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 様々な感情が溢れ出してきて、朝顔は胸苦しくなるのを感じた。ドール社本社ビルのエントランスに立った朝顔は、吹き抜けになっている玄関ホールをぐるりと見上げる。

 裁判において見事にナズリの記憶を手に入れた朝顔たちはその日の内に令状を手に入れ、すでに日はすっかり落ちたにも関わらず、裁判所からその足でここに来ていた。ホールにある人影は四だけで、他の人影はない。シュテルグは拘置所の檻のなかであり、時間が襲いせいで、検察や警察から今日中に人を出すことは不可能なのだそうだ。関係者からは明日まで待ってはどうかとの提案をもらっていたが、四人の内二人は本職の警察官だから問題なかろうというのが四人の内の多数意見だった。

 朝顔の横に並んだドムとジョンも同じようにホールを眺めている。

「へえ、こりゃ……」

「なかなかのものだな……」

 何とも言えない複雑な表情をしている二人のことが気になった朝顔だったが、それについて深く考える前にマッシュの声が飛んできた。

「すまない。手間取ってしまった」

 令状片手に受付に設置されたPCを通じて――すでに受付の人間は帰宅していた――警備会社やビルの内部とやり取りをしていたマッシュがこちらに向かって手を振る。その言葉の通り、ホールとビル内部を繋いでいるゲートががしゃんと音を立てて一斉に解放される。

「さて、行こうか?」

 朝顔たちの方まで歩いて来たマッシュが言った。四人の先頭に立つようにして、率先してゲートをくぐる。朝顔たちもそれに倣ってゲートを抜けると、マッシュはすでにエレベーターホールに並んだ扉の内の一つの前で待機していた。朝顔の見たところ、それは高層階のある秘密研究施設やシュテルグのプライベート空間に通じているものの様だった。

 エレベーターの回数表示がぐんぐんと上に上っていく。体を床に押し付けられるような緩やかな感覚のなか、朝顔は特にやることもなく手持無沙汰に回数表示を眺めている。その横では、二人の老人たちの手がいつもの払下げ品みたいな装備――特に拳銃のあたり――の上を忙しなくいったり来たりしている。それを見た朝顔は、老人たちの動きも無理のないことだと思った。令状がこちらにはあるとはいえ、あのシュテルグの本拠地に乗り込もうというのだ。不安を打ち消す為に手で拳銃をまさぐっていたとしても、咎めるようなことではないだろう。

 朝顔が更に目を転じると、ドアの真ん前に立ったマッシュの姿が映った。左手をポケットにつっこみ、右手ではPDA(携帯端末)を弄っている。そう言えば、先ほど受付のPCを操作していた時に、マッシュは何か記憶媒体のようなものをPCに挿して操作していたような気がするが、あれは一体何だったのだろうか。裁判の時はPDAを弄っているような姿は一度も見かけたことはなかったのに、エレベーターに乗って以来ずっとPDAを操作しているがそれと関係があるのだろうか。

 ぽーん、と朝顔の疑問を打ち消すようにチャイムが鳴った。エレベーターが目的の階に到着したらしく、四人の前でゆっくりと扉が開いていく。四人は三々五々エレベーターから降りて行った。

 到着したのは狭いエレベーターホールであり、ホールからはT字に廊下が伸びていた。正面の廊下の入り口の上には、『一般実験区画』との表示があり、左手には『動物実験区画』、最後の右手には『生物災害(バイオハザード)の危険あり。一般研究員の立ち入りを禁ず』とそれぞれ書いてあった。

「右だな」

 それらを読んだジョンがぼそりと呟く。

「前に突入した時も、この怪しげな方だった」

 どうやら朝顔のことを助けた際のことを言っているらしい。毎日のようにここに来ていた朝顔ならいざ知らず、全くの部外者であるはずのジョンとドムにもあっさり見破られているあたり、こんな偽装なんかしない方がよっぽどいいのではないかと朝顔は思う。しかしそれについて深く考えるよりも前に、大人たちの歩みに引きずられるようにして廊下の中に入って行った。

