74 悩みから逸れるのも必要
何とはなしに、真っすぐに家に帰る気も起らず如奈は近所の公園へと来ていた。
事故の影響か、日暮れ前の時間帯にも関わらず人はいない。ベンチに腰を下ろして外に誰もいない公園を見回した。
「変わってないわね……」
幼少期から訪れている公園だが、十数年の間にこれといって大きな変化はなかった。ただ、今は色褪せたり錆びついている遊具に見えるものが、幼かった当時はこの上なく輝いて見えてい。それはおそらく、経年劣化によることだけではない。
「……っ」
昨晩の事故がフラッシュバックし、如奈は眉を顰めた。同時に自身が事故にあった記憶も引っ張られてしまい、眉間のしわが深くなった。
かと言って、如奈はこの公園に悪い思い出ばかりがあるわけではない。睦人と遊んだことや、キリアに木登りを教わっていること。如奈にとっては大切な思い出も多く存在した。
―――何か、疲れたな……。
一つ溜息をつき、如奈は自分が疲れていたことを自覚する。
―――体力には自信あるのに。
睦人と揉め、事故に遭遇し、それらすべてについて如奈は心を痛めひどく悩んだ。
身体的な面よりも短期間での精神的な消耗が大きく、如奈はベンチにもたれかかった。
視線を下げて俯いていると、何者かが公園へと足を踏み入れた。
やって来た気配は如奈のもとへと駆けてきて、如奈が顔を上げると見知った姿があった。
「師匠…… ?」
「よっ ! 奇遇だな !!」
キリアは挨拶をすると、如奈の横に腰掛けた。
「今日は早いんだな ? 荷物多いし」
「今日は、その、学校からそのまま来たので。師匠もお早いんですね」
「あー、俺はその……歩いてたらここに着いた ? 」
頬を掻きながら、キリアは曖昧に返す。
弥と別れた後、キリアは頭を切り替え今後のことを考えようとした。しかし、先の会話が頭を離れず動揺や邪推が思考を妨げた。僅かに進んだだけで思考は停滞し、元々あまり考えないタイプのキリアは考えるのを止めた。
結果的に、集中力が散漫になったままにふらふらとしていたら、無意識のうちに公園に足が向いていたのであった。
「あ……そうだ、折角はやく会えたから、伝えたいことがあるんだ」
「はい、何ですか ?」
「実はよ、えーっと修行 ? はそろそろ終わりにしようと思うんだ」
「え……終わり、ですか ?」
「ああ」
間を持って如奈は言葉の意味を正しく理解する。
「お前も大分、えーっと上達 ? したし。それと、俺の都合で悪いんだけどよ、ちょっと専念したい、っていうかしなくちゃならねえことがあって」
「そう、ですか……」
ようは、キリアの事情で修行をやめようとしているのだ。
言っていて後ろめたいのか、キリアの語尾が弱くなる。すると、如奈が立ち上がりキリアの前に立つ形になった。
「師匠」
「あ、はい……」
ユラリと立ち上がった如奈は、キリアへと強い視線を送る。気怠そうな瞳は、見方によっては感情の削がれた威圧を感じた。
僅かに委縮するキリアに向かって、如奈はゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「……え ?」
そのまま深いお辞儀を保ち、しばらく後上半身を起き上がらせる。
そして、状況が呑み込めなかったキリアに向かって微笑みかける。
「えっと、師匠もお忙しいのに、その、修行に付き合っていただいて、本当に助かりました」
「……」
二、三回瞬きするキリアに対し、如奈はさらに続ける。
「修行以外でも、えと、師匠にたくさんお話を聴いていただいて、その、一歩踏み出せました。ですから、……師匠ともう修行できないのは、えっと……寂しいですが、教えていただいたことを糧に、今後も精進します」
なんとか礼を言うと、如奈は決して悪い意味ではない寂寥感を、どこか達成感にも似た感情を抱いていた。
「そ、っか……」
いくつかわからない日本語がありながらも、キリアは礼を言われたことを理解する。
―――そこまで感謝されること、したか…… ?
キリアとしては、小さな親切、くらいの感覚であったために改まった礼に少々戸惑う。
しかし、抱いたのはそれ以上の、快感にも似た喜びで、強張っていた表情が緩み自然と頬が笑みを描いた。
「こっちこそ、色々とありがとうな」
込み上げた感謝をのせた声は柔らかく、後ろめたさはいつのまにか霧散していた。
「日本のこととかよく知らなくて、お前がいて助かった。ありがとうな」
「いえ、えっと、そんなことは……」
「いや本当に。話せる相手が居るって、やっぱり大切だなーって思ったし」
感謝を返されて如奈が恐縮し照れを浮かべると、キリアもベンチから立ち上がる。
「よし、じゃあ今日は早めにはじめるか !!」
「はい ! よろしくお願いします !!」
晴れ晴れ、とは言わずとも双方とも声音は先よりも明るい。
誰もいない公園で、今だけは悩み事も二人に介入できなかった。




