怪物、映画デビュー?
放課を告げるチャイムが鳴り響いた。
大駒はのっそりと立ち上がり、いつものように演劇部の部室へと向かう。
大駒には低すぎる教室のドアを抜け、大駒には狭すぎる廊下を通り、一直線に部室棟へと向かった。その時も、飽きること無く周囲は大駒を遠巻きに見つめている。
ああ、テレビで見た怪物だ、と。
「よお、ブランカ」
と、階段を降りる途中で、大駒は主役に声を掛けられる。
「せ、先輩……」
大駒は気まずそうに返した。
しかし大駒の心配を余所に、主役は彼の背中を叩き、
「昨日見たよ、あれ! 凄いな、お前は!」
「え……いや、うっす」
大駒は困惑の顔を浮かべる。
「確かにあのテレビはいつも相手の人権を無視したようなやり方で取材をしている。ああやって無茶するのが面白いと思っているんだろうか。まあそれがうけたからああやって番組が成立してるわけだし、需要はあるんだろうが……いやはや、俺は不愉快極まりなかったんだ」
主役は腕を組んで憤慨したように鼻を鳴らした。
「だからお前がああやってあのインタビュアーたちを退治してくれたのを見た時、心がすーっとしたね! よくやった、とテレビの前で賛辞を送ったぞ!」
「せ、先輩は、怖くないんすか? 俺のこと」
「どうしてだ?」
「だって、去年の文化祭の事件から、皆俺の事怖がってる……またいつ暴れ出すんじゃないかって」
「お前は暴れたいのか?」
「え……いや」
「だろ? 怒って我を忘れて暴力を振るってしまうことは、誰しも一度はあるもんだ。俺だって昔、むしゃくしゃして暴れて親を泣かしたことがある」
「せ、先輩がっすか?」
もちろん、と言いたげに主役は首肯した。
「でもそれを機に反省して、これからは自分を抑えよう。絶対に人を泣かせる事だけはしないでおこう、とそう決心した。そしてその通り、俺はそれ以来誰も傷つけていないし、両親を泣かしてもいない。心配は掛けてるだろうけどね。それはお前だって同じだろう?」
主役は大駒を見上げた。
彼は大駒よりも小さいのに、何故か大駒には彼が自分より大きく見える。
背丈や図体じゃない、何かオーラのようなものが、彼には適わないと思わせる。
「お前は確かに、少し沸点が低いというか、怒るとすぐ物を壊す所があるけど、でもそれで人を傷つけたのは、あの時だけだ。しかもむしゃくしゃして暴れたわけじゃない。理不尽な振る舞いをする相手に、抵抗しただけだ。彼らは……その、もういない人間を悪く言うのは主義じゃないが、それでもあの先輩たちは、皆が困っていた。少なくともあの日あの時、彼らは悪だった。誰もが彼らを鬱陶しく思い、体育館の外へつまみ出したい、もっと言えばぶっ飛ばしたいとさえ思っていた。俺だってお前が行かなければ、きっと行ってたろう。でも行動に移せなかった……その中で唯一行動に移したのがお前だ、ブランカ」
靴を履き替え、昇降口を出る。
少し離れた部室棟へ、歩を進める。
「お前は皆に迷惑を掛ける彼らを止めた。もちろんやり方が正しかったとは言えないけどな。でもそこは重要じゃない。大事なのは、お前が暴れたのは、誰かのためだったって言うことだ。今まで自分を標的にされてイジメられてても我慢していたのに、お前はあの時演劇部のために、そして観客のために、彼らを止めたんだ。やり過ぎたかもしれないけど、何度も言うがそこは重要じゃない。お前は何もないのに、暴れ出したりはしない。それは紛れもない事実だ。だから俺はこうして何も恐れる事なくお前といれる。だってお前は絶対俺を、いや、俺たちを傷つけないからな」
大駒は純粋な羨望の眼差しで主役を見下ろしていた。
舞台の真ん中で演じる人間は、こういうところが違うんだろう、と素直に感心した。優しさとか優雅さとか以上に、何事にも動じない、毅然とした態度を保てる精神力のようなものが違うのだろう。
大駒は近づいていたと思った主演への道が、とてつもなく遠いものだと感じた。
勝手にライバル心を持って嫉妬していた自分が恥ずかしい。
