木曜日
昨日から、何故か月姫の様子がおかしい。私に対して遠慮しているように見える。思い当たることは、駄菓子屋からの帰り道に、頑なに渡そうとしなかった指輪を突然渡したことか。
そのくらいでおとなしくなるような玉ではないことは、月姫が生まれて四年間でよくわかっているつもりだった。
朝ごはんに使ったフライパンや皿を洗っているときも、ちらちらと指輪を持って顔を伺っている。月姫にやったのだから、遠慮なくもらっておけばいいのに。
まだ涼しい時間帯だ。もしかして、どこかへ遊びに連れて行けという意思表示なのかもしれない。駄菓子屋は昨日言ったし、まだアルバイトにもでていない高校生の私には、使えるお金は限られている月姫の分まで何度もお菓子を買うのは少し辛い。
お金がかからなくて、子供の楽しめる場所といえば、神社の近くにある公園か。
洗い物を終えた手の水をシンクで一度きると、タオルでふく。
「今日は公園に行こうか」
びっくりした顔を見て、二、三度目をパチパチさせている。だがすぐににかっとしたいつもの笑顔を見せて元気よく頷いた。
公園につくと、何人かの子供が思い思いに遊具で遊んでいる。
子供の遊ぶ滑り台の近くには、母親と思しき人たちが数人話し込んでいた。あれが、主婦の井戸端会議というものだろうか。この場合は滑り台端会議か?
公園中を見渡すと、子供の姿だけではなく、見覚えのある顔もあった。
いつも佳奈子のことをからかっているお調子者の男子だ。
サッカー部に所属している飯塚。木陰になっている鉄棒の側で、持参したサッカーボールを器用に操っていた。
彼は私に気づくと、サッカーボールを蹴るのをやめ、軽く手を上げる。
「よお、月宮じゃん」
きょろきょろと私の周りを見る。佳奈子を探しているのだろう。この男はいつも佳奈子を見かけるとからかうのだ。
「佳奈子なら、今日はいないよ。私のお供はこの子」
「別に、大場なんて探していねえよ!! 」
何故か顔を赤くして弁明する。佳奈子がいないといじめる相手がいないから、張り合いがないのだろうな。
ふと、私の服が下から引っ張られる。月姫が私を見上げて顔色を探っていた。
「私はここにいるから、月姫、遊んでおいで」
「いやだ」
予想外の返事がやってきたことに面くらってしまう。さっきまで、公園に行けると大はしゃぎだった癖に、この変わりようはなんだ。
「じゃあ帰るの? 」
「いやだよ。るな、遊ぶの」
同級生の見ている前で、姪っ子のわがままに対応しなくてはいけないのは恥ずかしいものがある。しかも、相手はお調子者の飯塚だ。あとで何を言われるかわかんない。
「あー、えっと。るなちゃん? もしよければ、俺の弟たちと遊んでやってよ。るなちゃんみたいにかわいい子と遊んでもらったら、あいつら喜ぶと思うからさ」
予想に反して、飯塚は助け船を出してくれた。その言葉に気を良くしたのか、月姫はにかっと笑い、機嫌よく飯塚が指さしたブランコまで駆けて行った。
「あそこでブランコ乗ってるの俺の弟たち」
四つあるブランコのうちの三つを月姫と同い年位の男の子が三人それぞれ乗っていた。
「三人とも弟なの……? 」
「そうだよ。三つ子。母ちゃんいつも大変そうだからさ。部活が休みのときは、俺が遊び相手になってるってわけ」
私とは比較にならないほどこんがりと焼けた肌は、日ごろのがんばりが伺えた。
佳奈子をからかっているときしか、声を聞いたことなどないが、案外普通に喋れる男だ。
「月宮って……妹いたっけ? 」
「あれは、お姉ちゃんの子。つまり私の姪っ子。お姉ちゃんの仕事の都合で、今うちで預かってんの」
「ふーん……」
