岩の怪物VS美女2
少し早いけれど、来年も頑張る!
「んっ、いや!」
ショートカットの女性が叫んだ。
顔はお世辞にも可愛いとは言えない、普通のOLのような女性だ。彼女の叫び声は、反響する。
そこは灯りも無い暗い場所。ただ広い、体育館のような場所だ。
その女性の足下は暗くて見えにくいが、しかしまるでセメントで固められたかのように地面に足を絡めとられていた。だから彼女は動けない。
するとその足下を固めていたセメントのようなものが、徐々に足を伝って上に昇ってくる。脛、膝、太もも、腰、とその身体を侵食していく。
もう一度女性は悲鳴を上げようとした。
だがその口を、塞がれる。
彼女の口を塞いだのは岩の手だ。押し潰すようなその手に、女性は声が出せない。
彼女の正面の暗闇からすっと現われたのは、その手と同様ゴツゴツした岩で全身を覆った、怪物だった。
その姿を見て女性は息を止める。
「ハア……ハア……」
岩の怪物はどこか興奮しているように息を荒げている。
その目らしきものが大きく見開かれ、女性を見つめている。
女性を侵食する岩がどんどんと上がってきて、ついには彼女の顔を覆った。そうして出来上がったのは、女性の身体を形取った立派な石像だ。
身体のラインを綺麗に残し、しかし顔は岩でゴツゴツに覆われてわからないようになっている。
「ようやく尻尾を出したわね、《怪物》」
その時、岩の怪物の背後から声がした。
慌てて振り返ると、そこには鋭い視線をした女が立っていた。彼女はその肩ほどまでの黒髪を揺らしながら、
「いえ、奈良貞徳、と言った方がいいかしら」
そう言った。
「……どうして、わかった?」
警戒するように動こうとする奈良に、しかし宝華比美がその武器である本を向けていて、下手に動けない。硬直状態になる。
「以前ここに来た時に、女性の形をした石像を見つけて、違和感を覚えた。貴方には触れた物を岩にしてしまう力がある。数も丁度行方不明の数と一致していたしね。そうしたら案の定、貴方は私にバレるのを恐れて当日中に私を殺しにきた」
「まさか、黄磊くんが君を連れてくるなんて思いもしなくてね……油断していたよ」
「あとはここの人間にアタリを付けて、我慢できずにもう一度事件を起こすのを待つだけ。そうして今日、ついに貴方は事件を起こした。ここで張っていて正解だったわ」
「被害に合う女性を見ていながら見過ごしたのか? 正義の集団が聞いて呆れるね」
「貴方に言われたくないわね」
宝華は言ってその目をさらに鋭くさせた。
だがそんな彼女をあざ笑うかのように奈良は肩をすくめた。
「私はね、こういう性分なのだよ。どうしても綺麗な女性を見るとこうしてコレクションしたくて理性が言う事をきかない」
「あら、おかしいわね。じゃあどうして私をコレクションに加えようとしなかったのかしら?」
「私は顔には興味はない。私が興味をそそられるのはその身体だよ。凹凸の綺麗な女性に惹かれる。見なさいこれを……石像にするとこんなにも身体のラインが美しく見える」
ムカッ、と宝華は眉に力を入れた。
「こうして顔だけをわからないようにするのは、顔に興味がないからだ。もっと言えば顔があると余計なんだ。美しさが損なわれる」
「変わった性癖ね……でも残念だけど、私実はこう見えて胸、あるのよ。着やせするタイプなの。勿体ないことをしたわね」
「くだらない嘘はいい。私を誰だと思っている。ありとあらゆる人間を見てきたエキスパートだ。その女性を見れば、服の上からだろうが身体のラインは読み取れる。君は貧相だ」
カチン、と宝華は奥歯を噛みしめた。その手に力を込める。
「そう。残念ね。あくまで貴方の性癖には合わなかったって事でしょう? それなら仕方が無いわ」
「何だ君は。そんな話をするために私に話し掛けたのか? 後ろから攻撃すればよかったものの」
「殺しちゃったら聞けないじゃない」
「何をだ?」
「ノラちゃんはどこ?」
「……」
奈良は押し黙った。灯りの付いていない②番スタジオを、沈黙が支配する。
「貴方が連れて行ったと、黄磊大駒から聞いたわ」
「我々は〈ブラックシアター〉だ。そして私達の悲願を、君も知っているだろう」
「下らない運命からの脱却。そして神への復讐――だったかしら」
