表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

5

 中流区の高層マンション郡の隙間から朝日が昇る。包帯だらけの体――ナノマシーンのお蔭でこの適度の処置で済んでいた――を抱きしめるようにしてベッドの上に座っていた少女は、顔を僅かに上げると、隈に縁どられた目に殺気をこめてそれを睨め付ける。この新しい隠れ家に来てから、少女は一睡もしていなかった。千々に乱れる心にうなされて、寝付けないのだ。

 私は一体何をやっているんだろう。

 いつもの問が少女の中の空っぽの心に去来する。

 シュテルグの内臓人形(オルガロイド)を吹き飛ばしたことで、少女は仮初めの自由を手に入れていた。またいつあの場所に戻されるかわからないが、こうして自らの悩みをもてあそべる程度には、自由だった。

 だが、その自由が問題だった。

 あれほど渇望した自由なのに、今はそれが少女の心をかき乱し、いつもの問いを惹起していた。だが、今回のそれはいつものそれとは違っていた。普段の問いが自らの境遇を嘲笑するためのものなら、今回の問いは自らの空虚さを罵るためのものだろう。

 仮初めとはいえ少女は自由を手に入れた。夢にまで見た自由を。だが、いざその自由を手に入れたところで、少女は気づいたのだ。その自由を使う相手がいないことに。

 今まで散々自由になれば途が開けると思っていたのに、いざ自由になってみると、その先のことを全く考えていなかったことに気づいたのだ。

 そしてそのことが、自分はひどく空っぽでどうしようもない人間なんだと言っているような気がして仕方がなかった。

 友人をはじめ他の人たちは、自らの目指す場所に向かって自由を求め、それを使っているのに、自分は自由を目指すだけでその先のない、ひどく考えなしの人間だと思った。自由を言い訳にして駄々をこねているだけの子供か何かに自分がなってしまったような気がした。

 これではまるで、自らの忌避した男か、享楽を貪るニートと同じではないかという思いが、少女の心の底から沸々と湧き上がってくるのだ。いや、もしかしたら、私は今まで忌避して男以下の人間かもしれないと思うたびに、とてつもない胸苦しさに襲われた。

心が、虚無に呑まれてしまいそうだった。

 いや、もしかしたら心はとっくに何かに呑み込まれていて、今の自分はそこからの逃げ道を探しているのかもしれない。

 こんこん、と部屋のドアがノックされた。少女は返事をする代わりに、条件反射的に制服のスカートの中が見えてしまわないよう姿勢を変える。

「へえ、また寝てなかったのか?」

 少女のその態度にもすっかり慣れたもので、ドムがいつもの楽観的な声を少女にかけながら部屋の中に入って来た。手には、トーストの乗った皿とスープに入ったカップが握られている。

「ほら、ちゃんと寝ねえと、元気になれないぞ? それに、こっちとしても、できれば早く元気になってもらって、協力してもらいたいんだ」

 そう言いながら、ベッド脇のサイドボードにスープとトーストを置き、少女の正面に立つドム。いつもだったらドムはすぐに部屋から出て行ったが、少女の態度がずっと同じであることに憐れみを覚えたのか、ドムは少女に話しかけてきた。

「ほら、なんか色々思うと所はあると思うけど、気にすんなって。若いうちは悩みも多いと思うけど、どうせそのうち答えは見つかるから、気にしたってしょうがな……」

 ドムの言葉の途中で、少女の怒りが瞬間沸騰した。ベッドの上から立ち上がり、ドムの胸ぐらを掴む。

「ちょおおお!」

 慌てるドム。

「どうせそのうち答えは見つかる……?」

 慌てるドムに構わず、囁くように言う少女。そして次の瞬間には、爆発した。

「ふざけるな! 私の気持ちが、お前なんかにわかってたまるか! 他人なんかに、私の気持ちを理解できる訳がないだろう! 自分のやりたいことが見つからない苦しみが! 今まで自由に生きられなくて、やっと自由になったと思ったら、自分の中が空っぽだったときの気持ちが、お前なんかにわかるもんか!