「まぁあの時のお前を恐れる理由もわからなくもない。まさに鬼神だったからな。だからお前を避けようとする人たちを軽蔑しないでくれ。彼らは何も差別主義者じゃない。ただ見知らぬ存在に怯えているだけなんだ。すぐに慣れる。そしてお前に当たり前のように話し掛けてくれるさ。そしてそのためにはお前が主演の舞台を、成功させなきゃな」
それじゃあ行くぞ――と、主役が行って部室棟へと走り出した。
「う、うっす!」
大駒は励まされた事に少しだけ元気を取り戻し、主役の後ろを駆けてついていった。
運動部系の部室が一階に並ぶ中、演劇部の部室は二階の一番奥にあり、一際広いスペースとなっている。 主役がその扉を開け、大駒は後ろをつけるように中に入った。
「おはようございます!」
と、演劇部の部長である主役に、部員たちは一斉に挨拶をした。
「ああ、おはよう。猛付先生、おはようございます……あれ?」
主役は部室の端にいた猛付に挨拶をしたところで、足を止めた。
猛付の横に、誰か見知らぬ人がいる。
片方はスーツを着た三十代ほどの、もう片方はチノパンにポロシャツを着ている初老の、二人の男だった。見るからに学生には見えないその二人に、大駒も視線を止める。
「ああ、丁度良かった。主役」
「はい?」
「お前は着替えて皆と合流しろ。いつものメニューでやってくれればいい」
「え……は、はあ」
主役は言われて訝しげな顔を浮かべながらも、言われた通りに更衣室の方へと歩き出した。それに大駒も続こうとしたところで、
「お前は残れ」
と、猛付に引き留められる。
「え、俺っすか?」
「そうだ。黄磊。紹介するよ、こちらは映画監督の奈良さんだ」
「……誰だァ?」
大駒は睨みつけるように奈良へと顔を近づける。
大男の接近に、奈良という初老の男は圧倒されるように顔を引いた。
「こら。わかりません、だろ。不躾な奴ですいません」
「いやはや、テレビで見るより迫力があるね。素晴らしい」
奈良はその白髪交じりの頭を揺らして笑った。
「初めまして、黄磊大駒くん」
「はァ、どうもっす」
大駒は差し出された手に返すように握手をした。まるでマッチ棒と握手しているようだ。
「私は奈良貞徳。こう見えても監督業を生業にしている。代表作としては『宇宙怪獣ヌメラ』やその他特撮映画、それ以外だと主に朝のヒーロー番組の監督なんかをやっている。最近だと、今やってる『獣人王アガバム』なんかも私の作品だ」
「『獣人王アガバム』……? おお、あれだ、ビッグマン! だろ?」
「おお、それだそれ。見ていてくれたかい」
「いや、えーっと、知り合いの子供が好きで」
「そうか。まあ君の歳で見るような番組じゃないからね……」
「それで、俺に何の用だ?」
「何の用ですか、だろ!」
バシン、と猛付が大駒の頭を叩いた。
大駒は基本、敬語や礼儀といったものが苦手だ。最近ようやくできるようになってきてはいたが、それも身の回りの人間に対してのみであり、見知らぬ相手に敬語を使うなんて芸当は、彼にはできない。大駒の住んでいた田舎村では、周囲は皆老人で、敬語なんて使う習慣がなかったからだ。
「まあまあ、こういった所も本人の味ですよ」
怒る猛付を制止するように奈良は言って、大駒に向き直った。
「黄磊くん。金曜日の生放送、見ていたよ」
「う……」
またその話か、と大駒は顔をゆがませる。
「いや、凄かった。まるで特撮映画のワンシーンを見ているようだった」
だが大駒の心配とは裏腹に、奈良は嬉しそうに口角を上げた。
「いやいや、特撮のような作り物には出せないリアルな力というものを、ひしひしと感じた。その身体、そのパワー、天が君に与えた唯一無二の才能だ。まるでヌメラのようだ」
「……どうせ俺は怪物だよ」
「ああ、怪物染みてる。でも君は人間だ。嘘の存在じゃない」
「だからなんなんすか? 怖い物見たさで茶化しに来ただけっすか?」
大駒は奈良を凄むように睨み付ける。
だが奈良はそれをさらりと避けるように小さく笑い、
「私と一緒に、映画を作らないか?」
「……あ?」