 廊下は、他の区画とほとんど変わらず、左右に研究室のドアがいくつも並んでいる。ただし、朝顔を載せたストレッチャーが楽々と通れるように廊下の幅が広くなっていたり、研究室に混じって手術室がいくつか並んでいたり、研究室の中にも『義肢調整室。高電圧危険』いう注意書きをドアに張り付けてあるものがあったりしてどこか普通の研究所とはいいがたい雰囲気を醸し出していた。

 それらのものはこの区画が丸々朝顔のために作られたものであることを示していたが、この中にあってなお異彩を放っているのは、真っ直ぐ伸びた廊下の突当りにあるドアだった。趣味の悪いアクセサリーのように鍵をジャラジャラと付けたそれは、ナズリの死体が――有機コンピューターが格納されている部屋だった。

 かつての嫌な記憶がよみがえり、胸苦しくなる朝顔。廊下に入った途端に足が鉛にでもなってしまたっかのように重く感じる。しかし、朝顔の中からはすぐに怒りにも似た闘志が湧いてくる。自らとナズリに対してこんな感情を抱かせるに至ったシュテルグの所業が、無性に腹立たしかった。今すぐにでも、ここをぶち壊してナズリの体をこの忌まわしい空間から解放してやりたかった。だが、今の朝顔にはその手段がなかった。扉は横にスライドする方式もので、一辺が四mほどの巨大な金属の一枚板なのだが、問題は鍵の方だった。扉の横に設えられているコンソールで操作することによって作動するそれは、一抱えほどもある巨大な金属の棒が扉に掘られた溝にはまることによって作動する仕組みになっていた。暗証番号を入力することで開くはずなのだが、ここはナズリの眠る部屋の入り口だ。いかに朝顔といえど、暗証番号を教えられてはいなかった。ならばコンソールをハッキングするという手段もあるが、警備の厳しいこのビルでそれは不可能だろう。では最終手段として無理矢理開けるのはどうかといえば、扉の重さもさることながら、軍事用の金属でできた棒が何ダースも差し込まれていては、いかな雷撃器(ガントレット)でもどうしようもない。

 ここに来て、突然難題を突き付けられてしまった。それでも一応は扉の前に立つ朝顔。他の三人は、扉の横にあるコンソールに取りついていた。扉のあまりにも頑健なその様子に、朝顔は諦めの念が湧いてくるのを感じた。しかし、だからといってここで諦める訳にはいかない。この中には、憧れの存在であるナズリがいるのだ。私は誓ったのだ。あの人の無念を晴らすと。

 大丈夫。あなたの無念は私が晴らすから。

 そういつもの台詞を心の中で唱えて扉に取り付こうとした時だった。

 サイレンが鳴った。危険を知らせるビープ音と共に赤色灯が回転し、赤い影が廊下に踊る。

 意表を突かれて拍子抜けした朝顔の耳に、マッシュの声が届いた。

「おおい、危ないから、離れてくれるかな」

 見れば、マッシュの手のPDAと壁のコンソールが接続されていた。どうやら、マッシュが扉を開いたようだという理解が朝顔の中に湧く。だがどうやってやったのだろうか。このビルのシステムは難攻不落に近いはずだ。一朝一夕にハッキングなんか出来る訳がない。

 そんな朝顔の疑問を打ち消すように、男たちの歓声が辺りに響いた。どうやら、扉が完全に開いたようだ。

 口々に感嘆の声をあげながら、扉の前で棒立ちしていた朝顔を押しのけるようにして部屋の中を覗きこむ男たち。朝顔もつられて扉の中を覗きこむ。

 そこは、見慣れた広い空間だった。電灯が一切点いていないせいで廊下からの光が届く範囲しか見えないが、ここは間違いなく記憶の暗号化が行われる部屋だった。いつもだったらここを訪れるとき朝顔はストレッチャーに乗っているのだが、今日は朝顔自らの足でここに立っていた。こうしていつもと違う視点で部屋の中を見回すと、ここに籠った怨念のようなシュテルグの気持ちが伝わってくるようだった。自らの子に対する歪んだ愛と天井知らずの上昇志向。それが怨念の名前だった。