意外だ。てっきり、「お前おばさんじゃん」などと笑ってからかってくると思っていたのだが。
「なんで佳奈子のこといつもからかってるわけ? 佳奈子、いつも嫌がってるじゃん」
「え……」
日ごろから疑問に感じていたことをぶつけてみる。何故佳奈子のような良い奴のことをからかうのか。私は不思議でならなかった。すると、飯塚は顔を強張らせ、サッカーボールを操っていた足が止まる。行き場のなくしたサッカーボールは飯塚の弟たちのもとへ転がっていった。「兄ちゃん、使わないなら俺らが使うからねー!! 」飯塚の弟たちが叫んでいるが、声が届いていないのか、反応がない。飯塚の弟たちは気にせずにボール蹴りを始めた。
「嫌がってたのか……? 」
やっと絞り出した声は信じられないほどか細かった。
「気づいてなかったの? ……あの子、平気そうな顔してるけど、誰かにからかわれた日はいつも泣きながら帰ってるんだからね」
正確にはいつもではないし、泣いたこともほとんどない。しかし、普段の奴の佳奈子へのふるまいを腹立たしく感じていた私は、つい誇張して伝えてしまった。
項垂れるとはこういうことかと、お手本を見ているかのようにショックを受けた飯塚は、近くのベンチに力なく座り込んだ。
「やっぱなあ……俺って駄目な奴なんだよな」
「ようやくわかったの?ちゃんと反省して、佳奈子に謝りなさいよ」
両手で顔をおさえて、唸っている。いつもの威勢のよさはどこへ行ったのか、随分なさけない姿だ。
「なんでかなあ、俺別に大場を困らせたいわけじゃないんだよ……」
「佳奈子のこと、好きとか? 」
飯塚の時間が止まったように、動かなくなる。目を真ん丸に開け、みるみるうちに顔が真っ赤になる。冗談でいったつもりだったのだが、まさか本当に……?
「なんで、分かった……? 」
「そりゃあ……見てたら分かるよ」
あてずっぽうに言ったことは言わないでおこう。
「俺さ、大場のこと入学したときから、ずっと気になってて……話しかけたいんだけど、目の前に大場がいると、何話しかけたらいいのか分からなくなっちゃってさ。心にもないことを言っちまうんだよ……」
本当に、幼稚園児の男の子のようだ。
恋愛が自分の周りで起こるなんて、まして私とずっと一緒にいる親友の身に起こるなんて思ってもみなかった。恋愛漫画や周りで起きても、いつも煌びやかにしている連中の十八番だと思っていた。なんだか少しむず痒さを感じた。
「好きな子に意地悪するなんて、小さい子と同じじゃない」
「ああ、お前の姪っ子と同じだよな」
ここで月姫が話題に上がるとは思っていなかった。というか、月姫の好きな子のことを何故、飯塚が知っているのだろう。
「絵にかいたようなきょとん顔だな。さっき、お前の気をひこうと、お前のこと困らせていたじゃんか。……俺の弟も母ちゃんの気を引こうと、家でいたずら代わる代わるしてるから、見てたら分かるよ」
「なにそれ。嫌いだからそんなことしてるんじゃないの? 」
「好きの反対は嫌いじゃなくて、無関心だよ。好きな人に振り向いてほしくて、自分のことを考えてほしくて、つい意地悪しちゃうんだよ」
「……子供がやるのはまだ可愛げがあるけど、あんたもう高校生でしょ? 意地悪で佳奈子を振り向かせるんじゃなくて、もっとガツンと、正直に自分の気持ち正面からぶつけなさいよね」
再び飯塚は肩を下す。私には恋愛経験はないが、好きな人に気持ちを伝えることがとても難しいことだということは分かっているつもりだ。
この男が佳奈子に気持ちを伝えるかどうかは別として、佳奈子を悲しませることはしないでほしい。落胆する飯塚を慰めることなく、四人で遊ぶ月姫の姿をじっと見つめていた。