「それだけの恵まれた才があるのに、それを演劇部の怪物役だけで埋もらせるのは勿体ないと思わないかね? それはあまりにナンセンスだ。君はもっともっと輝ける。もっともっと凄い役者になれる」
予想外の言葉に、大駒は息を飲んだ。
その大きな瞳をぱちくりとさせ、
「お、俺が映画ァ? なんだ、怪獣役でか?」
「いいや、違う。私は君を主役に抜擢したいと思ってる」
その言葉に、大駒だけでなく、それを遠巻きに見ていた演劇部員たちが騒然とする。奈良の言葉に偽りがないのかどうか、それを誰もが疑っているようだ。
突然の申し出に理解が及ばず、大駒の思考は停止している。
「元々私は特撮の人間でね。怪獣映画やヒーロードラマなどを手がけてきた。だがもうこの歳だ、引退を余儀なくされるのもそう遠い話ではない。だから私はその前に、自分が撮りたかった映画を撮ってみたいんだ。怪獣も怪人もない、そんな心温まる作品を、撮ってみたいんだ。彼はプロデューサーでね、矢部と言う。私の我が儘に付き合ってくれる奇特な人間さ」
奈良の後ろにいたスーツ姿の矢部という男性が、軽く会釈をした。
「君をテレビで見てね、こいつだ、って思ったんだ。自分の撮りたい作品にばっちりはまる、いやそれ以上の逸材だと思った。これは天の巡り合わせだとね。神は私に映画を撮れと言っているんだ」
楽しそうに話す奈良の言葉を聞いた時、大駒はふと、彼は天性の《映画監督》なんだろうな、と思った。この男の役割はそれで、それは定められたもの。
そう考えてしまう。
「だから私はすぐに君の制服から高校を調べて、ここに来た。そして君が演劇部に所属していると聞いて、猛付先生とお話させていただいたんだよ。演劇部だなんて、これもまた運命のようじゃないか」
「ということだ、黄磊。どうだ、やってみる気はないか?」
奈良が話し終えると、猛付が仲介者のように大駒には話を振る。
猛付にとって、というより演劇部の顧問にとって、本場で仕事している監督業の人間には、失礼があってはならない。もしかしなくても、部員の誰かが役者になるためのパイプを持てるかもしれないのだから。
「やって見るって言われても……何の役なんすか、それ?」
「細かい設定はまた後日事務所に来て話をすることになると思うが、凄いパワーを持つ大男が、でも争いごとを嫌い平和を望んでいる。身体は大きくても小心者。そんな少年が街のヒーローになるまでを描く、哀しくも暖かい、そんな映画を撮ろうと思っている」
「ヒーロー」
明らかに、大駒の目つきが変わる。
「残念ながら大きなシアターではなく、小さなシアターで上映されるようなものだけどね。でも私は自分の人生の最後のひとくくりとして、これを成功させたいと思ってる。どうだろう黄磊くん。この老いぼれの人生の締めくくりに花を添えてやる気持ちで、協力してはくれないか?」
「俺が……主役……あ、暴れないし、何も壊さないんだな?」
「ああ。そんなものは求めていない。私が君に求めるのは、等身大の君だ。君は怪物なんかじゃない、人々を守る、ヒーローなんだ」
「凄いじゃないか、ブランカ!」
主将の主役が大きな声を挿み、大駒はそちらを見る。主役はまるで自分の事のように顔を明るくしていた。
「ようやくお前をわかってくれる人がいたんだ。暴れん坊じゃない、優しいお前を。こんなチャンスもう二度とあり得ないぞ! 俺だって羨ましいくらいだ!」
「先輩が、羨ましい?」
「そうだぞ、黄磊。お前がやりたがってた、脚光を浴びる主役だ。しかも本物の映画のな。ゆくゆくは女の子からもモテモテだぞ? このこのっ」
「お、俺が、モテモテ……」
大駒の顔が、確かにほころんだ。愚かしくも、鼻の下が伸びる。
「映画の主役……ヒーロー……スター……モテモテ……」
「どうかね? まぁいきなり言われて混乱しているだろうし、少し間を開けてからもう一度――」
「やりますッ!」
大駒は大きく叫んだ。その声に誰もが耳を塞いだ。
その迷惑そうな周囲の事も考えず、大駒は更に声を上げて叫んだ。
「俺、主役、やります!! やらせてくださいッ!!」