 殺風景な部屋の中には、丁度中心部分にガラス製の円筒が立っていた。その円筒は天井と床を結んでおり、それぞれの接続部に僅かに機械部品が見えている。灯りがほとんど届かないのでここから細部をうかがい知ることはできないが、円筒の中には液体が満たされ、何かが浮いているということだけは今朝顔が立っている場所からもはっきりと分かった。

「おお、ついに……」

 部屋の入り口に立ったまま固まってしまっていた朝顔の横で、ジョンとドムが動いた。長年の捜査がここに結実したという達成感のせいなのか、感極まれりというような声で言うと、一歩一歩部屋の中に分け入っていく。

 朝顔もそれに従って部屋の中に入って行く。部屋の床は、正方形に加工された大理石が敷き詰められていた。それを踏みつけて、朝顔は部屋の中に踏みいっていく。かつん、かつんという暗い部屋に響く優雅な音とは裏腹に、大理石の下にはナズリの体を生かしておくための精密機器がぎっしりと詰まっているはずだ。部屋の暗さと音、機械が埋まっているという事実が混ざり合い、朝顔はどこかぞっとしない気分が這い登ってくるのを感じた。

 入口近くにも電灯のスイッチはあるはずなのだが、残念ながら朝顔はそれがどこにあるのか知らなかった。なので仕方がなく暗いままの部屋を歩いて行く。朝顔の記憶が正しければ、円筒の底部付近の機械が見えているあたりにスイッチがあるはずだった。

 嫌な気分を押さえてそちらに足を踏み出す朝顔。だが朝顔の心臓は足を踏み出すごとに早く大きく打つ。 そして心臓が一つ打つたびに心の中では二つか三つの感情が噴出して、朝顔の精神を激しくかき乱した。

 人生の先輩に対する憧れ。憧れの人が目の前にいることへの緊張。自らの足で前に進んでいるという達成感と重圧。自らの死体に等しいものが目の前にあることへの嫌悪感。今すぐにその死体を壊してしまいたちという思いと、いつまでもそれを愛おしんでいたいと思う相反する欲求。シュテルグに対す厭悪。

雑多な感情が入り混じりすぎて、訳がわからなかった。今しも胃から酸っぱい吐瀉物が上がってきそうだが、不思議と本当にそうはならなかった。

 異様な高揚感に襲われる中、朝顔は円筒の前にしゃがみ込むと、電灯のスイッチを入れた。

 蛍光灯の青白い光に照らし出される室内。老人たちが感嘆の声を発し、円筒に縋りつく。途端に、朝顔は自分の関節が錆びついてしまったような錯覚を覚える。首を上げればすぐにナズリの姿を見ることができるのだが、首が言うことを聞いてくれないのだ。焦がれていたものをいざ目の前にして、心が飽和状態になっていた。

 すぐ横では、喜色を浮かべた老人たちの声が聞こえる。その声が早く首をあげるのだという焦りを朝顔にもたらすとともに、冷静さも呼び起こす。朝顔は一度大きく息を吸い込んで止めると、心の中で呟いた。

 大丈夫。あなたの無念は私が晴らすから。

 それが鍵になった。関節の錆を吹き払うように一気に吸い込んだ空気を吐き出すと、朝顔はしゃがんだまま一気に顔を上げる。

 涙が出そうだった。

 今までだって散々見てきたはずのものなのに、こうして改めて見てみると、また違う意味が朝顔の前に立ち現れる様だった。様々なチューブやケーブルで円筒の空中に繋がれたそれは、死んでいるはずなのに妙な生気を湛えて朝顔に囁いていた。これで良いのだ、と。朝顔の選択は間違っていないと。そして、できれば自らの無念を晴らして欲しいと。

 そばにいる大人たちのことが朝顔の意識から完全に消えて、この世にナズリと自分の二人しか存在していないような気分になる。世界はこの逢瀬を中心に回っているというような気分だった。

「ほう、これがそうかね」

 そんな朝顔を現実に引き戻したのは、すっかり感に入ってしまっている三人の後ろから飛んできたマッシュの声だった。三人は意識の外の存在になってしまっていたマッシュを振り返る。

