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嫁になれ

 まるで兎のような軽い足取りで、大駒はおんぼろアパートの階段を昇った。

 ゴウンゴウンともの凄い音が鳴り、上からパラパラと何か粉のようなものが振ってくる。今度地震が来たら、否応なしに倒壊してしまいそうだ。

「映画……主役……スター……モテモテ……いちゃいちゃ……ぬふふ。そうだ、サインの練習しとかねえとな」

「おいデカブツっ! 走るなって言ってんだろ!」

 その地震のような衝撃に、大駒の隣の部屋のおじさんが怒鳴ってくる。

「おっす、おっさん! 相変わらずハゲてんな!」

「あぁ!?」

 隣人の怒号を無視し、大駒は部屋の扉を開けて中に入った。

「帰ったぜノラ! 聞いてくれ、実は俺――」

 だが扉を開けた瞬間に見つけた。

 六畳一間の畳の上に、ノラとは別に、もう一人の人間がいるのを。

「お、お前……」

「あら、地震かと思ったら貴方だったのね、野蛮人。おかえりなさい」

 その見るからに気の強そうな女は、畳の上にレジャーシートを敷き、その上に座っている。ピンクのワンピースの制服を着た、目つきの鋭い女だ。胸元のリボンが可愛らしい。

宝華(ほうか)、ぴの……?」

比美(ひみ)よ。誰が円錐型のチョコレートアイスよ」

 宝華(ほうか)比美(ひみ)。先週末、《怪物(モンスター)》である大駒を襲い殺そうとした、〈少数派劇団(マイノリティ)〉に所属する女。

 氷の魔法を操る、《魔術師(ウィザード)》である。

 彼女は五雛(いつひな)女学院の学生服を着ている。新調したのだろうか。

「お前、何してんだ俺の部屋で?」

 あの後、大駒らは快復した宝華をそのまま家に帰した。

 もちろん彼女の武器である本は奪ったまま返さずに。

「見てわからない? 遊んでるの、ノラちゃんと」

 ノラは警戒心など無しに、宝華の膝の上で玩具を手に遊んでいる。どうやら彼女の好きな『獣人王アガバム』のフィギュアらしい。右手にビッグマンらしき人形を握っている。

「お前、そそそ、そいつは悪い奴だぞ!」

「そんなことないわよね、ノラちゃん?」

 ノラは大駒と宝華、そして手に持った宝華にもらったであろう玩具を見てしばし考えたあと、なんと宝華に抱きついた。

「ノラァッ!?」

 大駒はショックのあまり頭を抱えてしゃがみ込む。

「俺たちの友情はそんなもんだったのか……そんなふしだらな女に玩具でそそのかされて……このアバズレっ! ずるいぞ!」

「アバズレじゃないわよ! よく意味もわからないのに使わないで。そりゃこんな汚いボロアパートで、遊ぶ物一つもない空間に閉じ込められてたら、嫌になるわよ。この年頃の女の子は男の子と変わらず遊びたい盛りなんだから。ねえ?」

