表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

水曜日

 月姫(るな)は今日も何も映っていないテレビに向かって、自分で髪を結っていた。

 昨日、せっかく私が結んだツインテールを何度も外されてしまったため、今日こそは手助けはしないと決めていた。

 昨晩の姉との電話を思い出す。

 子供の成長を目の前で見ることが、親の楽しみらしい。

 まだ高校生の私にはそんな親の気持ちは分からない。私は両親に子供の成長を目の前で見ることができるという楽しみを、きちんと与えられているのだろうか。

 通学鞄に入ったままの原稿用紙はなかなか取り出す気になれないでいる。

 佳奈子は北海道を満喫しているのだろう。昨晩送ってくれた一面のひまわり畑の写真から伺うことができた。私にも北海道に住む親戚がいればよかったのに。悔やんでも仕方ないか。

 ひまわり畑にはいけない代わりに、私も家の外へ出たくなってきた。

 椅子に座ったまま背伸びをする。

 先ほどまでどこかへ遊びに連れて行けと駄々をこねていた月姫を駄菓子屋へ誘うことにした。

 神社の近くにある駄菓子屋さんは、この土地に住む子供たちの強い味方だ。

 昔はここでもんじゃ焼きも食べることができたそうで、その名残の鉄板テーブルも設置されている。店主のおばあさんが高齢になったため、もんじゃ焼きの販売は止め、今は駄菓子だけを売っている。鉄板テーブルは今ではちょっとしたインテリアだ。一度は廃棄するという噂も流れたが、昔からの客(私たちの親世代)が残念がったので、駄菓子を食べるためのイートインスペースと化していた。


「あれ、月宮さん? 」


 駄菓子屋で買うお菓子を選んでいると後ろから声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは私と佳奈子の所属する演劇部の顧問で美術教師の野瀬先生だった。まだ大学を卒業してから二年しかたっていない若手教師で、年は一番私たちに近い。そのためかとても親しみやすいお姉さんという印象の先生だ。

 美術部とも顧問を掛け持ちしているため、いつも疲れて眠そうな顔をしているが、お盆休みのためどちらの部活動も休み。久しぶりにしゃっきりした顔を見た。すっぴんではあるが。

 軽く挨拶を済ませる。先生の持つ買い物かご中には山のように駄菓子が入っていた。

 先生もこの土地の出身だという話を思い出す。鉄板テーブルの廃棄を反対した一人なのだろう。


「いやー。大人だって駄菓子が大好きなんだよ」


 私の目線に気づいたのか、先生は頬をかいて照れる。


「るなもこのお菓子好きだよ」


 月姫が指さしたのは、先生のカゴに入っていた茶色い袋の飴玉の入った透明な箱だ。当たりつきで私も小さい頃よく舐めていたのを思い出す。


「おー。気が合うねえ。私も好きなんだよ。だからいつも箱買い」

「コーヒーの味、おいしいよね」


 幼稚園児と話が盛り上がっている。月姫と目線を合わせるためか、しゃがんでいるが先生は疲れないのだろうか。


「この飴の味のアイスも売ってるんだよ」

「ほんと!? はな! るな、アイスにする」


 駄菓子とにらめっこの時間がいつまで続くのだろうと、不安になっていたがすぐに決まって良かった。月姫の希望のアイスと、私のチョコレートアイスを取り、レジに持って行った。太陽が照り付けるアスファルトの道を、アイスを持って帰るのは心配なため、今日は買い食いだ。鉄板テーブルの脇に備えてある椅子に座る。月姫のアイスを袋ごと渡すと、自分で勢いよくアイスの袋を開けた。