「え? 内臓人形(オルガロイド)!?」

 振り向いた瞬間、三人の顔が凍り付いた。顔に浮かんでいた笑みが強張り、逆に驚愕が浮かび上がる。

 なぜなら、三人の視界の先には、まるでハーメルンの笛吹き男が子供を従えるかのごとく、手に手に武器を持った内臓人形(オルガロイド)とマーメイド型のロボットを従えたマッシュが立っていたからだ。

 何故、と思う間もなく、素早く拳銃を抜くマッシュとドム。遅れて朝顔も疑問を吹き払って取りあえず右手を構える。それに呼応して、マッシュを守ろうとするかのように対峙する内臓人形(オルガロイド)とマーメイドたちも一斉に武器を構える。自分たちの何倍もの火力を向けられた朝顔たちは、それ以上の行動を封じられてしまう。

 突然のことに状況に全くついていけない朝顔の目の前で、ただ一人、マッシュだけが全てを把握しているというように三人の前に進みでる。

 かつん、かつん、と凍り付いた部屋の中に靴音を響かせながら、悠然とした態度のマッシュが円筒に近づく。敵意を向ける朝顔たちの目の前でマッシュは円筒にそっと触れると、言った。

「これが、そうかね?」

 三人に向かって穏やかに問いかけるが誰も答えない。

「これが、あの忌々しい若者が溜めこんだもの……」

 だが最初から答えを求めての問いではなかったらしく、マッシュは感情を込めて言葉を続ける。ナズリに対して慈愛すら感じさせる眼差しを向けながら。

 かと思えば、撃った。

 スーツの下に隠していたホルスターから拳銃を抜いて円筒を。憎しみを込めて。

 だが特性の防弾ガラスでできている円筒がその程度で傷つく訳もなく、逆にひしゃげた弾丸があさっての方向に飛んで行く。首をすくめて銃弾が飛び交うのをやり過ごしていた朝顔たちが、跳ねた銃弾が大理石を叩き割る音で我に返る。途端に朝顔の中で怒りが沸騰した。状況は全く掴めていないが、とにかく自らが目標としてきたものに対して発砲したという事実が、許しがたかった。朝顔は周囲の銃口のことを忘れて、マッシュ咆えかかっていた。

「この! 何でこんな事をした! 何故ナズリを撃った! お前は協力者じゃなかったのか? お前も、あいつの悪事に困っていたんじゃなかったのか! それなのに、何でこんな事をした!?」

 だがマッシュは、そんな朝顔の怒りなどどこ吹く風というように、恬然と言葉を発する。

「なんで、か」

余裕の表情で弾倉を交換するマッシュ。

「そうだな。ありていに言えば、私のため、ひいては都市のため、というところかな」

 弾倉を交換し終わると、マッシュは拳銃をホルスターに納めて、代わりにPDAを取り出す。意味を捉え損ねている朝顔の前で、マッシュは演説でも始めるかのように続ける。

「あの男は、我々にとって危険な存在だった。かつてこの都市は完璧なルールに支配されていた。経済連合を中心とする年功序列型の素晴らしいシステム。一定以上の地位にある者たちが平等に階段を昇っていける仕組み」

そこでマッシュは、顔に憤怒をにじませる。怒りを込めた声と語り掛けるような口調で話しながら、内臓人形(オルガロイド)とロボットの群に向かって歩いて行く。

「ところがあの男は! 我々が築き上げた仕組みの全てを無に帰した! 都市にあったルールを無視し、溜めこんだ我々の悪事(ビジネス)の情報で我々を脅すことで成り上がっていた! 我らにとっては、早々に排除すべき存在だ!」

 どこかの独裁者みたいな喋り口のマッシュを、怒りの籠った視線で追う朝顔。マッシュの言葉は明確にシュテルグを否定するものだったが、何故かその言葉を聞くたびに怒りが膨れて行くのを朝顔は感じた。