 こんな風に迷ったりなんかせずに、のうのうと自分の人生を生きてきたお前なんかに、理解できるもんか!」

 こんなに辛いのはきっと世界で自分一人だけなのに、他人が知った風な口を利くんじゃないという気分だった。

「お、落ち着けって」

 肩で息をする少女に、ドムが引き攣った顔を向ける。途端に、少女の中で何かの糸が切れた。ドムから手を離すと、その場にへたり込んでしまう。

「もうやだ」

 少女の目から涙が溢れ出す。少女は震える声で囁く。

「こんな事なら、ずっと、あのままが良かった。こんなに苦しいなら、自由なんかいらなかった」

 顔を抱えて泣く少女。その背に、唐突に声が掛けられた。

「それは、違うな」

 ジョンだった。どうやら、少女の声が聞こえたらしく、いつの間にか部屋の中に入ってきていた。

「確かに、俺たちはのうのうと生きているのかもしれない。お前の苦しみだってわからない」

 穏やかな声で話しながら少女の前にしゃがみ込むジョン。ドムがおたおたしながら場所を譲る。

「でもな!」

 急に、ジョンの声が怒りを帯びた。穏やかだが聞く者の心を震わすような怒りだ。

「この世の中で辛いのは、お前だけじゃない。世の中の誰もが辛い思いをして生きてるんだよ。いいか、どんなに辛くても、歩みを止めるのは罪だ。若者に歩みを止めさせる社会は、クズだ。

 お前の悩みは、正しいものだ。だから、立って戦え! 目標がどうのなんかどうでもいい。戦わない方が、よっぽど悪い!」

 ずしんと心に響く声で、有意義さについて語る老人。戦えと少女に命じる声。少女の心が老人に同意する。戦わなければならないと。またあの状態に戻ることだけはしてはならないと。

頭の片隅で、今まで止まっていたエンジンが再始動するようなイメージが浮かぶ。だが、その他の大半の部分は、この男の言葉なんか聞く必要はない、動く必要はない、と主張していた。

 その様子を睥睨していたジョンは、少女の腕を掴むと、言った。

「来い」

 え? と言う間もなく、少女はジョンによって立ち上がらされる。引っ張られている腕が痛みを訴えるが、きちんと立つ気になんかなれなかった。

「おい、ドム、準備しろ。あそこに行くぞ」

「あそこって……ああ! でも……」

 黙って成り行きを見守っていたドムが、ジョンの言葉の意味を理解した瞬間に難色を示す。

「いいから」

 だが、ジョンの有無を言わせぬ声には抗えなかったのか、すぐに、わかったよ、と言って折れる。

 少女は全く抵抗することなく、心とリンクしてすっかり重くなってしまった体が引きずられるのに任せて、どこへともなく連れられて行った。


 連れられて行ったのは、同じ中流区にあるマンションだった。今時珍しい地上の駐車場を持つマンションで、裕福な中流層が好みそうな、高級という訳ではないがこぎれいな感じが、少女には好印象だった。

 駐車場に停まっていた大型トレーラー――建物の管理業者もしくは宅配会社のものだろうか――の横に老人たちが新たに調達してきたヴィクトリアパトカーを停め、少女たちはマンションの四階にある部屋に入っていく。少女はここに来るまでの間に多少は心が落ち着き、どうにか普通に振舞えるようになっていた。ただ、これは心が落ち着いたという訳では決してなく、躁鬱の〝鬱〟状態になっているだけだった。