「その子、月宮さんの妹さん? 」


 駄菓子屋で買ったアイスの袋を器用に開けて噛り付く月姫をみて、先生は微笑んだ。

 先生もお会計を済ませたのだろう。左手に二つ大きなビニール袋を持ち、右手に棒付きアイスを持っている。


「違いますよ。姉の子供……姪です」

「へー。いくつ? 」

「よんさい! 」


 器用に親指を曲げて、手で数字を作る。先生に自慢するように目の前で見せた。


「4歳かあ。ここまで歩いてこれて偉いねえ」


 歩くだけで褒めてもらえるのだから、小さい子は得だ。


「髪もね。自分でね。できるの」

「えー! それはすごいねえ。とても可愛いよ」


 先生に褒められて満足したのか、月姫は奥の椅子を陣取り、アイスにかぶりついた。


「月宮さんも偉いじゃん。姪っ子のお世話してさ」


 まさか自分も褒められると思っていなかったため、アイスを落としそうになってしまった。


「高校生にもなって……そんなことで褒められてもびっくりするだけですよ」

「姪っ子ちゃんからしたら、相当嬉しいと思うよ? 部屋の中でじーっとしてるのは暇すぎて嫌気がしちゃうって」


 高校の部活を文化部にしたほど、インドア派な私は太陽が照り付ける外にいるより、クーラーの効いた室内でぼーっとしているほうがよっぽど幸せに感じる。

 素直にそう伝えると、先生は長考したあと、口を開いた。


「赤ちゃんってさ。よく泣くじゃん? 何で泣いちゃうんだと思う? 」

「お腹がすいてたり、おしめを取り換えて欲しかったり、理由は色々じゃないですか? 」


 姉に押し付けられて乳呑児の月姫を母とともにお世話したこともあるため、なんとなく察することはできる。


「そうだね。そういう理由もある。でも私はさ、暇だからって理由もあるんじゃないかと思うわけよ」

「暇だから? 」

「だって、赤ちゃんって自分でどっかにいくことなんてできないんだよ? 一日中ずっと同じ天井見てたらさ。そりゃ暇で泣きたくなるってもんじゃない? 」


 ふと想像してみる。両手足は自由には動かせない。目の前に広がるのは何もない天井。自力でテレビをつけることも、ゲームをすることもできない。声を掛けたくても言葉が口から出てこない。そうなったら、泣き喚くしか自分の感情を外に出すことができないかもしれない。


「もちろん。月姫ちゃんはお話することはできる。でも、感情を言葉にすることって結構難しいんだよ。大人にだってできない人がいるくらいね」


 感情を言葉にすることができないなんて、先生は何を言ってるんだろうと疑問に思った。

 私たちは、悲しければ泣けるし、楽しければ笑える。十分に感情を外に出せている。そんなに難しいことのようには思えなかった。


「私だって、そうだよ」


 私が腑に落ちない顔していたからか、先生はアイスを食べるのを止め、しばし虚空を見つめる。


「大人だからって何でもできるわけじゃないってこと、月宮さんは忘れないでね」


 そういって、数秒目を閉じると先生は顔を上にあげて、にっこり微笑む。


「辛いって口にできなくて、ついつい仕事を貯めこんじゃう。もう食べないとやってられるかー! って感じ? 」


 豪快に笑う先生は、もっていた食べかけのアイスを一口で口の中へ放り込むと、袋から別のお菓子を取り出し、封を開けた。


「でも、子供は大人にできないこともできちゃうんだよなー……」

「大人にできないことも、ですか? 」


 先生の言葉を繰り返してみる。先生の言葉が信じられなかったからだ。先生は月姫から目線を私に移して続けた。


「子供の描く絵ってみたことあるかな? 」


 先生の問いに私はつい最近見た、私の幼少期の絵のことをはなした。

 丸がいっぱいで、色もたくさん使って、何を描いたものなのか全く分からない。色彩とか全体的な調和とかを全く感じることができない絵だった。


「画用紙とクレヨンを渡してね。子供に絵を描かせるんだ。でも、ある一定の子は、画用紙に大きな丸1つしか書けない。書きたいものがたくさんあるはずなのにね。それが、徐々にその丸の中に目が現れて、口が描かれるようになって、すると今度はその丸から手足が生えるようになる。そのあとようやく、体が出現する。そうやって子供の絵は成長していくんだよ」