「だが、どうしても我々にはやつの悪事の源に手を出すことができなかったのだ! 宝物どころか宝箱その物が金庫の中に丁重に保管されていたし、宝箱の鍵は都市で死をばら撒いていた。どちらに手を出すのも危険極まりない。金庫に手を出せばパンドラの箱の中身をぶちまけかねず、鍵に手を出せば殺されかねない。

 ではどうするべきか? 宝箱は警備の硬い金庫の中。鍵は堂々と暴れ回っている。どちらに接触するのが楽か。

 答えは、鍵の方だ」

 マッシュはPDAで朝顔を指す。その動作に、朝顔は少しだけ驚いてしまう。何となく、PDAから弾が発射されるような気がしてしまったのだ。ナズリと自分を物のように扱うマッシュの言いぐさと動作のせいで。

 人を人として扱おうとせず、自分が生きる為の道具程度にしか考えない。自分の人生に呪いみたいに付きまとう虚無への入り口。それがまた朝顔の前に形をとって現れたようだった。それを意識したとき、先ほどとは違う暗い怒りが、ふつふつと心の底から沸きあがってきた。

「我々がルールを無視した男の悪事をどうにかして潰してやりたいと考えていた時、耳に届いてきたのがそこの老人たちの話だった」

 朝顔の様子には一向に頓着せずに、マッシュは演説を続行する。

「どうやら、彼らも我々と同じく鍵に接触することでシュテルグの悪事を潰したがっているらしい。ただし我々とは違い、下らない愛情がその根底らしいが」

 マッシュの言葉を聞いたジョンとドムが、一瞬ムッとしたような顔をするが、それはすぐに引っ込み、二人は元の表情に戻る。ここで口を出すのは得策ではないと判断したのだろう。じっと堪え、マッシュの言葉を聞く構えだ。

「それはさておき、そこで我々は決定したのだ。そこの老人たちに協力すると。純粋な市民を装って。勿論こいつらに一〇〇%の仕事をさせる為ではない。それでは、結局のところ我々が被害を受けることになる。宝箱の中身が明るみに出ることは断固として避けねばならない。我々が鍵を手に入れ、宝箱の中身を手にするために協力していたのだ」

 言いながら、マッシュは徐々に三人から離れて行く。その背中を見た途端に、上目使いでマッシュを睨みながら雷撃器(ガントレット)を構える朝顔の中に、ふと嫌な予感が起こった。

今まで何の疑問もなくマッシュの言葉を聞いていた自分だが、この人はなぜ自分たちにこんな事を話すのか。曲がりなりにも私たちは敵なのだ。ここでこんな事を話しては、今まで裏で動いていた意味がなくなるし、敵に情報をくれてやる理由なんかどこにもないはずだ。

 そう疑問に思いながらも、朝顔は右手をマッシュの背中に向け続ける。できれば今すぐにでも引き金を引いてしまいたいが、マッシュの演技がかった言動と疑念がそれをためらわせる。何か裏があるのではないかという疑念が、どうしても攻撃を躊躇させる。

それはジョンとドムも同じらしく、銃口こそ向けているものの、その指は引き金から外れていた。それに気づいているのか、銃口なんか存在しないみたいに優雅に歩を進めるマッシュ。

「あの裁判での襲撃もそうだ。あわよくば公の場でやつを殺人者に仕立て上げ、鍵を潰して宝箱を手にすることが目的だった。

 だが、失敗した。ふむ。しかしそれはどうでもいい。最初から織り込み済みだった。万に一つも成功すればよいという程度のものだった。本命はそのあとだ。襲撃によって裁判官の心証を動かして令状を取り、ここに侵入する。そして手に入れた情報をもとにして作成したウィルスを使いビルのシステムを掌握、内臓人形(オルガロイド)を暴走させる。全てはメイド・バイ・シュテルグだ。捜査に反対したやつの妨害工作ということで片が付く」