「……そういえば、飯塚は夏の課題全部終わらせた? 」
場の空気の悪さに耐えられなかった私は、露骨に話題を変えることにした。
「まだ。作文ができねえ」
やっぱり、悩むところは皆一緒のようだ。
「将来の夢は決まってるんだけど、俺になれるかわかんない、難しいもの書くなよって周りに言われそうでなかなか書けないんだよな」
将来の夢が決まっているという点で負けてしまった。後は書くだけとかもう終わっているも同然ではないか。
「将来の夢って何よ。教えてよ」
この男のことだから、サッカー選手あたりだろう。中学の頃からずっと補欠で、ボールを蹴るより、テーピング貼りやボールの補修のほうが得意な男が何を言っているんだと、夢が決まっていると言われたのが悔しくて笑ってやろうかと思ったが、飯塚の答えは、私の予想とは違っていた。
「メディカルトレーナー」
「……何それ? 」
私には聞きなれない言葉だったので、思わず聞き返してしまった。
「スポーツ選手が病気とか怪我したときに、はやく復帰できるようにサポートする仕事だよ」
「意外、てっきりサッカー選手かと」
「そりゃ、俺だってあいつらくらいのときからずっとサッカーやってるサッカー小僧だし、サッカー選手になりたいって思ったことはもちろんあるよ。……でも、小さい時にサッカーやってて怪我した俺をサポートしてくれた人のことが忘れられなくて。俺も同じように誰かを支えたいなって思ってさ」
飯塚の夢をからかってやろうと思った自分が途端に恥ずかしくなった。飯塚も、そして佳奈子も私の知らない所できちんと自分の夢を見つけていたんだ。
なんだが、自分が皆から置いてきぼりを食らっているという自覚がしっかりと私の中で芽生えた。
「お前がわるいんだろ! 」
「お前だよ!! 」
突然、争う声が聞こえる。
みると、月姫と遊んでいた三つ子のうちの二人が喧嘩を始めていた。
どうやら、先ほど飯塚が蹴ったサッカーボールを取り合っているようだ。
「お前ら!喧嘩するなっ!! 」
飯塚が止めようとするが、二人の喧嘩は収まらない。むしろヒートアップしているようにも見える。二人が喧嘩しているのを見て、残りの三つ子のもう一人が泣き出してしまった。
月姫が泣かないのは幸いだ。この状況に酷く驚いたような顔をしているが。
「いったいどうしたの? 」
駄菓子屋で野瀬先生がしていたように、しゃがみこんで二人の目線になり、話しかけてみた。こうすると、二人がどんな表情をしているのかよく分かった。
「おれがボール蹴ろうとしたら、翠が横取りしたんだよ」
青い服を着た子は緑色の服を着た子を指さして、一生懸命に状況を話してくれた。
「なんだよ。葵はずっと蹴ってたじゃないか。今度はおれの番だ」
すると今度は緑色の服の子―翠が言い返す。
なるほど。どうやら、喧嘩の原因はサッカーボールの蹴る順番をもめてのことだったらしい。きちんと順番を決めずに蹴り合っていたのだろう。
「二人とも、遊ぶんじゃなくて喧嘩がしたいの? 」
翠と葵は顔を見合わせると首を横に振る。
「どうしたら喧嘩せずに済むと思う? 」
我ながら、なかなか難しいことをきいたと思う。でも、自分たちの喧嘩だ。自分たちで解決させなければ。
「あのね、蹴る順番を決めればいいんだよ」
答えていたのは三つ子の残りの一人、泣いていた子だ。赤色の服の裾で涙をぬぐったのか、そこだけ濃い赤色になってしまっている。
「そっか! 」
「茜、頭いいな! 」
どうやら解決したらしい、四人は四角形になって、時計回りにサッカーボールのパスを始めた。こんな簡単なことも小さい子は最初から思いつかないのかと驚いてしまう。
