人気者はむず痒い
「じゃあ、行ってくるぞ」
「ん~!」
家を出ようとする大駒の足に、ノラがしがみついて離さなかった。
「こら、ノラ。だから何回も言ってるだろ? 俺は学校に行かなくちゃいけねえの。お前を連れてはいけねえんだよ」
「ん~! やっ!」
それでも駄々をこねるように、ノラは大駒を離さなかった。
それを見ていた大駒は、少し苛ついたように顔をしかめ、
「我が儘言うな! 俺の家に置いてやってるだけで有り難いと思えよな! これ以上我が儘言うんだったら、追い出すぞ!」
そう叫ばれ、ノラは哀しそうに大駒から手を離した。
口元をへの字にしていくノラから逃げるように、
「じゃあ行ってくる」
多少言い過ぎたかと思いつつ、だが今の大駒にはノラを気遣ってやる程の心の余裕がなかった。だから少し我が儘な子供に反省させる意味を込めて、強く突き放す。
大駒とてまだ高校二年生。大人ではない。
結局あの後、宝華からの接触はない。自分がそうであったように死んではいないだろうが、でも向こうからのアクションが無いということが、逆に不気味で気持ち悪かった。
あんなものは全部夢だと思ってしまいたい。
だからこのまま何もなく、日常が送れたらいいのに、と思った。
役割だとか〝異端者〟だとか《魔術師》だとか《怪物》だとか……あまりに現実離れしすぎている。そんなものと関わり合いになりたくない。
学校に着くと、そこでは昨日の駅前での事件が生徒達の噂の大半を占めていた。学生御用達のラーメン店が吹き飛び、側にあった巨大な陸橋が崩れて一時道路が封鎖にまでなった。もちろん隣接している電車までダイヤが乱れ、大混乱を引き起こした。
あまりに奇々怪々な事件に、様々な憶測が飛び交っている。
あれはただの爆破事故だとか、いや実は局所地震だとか、宇宙人の攻撃じゃないかとか、いやいや、実は怪物同士の争ってたんだ――とか。
あることないこと口々に噂し、一日中その話題で持ちきりだった。
だがそのおかげかどうか、以前の生放送で流された公園で暴れた大駒の話題は、遠く彼方へ消え去っていた。そのことに少しだけほっとする。
「そうだ。俺はあんな怪物なんかじゃねぇ。ただの人間だ」
そう自分に言い聞かし、大駒は授業を終えると演劇部の部室へと向かった。
「うっす」
「おぉブランカ。ちょっと来い」
部室に入った瞬間、大駒は主将の主役に呼ばれる。
何故か周りが自分を注目している中、恐る恐る大駒が近づいて行くと、主役は大駒に一冊の冊子を手渡した。
「え、こ、これは?」
「お前が主演する舞台の、脚本だ。ついに出来上がったんだ」
「え、これがっすか?」
ぺらぺら、と軽くページをめくってみる。
新しい紙の匂いが大駒の鼻に届いた。
「内容はお前が最強の騎士で、強さのあまり慢心しているが、いろいろな出来事を通して人の暖かさを知り成長していく、っていう話だ。舞台は中世ヨーロッパ。俺も読んだがこれは凄い作品になるぞ……想像しただけでわくわくする!」
「まあ黄磊を主役にするっていう時点で、普通の物語じゃなくてその巨体を生かしたキャラクターになることは決定だからね。そういう意味では新しい発想が出しやすかった。設定を決めてからはスラスラと書けたよ。もちろん猛付先生もOKを出してくれた」
眼鏡を掛けた脚本担当の男子生徒が、得意気な顔でそう言った。あくまで大駒にではなく主役に言ったのであろうが、それでもこうした関係で会話をすると言う事も、大駒にとっては久しぶりだった。
大駒はもう一度その脚本に視線を落とした。
ページをめくると、配役の一番上に自分の名前がある。
それが大駒の心をこれ以上無いまでに沸き立てた。
早くやりたい。そう思うほどに。
「映画の撮影の方もあるみたいだけど、大丈夫か?」
「あ、うっす! それなら基本的に土日で撮ってく方針みたいで、ゆっくりやるみたいなんす。だから演劇部の方には迷惑かけないようにしてくれるそうで……」