マッシュが内臓人形(オルガロイド)とロボットの壁の向こう側に消える。

「そしてなぜ君たちにこんなことを話すかといえば……」

 内臓人形(オルガロイド)の壁の向こうでマッシュがまたPDAを拳銃みたいに構える。

「君たちもここで死ぬからだ。不幸な内臓人形(オルガロイド)暴走事故(、、、、)に巻き込まれてね」

 言葉に合わせて、拳銃(PDA)の引き金を引くマッシュ。同時に、轟音と銃火が部屋の中を圧する。

 こんな事ならさっさと撃てばよかったと、相手の策略にはまった自分を呪いながら朝顔は行動する。老人たちと一緒に円筒の裏側に滑り込み、身を伏せる。直後に、ライフル弾やら大口径の炸裂弾が大量に着弾する。さっきまで朝顔たちのいた場所を滅茶苦茶に引き裂き、円筒を破壊しようとする。

 敵の銃弾がナズリも自分も、何もかもを粉々に打ち砕くさまを思い描く朝顔。こんなところでこんな男に殺されるのは死ぬほど嫌だったが、もうどうしようもなかった。相手の策略にまんまとはまり込んでしまったのだ。一瞬後には想像が現実のものになるだろう、と朝顔はぎゅっと身を固くする。

しかし、そうはならなかった。円筒に当たった弾は、全て弾き返され、見当はずれの方向へと飛んで行く。少しの間だけぽかんとしてしまう朝顔だが、すぐに理解する。どうやら、シュテルグの妄執と呼ぶべき感情が込められたこの円筒は朝顔の知っている以上に丈夫に作られているらしいということを。どんな素材で作られているのか見当もつかなかったが、円筒の表面には傷一つなかった。

 普段だったら、シュテルグの歪んだ感情に対しての憎悪を感じるはずだが、この時ばかりは朝顔も円筒の丈夫さに感謝した。

 しかし、いくら円筒が頑丈とはいえ、このままでは非常にマズい。老人たちも隙が無いかと銃を構えて相手のことを窺っているものの、相手の銃火が激しすぎて、いっこうに反撃するような機会はなかった。マッシュの動きはここからでは見えないが、このまま反撃できなければ、数にあかせて無理矢理背後に回り込まれるなどして、いずれは殺されるはずだ。

焦りも露わに何か打開策は無いかと考える朝顔の頭に、あるアイディアが浮かぶ。これでうまくいくという保証もないが、他に良いアイディアもなかった。

朝顔は覚悟を決めると、円筒の基部に設置された機械を操作し始める。ピンチに際して苦い顔をしている老人たちの前で、見様見真似で機械を動かす。

微かなモーター音が聞こえてくる。銃撃に音と閃光が閃くなか、部屋の床に敷かれた大理石が、せり上がってきていた。それらは全て、朝顔が記憶を暗号化するときに使っている装置だった。部屋の変化によって、敵の銃撃が止まる。へえ、なんだ? という声と共にドムがこちらを不審な目で見るが、それよりも早く朝顔はジョンとアイコンタクトを躱すと、動いた。敵の銃撃の隙間を縫って円筒のかげから飛び出し、素早くせり上がって来た装置の後ろに飛び込む。正反対の方向にドムを抱えたジョンが飛び込むのを見ながら、朝顔はリボルバー拳銃――あらかじめジョンから借りていたものだ――を取り出す。部屋に仕込まれた装置が露出した状態で雷撃器(ガントレット)を使えばナズリの体の維持にも影響があるかもしれない。それだけは避けたかったのだ。

 目だけを装置の上から出して状況を窺う。敵は銃撃を一旦中止し、朝顔たちが散開したことに焦れているのが伝わってくるような乱暴な動きで広がりつつあった。その奥では、怒気をにじませたマッシュがPDAを操作している。できればすぐにでも撃ってしまいたかった。しかし、今撃ったところで弾は届かないだろう。未だにマッシュは内臓人形(オルガロイド)とマーメイドの壁の向こうなのだ。まずは、数を減らさなければならない。

 朝顔は装置のかげに再び座り込み、祈りをささげるかのようにリボルバーの銃身を鼻梁に添わせる。その状態のまま深く息を吐き目だけでナズリのことを見る。自分の人生を滅茶苦茶に引き裂こうとする男たちを倒す力を分けてもらおうとするように。