部屋の中は薄暗かったが、二人が電灯を点けたりカーテンを開けたりすると、すぐに明るくなった。

「な……」

 明るくなった部屋を見た少女は、息を呑む。そこはまるで、漫画家か、さもなければ小説家の仕事場のようだった。

 本棚に乱雑に突っ込まれた本に、机の上の大量の紙とPC。部屋の隅っこに積まれている段ボール箱の中にも、きっと本やら紙やらが詰まっていることだろう。

「最初は、絵だった」

 少女が部屋の中を見回すのに夢中になっていると、ジョンが言った。ドムと二人して、部屋の真ん中に突っ立っている少女を見つめる。

「次は、漫画だった」

 一体何を言っているのだろうか、と首を傾げる少女。だがジョンは、気にせず続ける。

「最後は、絵で食ってくのは無理だと言って。小説だった」

ドムが机の上から分厚い封筒を手に取り、少女に向かって放る。

 開けろ、ということだろうか。少女は封筒の中から適当に一枚の紙を取り出す。それは、契約書のようだった。

「小さな賞だが、受賞し、デビューも決まっていた」

 本格的にジョンの言葉の意味がわからなくなる。

「何を、言っているの?」

 怪訝な顔をして二人に問いかける少女。それを待っていましたとばかりに、ジョンが言った。ドムも、いつになく真剣な表情で少女のことを見つめている。

「ここは、お前の脳みその元の持ち主であるシュテルグの娘――ナズリ=シュテルグの隠れ家だ」

「え?」

 あんまりにも突飛すぎる言葉に、間抜けな声を返してしまう少女。一体何を言っているんだ、とジョンとドムの正気を疑う。だが次第に、少女の中で話の筋が繋がる。

交番(ポリス・ステーション)でことのあらましを説明してとき、何故俺たちが事件のことを知っていたのか疑問に思っていたな」

「へえ、その答えが、ここだ」

 いつもの何倍も硬い声で言う老人たち。少女はそんな馬鹿なと思うと同時に、親しい知り合いの家に久しぶりに上がり込んだような気分を覚える。

「さて、どこから話したものか」

 その少女の前でジョンが話し始める。一方のドムはジョンに一任するつもりらしく、おれはこういうの苦手だから、とばかりに、わざとらしく顔を逸らしている。

「元々は、今から三、四年前か。夜中にパトロールをしていた俺たちは署からある通報を受けた。深夜営業を行っている不動産屋に不審な娘が押しかけてきて困っていると。

 通報に従って現場に駆け付けた俺たちは、出会った。ナズリに。

 何だかよくわからないが必死な様子が気になった俺たちは、交番(ポリス・ステーション)に彼女を連れ帰って事情を訊いてみた。すると、驚くべきことに、ドール社のご令嬢だという話だった。

 当然すぐに送り届けようとしたのだが、彼女はやりたいことがあるからと、懸命に俺たちのことを止めようとした。今は戻れない。きっと今戻ったら、自分は一生空っぽのままだ、と。

 それが気になった我々は、彼女に手を貸すことにしたのだ。本来だったらありえない話だが、孫のように思えたのか、つい手を貸してしまった。

 彼女は、夢があると言って、シュテルグの目を盗んではここに籠っていた。最終的に作家としてデビュー出来るくらいには。

 だが、あの男がナズリが離れて行くのを認める訳がない。彼女は、殺された。父親を説得に行くと言ったきり、帰ってこなかった」

 淡々と話す分、ジョンのシュテルグに対する怒りが伝わってくるようだった。少女は、何となく自分の頭に手をやる。自分の誕生秘話を聞いても、少女の心は意外なほど落ち着いていた。話が少女の想像の埒外にあって、思考が追い付かないのだ。今朝までとは別の意味で少女は頭が混乱していた。

 ジョンはそれ以上は言わなかった。少女に対して気を使っているつもりなのか、ドムと二人で、後は自由にしろとばかりに、隣の部屋に行ってしまう。

 一人部屋の中に取り残された少女は、暫くの間はそのままぽつねんと部屋の中に立っていた。それから、こうしていても仕方がないと思い、封筒を机の上において、部屋の中を歩き回ってみる。特に目的があった訳ではなかった。数々の衝撃で心はすっかり麻痺してしまっていて、それを慰めるために無意識に取った行動だった。

 試しにその辺に置いてあった段ボール箱の一つを開けてみる。中には、習作と思われる絵が描かれた紙が大量に詰まっていた。ただ、絵といっても絵画のようなものではなく、漫画やイラストに近いものだった。

どくん!

