5 習慣も予想外も教室で起こる
雲一つない青空の下で、朝日に負けそうになりながら向かうと学校に着いたのは八時五十分。一階の教室にはすぐに辿り着き、予鈴まであと十分ほどだった。
クラスメート達の騒ぎ声を聞きながら、睦人はいつも通りに教室の引き戸を開いた。
「宮古!今日こそ俺と勝負しろ‼」
「断る」
間髪入れず、眼前に立ちふさがっていた人物からそう言われ、睦人は条件反射で返答した。
そして、呆れを滲ませながらその人物に改めて声をかける。
「またか、中寺」
「またか、って……宮古‼お前も『漢』なら、挑まれた勝負は受けるべきじゃねえのか⁉」
扉を開けるなり睦人に勝負を挑んだ男子学生こと中寺は、負けじと睦人に食い下がる。
中寺は、染めた金髪にシルバーのイヤーカフ、ボタンの外れたワイシャツにチェーンのアクセサリーという風貌をしており、装いだけに言及するならば典型的な『不良』である。
ただ、身長が男子高校生の平均をはるかに下回っているうえに、細身に分類される体格であるためか、アクセサリーなどは中寺を余計に貧相に見せるだけだった。
「何度も言うが、断る」
「宮古、お前そんな風じゃいざって時に力が出せねえぞ⁉」
「出せないほうが有難いんだが……」
昨晩の失態を思い出し、睦人は小さく漏らす。
「ていうか、お前毎朝来るのギリギリだし、顔色良くないし、ちゃんと夜寝てるのか⁉」
「……一応は」
「一応って、宮古、お前そんな風じゃいざって時に力が……」
明らかな温度差をもって、睦人と中寺が話していると、
「はいはい、そこまでにしとけ」
角刈りの黒髪に制服をきちんと身に着けた大柄な体格の生徒と、
「中寺君、予鈴鳴りますよ?」
ハーフアップの栗色の髪に短いスカートを身に着け、腕に鳥のぬいぐるみを抱いた女子生徒が会話を、正確には食って掛かる中寺を止めた。
「毎朝悪いな、宮古。おはよう」
「おはようございます、宮古君」
「おはよう、山寺、小野寺」
大柄な生徒が山寺、小柄な女生徒が小野寺である。山寺は呆れながら苦笑を浮かべ、小野寺は心底楽しそうにしている。
「お前ら、呑気に挨拶してんな‼!大体なあ……」
話を途中で切られたのが不服なのか、中寺の話の矛先は割り込んできた二人に向いた。
「人の話に途中で入っちゃダメだろ!」
「挨拶もなしに宮古に食って掛かったお前が言うな」
「あ、そうか……。おはよう、宮古‼」
「……おはよう、中寺」
何だこのやりとり、と睦人は心中で思ったが、ややこしくなりそうだったので口にはしなかった。
「宮古君、予鈴が鳴っちゃう前に席に行ってください。中寺君はこちらで相手しておきますから」
鳥のぬいぐるみで睦人の席を指しながら、小野寺はそう促す。
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
山寺や小野寺に悪い気もしたが、睦人としても中寺を上手くあしらえる気がしなかったので提案にのることにした。
背後で中寺が何か言ったり、小野寺や山寺がなだめる声がしたが、睦人はそそくさと教室の一番窓際にある自分の席に向かう。
すると、睦人の席の後ろから声がかけられた。
「宮古君、お疲れ様ー。あと、おはよー」
「おはよう、桐生」
手をひらひら振りながら、機嫌よさ気に挨拶をするのは桐生だった。睦人もそれに応じるが、昨日のことを思い顔を顰めた。
「桐生、朝からこんなこと言いたくはないが、悪戯したら後片付けもしていけ」
「あ、昨日のこと?ごめん、僕、掘ったり何かを埋めるのは得意なんだけど元に戻すのは苦手なんだ」
申し訳なさなど全く感じていない様子で、弥は謝罪し言い分を述べた。当然それは承服しがたいもので、納得しがたい、と表情にあらわしながら睦人は続ける。
「掘れるなら戻せるだろう……」
「そう簡単でもないんだよね、これが」
睦人にはよくわからなかったが、疑問に思ううちに桐生は話題を変える。
「それはさておき。今日も朝から熱烈だったね。毎日お疲れ様」