「ん!」

 もはや親子のように親し気な二人に、大駒は哀しげな表情を向ける。

 すると涙を流す大駒を見ていたノラが宝華の膝から降りて彼に近づき、彼の頭をゆっくりと撫でた。

「うぅ……ぐすん。そうか、俺も構ってくれるかノラ……お前は優しいなァ……ノラァ!」

 大駒はあまりの愛おしさから、ノラをぎゅっと抱き寄せた。

 ノラが大駒の巨体に埋まっていく。

「そう言えば来る前に、貴方と同じ高校の女生徒がここに来ていたわよ?」

「ん? ああ、そりゃ俺の後輩だ。ノラを家で飼ってるって言ったら、部活の間様子を見てくれるって言うから合い鍵渡してたんだ」

「飼ってるって……何、彼女? 貴方も隅に置けないわね」

「え、いや、違うぞ。ただの後輩だ」

「……そうなの? その割に親密なのね。随分可愛かったけど? それにそこまでしてくれる女の子なら、何か遠からずそういう思いは持ってるんじゃない?」

「はぁ? んなわけねえだろ。昔あいつを、間接的にだけど助けた事があってな、それで恩を感じて構ってくれるだけ。あんな可愛い奴が彼氏いないわけないだろ」

 何しょうも無いことを聞くんだ、と言わんばかりに大駒は首を振った。

 そんな大駒を見て、ほんとこのポンコツは、と宝華は半眼を作った。

「そう……貴方がそれでいいならいいけれど、脳みその方も鈍感なのね」

「ん? 何か言ったか?」

「いいえ、何も」

「そうか。ほんじゃま、晩ご飯でも作るか。何かリクエストはあるか?」

 大駒はノラを肩車し、台所へと進んだ。

「いいえ。食事は家で取るから、必要ないわ」

「そうか。家は近いのか?」

「ええ、まぁ一応ね」

「へぇ、見るからに金持ちそうだし、いいもん食ってんだろなァ」

「そうでもないわよ。普通の一般家庭」

「その割に振る舞いとかが上品だ。じゃあそういうのは学校で教えられるのか?」

「一通りのマナーはそうね。五雛女学院は女性を育てる学校だから。言葉遣いからあらゆる場面での立ち振る舞い。茶道やお花なんてものも教え込まれる。あ、ちなみに今日はフランス式の料理マナーを学んだわ」

「ほえ~凄いなそりゃ。ノラ、お前も将来そういうとこ行かねぇと駄目だぞ?」

「ん!」

「痛いっ。こら叩くなつってんだろ? 女の子がそれじゃあモテねえぞ」

「やめなさいよ、型にはめるのは。個人を尊重した育児をしなくちゃ。ノラちゃんはノラちゃんらしく、育てばいいのよ。でしょ?」

「そうだな。よっし、ノラ、今度俺と野球すっか! がははっ!」

「うふふっ」

 二人は笑いあった。

 つい先日までは互いに見知らぬ存在で、互いにいがみ合い殺し合っていたのに。

 それがまるで嘘のように、まるで家族のように、そこは暖かなぬくもりで包まれていた。

 ――が。

「なあ、宝華」

「何?」

「で、お前はここに何しにきたんだ?」

「やっぱりそうなるわよね」

 そりゃそうだった。

 下らない家族ごっこをしている場合では無い。大駒は怪物で、宝華はそれを殺しに来た刺客なのだ。

 何をしているのだろう、とノラはぼけっと二人を見つめている。

「冗談はさておき、それは私の本を返してもらうためよ」

「本?」

「貴方私の本を隠したでしょ? 私が暴れないように」

「ああ、そういえば」

「あれがないと私本気を出せないの」

「そうなのか?」

「そりゃそうよ。あれは私が〈逢魔ヶ時(おうまがとき)〉を迎えるキッカケになった本だから。だからあれじゃないと、こう、気分が乗らなくてちゃんとした魔術が出せないの」

「なんだそりゃ」

「冗談じゃないのよ。そういうのって大事じゃない。試験日にいつも使ってるのと全く違うシャーペンを使うのと不安になるでしょ? そういうこと」

「いや、わかんね」

「……鈍感な貴方に同意を求めた私が馬鹿だったわ」

 宝華は大きくため息をついた。

「とにかく、私の本を返して。家の中を一通り探したけれど、なかったの」

「そりゃ俺が持ってるからな。でも返さねえぞ。それ返したらまた殺しに来るんだろ? なんで自分を殺そうとする相手に、凶器を返さなくちゃいけねぇんだ」

「それは大丈夫よ」

「あ?」

 大駒は台所に向かいながら、首を宝華に向けた。

「週末の出来事を、私は上に報告したわ。貴方が覚醒前の《怪物(モンスター)》であること。そして貴方が守る少女が、実は《ワルキューレ》であったこと。その力に私が負けたことまで、逐一、全部ね」

