の使役する石像に触れた。
「この石像が動くのは、これが私の身体の一部で出来ているからだ。残念ながらそこらへんにある岩石を自由自在に操れるなんていう夢のような能力を私は持ち合わせていない」
「だから、何?」
「あくまで自分から抽出した岩に限定して、私は自由にそれを動かせる。例えば、こんな風に」
ギュン、と石像の両足が伸びた。
宝華を羽交い締めにしたまま、高く高く上がっていく。
宝華はまるで遊園地にあるフリーフォールのように、宙につり上げられた状態になる。
だが安全装置が万全であくまでアトラクションとして楽しむ遊園地とは違い、ここは戦場だ。宝華の安全は保証されていない。むしろ宝華の危険だけが保証されている。この高さから落とされたら、それは必然死を意味する。
宝華は今自分を守るための本を持っていない。言うなればただの人だ。
あまりの高さに、宝華はその身を振るわせた。
「大丈夫だ、そこから落とすなんていうつまらない死は君にはふさわしくない」
遥か下の方から、奈良がそう言う。
「今の君はまさにキリストだ。罪を背負った十字架の磔。そんな君に相応しいのは、やはり槍殺だろう」
奈良がその右手を上に掲げると、そこに一本の禍々しい形をした岩の槍が生成される。
そしてそれを投擲するかのように、奈良は構えた。
「カメラを用意しておくんだった。それが私の唯一の後悔だよ」
そう言って、奈良は思い切りその岩で出来た槍を、投げた。
それは風を裂くように、宝華に向かっていく。
彼女のそのか細い身体を、貫くために――。
「うっっらぁぁぁッッ!!」
叫び声が響き渡った。
まるで獣のような、馬鹿でかい叫び声だ。
その叫び声と共に現われたのは、二メートルの背丈、筋骨隆々の身体。
そんな化け物染みた男が、宝華のさらに上から飛び降りてくる。
そして今にも突き刺さらんとする岩の槍と宝華の間に入り込み、岩の槍を上から殴って打ち砕いた。
「ッ!?」
突然の介入に、宝華も奈良も、驚愕の眼を向ける。
岩の槍を打ち砕いたその人物は、そのまま重力にしたがって地面へと落ちてきた。
いや、着地した。両足でしっかりと。
その衝撃で地面にヒビが入る。
落ちてきたその巨体は、ゆっくりと顔を上げて、奈良を睨み付けた。
「……黄磊くん?」
それは黄磊大駒……なのだろうか。
その体躯はようく見た人物なのだが、しかし彼は顔にマスクを被っている。
まさに変態だ。
「ふはははっ! 私はビッグマン! 世界を征服するものだ!」
そのマスクの男がびっちりとポーズを決め、そう叫んだ。あまりに場違いなテンションである。奈良は口をあんぐりと開け、宝華はジト目を向けた。
沈黙が支配する。
「貴方、何してるの? 黄磊大駒」
宝華は冷めた声で尋ねた。
「違う! 私はビッグマンだ!」
「……それで、ビックリマン」
「ビッグマンだ! ビックリマンではない!」
「はあ……なんでもいいわ。それで、貴方、何しに来たの?」
「そんなことは決まっている! 私は、私は…………ノラを迎えにきたんだ」
すぅぅ、っと大駒は大きく息を吸った。
そして顔を上に向け、割れんばかりの声で叫んだ。
「ノォォォォォラァァァァァァァァッッッ!!」
大気が震える程の叫びに、宝華は耳を塞ぐ。
「ちょ、何よいきなり……っ!?」
するとその叫びに呼応したのか、スタジオではない事務棟の方から、小さな爆発音と白い光の線が飛び出てるのが見えた。その神々しいまでの光を、宝華は見覚えがあった。
「あそこだ、宝華。ノラはあそこにいる」
「あ、あそこって……でも私今動けなくて」
「あァ? なんだよ情けねぇなァ。お前なんべん負けたら気が済むんだ?」
「うっさいわね! 野蛮人!」
ったく、と言って大駒は振り返る。
大駒の目の前には高く伸びる石像の足がある。その先端で宝華は捕まっている。
「これ、壊せばいいんだろ?」
「辞めた方がいい」
すると拳を作った大駒に向かって、奈良が声を掛けた。
「まさか君が来るとは思っていなかったよ、黄磊くん」
「うっす、奈良監督」
「ああ。予定では明日の朝九時から撮影のはずだが……些か早すぎるんじゃないかい? 気がはやったかな?」
「お……私はビッグマンだ! 黄磊とかいうのではない!」
「さっき黄磊くんで返事したじゃないか」
あほだ、と宝華は思った。
勇ましく登場したのに、かっこがつかない。やはり馬鹿はどこまでいっても馬鹿だった。
「まあ何にしても、それは壊さない方がいい」
「なんでだ?」
「それの中身は本物の人だ。生きた人間だよ? 壊せば必然、中の人間を殺すことになる」
「嘘よ! 確かに中にいるのは人間だけれど、もう死んでる! ただ動かされてるだけ!」
「どうしてそんなことが君にわかる! 騙されるな黄磊くん! 彼女は自分たちの正義のためなら犠牲を厭わないんだ! 君も知っているだろう!」
「うるせェ!!」
ドウッ、と地面を蹴って、大駒は高く飛び上がった。
もはや人間離れしてしまったその動きに、大駒は些かの恐怖も感じる事なく、その強く握った拳を、地面と石像の頂点の中間付近目がけて振るった。
ボゴォッ――とその硬い石像は、しかし飴細工のように砕け散る。高く塔のようにそびえていたそれは、音を立てて崩れていく。
「きゃ――」
すると本も何も持たない宝華は、重力の赴くままに落下していく。彼女はスカートの裾を抑えるので精一杯だった。強く目を瞑った。
だがその落ちていく感覚が、止まる。目を開けると、大駒が彼女を抱えていた。
その大きな手で、強く宝華を抱きしめていた。
宝華の視線には、大駒の顔が下から煽るように見える。
珍しく真剣な顔をした大駒の意外な様子に、宝華はみとれるように口を開けていた。
どすん、と衝撃があって、大駒が地面に着地したとわかる。
「ちょ、は、早く離しなさいよ! 野蛮人!」
顔をぐいっと押しながら、宝華は叫んだ。
大駒はあまりに抵抗する宝華に、慌てて彼女を地面に下ろした。
ようやく地面に足を着いた宝華は乱れた服装を整え、ぶすっとした表情で大駒を睨み上げた。
「ノラを、頼んでいいか?」
「もちろんよ。最優先事項だもの。私が彼女を迎えに行くわ。それで、貴方はどうするの?」
「俺は……」
と、大駒は奈良を見据えた。
奈良はどこか悔しそうにこちらを睨んでいる。
「そう。じゃあ野蛮人は野蛮人同士、仲良くやってちょうだい」
宝華は落ちていた本を拾い上げ、大駒に背を向けた。
「死なないでよ」
それだけ言い残し、宝華は事務棟へと走って行った。




