合鍵ってまるで恋人みたいですねっ
「先輩、おはようございますっ」
週明けの月曜日。
校門で出会った後輩の南都伊子は、その巨体を恐れる事なく煌びやかな笑顔を向けてくれた。
「おう」
しかし登校してきたばかりの大駒は、そんな可愛らしい後輩の出迎えにも、空返事で応対した。
現在彼は、家にノラを置いてきている。ホームレス暮らしをしていたのであれば一人でおいておいても心配は無いし、何より連れて歩くのは危険だと思ったのだ。
自分は狙われている。それは確かだ。
「珍しいですね、先輩がこんな遅くに登校するなんてっ」
「お前はいつもこんな遅いんだな」
「私は車で送ってもらってますから、いつも決まったこの時間なんですっ」
大駒が校門の外に目をやると、黒塗りの少し高級そうな車が止っているのが目に入る。
あれに乗って登校するというのは、伊子は聞いている以上にお嬢様なのだろう。
「そういえば先輩、見ましたよ、金曜日のあれ」
「う……」
「凄いですねっ、あんなジャングルジムをばーっと持ち上げちゃうなんて! 先輩そこまで力あったんですねっ?」
そんな軽い会話で済ましていい話ではないだろう。
伊子以外の人間なんて、皆恐れるように遠巻きに大駒を見ている。
どうやらあの超常現象染みたVTRは、本当に全国のお茶の間に流れ、それを大半の人間が見ているようだった。
一応世間ではテレビ番組の仕掛けたイタズラ映像だろうという事に落ち着いていたが、大駒の凶暴性を良く知る学園の生徒は、それらを素直に信じたわけではなさそうだ。
せめてもの救いは、あの後、異能の力を振りかざして暴れたところを見られていなかった事か。あれを見られていたら、さすがに冗談でした、では済まない。さすがの伊子も大駒を恐れるだろう。
もう二度とあんな風に暴れるのは止そう、そう大駒は思った。
「これで先輩も全国区ですねっ」
「あんなので……嬉しくねえよ」
「あら。どうしてですか? あれだけ目立てば、主演映画間違いなしですっ!」
「ねえよ。どうせ、化け物だって言われてお終いだ」
今までそうだった。
誰もが自分の力を恐れ、誰もが自分を忌避する。
この体躯を見ただけで、大駒のイメージは決定する。乱暴者。粗悪。凶猛。
「先輩、元気ないですねっ? 何かあったんですかっ?」
「そんな事ねえよ。もう鬱陶しいな、お前あっち行け。俺といたって何もいいことなんかねえぞ」
「嫌です。私がいたいからいるんですっ。楽しいですよ、先輩といるとっ」
「俺は楽しくねえの。ていうかそうやって近くにるとまたあの時みたいに――」
大駒は言いかけて、その続きを止める。
それは大駒にとって忌むべき過去だからだ。思い出したくもない。
「何かあったら、またあの時みたいに守ってくれますよ。先輩は、絶対。私信じてますっ」
全く恥じらう事なく、彼女は言った。
実は伊子がここまで大駒につきまとうのには、理由がある。
それは彼女が入学する以前、今から丁度一年前の出来事だ。
当時大駒はまだマッシュルームカットの一年生で、伊子は五雛女学院の中等部だった。
当時その体格と、田舎から出てきてまだ上下関係のわからない生意気な態度のせいで、大駒は同校の三年から執拗なまでのイジメを受けていた。
ただその時既に演劇部に入っていた大駒は、演劇部に迷惑をかけないため、そして実家の両親に心配をかけないために、やり返す事を必死に堪えていた。
そんな状況が半年近く続き、なかなか屈しない大駒に痺れを切らした先輩たちは、とんでもない行動に出た。それは大駒が初めて出演した去年の文化祭の舞台演劇に客として訪れ、そして野次やブーイング、鳴り物などを使ってとことん舞台を邪魔したのだ。
迷惑極まりない行為に、周囲は演劇に集中できず、演者たちもまともに芝居できないでいた。その客の中に、伊子はいたのだ。
伊子は当時中学生だったが、毎年九鳴祭で行われる演劇部の公演を楽しみにしていた。そしてその年も友人と一緒に、一番前の席を取って開演を待っていた。
だが始まってみればご覧の通りである。
せっかくの一年に一度の楽しみを、と伊子は心の底から憤慨した。そして伊子はついに同じ最前列に座っていた先輩三人に、声を出して注意した。