「それで?」

「その結果、上が下した判断は、黄磊(おうらい)大駒の処分を一時保留。私は次の命令が下されるまで待機と言われたわ。つまり、現状私は貴方に手を出せない。いいえ、他の誰も。こういうところはお役所仕事なのよ。勝手な判断で動けない。いくら私が貴方を殺したくてもね」

「何で一時保留なんだ?」

「それは貴方に手を出すことで、誘発されるであろうノラちゃんの覚醒を防ぐためよ」

 名前を出されたノラは、つまみ食いしたキャベツの葉を加えながら、振り返った。

「ノラちゃんの役割(ロール)である《ワルキューレ》は、《(ゴッド)》に分類されるだけあって、その力は未知数かつ驚異的。私はそれなりの手練れのつもりだったけれど、実際に戦ってみて勝てる気がしなかった。それほどに圧倒的だったの、彼女の能力は」

 大駒は頭の上のノラを見上げるが、しかしこんなちっぽけな少女がそれほど凄い存在だとは、やはり到底思えない。

「言ってしまえば、貴方よりもよっぽど怪物級の強さを誇るの……普段はそこら辺の子供と何一つ変わらない大人しい子。でもその分精神が不安定。だから彼女が怒って力を解放して暴れたら、甚大な被害が出る。私達はそれを避けたい……いえ、避けなければいけないのよ」

 宝華は足を組み替えるように身体を動かした。

「それ故に、私たちは貴方に手を出せない。出す事で、この間のようにノラちゃんが覚醒してしまうのを恐れている」

「……よくわかんねぇけど、じゃあおまえらはもう俺を殺そうとしないんだな?」

「そういう命令が下されるまでは、少なくともそれはあり得ない」

 だから本を返して――宝華は話を締めるようにそう言った。

「ん~でもよォ、やっぱり殺せ~って言われたら、また殺しにくるんだろ?」

「ええ。でも私が戦えないなら、他の誰かが来るだけよ。仲間には血も涙もない、正義のためには殺人を喜んでする人間もいるわ」

「でもどっちだって殺されんじゃん」

 大駒の煮え切らない返答にしびれを切らし、宝華は立ち上がった。

「聞いて! あのテレビ番組を見ていたのは私達だけじゃない! 私達のような〝異端者(マーベラス)〟で構成された組織は世界中にいくつも存在する! 彼らが貴方と接触してくる可能性が高いの! だから私は近づく不穏分子から貴方を守らなくちゃいけない! 正確には貴方ではなくノラちゃんだけど……でも少なくとも、〈少数派劇団(マイノリティ)〉が最終判断を下すまでは、貴方を死なさないようにするのが私の勤め」

「どうしてその、他のやつらが俺に近づいてくるんだ? そいつらも俺を殺しにくるのか?」

「それもある。私達のような国際機関主導の組織以外にも、世のために凶悪な〝異端者(マーベリック)〟を粛清しようとする私営組織などは存在するわ。それに、私達とは逆に、粛清されないように寄り集まった《悪しき(ヴァイラン)》だけの組織も存在する。彼らは主に犯罪集団として存在し、私達のような組織から身を守るために対抗組織を作ったの。まあ、必然の成り行きね」

「悪い集団ってのもあるんだな……そいつらはどうして俺に?」

「貴方を仲間に誘うためよ。同じ《悪しき(ヴァイラン)》として、殺されないように仲間にならないか、ってね。それらは確実に貴方に接触してくる。そして私はそれを看過するわけにはいかないの」

「つーことは、あんたらは俺を殺したい。でもノラが怖くて殺せない。さてどうしようかと今は悩んでいる。その悩んでいる間に、他の組織に手を出されたくない。だから守ります……てことか?」