話題は先の睦人と中寺のことで、楽しそうに、どこか皮肉っぽく桐生は話す。表現に引っ掛かりを覚えるが、一々気にしていては切りがないので睦人も話を進めることにした。
「中寺も、よく毎日続くよな」
「あれ?宮古君には迷惑?」
毎朝律儀に相手をしていた睦人だが実は迷惑だったのか、と桐生は意外そうな顔をする。しかし、睦人はすぐに否定した。
「迷惑とまでは言わないが、朝からあのテンションについていくのが……」
「ああ、なるほど」
朝に弱い睦人にとって、開口一番から元気そのものな中寺は身体的な面で相容れない存在だった。実際に、今も中寺は山寺や小野寺と話しながら教室を賑わす一端を担っている。
ややずれた方向に悩む睦人に桐生は納得するが、睦人は嘆息するばかりだった。
「じゃあさ、もしも中寺君が」
「ん?」
「すごーく低いテンションで挑んで来たらどうするの?」
「……」
睦人は想像した。すごーく低いテンションの中寺を。正しくは想像しようとした。
「いや、ないだろ」
「もしもだってばー、中寺君も人の子なんだから元気ない日が絶対にこないなんて言いきれないかもしれないじゃない」
若干失礼な言い方だが、その中には睦人に質問の答えを言わせたい強い思いが感じ取れた。
とりあえず、中寺のテンション云々は置いておき、挑まれた場合を睦人は考える。
「断るな」
答えはすぐに出た。
きっぱりと断言する睦人に少々面食らったように、桐生は二、三回瞬きをする。
「ふーん、そうなんだ」
にっこりと笑みを浮かべ、満足そうに、含みを持って桐生は言うと、優し気に目を細め睦人を見た。
「なんだ、その微妙な返事は……」
「やだなー、宮古君らしいなって思っただけだよ」
訝る睦人に、桐生はそんなに警戒しないでよー、と調子を戻して軽く返した。
その時始業五分前を告げる予鈴が鳴った。教室の喧騒にもかき消されなかったそれは、生徒に着席を促す。
「あ、睦人、桐生君も。おはよう、今日もいい天気ね」
「如奈!ああ、おはよう」
「おっはよー、篠崎さん」
そして、朝練がある生徒が教室に着くのも大体この予鈴の前後であった。
剣道部の朝練に参加していた如奈も教室に到着し、睦人や桐生と朝の挨拶を交わす。
「ところで如奈」
「なあに?」
「何で、窓から入ってきたんだ?」
如奈は一番窓際の席である二人と、教室にきて最初に言葉を交えることができた。それもそのはず、如奈は一階の窓から教室に入ってきた。
「えっと、私、はじめに二階の教室に行ってしまってね、教室に入ってから気が付いたのだけど、そうしたら予鈴が鳴ってね、」
「如奈、お前もしかして……」
如奈の話に、睦人は嫌な予感を覚える。
「だから、ベランダからよいしょって降りてきたの」
予想できた言葉に、睦人は顔から青を通り越して色を失くし、桐生はこらえきれずに噴出した。
「如奈、お前そんな危ない、いや下手したら大怪我するような、ていうか怪我は⁉足とか痛くないか⁉ぶつけてないか⁉」
「あはは‼篠崎さん、朝からそんな……!さすがっていうか……‼あははははっ‼」
睦人はしどろもどろに思いつくままに心配を口にし、桐生は抑えきれない賞賛と笑いを漏らす。
「睦人、落ち着いて。このくらいの高さなら大丈夫よ、今日は両手が空いていたし。それに……」
睦人をなだめながら質問に応じ、如奈は言葉を続ける。
「睦人とお話しする時間が減っちゃうな、って思ったら急いでしまったの。心配かけてごめんなさい」
「如奈……‼!」
如奈の言葉に感動し、睦人はそれ以上何も言えなかった。
「え、宮古君ちょろすぎない?大丈夫?」
桐生がそう突っ込むも、感動で如奈の言葉に頭も胸もいっぱいになっている睦人には届いていなかった。
一瞬にしてできあがった二人だけの空間をどうしようかと桐生が考え始めるが、間もなくして始業の本鈴が響く。
「皆さん、着席してください。ホームルームを始めますよ」
そして、担任が教室に入ってきた。