ふっと短く息を詰める。次の瞬間、朝顔は勢いよく立ち上がった。

 朝顔に合わせるようにしてジョンとドムも立ち上がるのが分かったが、今はそれに構ってはいられなかった。朝顔は、手近な内臓人形(オルガロイド)に照準を合わせると、引き金を引いた。突然のことに全く対応が追い付かなかった敵の額に、黒い穴が開く。内臓人形(オルガロイド)唯一にして最大の弱点である頭を撃ち抜かれた敵は、血と脳みそをぶちまけながら後ろに向かって倒れる。その呆然とした死に顔が、朝顔の過去と重なるようだった。シュテルグに囚われて道具にされていた自分と、マッシュに操られている敵の姿が、完全に重なって見えた。

 ふざけるな! という思いだった。この都市の男たちは、どこまで自分勝手なのか。人を道具と思って恥じず、他人の人生を犠牲にして成り上がる。そんなあり方、あたしが壊してやる!

 朝顔たちの行動にあわててPDAを操作するマッシュ。敵が銃口を向けるが、今の朝顔の目にそれは入らなかった。感情のままに、装置のかげから一息に踊り出す。

 近くにいる内臓人形(オルガロイド)たちが朝顔に向かって銃を向けるが、それが火を噴くよりも早く、朝顔はリボルバーの中身をぶちまける。どさどさと音をたてて倒れる内臓人形(オルガロイド)たち。その内の一人の手から、朝顔はひょいとライフルを取り上げた。死んで力の抜けた手からライフルが勝手に離れ、本人は床に倒れ伏す。弾の無くなったリボルバーをそこら辺に放り、遊底を引いて引き金を引く。今倒した敵よりも更に後方にいた敵に向かって弾丸の雨をプレゼントする。

 朝顔の行動は恐ろしいほどに冷静で的確だった。だが今の朝顔の頭には、怒りの念しかなかった。他人のことなど道具としか思わない男に対する怒りが。自らの行為によって他人がどう傷つこうが知ったことではないという男に対する怒りが。

 ごめんなさい。でも、こうするしかないの。

 心の中でマッシュの被害者である内臓人形(オルガロイド)に謝りながら、朝顔は彼女らを解放するべく引き金を引く。だが、マッシュに操られた内臓人形(オルガロイド)はあとからあとから朝顔に襲いかかって来た。それに対して武器を持ち替えながら応戦する朝顔だが、全ての攻撃を防ぎきれる訳もなく、何発かの弾丸が朝顔に命中する。体内装甲(ヴァイタル・アーマー)のおかげで致命傷になることはなかったが、激しい痛みが体を襲い、黒い人工血液が噴き出してくる。

 普段であれば無闇と嫌な感情をもたらすだけのはずの痛みだが、今の朝顔にとってはその痛みは、嫌悪の対象であると同時に好ましいものでもあった。雷撃器(ガントレット)の使用に伴う痛みのように、これで良いのだと語りかけてくれているような気がするのだ。

「へえ、マズいぞ。これは!」

「分かってる!」

 そこで、意識から消えかけていたジョンとドムの声が朝顔の耳を打つ。見れば、内臓人形(オルガロイド)の姿はすっかりなくなっていた。朝顔が倒したというのもあるが、これ以上内臓人形(オルガロイド)を使えば徒に損害が増えると判断したマッシュが退かせたのだ。

 代わりに今までは主にマッシュを守るようにしていたマーメイドたちが前に進み出ていた。どうやら内臓人形(オルガロイド)よりはずっと旧式だが頑丈な鋼鉄の人魚で、朝顔たちを押し潰すつもりのようだ。マニピュレーターの下部に取り付けらてたガトリングガンが、朝顔たちの方を向く。

 ドムがダメ元でマーメイドを撃つが、頑丈さが売りの軍用ロボットに拳銃が通じる訳がなかった。きゅいーんという音と共にガトリングガンの砲身が回転を始める。

 その背後に、これで一安心だというような顔をしたマッシュがいるのが目に入った。その顔が、更に朝顔を焚きつける。人と物と同列に見る男に対して、目がくらむほどの激情がわき起こる。

