8 嵐の前の静けさ(割り込み投稿分です)
照りつける陽光が、何にも遮られずに強く降り注ぐ。睦人が見ている夢であるのに、その光に責められている気持ちになるのが睦人はいつも不思議だった。
(……またか)
足元のアスファルト、抱く違和感、支配する静寂。何も変わらない夢の世界に睦人は立ち尽くす。
そして、その世界を犯す存在も、無機物に紛れて存在する人形のような人物も変わらない。頭の隅では慣れてしまったかのような反応を示すものの、腹の底から這い上がるようなざわめきと背筋を流れる冷たい汗がそれは嘘だと告げてきた。
(来た……!)
地を震わせる自動車の轟音に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。自分が引かれるわけではない、とわかっているのに動揺を訴える心臓は滑稽でしかなかった。
対照的に、全く動じず車を待ち構えているようにすら見える過去の幼馴染みは、今日も同じように車によって宙を舞う。心中はわからないし、そもそも夢の中の幼馴染みが何かを考えているわけもないとは思うが、無感動無抵抗にその体が地面に叩きつけられることには絶望しか覚えない。
(嫌だ)
ぐったりと横たわる肢体は、溢れる赤い液体にじわじわと侵されていく。
(嫌だ、こんなのは嫌だ)
持ち主の体だけでは飽きたらず、その流れは暗色のアスファルトを鮮やかに変えて染み入ろうとしている。
そして、夢の中に閉じ込められた睦人もまた、煌めく真紅に浸食されていく。ぬめる液体は生暖かく、火で炙られるような一種の高揚を睦人は覚える。
(嫌なのに、何で……)
その先は誰も知らないで、睦人は今日も赤に身を委ねて意識を手放した。
ピピッ、ピピッ、ピピッと小刻みな電子音が響く。機械が体を震わせ無機質なそれを全力で部屋に行き届かせており、目覚まし時計の名にふさわしく朝の到来を訴え続けていた。
「うん……ぅあ」
しかし、バキッ、という派手な破壊音を最後に目覚まし時計は音を発することを止め、己の仕事を放棄した。
「……んんっ」
音を止めた腕はのそりとプラスチック片の上を退き、腕の主はゆっくりと体を起こす。ずるり、と剥がれ落ちた布団から覗く瞳はとろけ、開かれることへの抵抗を示していた。
声を発するのが憚られるよどんだ静けさの中で、部屋の主は泥濘にはまった意識を手繰り寄せると、何とか意味のある言葉を吐き出した。
「……眠い」
宮古睦人、本日の第一声であった。
「いってきます」
ぱたん、と扉を閉めて睦人は今日も学校へと向かう。まだ春であることを告げてくる穏やかな陽気に包まれて、一歩一歩のんびりと歩みを進めた。
「宮古!今日こそ俺と勝負しろ‼」
「断る」
教室に入り中寺の声を聞く頃には、睦人の意識もハッキリとしていた。
しつこく喧嘩を売ってくる中寺を山寺と小野寺に任せ、睦人は自分の席へと向かう。
「宮古君、おはよー」
「おはよう」
桐生とも挨拶を交わし着席し一息つくと、睦人はふぁっ、と生あくびを浮かべた。
(今日は、少し眠いな……)
自分の状態を言葉にして把握し再度あくびをするが、特に気にすることもなく頭の隅に追いやった。
昼休み、200mlの牛乳パックを片手に睦人は窓の外を眺めていた。
(……天気、いいな)
降り注ぐ陽光は朝よりも強くなり、視線の届く限りの世界は全て明るく照らされている。
ぼんやりとそんな事を考えながら、壁一枚隔てられた教室で睦人は遠くまで視線を送る。そうは言っても、教室の窓から見える範囲などたがが知れており、見知った町が目に映るだけだった。
特に変わった様子も見られず、睦人は意識を自分の内側に向けた。
(今日も、外で眠るのはやめるか)
日差しの良く届く今日のような日であれば、校庭を歩いているうちに眠気に襲われ深い眠りに落ちるだろう、と睦人は経験で分かっていた。
しかし、一昨日のいたずらや昨日の叱責を考慮すれば、しばらくは教室で過ごすほうが賢明だというのは明らかだった。
眠らなければ時間を見逃すこともため、如奈を変に待たせることもない、という考えも睦人の決断を後押しする。
(……平和だな)
退屈すらも内包した平穏を感じ、睦人の意識は自身の暮らす町へと再び向けられるのだった。
町中のとある雑居ビル、その屋上で一人の男が立ち尽くしていた。
「いやー、人が多いなー」
眼下に広がる町を眺め、男はそんな当たり前のことを感嘆とともに漏らす。
そして、階段でも下りるように自然な流れで落下防止の柵に足を掛けた。
「んー……こんだけ多いと、降りねえと見分けはつかないかな」
行きかう人々を見て、男はふーむ、と考え込む。
「でも、この中に人じゃねえやつもいるんだよな……」
呟きを溶かすように下界から突風が吹き、羽織っている黒のロングコートが無造作に煽られる。
緊張と不安、そして興奮。様々な思いに高鳴る胸の鼓動に従って、男の口角が上向く。そして、感情の赴くままにひらりと柵を一気に飛び越えた。
わずかな縁の余裕に足をそろえ、地面に目を向ける。しかし、建物の陰に位置しており薄暗く、地上をはっきりと確認することはできなかった。
「……よし」
男は、そう言って呼吸を落ち着けると、ぐっと屈み足に力を込める。
「行くかっ‼」
叫びとともに、タンッと軽やかに空へと一歩踏み出した。