「そうなのか? それはよかった」
「あ、それと先輩。監督の奈良さんからの要望なんすけど、演劇部の皆にもエキストラとして出てもらえないか、って。その、人によっては役をもらえるかもしれなくて……」
大駒が何気なくそう伝言を伝えると、その言葉に部室の中が一気に盛り上がった。
「え、え、じゃあ私達も映画出れるってこと?」
「嘘!? ほんとに!?」
「まじかよ!」
あちらこちらからそんな声が上がり、周囲は喜々とした表情を見せる。
「ほんとか、ブランカ! いいのか!?」
主役が大駒の肩を掴んで尋ねてくる。
大駒は彼の喜びように面を喰らいながら、
「う、うっす。奈良監督が、ぜひって……」
再度大駒が言うと、皆はいっそう喜んだように声をあげた。
そして彼らは大駒に近づいてきて輪を作り、次々と質問を投げかけてくる。いつ撮影開始するのかとか、どんな話なのかとか、どんな役なのかとか、それはもう大駒の頭では処理しきれない程の数の質問が飛び交う。
今まで一言も喋らず近寄ってくれさえしなかった部員たちに、しかし大駒は照れたように応対していく。現金なやつらとは思ったが、決して悪い気分ではなかった。
ようやく質問攻めが終わったのは、顧問の猛付が部室に入ってきた時だった。
彼女により強制的に談話を終了させられ、いつものように練習が始まる。今日は新しい脚本ができたこともあり、その読み合わせなどが行われた。
大駒も久々に気の入った練習をし、心地良い汗を流していた。
そんな休憩時間。
「いよいよだな、黄磊」
人一倍声を張り上げていた大駒が汗を拭っていた時、猛付がそう話かけてきた。
彼女もどこか機嫌が良さそうで、大駒は快活に返事を返した。
「うっす!」
「いろいろ不安だろうが気にするな。お前はやればできる。最近じゃあ顔つきも立派になって、他人を思いやる心も芽生えてきたんじゃないか? すぐ興奮しなくなったし」
「そ、そうっすかね? 俺、変われてますかね?」
「大丈夫だよ。それは皆が感じてる事だ。お前は怪物じゃなくて人間なんだからな、いつだってどんな風にだって変われるものさ」
「うっす。ありがとうございます」
大駒は二リットルペットボトルを一口飲んだ。
「映画の撮影は、いつからなんだ?」
「あ、今週末には撮り始めるって言ってました。今は台本もらって憶えてます」
「ほう。いいな。私も見てみたいな」
「先生も来ます? 撮影。小さい役ですけどもらえるみたいっすよ」
「何だ、いいのか? じゃあ私は学校のマドンナ役がいいな」
「がははっ、無理っすよ!」
バシ、と軽く頭をはたかれる。
「お前は遠慮というものが無いな。そういうとこは変わってない。お前女子と付き合った事ないだろ」
「す、すいません……」
「女は嘘でも褒めとかないと、モテないぞ」
「いや、自分嘘だけはつくなって母ちゃんに言われてるんで」
バシッ、と今度は強めに叩かれた。
何故叩かれたかわからない、と大駒は頭にはてなを浮かべる。
正直者も考えものだ。
「それにしても昨日、お前大丈夫だったか? 電車」
「電車っすか? どうしてです?」
「ほら駅前で爆破事故あったろ。ラーメン店と陸橋が吹き飛んだっていう。あれで電車とかも止まってたみたいだから」
その話に大駒はつい言葉を失ってしまう。
できればその話はしたくなかった。
今は楽しい事だけを考えていたかった。
「でも爆破事故ってのも怪しいよな。目撃者によればなんかゴツゴツした化け物が店を壊したーっとかいう噂で。しかもそう証言する人間が結構いるんだ。まさかお前じゃないよな? はははっ」
――と、猛付はあくまで冗談だ、といった口調でそう言った。
笑いながら、にこやかに。
「そんなわけ、ないじゃないっすか」
大駒は精一杯平静を装いながら、そう返す。
すると猛付も、冗談だよ、と言って笑った。
「自分、ちょっと外の空気吸ってきます」
大駒はそう言って立ち上がり、逃げるように部室の外へ出た。




