3 繰り返すのは夏の紅
睦人は道路に立っていた。
きちんと舗装され、住宅街と街中をつなぐそれは睦人もよく知る道路だった。今現在のものと比較してどこか違和感がある道路だが、その違和感すら睦人には見慣れたものになっていた。
幾分か新しいアスファルト。塗装が古い標識。取り壊されたはずの家。さらに住宅街にも関わらず静まり返り、その場には睦人しかいない。
七月の容赦のない日差しがアスファルトに反射する。ひどく眩しいのに、視界を閉じることはできない。まるでここだけが世界から切り離されたようだった。
(……またか)
浅く残る意識が、これは夢だと睦人に教えた。何度も見た、その度に怖くなる夢。
どうせ怖いなら、本やテレビの作り話と同様に暗闇ならばいいのに。そう思ってもこの夢はいつも明るくそして鮮明に状況を伝えてきた。
睦人の後悔や罪悪感を、色褪せないように。
(あの公園と、前にある道路、か)
近所の公園へつながる道路。
睦人の家の近所にあり、公園と歩道も挟まずに面していて、道幅も狭く小さい子には危険極まりない。しかし遊具が充実しているものだから、遊びに行くのは大体その公園だった。
滑り台にジャングルジム、ブランコなどは高校生の今考えると不思議なほど飽きず、幼い頃は楽しい思い出ばかりの宝箱のようだった。
遊びに行きたいと睦人はいつもせがみ、その度に「道路には絶対に飛び出さないように」と母親は口をすっぱくして注意した。睦人はそれを厳守していたが、その教えを彼女にも伝えれば良かったのに、と思わずにはいられなかった。
ふと、背後から聞こえてきたかすかな音にその静寂は破られた。断続的に響く音は徐々に大きくなり、睦人に近づいてくる。
(来た……!)
音が大きくなるにつれて睦人は胸の奥が疼き、体が強張る。それでも首を無理やり動かし振り向くと、一台の大きな車が光を歪に乱しながら迫ってきていた。
陽光が車体を強く照らし、その無機質さを助長させる。狭い道などおかまいなしに、ブォォオオオと唸るように速いスピードでこちらへとくる。実際は違ったはずだが、やけに車体が大きい。
地を這うような轟音にゾッとし、車が恐ろしい怪物のように見えた。
ほんの少し目をそらすと、視界の端に一人の女の子が現れた。五、六歳程度のまさに公園で遊んでいそうな女の子で、睦人はその子が誰か知っていた。
視認すると同時にその立ち位置が車の走行線上だと気がつくが、睦人はその女の子に何も言えなかった。意思に反して声が出せず、ただ見ているしかできない。
(何で……)
黄緑色のワンピースは彼女がよく着ていたもので、活発な彼女の動きにあわせて裾がひらひら動くのが幼い睦人は好きだった。今は動かず、まっすぐに地面へ向いている。
あまりにも様子が違うので精巧な人形みたいにも思えたが、頭はそれを彼女だと認識している。いつもの夢の流れであった。それならば、もうすぐ彼女が、何度も見たように。
何で都合よく、そんなところにいるのか。睦人の夢は、何でそんなところに彼女を立たせるのか。
誰よりも大切な幼馴染を、何で。
(逃げろ)
声が出せない。動くこともできない。助けなければ、そこは危ないと声をかけなければ。
焦る思考とは裏腹に睦人の体は動くことを拒絶する。足は根が生えたように動かない。心臓ばかりがドクドク痛いほど動き焦燥を訴える。痛みを感じたところで意味などないのに。
高速の怪物がぐんぐん迫ってくる。エンジンの咆哮が大きくなっていく。それなのに、車どころか世界すら目に入っていないかのように、女の子はただ立ち尽くす。予想される事態に首筋の毛が逆立ち、背筋が冷えこわばる。
いつもの夢。回避できない、いつかみた現実。
逃げろ、避けろ、頼むからそんなところに立つな。願いも空しく女の子はピクリとも動かない。しかし睦人は動けない。
焦燥と不安、恐怖に圧迫される。大きくなっても結局は無力で、彼女を救えない。車ばかりが睦人を嘲笑うようにエンジン音を響かせる。
お前は無力だ、という事実をつきつけるように。
(くっ……)
しだいに近づくその瞬間を、睦人は見たくないと思った。一方で、目もとじられない。睦人だけを除け者に、状況は予定調和な劇のように進む。
(危ない……‼)
とうとう、その時がきた。
睦人の眼前で、怪物が女の子に喰らいついた。柔らかい果実のような体に鉄の塊が食い込み、えぐる。そして、一瞬で女の子を跳ね飛ばす。
ワンピースがふわりと揺れる。動かなかったのが嘘のように、女の子は軽々と宙へ放り出された。車は走り去って行った。役目は終わったと言わんばかりに。
(――っ!)
一瞬の静寂の後、ドサッと無遠慮に女の子が地面に叩きつけられた。睦人が状況を受け止めきれないうちに、ぐったり横たわる肢体から血がにじみ、彼女を赤く染める。
徐々にその範囲は広がり、睦人はただそれを眺めるしかできなかった。
(嫌だ)
黄緑色を赤が汚していく。鉛色のアスファルトが鮮やかに色づいていく。
やめろ、止まれ、そんなに流れては彼女がなくなってしまう。パニックになり、鼓動がうるさい。睦人の心臓は全速力で血液を全身に送った。
無意味だった。
(嫌だ、こんなのは嫌だ)
そんなことはお構いなしに、彼女の血は止まろうとしない。滾々と湧き出る血が、生々しい赤が、水溜りを作っていく。
溜まった血がドロリと溢れ鈍く広がる様子から目が離せない。一筋の流れが足元まで達し、睦人に触れた途端にビクッと心が跳ねた。
頭が拒絶し警告を鳴らす。見たくなどないのに、真っ赤な血が、大好きな幼馴染の命が。泣きたいような叫びたいような、大きな絶望と強い拒絶。妙な高揚感。
鉄くさい匂いがたちこめる。日に煌めく紅が意識を捕えてしまい、つい見てしまう。目蓋に焼き付けられる。周囲を、自身を浸食する純粋な赤色が。
(嫌なのに、何で……)
そこで睦人の思考はぷつりと途切れ、視界には幕が下ろされた。