 そういえば、私の画用紙も紙をめくると徐々に人間らしきものが出現していた気がする。下手くそな絵だとしか思わなかったが、あれは私の成長の証だったのか。


「案外、子供っていうのは大人も知らないうちにどんどん成長しているものだよ。……でもね、色々なことを学ぶと、成長するだけじゃなくて、失くしてしまうものもある」

「絵が上手に描けるようになるのは良いことじゃないですか」

「そうだね。もちろんそれも正しいことだ。……空の色は青色で、山の色は緑色。大人になるとそういう固定観念でものをつい見てしまう。自分の見たものを自分が思った色で描く。そんな子供のようにずっといたかったなあ」


 お菓子を齧る先生の顔はどこか寂し気だった。




 駄菓子屋からの帰り道、月姫に前を歩かせてついていく。

 先生の家はちょうど反対側にあるため、駄菓子屋を出たところで別れた。

 この時間、多少日は降りてきたものの、まだまだ暑い。月姫も暑いのか、それとも駄菓子屋に連れて行ってもらえて満足したのか、寄り道をしようとせず、まっすぐに家に帰ろうとしていた。


「はなのせんせい優しいね。るなをほめてくれたよ。るなのせんせいもね。優しいの。るな、大きくなったらせんせいになるんだよ」


 昨日は魔法少女になると言っていたと思うのだが、両方なるということだろうか。後ろをみないで話しかけてくる月姫はしっかりとした歩みだ。

 子供の歩幅はこんなにも小さいものだっただろうか。油断していると、月姫を追い越してしまいそうになる。田舎とはいえ、車通りが全くないわけではない。幼稚園児を一人で突っ走らせるほど、私は馬鹿ではない。月姫が視界に入るように気を付けて、疲れと暑さが相まって覚束ない足取りで歩いていく。

 そういえば、小さい頃、私も駄菓子屋に姉と二人で行ったことがある。そうだ。そのときだ、姉があの指輪を手に入れたのは。駄菓子屋のおばあさんが、もう孫は読まなくなったからと、絵本を譲ってくれた。その絵本に付録としてついていたのがあの赤い石のついた指輪だった。絵本の挿絵に似ていて当然だ。

 絵本は二人に、とくれたものだったが、指輪は一つしかなかった。私は姉に向かって泣き喚いてこの指輪を譲ってもらったんだ。月姫くらいの頃、幼稚園にまでこの指輪を持って行って、先生に自慢していたっけな。先生は幼稚園に必要ないものは持ってきてはいけないよと優しく注意したあと、私が指輪をもってきた理由を聞いて笑ってくれた。懐かしくなる。

 ふと立ち止まり、指輪をポケットから取り出す。月姫に勝手にとられないようにずっとポケットに突っ込んでいたのだ。歩みを止めた私を不思議に思ったのか、月姫は私の顔を伺うように近づいてきた。

 こんなもの意地で持っていて何になるというのだろう。ぱっと月姫に渡してしまったほうが気楽かもしれない。

 そう思って顔を上げると、ようやく自分がどこで立ち止まっていたのか気づくことができた。

 神社の大階段の前だ。顔を上げるまで気づかなかったのは、辺りを工事用パネルが覆っていたためだろう。いつのまにこんなものができたのか。お盆休みなので、工事の音は聞こえない。パネルに完成予想図らしきものが貼られていたので見てみると、大階段はなくなり、代わりに傾斜に沿うような形で緩やかな坂が作られるようだ。そういえば、佳奈子と神社のお参りをした日、神社には似つかわしくない鉄パイプが置かれていたのを思い出す。

 今まで私を悩ませていた大階段だったが無くなると聞き、少し寂しい気持ちになった。


「ここ、ついに変わっちゃうんだな……」


 思わず、声が口から漏れた。老人や小さい子供のためにとっとと無くしたほうがいいとずっと思っていたのだが、無くなると思うと心にぽっかりと穴が開いたようだった。


「月姫、これあげるよ」


 側で私を心配そうに見上げていた月姫の手に今までポケットの中に眠っていた指輪を握らせる。こんなものに固執して、成長しない自分が情けなく思ったんだ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