「その通り。私達はその鍵の一つを手に入れた。神の使いである《ワルキューレ》を」
「あの子は《ワルキューレ》である前に一人の子供よ! まだ物心が付く前の小さな子に、無理矢理言う事を聞かせる気?」
「《怪物》である前に一人の人間である私たちを、否応なく殺そうとするお前達が言うな!」
宝華の勝手な物言いに、奈良は爆発させるように叫んで返した。
それに宝華が一瞬圧倒される。
「お前達はいつもそうだ……自分たちの正義を一方的に押し付けて、こちらの言い分など一切聞かない。悪は悪だと決めつけて、断罪する。何の権利があってそんなことをする!」
「でも実際に、貴方たちは人を殺めている。そしてそれを自我で抑えられない」
「しかしこの悪しき役割すらも、神が我々に与えた使命だ! 神が必要だと判断して組み込んだシステムだ! であれば不必要と決めつけるのは浅はかだろう!」
「残念だけれど、私たちは神を主としていない。私達は人間のために存在しているの。平和を愛する、市民のためにね」
「私達だって平和を望んでいるッ!! ……だが、仕方が無いじゃないか……どうしようもないんだ。この衝動を、抑えられないんだ……」
悔しさを滲ませ、奈良はその手で頭を抑えた。
「私だってこんなことしたくはない……全うに映画だけを撮って生きていたいさ。だからあの子を使って、神の国へ行く……そこで自分のこの忌まわしき使命から、解放される!」
「残念だけど、貴方の願いは叶わないわ。今まで誰も成した事がないのに、《ワルキューレ》を九人も集めるのは、それこそ奇跡の中の奇跡。それまでに貴方は何人殺すの? どれだけの女性を苦しめれば気が済むの? そしてそれを、私が待つと思う?」
「うるさい! 偽善者めがッ!」
岩の怪物が、牙を剥いた。
それを合図に、宝華は動き出した。
「【瞬間氷結】――!」
宝華の周囲の空気が凍る。
それは氷の道を作るように伸びていき、一直線に奈良を襲った。
「何度やっても同じだ! 君の氷は、あまりに脆いっ!」
ツララのように伸びてくる氷に、奈良は身体から突っ込んだ。
すると氷は呆気なく砕け散る。そのまま奈良は身体をショルダータックルのように宝華へと突っ込ませた。
「それは、どうかしら」
その時、宝華はポッケからペットボトルを取り出した。
500ミリリットルの水だ。それを右手で持ち蓋を開け、再度同じ呪文を唱えた。
するとペットボトルの口から水が飛び出し、それは即座に凍って一本の剣になる。それを宝華は向かってくる奈良へと突き刺した。
ブシュウッ――と、血が吹き出る。
それは宝華が突き刺した奈良の肩からの出血だった。
「ぐっ……砕けない!?」
「このペットボトルの中に入っているのはただの水じゃない。純水よ。できるだけ不純物を減らした特製のね……余計なものがない水で出来た氷は、美しく、それでいて、硬い!」
ぐい、と突き刺した氷の刃を更に奥へと突き刺す。
それに奈良はうめき声を上げたが、空いた左腕で反撃を繰り出してくる。身体は何の変哲もないただの人間である宝華は、それを喰らえば一溜まりもない。慌てて身を引く。
「ぐぅぅ……なるほど、先の二回の戦闘から学習したわけか……私の身体を貫かれたのは、初めてだ」
そうは言いながらも、宝華には今の攻撃がそこまで効いているようには見えなかった。やはり目の前の《怪物》は硬い。氷の刃も、先端しか刺さってはいない。
驚くべき防御力。それが奈良の能力なのだろう。
宝華は聞こえないように舌打ちをした。
「確かにその氷は美しい。だが私のコレクションの方が美しい」
奈良はその場から下がって、四つある石像に手を触れた。
「さて君はこうして待ち伏せし、私を追い詰めたつもりなのだろうが、はてさて、追い詰められたのは、どっちかな?」
その瞬間、恐怖の形に塗り固められいた頭でっかちな石像が、動いた。
ウネウネと気味の悪い動きを見せながら、しかし自分の足で動き出す。それらは真っ直ぐに宝華に襲いかかった。
「くっ……」
迫ってくる石像を貫こうと、純水で作り上げた氷剣を構える。
「いいのかい? その中身の女性はまだ生きているよ?」
「ッ!?」
接触間近、奈良のその言葉に、宝華の動きが止まった。