「お前、すごいな。俺、あいつらが揉めると、叱るかぶん殴るかしか知らねえのに……。うまいこと仲裁できるもんだな」
「月姫に比べたら、分かりやすくて助かるよ」
私だって、月姫が泣いて暴れたときはとても手がつけられない。今回はたまたまうまくいっただけだ。
「いや、でもあいつらをまとめるのって本当に大変だからさ。大したもんだよ。ほんとに、すごい」
そう何度も褒められると、照れてしまう。
「まあ、幼稚園の先生になりたいからさ。私」
照れ隠しと、自分だけ将来の夢が決まっていないことへの当てつけの大嘘のつもりだった。しかし、飯塚は納得したように何度も頷く。
「お前ならなれるんじゃないの? 俺、さっきお前が翠と葵と話してたとき、幼稚園の先生のこと思い出したもん」
「お前がなれるのかよ」とかそういった言葉が返ってくると思ってた。
「私が幼稚園の先生に……なれるかな……? 」
自分でなりたいといっておいて、何を言ってるんだろうと思う。
「それは分からないけどさ。お前に合ってると思うよ」
「そうかな」
ようやく作文のテーマが決まったことにほっとした。
だけど、こんな簡単に将来の夢を決めてしまっても良いのだろうか。
もうすぐお昼という時間に、飯塚のスマホに昼食の支度ができたという旨を伝える連絡が入ったため、私たちも家へと帰ることにした。
飯塚と三つ子に別れを告げると、月姫はまた私の服の袖を引っ張り、顔色を伺ってくる。
「これ、はなに返す」
月姫が私に差し出したのは、赤い石がついたおもちゃの指輪だった。
もうあげたものなのに、返すと言われたことがとても不可解に感じた。
「どうして? 」
「だって……」
月姫は理由を話そうとしない。もじもじと両手を後ろ手に組み、言おうか言うまいか悩んでいるように見える。
はっきりとしない様子に少し苛立ちを覚えたが、公園で飯塚に言われたことを思い出す。
「月姫、私のこと好きなの? 」
月姫ははっと顔を上げると、笑顔で頷いた。
思わずどきっとしてしまう。
「どうして? 私、月姫のこといつも怒ってるじゃない。怖いでしょ? 」
私だったら、いつも自分のすることに怒る大人は好きにはなれない。
「だって、花。るなにご飯作ってくれるし、るなと遊んでくれるし、るなと一緒に寝てくれるもん。優しいよ」
自分がしなくてはならないと、面倒くさいと思ってやっていたことを、優しいと取り上げられたことに気持ちが動く。悔しいような恥ずかしいようななんともいえない気持ちだった。この四日間、月姫がやっていたことは本当にただのわがままだったのだろうか。
月曜日、大好きな母親と引き裂かれれば、泣くに決まっている。
火曜日、字の読めない幼児に写真があるからといって、メニューに何が入っているのか全て分かれというのは難しい。
水曜日、自分で髪を結えるのに、できないと決めつけられるのは悔しかったことだろう。
木曜日、初めて来た公園にいくら年は近いからと言っても、知らない子と遊ぶのは恥ずかしいものだ。
それを分かってあげれなかった自分がひどく小さい人間のように感じた。
今自分の目の前にいる月姫よりもずっと大人なんだと、そう思っていたのが情けなく思った。何が幼稚園の先生だ。
自分の大嘘が腹立たしい。
月姫の手から指輪を奪い取る。
幼稚園の頃、この指輪を持っていた自分のことを思い出す。幼稚園の先生に向かい、私も先生のようになると騒いでいた自分のことを思い出した。
地面に叩きつけると、指輪を思いっきり踏みつけた。
指輪は綺麗に半分に割れていた。
「帰るよ」
しゃがみ込んだ月姫の手を無理やり引っ張り、帰路についた。