 それを見た瞬間に、少女の胸大きく脈打った。絵や小説とは無縁の生活を送っていた少女だが、ナズリの絵はそんな少女から見ても衝撃的なまでの上手だった。どことなく勢いばかりが先行していて荒削りなのだが、それすらも味のように思えた。

 それをしまって、今度は別の段ボール箱を開けてみる。今度は、漫画の原稿のようなものが入っていた。タイトルの記された茶封筒の山がいくつも段ボールの中に入っていたのだ。

 その中の一つを手に取って読んでみる。内容は正直に言って、プロのものよりは数段落ちるのだろう。だがそれは、何故だか少女の心の奥深いところに触れ、気づけば少女は歯を食いしばるようにしてそれを見ていた。少女自身理由は全くわからないが、とても悔しいような気がして、やたらと胸が苦しくなった。

 そんなことを何度か繰り返しているうちに、少女は机の上のPCの中身が気になり始めていた。確か小説がどうのこうの言っていたが、あさった段ボール箱の中には、それらしきものが一つもないのだ。昨今では手で原稿を書く小説家は絶滅危惧種だという話を聞いたことがあるが、もしかして、あのPCの中なのだろうか。

 少女は罪悪感を覚えながらもPCの電源を入れた。特にパスワードなどもかかっておらず、PCはあっさりと起動する。デスクトップ画面には、いくつかのフォルダやショートカットに混じって、『小説』と書かれたフォルダが置かれていた。

 目的のものらしきフォルダを見つけた少女は、特に考えもせずそれを開く。その瞬間、

「なに、これ?」

 とんでもない数の文書ファイルの一覧が表示された。ウィンドウの隅にある数字を信じるなら、その数は一〇〇〇以上もある。まさか、これを全て自分で書いたのだろうか?

 どくん、とまた一つ心臓が鐘を打った。脳の奥を焼かれるような感覚を味わいながら、少女は導かれるようにして一番新しいファイルを開いてみた。

 どうやら、校正作業の途中だったのか、ざっと読んでみたところ、途中でいくつか整合性がない部分があった。でも、それでも、そこには少女にはないものがあった。文章から伝わってくるのは、少女と同じかそれ以上に強い自分に対する迷い。でもそれ以上に、そこには暴力的なまでの乗り越えに対する衝動があった。ナズリ自身の自らに対する強い思いが文字の形を取り、読む者を殺しにかかっている。そうとしか思えないような迷いと衝動の塊だった。まるで今の自分のように。

 最後まで読んで、本文の後に打たれた『朝顔』と言うペンネームを見た瞬間、少女の中で何かが弾けた。

 本当に、自分よりも先にこれを乗り越えた人がいたんだ。

 奇妙な感情が少女を支配する。自分のやっていることの正しさが証明されたような気分とナズリに対する羨望の念、ライバルに出会ったような思いと師を見つけたという思い。さらには、自分の途を見つけたという確信。そんなものが、少女の中で一緒くたになって噴出する。

 自分もこうなりたいという強い思いが少女を支配し、他の感情なんかどうでも良くなる。同時に、今までのくよくよと迷っていた自分が馬鹿らしく思える。みんな、苦労しているのだ。ナズリだって、こんなに苦労してやっと何かを掴んだのだ。

 だから、自分もやらなければならない。

 強い闘志のようなものが少女の中で噴出する。今すぐに、何かに向かって全力で挑みかかりたい気分になる。いや、何かではない。

 自分も書くのだ。

 ナズリのように小説を。

 今まで小説(こんなもの)とは無縁だった自分が書けるかはわからないけど。

 そしてそのためには、完全に自由にならなければと少女は思う。老人たちに従い、行動しなければならない。

 そのための、勇気が欲しかった。何でもいいから、ナズリにあやかり、彼女の遺志を継ぎ、彼女の影響を受けているのだということを世間に示したかった。

少女は『朝顔』という単語を、PCを使ってネット検索にかけてみた。この名前を名乗ることで、ナズリから勇気をわけてもらおうと思ったのだ。そしてそのためには、名前の由来を知らなければならないと。

