岩の怪物VS美女
それは宝華に見覚えのある存在だった。
以前、大駒の件に関わる以前に、彼女が追っていた連続女性誘拐事件の犯人だ。
宝華が取り逃がし、行方をくらましていたはずの。
それもまた、〝異端者〟。
人の常識を越えた役割を持つ、《怪物》。
「こいつ、なんなんだ……?」
「貴方と同じ、怪物よ!」
全身を岩で固めた怪物が、襲いかかってくる。
その振り抜いた岩の拳が、大駒たちの座っていたテーブルを、跡形も無く吹き飛ばした。
まごう事なき、人外である。
ジロリ、と岩で埋め尽くされた顔の瞳が、大駒――いや、宝華を睨み付ける。
「離れてッ! こいつの狙いは、私よ!」
宝華はそう言って大駒の身体から抜け出し、地面に転がったカバンの中から分厚い本を取り出した。
岩の怪物が呪文を唱えさせまいと、宝華を狙う。
重々しい身体に速度はない。だがそれでも宝華の攻撃が間に合うかどうかは紙一重。
まずい――宝華がそう感じた瞬間、自分の目前まで迫っていた岩の拳が、大駒の大きな手によって止められる。
「ぐ……っ!」
しかしそれを止めた大駒の腕から、鈍い音が響く。
恐らく骨が折れたのだろう。大駒は苦痛に顔を歪めた。
「お前……いきなりこんな事して、何考えてんだ……!」
大駒は怒りに顔を染め、徐々に目を見開いてく。
そしてその拳で相手の拳をがっちりと握り締めた。握り潰そう、と。
だがそれはまさに岩の如く、潰れない。ただの石ではなさそうだ。
ブオッ――と、そのまま大駒は敵に身体を投げられる。後ろにいた宝華ごと、先ほど割れた窓を更に壊して外へと投げ出され、地面に転がる。
「いっでぇ……何だあいつ……」
「あれも私達と同じ〝異端者〟よ。役割は《怪物》。貴方と同じね」
大駒より先に立ち上がった宝華が説明してくれる。
「お、俺よりよっぽど化けもんじゃねえか」
「貴方もいずれああなるのよ。〈逢魔ヶ時〉を迎えればね」
自分が、あんなけったいな化け物に?
想像がつかない。だって目の前のそれは本当に、人の形を完全に失った化け物だったのだから。
「ちくしょう!」
「やめなさい」
と、拳を握り締めた大駒を、宝華が止める。
「な、なんでだよ?」
「貴方さっきの話をもう忘れたの? 貴方は怒ったり興奮すると、我を忘れて暴れる。それは必然、〈逢魔ヶ時〉を迎えやすくなる。そうなれば私は貴方を即座に抹殺しなくてはいけない……貴方まだやりたいことがあるんでしょう? 映画も、舞台も、そしてノラちゃんの事も……だったらここは大人しく見てなさい。ここは、私がやる」
宝華は愛用の本を広げ、それを岩の怪物に向けた。
「それに元々、こいつは私の標的よ――【瞬間氷結】!」
パキパキ――と、音を立て、周囲の空気が凍り出す。
おそらく彼女はその能力で、空気中の水分を凍らしているのだろう。何も無いところから、あっという間に氷の槍が出現する。
大駒の時のような容赦はない、大きな氷の槍が、一直線に岩の化け物を襲う。
だが岩の怪物はそれを避けるのことなく、真っ正面から受け止める。両手で槍を掴み、その勢いに身体を後方へずらす。
ようやく身体が止まると、岩の怪物はそれを両手で粉々に粉砕した。
「くっ……相変わらずの頑丈さね……」
今度は岩の怪物が動いた。
ドスンドスンという重くノロマな動きで走り出し、宝華に突っ込む。宝華はそれを避けようと氷の足場を創り出し、上へ上へと跳んだ。
だがその上空に飛んだ宝華に、岩の怪物は全身から石つぶてを発射する。宝華は慌てて氷の盾を作り、それを防いだ。だが氷の盾の範囲外に跳んだ石つぶては、そのまま後方に飛んで駅と最寄りの大学とを繋ぐ陸橋に当たった。
大きな陸橋が、音を立てて崩れ落ちた。
「標的は私でも、その他がどうなろうとお構いなしって事……? だったら素早く終わらせる!」
反撃するように、宝華が本を構えた。
それはもはや、映画の中のワンシーンだった。大駒はまるで映画館にいるような錯覚に陥る。目の前で殺し合っている二人は、大駒と同じ人間で、でも彼らはこの世の理を無視した攻防を繰り返している。
方や氷の魔術で、方や岩の怪物で。
〝異端者〟という存在を、改めて第三者の視点で見て、大駒は唖然とするしかなかった。
なんなのだ、これは――と。
そして同時に、自分がその一人であることが、信じられなかった。
自分があんな化け物と同類だということが、受け入れられなかった。
いつ自分は道を踏み外したのだろう。
人口数百人の村の農家に生まれ、自然と共に育ち、そして都会に憧れ上京。心打たれた演劇の世界に入り、いろいろ波乱はあれど、それでも全うな人生を歩んでいたはずだ。
そんな自分がいつ、どうして、こんな非現実の世界へと、足を踏み入れたのか。
考えても考えても、それはわからない。
「つっ!」
その時、宝華の血が宙を舞った。