 大丈夫。あなたの無念は私が晴らすから。

 そう心の中で唱え、背後のナズリを盗み見る。そして動いた。

 銃を棄てて助走をつけると、マーメイドに飛びついた。回転する砲身に巻き込まれないように注意しながら、ガトリングガンに取り付き、その基部に手を掛ける。抵抗を示すマーメイドとマッシュ、呆然といているジョンとドムの前で、朝顔はガトリングガンに繋がっている電気コードを引っこ抜いた。ガトリングに繋がる弾帯が脇の下にある穴を通って体内に通じているのを確かめると、朝顔は飛び下りざまにコードを穴に突っ込む。

 床に身を伏せる朝顔の頭上で、大爆発が起きる。鉄製のボディーを伝わった電気のせいで、体内に納められていた弾薬が一斉に吹き飛んだのだ。頭上から大量の破片が降り注ぐ。

 鋼鉄のかけらを体から払い落としながら体勢を立て直す朝顔。その目に、装置のかげから猛抗議してくるジョンとドムの姿、爆発に巻き込まれて壊れた何台かのマーメイド、マッシュを守る為に盾となりずたずたに引き裂かれた内臓人形(オルガロイド)たちが目に入る。

 これがシュテルグやマッシュの目指しているものに伴う犠牲なのかと思い、朝顔は歯をぐっと噛み締める。この光景が、何か許しがたいもののように感じられたのだ。こんなにまでして上を目指すことが、おぞましいことに思えて仕方がなかった。

 体中に力を込めると、最も近くに居るマーメイドに飛びつく。獣みたいな唸り声を発しながら、怒りをぶちまけるようにしてそれを蹂躙する。

 ガトリングガンを根本から引き千切り、弾帯が無理矢理胴体の中から引き出されるのにも構わずにそれを床に投げ捨てる。その弾帯から一発だけ弾丸を抜き出すと、マーメイドの肩までよじ登る。そして弾丸を相手の脳天にあてがうと、思い切り殴りつけた(、、、、、)

衝撃で弾丸が発射され、脳天から胴体の半ばまでを貫かれたマーメイドが黒煙を噴いて動かなくなる。一方で、朝顔の右手を凄まじい衝撃が襲い、薬莢が天高く跳ね飛ばされる。

「無茶苦茶だ」

 誰かがそう言うのが聞こえたが、今の朝顔には関係の無いことだった。あたかも核爆弾が人間の姿を取って暴れているように、朝顔は片っ端から敵をなぎ倒す。ロボットも内臓人形(オルガロイド)も関係なかった。あるのは、マッシュに対する怒りだけだ。

「ひっ!」

 怒りが多少なりとも静まり正気に返った朝顔が最初に見たものは、恐怖で顔をゆがませたマッシュと、それに向かってアサルトライフルを突き出す自分の右腕だった。

「本気で私を殺す気、ではないだろう? そうだ、先ほどまでのことには謹んでお詫び申し上げよう……」

 小さい人。

有無を言わせぬ表情の朝顔に向かって命乞いをするマッシュに対する朝顔の評価だった。結局、この男たちは、自分が楽に生きられればそれでいいということなのだろう。そんな下らないことに他人を巻き込んで、 どこまで下らないのだろう。

 朝顔は、引き金を引いた。

 たーん、という銃声が起こり、マッシュが脳天から血を噴き出して倒れる。朝顔はそれには目もくれずに、背後にある円筒へと振り返る。中にいるナズリが微笑んでくれているような気がした。

大丈夫。あなたの無念は私が晴らすから。

 ついに、この言葉を実現することができた。その実感が 押し寄せてきて朝顔は感極まってしまう。無言で立ち尽くしている朝顔に、ジョンとドムが近づいてくる。

 自分はやったのだ。その実感を込めて、二人を振り返る。今なら、誰に対しても胸を張っていられそうだった。

「ああ、ご苦労様」

 ジョンが、朝顔を労うような優しい声を発する。同時に、手に隠し持ったスイッチで、朝顔の手足を爆破した(、、、、)


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