その一瞬が命取りになり、宝華は動く石像を間合いに入れてしまう。先頭の石像が宝華の手を狙い、ペットボトルをたたき落とした。それは転がった後、ただの水へと戻ってしまい、地面へとこぼれた。
二体目と三体目の石像が宝華の両腕を取り、動きを封じる。そして四体目の石像が、その硬い拳を、宝華の腹にたたき込んだ。
ボキッメギッバギッ――と、宝華の腹にめり込んだ石の拳が彼女の身体を鳴らす。
「ゔゔッ……」
両腕を縛られ抵抗のできなかった宝華は、その細い口から血の混じった嘔吐物をはき出した。
そして力なくだらりと身体を前に倒す。
「正義の味方というのは辛いね。私もいつも困るんだ。ヒーローものを撮影している時に、どうやって人質を取られない状況に持って行くかを。じゃないとヒーローは何もできない」
「……どうせ、中身は死んでる、んでしょ……?」
「どうだろうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
宝華の心情を弄ぶように奈良は言った。宝華は苛立ちに、口を強く結んだ。
「しかし駄目だね。こうして君の身体をちゃんと見てみても、私の中のコレクター衝動が反応しない。やはり君の身体は魅力的ではないようだ」
「そうね……貴方には、勿体ないわね」
「ほう。この状況でも強気だね。ぜひ今度君にも私の映画に出演して欲しかったよ。残念だ、ここで君を殺さなくてはいけないことが」
「私を……舐めないでっ!」
奈良の背後で、宝華が手放したペットボトルの中の残った水が、微かに動いた。
それは一瞬にして凍り、弩弓のようにペットボトルの口から射出される。
かすかな音に敏感に気付いた奈良は、それを身を翻して避けた。だがそのまま真っ直ぐに進んだ純水で出来た強固な氷の矢は、宝華の左腕を掴んでいた石像の顔に命中する。
石像は顔面を貫かれて後退し、後ろへと倒れ込んだ。
次に宝華は、自分に殴りかかってきた正面の石像の攻撃を、右腕を掴まれた状態で跳んでかわした。すると石像の拳は宝華の右腕を掴んでいた石像の脇腹に当たり、それもまた砕けて横へと倒れ込んだ。
ようやく宝華の身体が自由になる。彼女は身を翻して着地し、奈良を睨み付ける。着地時に、傷ついた腹部に痛みが走り膝をつく。
慌てて宝華が本を向けると、奈良は逃げ去るようにスタジオの外へと走って行った。
「逃げるの!?」
「外に来い! 私の聖域をこれ以上壊されてはかなわん!」
大きく舌打ちをして奈良を追いかける宝華。
既に夜遅く暗い外に出ると、奈良はその向こうで宝華を待っていた。
――が、宝華が奈良の姿を捉えた瞬間を狙って、側面の死角から現われた二体の石像が、殴りかかってくる。
宝華は走っている状態で、膝を曲げて上半身を仰向けに落とす形で避ける。脅威の柔らかさだ。
宝華に避けられた石像の一体が、そのままの勢いで反対側の石像を殴り飛ばす。殴られた石像は吹き飛んでスタジオの壁に衝突し、動かなくなった。
宝華はそれを見届ける事無く、奈良へと駆けた。
石つぶてが跳んでくる。それを全身を隠す程の大きな氷の盾で防ぎきる。
そのまま宝華は氷の盾の右方向へと飛び出た。そして本を向けるが、そこに奈良がいない――上だ。奈良は高くジャンプして接近し、飛び出てきた宝華目がけて、容赦無く拳を振り下ろした。
ドゥンッ――と、アスファルトの地面が吹き飛ぶ。
そこにはもはや宝華の姿は無い。あまりの破壊力に、その身が消し飛んだのだ。
勝った――と奈良が口元を歪めた時、奈良の振り下ろした拳が、凍り始めた。
「なんだッ!?」
「よく見ればそれが氷像だってわかるのに、やっぱり貴方たちって、単細胞の野蛮人よね……ほんとマーベリック」
氷の盾の後ろから飛び出たはずの宝華が、未だその盾の後ろに立っている。つまりいま飛び出てきて奈良が叩きつぶしたのは、宝華の偽物――氷像だ。
氷像を殴り飛ばした奈良の拳を伝って、一気に全身が凍っていく。
そして砕け散った氷像の破片が光を放ち、それらは天高い氷の塔を作り上げる。
【氷天塔】――天高く上った氷柱の先端に、氷中標本のように奈良が埋まっている。
「怪物には過ぎた墓標ね」
そう一人つぶやいて、宝華は本をそっと閉じた。