「そういうことね。要約ありがとう」

「要は俺が余計な事をしないように監視するってことじゃねえか」

「別に四六時中側にいるわけじゃないわよ。でも何かあった時、すぐに駆けつけて私が代わりに戦う」

「だから大人しく本を返せって事か……」

 う~ん、と大駒はうなった。

 そう言われてはいそうですかと返すのは、さすがの大駒も馬鹿だとわかる。

 自分を守る矛はいずれ、自分を貫く矛になるのだから。

「お前らは、ノラは殺さないのか? こいつも危険なんだろ?」

「ええ、貴方よりよっぽど危険。でもそれは理性が働かない年齢だからであって、基本的に《ワルキューレ》は、というより《超越者(オウサム)》は、敬うべき稀少な存在。私達より次元を一つ上にする存在よ。本能的な破壊衝動もなければ、無闇矢鱈と暴れ回るような役割(ロール)ではない……はずよ。そして欲を言えばその絶大な能力を、ぜひ欲しいというのが本音。それに……」

「それに?」

「〝異端者(マーベリック)〟に語り継がれる伝説でこう言われているわ。世界には九人の《ワルキューレ》が存在する。彼らは、選別者。戦場において、神の国へ誘う魂を見極める、神の使い。九人全ての《ワルキューレ》が揃えば、神の国への道が開かれる――と」

「……神の、国だァ?」

 あほか、と大駒は口を歪ませていった。

「あくまで伝説よ。だから私も伝聞でしか知らない存在だって言ったじゃない。でもそう言い伝えられているのは確かよ。《ワルキューレ》は神々しい大きな翼を持ち、魔術の上位、光術を操ると言われているわ。ノラちゃんはまさにその通り。見たでしょ、貴方も」

 大駒は何とか思いだそうと頭をひねる。

 確かにあの時のノラには翼があった。とても美しく、それでいて破壊的な、翼が。

「てことはこいつが九人いれば、神様の国に行けるのか?」

 大駒はノラの両脇を持って宝華に掲げて見せる。

「ノラちゃんは一人よ。何言ってるの。《ワルキューレ》という役割(ロール)を持った人間を九人集めれば、ね」

「神様の国には何があるんだ?」

「絶対幸福がある、と言われているわ。嫌なことや苦しいことなど何一つない、幸せの世界。そこには神々もいて、下界である人間界を見下ろしている。そこでは人間だった時の役割(ロール)は失われ、皆が神に等しい存在となる……つまり、使命からの解放」

「んん……? 良いのか悪いのか、よくわかんねえな」

「あくまで伝説よ。実際、《ワルキューレ》なんて見たの初めてだし。あまり深く考えない方がいいわ。でもそれを信じる人も多いのは憶えておいて。私はそうでもないけれど、神の国へ行くために、是が非でもノラちゃんが欲しいっていう人間は必ず出てくる」

「ほえ~……俺は《怪物(モンスター)》だってのに、お前は《(ゴッド)》か。いいなァ」

 ぐりぐり、と大駒がノラの頬をつつくと、ノラは怒ったように大駒の手に噛みついた。

「ところでそろそろ、私の本返してくれないかしら? これだけ懇切丁寧に説明してあげたんだもの、もういいでしょう?」

「どうしようかなァ」

「それに貴方、私に構うよりやることがあるんじゃないの? 何やら随分楽しそうに帰ってきていたけれど。次の演劇の主演でも決まった?」

「ん? おうっ、よく知ってるな! そうなんだ、今度俺は舞台で主演をやらせてもらえるんだ! まだ脚本段階なんだけどな……あと聞いて驚け! 実は俺に、映画のオファーが……おお、そうだ」

 言いかけて、止める。

「な、何よ。何かつまらないことを思いついた顔をして……」

 宝華の予想通り、大駒は何かを思いつき、締まりないいやらしい顔のまま、宝華に近づいて行った。

「本は返してやる。でもその代わり、一つだけ条件があるんだ」

「……や、やらしいことは駄目よ?」

「大丈夫大丈夫」

 決して大丈夫そうに見えない顔で、大駒はぴんと指を一本立てた。

「お前、俺の嫁になれ」


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