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ノラのママ

「どうした? 遠慮せずに食えよ」

 四人席の向い側に座る宝華(ほうか)に、大駒は言った。

 彼女の目の前には一杯のラーメンが置いてある。だが宝華はそれに手をつけようとせず、じっと姿勢良く椅子に座っていた。

「なんだよ、本は返しただろ?」

「これ……何?」

「ん? ラーメンだろ。知らないのか?」

「聞いた事はあるけど……スープが汚くない? 下が見えないんだけど」

 宝華は上からラーメンを睨み付けた。

「馬鹿だなァ、それはこってり豚骨だからスープは透明じゃねえの」

「こ、こってり? それは大丈夫なの? 身体に悪そう……」

「食ってみろよ、美味えぞ。『宇宙一番』のこってりラーメンは病みつきになる」

 午後七時。

 主演映画の打ち合わせの帰りで機嫌の良い大駒が、夕食を(おご)ると言う事で駅前のラーメン屋に入った。店内は満席で、賑わっている。店内にはタバコの煙と湯気が蔓延(まんえん)し、その匂いもすごい。お嬢様の宝華には耐えがたいのだろう。

「お、来た来た」

 少し遅れて大駒のラーメンも届き、子供のような目で大駒はそれを受け取った。

 慣れた手つきで割り箸を手に取って割る様子を、宝華は興味深げに眺めていた。

「初めてのお前にラーメンの食い方を教えてやる。見とけ。いただきます!」

 勢いよく箸をスープの中に突っ込み、面をすくい上げて、吸い込む。

 一人前の麺が、たった一吸いで大駒の腹へと消えた。

「ひ、一口で食べるものなの!?」

「ん? いびゃ、じびゅんにょふぇーすでたべ、んがんご……」

「口に入れながら喋らないで! 汚い!」

 言われた大駒はむっとしながらも、ごくり、と麺を飲み込んだ。

「自分のペースで食べりゃあいいだろ」

「そ、そう……でも貴方、それでお終いなの? 呆気ないわね」

 宝華はスープだけが残った器を見て言った。

「ラーメン屋にはな、有り難いシステムがあるんだよ」

 にやりと笑い、大駒は定員を呼んだ。

 そして大きな声で「替え玉かた麺で」と言った。宝華にはそれが呪文にしか聞こえない。

 すると程なくして、平皿に乗った麺が出てくる。大駒はそれをスープの中へと放り込んだ。その時スープが跳ねたが、もちろん大駒がそれを気にする様子はない。

「なんて野蛮なの……」

 自分の分を見下ろし、宝華は恐る恐る、割り箸を中に入れる。

 どろりとしたスープ。まるで泥水にでも浸かっているようにしか見えない。

 麺を少しだけ掴み、持ち上げる。そしてそれを口に運んだ。

「んっ……」

 それはやはり予想していた通り、どろりとした感触で、口の中に豚骨クサイ臭いが広がる。味もあまりにも濃すぎて、まるで泥水を飲んでいる気分だ。

 宝華はこんなものが一般市民に広く受け入れられている事に、しみじみ人間の不思議さを感じる。

「ん~!」

 そんな宝華を余所に、斜め前に座るノラが大駒の服を掴んで揺らしている。

 どうやら自分も食べたいという事のようだった。

「おあ? お前も食うか?」

「ちょ、そんな子供にこんな濃い食べ物良くないわよ!」

「え……? 大丈夫だろ」

「駄目よ駄目!」

 宝華は慌てて大駒の器を取り上げる。

「うえ~。駄目だってよ、ノラ」

 言われたノラは哀しそうに宝華を見つめていた。

 ジッと、目に涙を溜めていく。

 そして徐々に、口元をへの字にしていく。

 まるで拾ってくださいと言わんばかりの捨て犬だ。

「わ、わかったわよ……でも少しにしなさいよ。本当に身体には良くないんだから」

 いよいよ負けを認め、宝華は器を返した。

 大駒は店員から受け取った小皿にラーメンを少しだけいれる。それを受け取ったノラは、フォークで器用にラーメンを寄せ、それを口に運んでいく。

 ちゅるちゅる。ちゅるちゅると。

「美味いか、ノラ」

「うまっ」

 それはまるで親子のようだった。

 たった一週間ほどの関係だと言うのに、いつの間にか二人は家族のように慕い合っている。初めの倦厭(けんえん)な仲など、無かったように。

「それにしてもその子、どこの誰なんでしょうね」

「お? ノラか? そう言われれば身元とか正体とか、すっかり忘れてたな」

「どれだけ暢気(のんき)なのよ。その子にも親はいて、住んでいた家があるはずなの。貴方の子供じゃないんだから、いつかは返さなきゃいけない」