岩の怪物が自分の身体の一部を手にとり、思い切りそれを投擲したのだ。それは凄まじい勢いで飛び、宝華の氷の盾を打ち砕いた。
ひらひらと、まるで花びらのように宝華が地面へ落ちてくる。それを大駒は慌てて下に入り、受け止めた。
「だ、大丈夫か?」
「……大丈夫。ていうか馴れ馴れしく触らないで、野蛮人!」
強く言われ、大駒は彼女を手放し地面へと下ろした。
どうやら戦いに少し興奮しているようだった。大駒はその気迫に手を離すしかなかった。
こうしてみるとただのスレンダーな女子高生ではない。
確かな実力を持った、戦士のように見える。
「あ、あれ、そういえばノラは!? ノラ、ノラ!」
いきなりの出来事に忘れていた。
大駒は慌てて周囲を見渡し、ノラの姿を探した。
「ノラ……あ、いた!」
ノラは未だラーメン店の店内にいた。
破壊された窓の向こう、大駒らが座っていたテーブルはもう無いが、残っていた椅子の上に座っている。
そしてなんと、彼女はラーメンを食べていた。
ちゅるちゅる。ちゅるちゅると。
「あいつこの状況でまだ飯食うのか……根性座ってんな」
と、とりあえず大駒は戦闘中の宝華らを遠巻きに迂回し、店内へ入った。
「おい、ノラ。ラーメン食ってる場合じゃねえだろ」
声を掛けるも、ノラはその目を向けるだけで、ラーメンを食べるのに必死だった。
「はァ……そんなに気に入ったか、ラーメン。まぁ確かに勿体ないしなァ。よし、ちゃんと綺麗に食べような。おばちゃん、ラーメン一つ。特盛りで」
どっちも馬鹿なのだろう。二人はゆっくり席について、ラーメンをすすり始める。
目の前では壮絶な殺し合いが行われていると言うのに。
しかもそれは、二人に全く無関係という事ではないのに。
「あ、何か痛いと思ったら、俺右手折れてんの忘れてた。がははっ。ほれ見ろノラ、俺腕上がんねえ!」
大駒が状況も構わず、暢気にラーメンを食べて駄弁っていると、そこに宝華の身体が突っ込んでくる。それは大駒の身体に当たり、大駒は椅子ごと後ろへと倒れた。
「……ふぅ……ラーメンは無事だった」
左手で器用にラーメンを上に持ち上げている大駒。腹の上には、宝華がいて、しかし彼女は頭から血を流して倒れている。
「お、おい。お前、大丈夫か?」
ラーメンを横に置き、宝華の身体を揺すってみるが、しかし彼女は起きない。どうやら気絶しているようだ。
大駒は正面を見据える。壊れた窓の向こうから、岩の怪物が近づいてくる。
のそり、のそり。その体躯は大駒にも負けず劣らずの、巨体だ。
「お前、なんでこんな事するんだよ! 《怪物》ってのは本当に心も失っちまうのかよ!」
大駒の叫びにも、それは何も返さない。
気絶する宝華にトドメを刺そうと、ただただ近づいてくる。
「ひ、み?」
その時、大駒の側から、小さな声が聞こえた。
それはノラの声だ。彼女はずっと手放さなかったラーメンの器を置き、気絶し眠る宝華に近づいた。そしてその小さくか細い声で、宝華の名を呼んだ。
「ひみ……ひみ……」
彼女の目に、涙が浮かんでいく。
その様子に、大駒は危機感を感じ取った。
「だ、大丈夫だノラ! こいつは寝てるだけだ。だから、な? 泣くな。泣くなよ?」
そう言ってみても、ノラは抑えきれない感情に飲み込まれるように、顔を歪めていく。
そして――
「わあああああ!!」
ノラが、泣いた。
それと共に、眩い光が大駒を襲った。
ノラの背中から、神々しいまでの翼が飛び出る。それはたくましく左右に開かれる。
「ッ!?」
その圧倒的な様子に、岩の怪物も困惑したように足を止めた。
そして今から起こるであろう攻撃に備えて、身体を小さく丸めて防御態勢を取った。
大駒も同じように、宝華を身体の内側にして、ノラに背を向けた。
世界が光に包まれる。
ノラから放たれたその光は店を、岩の怪物を、そして大駒らをも吹き飛ばした。
光は次第に収束するように上方へと光の柱のように集まり、そして少しずつ消滅していく。
光が消えたのと同時、ノラは力を使い切ったかのように意識を失って地面へと倒れた。
大駒はそっと目を開ける。だがそこがどこなのか、もはやわからない程に周囲は原形を留めてはいなかった。あの公園と同じように、跡形も無く吹き飛ばされていた。
とにかく辺りを見渡す。抱きしめていたはずの宝華の姿もない。どこかに飛ばされたのだろう。岩の怪物も姿は見えない。
「ノ、ノラ!」
唯一大駒の視界にいたノラを見つけ、慌てて駆け寄る。
小さく息をしていて、どうやら眠っているようだ。
その小さな身体を抱き上げる。
ようやく落ち着いた現場に、周囲の野次馬達が顔を覗かせる。このままではどんどん人が集まってくる。そして警察まで出てくるだろう。
少しだけ考えた後、大駒なりにそれは良くないだろうと判断し、その場から走り去った。
もはやつい先ほどまで食べていたラーメンの味は、思い出せなかった。
 