そうすればもちろん、先輩らは標的を伊子に絞る。矛先が一斉に彼女を向いた。それでも怖じけない伊子に、彼らの一人が持っていたロケット花火を向けた。火をつける。
シュッ――と音がしてロケット花火が放たれ、伊子は反射的に目をつむった。
至近距離から放たれたそれは、どう間違っても伊子に着弾するはずだった。だがそんな感覚はしない。
恐る恐る目を見開くと、伊子の目の前には大きな手があった。
その大きな手が、ロケット花火を受けたのだ。
伊子はその巨大すぎる手の持ち主を確認しようと、手首、肘、肩、と視線を上げていく。
それは見上げるほどに高かった。
大の大人を二人重ね合わせたような、それくらいの圧迫感を感じる大きなマッシュルームカットの化け物だった。
それは演劇で自分の出番を待っていたはずの大駒だった。彼は自分が演じる怪物役の衣装に身を固めていた。
大駒は自分の初めての舞台を汚され、ついに堪忍袋の緒が切れたのだ。
自分の出番など無視し、舞台袖を通って客席最前へと現われた。そして怒りに狂った獰猛な怪物は、目の前の標的を蹂躙するためにその巨体を思う存分に振り回し、暴れ回った。
客席を壊し、舞台を壊し、そしてついには先輩達まで、壊してしまった。
その結果、もちろん舞台は中止し、それ以降体育館で行われるはずだったイベントも全て中止された。大駒にぼこぼこにされた先輩達は大怪我を負い入院。状況を把握していた人間からの口添えでなんとか退学は免れたが、二週間に渡る停学処分となった。
それが大駒が忘れたい、封印したい、恥ずべき過去なのだ。
怒りを抑えられない怪物だと言われても、しょうがない。
だがそれに関して、大駒は決して伊子の事は憶えていなかった。彼女が入学してきて、初めて知ったのだから。
それ故、決して大駒はか弱い乙女を守るなんていうかっこよい理由で暴れたわけではなく、ただただ怒りのままに暴れただけのだ。ただ我慢の限界に来ただけ。
それをこの娘は守られたと勘違いし、そして大駒を慕っているのだ。
しかし今更、お前の事なんて見えてもなかった、とは言いにくい。
「そういえば先輩」
と、伊子が口を開く。
「ノラちゃんは、結局どうしたんですか? まだあの公園ですか?」
「え? あー、あいつは実は、うちに連れてきた」
「なんと!? 勝手にですか!?」
「だ、だって可哀相じゃねェか……あんな寒いとこで……」
大駒の言葉に伊子は、あらまぁ、と言った感じで気まずい空気を流していた。
やはり勝手に連れて行ったのはまずかったのだろうか。
「ということは、今先輩のおうちで一人ですか?」
「まあ、そうなるな」
「でも先輩、部活あるから、帰るの遅いですよね?」
「しょうがねェだろ。それに昨日までホームレスやってたんだから、一人でも大丈夫だろ」
「そういう問題じゃありませんっ。可哀相じゃなですか、一人だとっ!」
何故か咎められる大駒。
「いいですよっ、私、帰りに先輩のおうちに行って、ノラちゃんの様子、見てあげますっ。というか、見させてくださいっ」
「あ? ば、お前、そんなこと必要ねェよ」
「ノラちゃん寂しいと思うなあ……暗くて寒い部屋で、一人で……ペットじゃないんですからっ。わかってます?」
「うぐ……」
詰め寄られると、言葉が返せない。
大駒は真っ直ぐな彼女が苦手だった。だから負けたように、
「わ、わかったよ……頼むよ。ほら」
そう言って伊子に一本の鍵を渡した。
伊子はそれを不思議そうな顔で見下ろす。
「うちの合い鍵だ。それで入ってノラの世話頼むわ……」
「え、いいんですかっ? 鍵!」
「じゃねェとお前うちに入れねェだろ」
「そそそ、そうですけど……!」
伊子はまるで餌を前にした猫のように合い鍵を見つめている。
何がそんなに嬉しいのだろうか。大駒にはわからない。
「世話するだけだぞ? 部屋のもんイジるなよ?」
「もちろんですっ! ふふっ、恋人みたいですねっ」
「何でそうなるんだ」
あきれ顔で大駒は言った。
「じゃあ先輩、私こっちなんでっ。今日も一日、頑張ってくださいっ」
伊子はにこやかに言って、反対方向へ歩いていこうとする。そこに彼女の友達らしき女生徒がいて、彼女は大駒を怯えるような目で見ていた。
伊子が手を振る。大駒は一応、と小さく面倒そうに手を振り返した。