「でも親がいて家があったら、あいつあんなとこいねぇだろ? 死んでるとか、こいつを捨てたとかじゃねぇのか?」

「それは、わからないけど……」

「じゃあ俺が育てる。それでいいだろ?」

 大駒はノラの頭を撫でながら言った。

 もはや大駒にとって、ノラは自分を矯正するための存在ではなく、本当に愛すべき家族になっていた。

 彼の頭に、ノラを手放すという考えはもはや無い。

「それで万事解決じゃねえか。がははっ!」

「がははっ」

 ノラが呼応して笑う。

 なんていやな癖がついてしまったのだ、と宝華はため息をついた。

「お前も一緒に暮らすか、お母さん」

「お母さんて言わないで。殺すわよ」

「……悪い」

「もう芝居は終わったの。貴方みたいな野蛮人と暮らすなんて、考えるだけで吐き気がするわ」

「酷いなァ……なあノラ、お前もママと一緒に住みたいよな? ……え、なんだって、弟が欲しいって?」

「ラーメンぶっかけるわよ?」

「じょ、冗談だろ? 勿体ない。いらねぇなら俺が食うぞ」

 強引に器を取り上げ、大駒はそれも一口で全ての麺を吸い上げた。

「はあ……怒ったり落ち込んだり喜んだり、ほんと貴方って喜怒哀楽が激しいのね。見ていて不安になるわ。楽天的とも言えるのかしら」

 大駒は店員を呼び、替え玉を頼んだ。

「がははっ。その時その時を生きればいいんだよ。ノラだって、この先家が見つからなくたってうちに居ればいいんだから、何も問題はないだろ?」

「そう。でも貴方、自分が殺される事、忘れてないかしら」

「あ」

「あ、じゃないわよ」

 宝華は堪らず持っていた割り箸を投げつけた。

「そうだった。俺、殺されるんだったな」

 大駒は店員を呼び、替え玉を頼んだ。

「そうよ。最近でこそ嫌なことが無いから暴れる事もないんだろうけど、いつどんな拍子で貴方が〈逢魔ヶ時(おうまがとき)〉を迎えるかわからない。そうなったら、貴方は破壊するだけの《怪物(モンスター)》。それは理性じゃ止められない。そうなる前に、貴方は殺される。どれだけ長引いても、そう遠くない未来にね」

 大駒は店員を呼び、替え玉を頼んだ。

「それってさ、俺の映画と主演舞台が終わるまで待ってはくれないのか?」

「なんとも言えないわね。私としても、そうなるように働きかけてはみるけど」

「お、何だ、優しいんだな」

「ばっ、勘違いしないで。ただこれだけ関わってしまったんだから、多少の情くらいは湧くわよ。私だって好きで人を殺してるわけじゃないんだから」

「んん……それもそうか」

 大駒は店員を呼び、替え玉を頼んだ。

「とにかく貴方が自分の目標を遂げたいのであれば、少しでも自分で怒りと破壊衝動を抑えることね。貴方は興奮すると我を忘れるから。気を抜けばあっという間に〈逢魔ヶ時〉を迎えてしまう。そうなればあとは心の無い《怪物(モンスター)》になるのみよ。私たちは嫌でも貴方を処分しなければいけない……」

「……気をつける」

 大駒は店員を呼び、替え玉を頼んだ。

「それにしても殺していたはずの貴方とこんな親密な関係になるなんてね。あの時は思いもしなかったわ」

 大駒は店員を呼び、替え玉を頼――。

「――って、食べすぎよッ!?」

 ようやく宝華はツッコミを入れた。

 自分が真剣に喋っている最中に、大駒は何度も何度もおかわりをする。

 これで何杯目か、もはや数えられない。

「いい加減店員さん困ってるじゃない! それならまとめて頼みなさいよ! こんなもの何十杯も食べてたら、あっと言う間に死んじゃうわよ! 気をつけなさいよね! って私がこの後殺すんじゃない!? なに健康管理薦めてるのよ!」

 宝華はわけのわからぬテンションで叫び、挙げ句の果てにノリツッコミをした。

「おい」

「何よ! 私だってノリツッコミくらいするわよ!」

「おい!」

「だから何――」


 バリィィィィン!! ――宝華の背後のガラス窓が、吹き飛んだ。


 背後から飛び散ってくるガラスの破片に、大駒が即座に宝華に手を伸ばして腕の中へと(かくま)う。破片はいくつか大駒の身体に突き刺さった。

「な……何してんのよ貴方っ! ちょっと、離して野蛮人!」

 いきなり抱きしめられ、わけがわからず宝華は大駒の身体を叩いた。

 しかしすぐに大駒の真剣な眼差しを見て、状況の深刻さに気がついた。

 大駒の視線の先を見る。


 そこには、化け物がいた。


 全身が岩でできた、人型の怪物が――。

「貴方は――っ!」

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