求めていた日常……?
メリークリスマスイブ
少し街の中心から外れたところにある、西映映画制作スタジオ。
『映像村』というテーマパーク兼撮影所と隣接しているこのスタジオで、今日から新しい映画の撮影が始まる。
タイトルはまだ未定ではあるが、昭和を舞台にしたヒーロー映画らしい。
「主演の黄磊大駒さん、入られまーす!」
広い広い体育館よりも大きな②番スタジオの中で、大駒は衣装に身を包みスタッフの前に姿を現した。
昭和が舞台ということもあり、服装は黒の詰襟学生服で、学生帽を被っている。制服の下は時代を象徴するような、白のタンクトップで、髪は坊主。結局こうなった。
見るからに冴えない苦学生といった感じだ。その体躯以外は。
「よ、よろしくお願いしまっす!」
大駒は大きく頭を下げる。初めての現場で、スタッフには好印象を残しとかなければいけない。
顔を上げた大駒の視線の先に、奈良貞徳の姿が見える。
先日大駒の家に訪れ、ノラを連れて行った、岩の怪物。
だが奈良は何食わぬ顔で周りと同じようににこやかに拍手を繰り返し、大駒を見ている。
彼はゆっくりと大駒に近づき、
「いよいよだね。黄磊くん。頑張ろう」
そう言って握手を求めた。
がしりと握られ、その熱意とパワーが大駒にも伝わってくる。
どうやら彼が大駒と映画を撮りたいというのは、紛れもない真実だったようだ。
だから大駒も先日の事はなかったことにしようと、普通の挨拶を返した。
「よろしくお願いします」
「ああそういえば黄磊くん、君の部活仲間は連れてこなかったのかい? エキストラとして出て貰おうという話だったが」
「すいません……なんか皆、新しい劇に集中したいとかで、来れないって」
嘘だ。
ただ単純に、皆が大駒を恐れ関わろうとしないだけの話だ。
あの主役でさえ、大駒を避けている。
「そうか。まあならしょうがないね」
しかし特に気にしないといった感じで、奈良は言った。
事情を知る彼なりに、悟ってくれたのだろう。大駒はそう受け取る。
こうして改めて見てみると、彼があの岩の怪物だったなんて、嘘にしか思えない。
自分は悪い夢でも見ていたんではないだろうかと、そう思いたくなる。
そしてそれが本当ならどれだけよかったろうと。
「じゃあ始めようか。あまり気負いしないように、気軽にやってくれたまえ」
「うっす……じゃない。はい!」
暗くなった気合いを入れ直し、大駒は顔に力を込めた。
だが予期されていた通り、映画の撮影はそう順調には進まなかった。
連日の騒動で台本を憶えきれなかった大駒は、至る所でセリフを間違え、そして怪物以外の役をやった事のないせいで、主人公らしい振る舞いというのができない。そのせいで何度もNGを連発し、ぴりぴりした空気がスタジオを覆い始める。それにビビッて大駒の動きもどこかぎこちなくなる。悪循環だ。
ついには、足をつまづかせて転び、大駒は大事なセットを壊してしまった。
「カットォッ!」
奈良の激しい声が響き渡る。その顔も怒りに染められている。
初めの優しかった雰囲気などどこへ行ってしまったのか、撮影が始めると人が変わったように声を荒げだした。これが映画監督というやつなのだろうか。
「あーもういい! 今日は終わりだ!」
奈良は側にいたスーツ姿のプロデューサー矢部と小さく会話したあと、そう叫んでその場を去って行った。
誰がどうみても大駒のせいだ。スタッフにも暗いムードが漂っている。
「お疲れ様。じゃあまた明日、朝の九時に来てよ。台詞だけはちゃんと憶えてきておいてね。お願いだから」
終始敬語だった矢部も呆れ気味にそう言って、スタジオから去って行く。
次々とスタッフが去って行く中、大駒は申し訳なさそうに顔を下げてセットから出た。
スタジオの真ん中には、巨大なジオラマが建設途中だった。本物と見間違えるかのような百分の一スケールの東京タワー。それとそれを中心とした街並み。
奈良監督がこだわる、CGには出せない、リアルな生きた世界だ。
今大駒はこの中に住んでいる。あくまで設定上ではあるが、だが大駒は一人の主人公として、この街の中で生きている。窓の外にはあの東京タワーがあり、大駒を見下ろしている。
三メートルと少しある東京タワーのジオラマを見上げる。
質感や汚れなども丁寧に再現されていて、それを見ているだけで東京に行っている気分になる。心が、主人公になれる。
「すいませーん。そろそろ出てもらえますかー?」
一人残っていた大駒に、スタッフの誰かがそう叫んだ。
大駒はそう言われて、いそいそとその場を後にした。