 検索の結果は、どれも朝顔(花)に関するものだった。だが少女は何となくそれは答えではない気がした。何となくそのまま検索を続ける。すると、一つだけ花とは全く違うものについて書いてあるサイトにぶち当たった。

「駆逐……艦?」

 思わず、口に出してしまう。それぐらい、予想外の単語だったが、それを見たとたんに強い確信を抱いたのだ。

 そこに書かれているのは、古い駆逐艦についてだった。かつてあった大戦の最中、一〇〇〇トンにも満たない船体で一〇〇回以上の任務を遂行した(ふね)。自らは非力であるが、努力によって悲惨な戦争を生きて乗り切った旧式艦。どこか、有意義な人生を思わせる艦。

 それを見た瞬間、少女の心臓が早鐘を打ち、どこからともなく湧き上がってくる身を焦がすような闘志が脳を支配する。

きっと彼女も、これを名前にしたときに、今の自分と同じことを思ったに違いないという、確信じみた思いが少女の中にはあった。

名と途が決まった。

 途端に、少女の中で何かが晴れて行くような感覚があった。今まで足踏みしていた自分が、ひどく馬鹿らしく思った。今は、進のだという命令だけが自分を支配しているんだ、という強い確信があった。

 PCの電源を落とし、老人たちのいる部屋へと歩いて行く。少女の足は、思った以上に軽かった。

「決めたよ!」

 少女は、部屋のドアを開けるなり言った。

「あたしも、小説家になる」

 少女のあまりにも突然で堂々とした態度に、呆然とする老人たち。その中で、いち早く正気に戻ったドムが言った。

「おじょおさん、あの……」

「おじょおさんじゃない」

 ドムの声を遮って、少女は不敵に言った。

「朝顔だ」

 凛とした少女の声で正気戻るにジョン。ドムと二人で顔を見合わせ、少女には内容を理解できないアイコンタクトで意思疎通を図ったあとで、

「そうか、そいつは良かったな。朝顔(、、)」

 どこかほっとしたような調子で言った。その声と、「朝顔」という部分を強調する話し方のせいで、朝顔は気分が高揚するのを感じた。何か、新しい一歩を踏み出せた気がした。小さいが大きな一歩を。

「ぱ……ペット」

 そのときだった。シュテルグの声が聞こえたのは。朝顔たちが一斉に音源を振り返る。声は、部屋の窓から聞こえてきていた。

「戻って……おいで」

 そこには、内臓人形(オルガロイド)がいた。窓にぶら下がっているらしく、首から上だけが見える。その首には、手術痕らしき筋が走っていた。

「パペット……戻って、おいで」

 自分の顔でシュテルグの声を発する内臓人形(オルガロイド)。その様は、相当に異様だったが、朝顔の中では恐怖よりも怒りに近い感情がわいていた。相変わらず自分を空虚に絡めとろうとするシュテルグに対する怒りが。同時に、その怒りはナズリへの哀れみでもあった。人をとことん空虚に絡めとろうとする中身のない男と、それに絡めとられた娘。

 一体この男は他人の人生を何だと思っているのか!

 気づけば、朝顔は窓に走りよっていた。

 大丈夫。私があなたの無念を晴らすから。

そう思いながら、右手を窓に向かって振り抜いた。

 軍事技術によって構成された義手が、ガラスごと内臓人形(オルガロイド)を撃ち抜く。機械の力で顔面を破壊された内臓人形(オルガロイド)が、腰の拳銃に手をやった姿勢のままぽかんとしている老人たちの前で、地面に向かって落下していく。

 朝顔は、生まれて初めて自分の意思で行動できたような気がして、とても晴れがましい気分だった。そのまま老人たちを振り向いて、笑顔でピースサインでもしようかと思ったし、実際にそうしようとした。

だがそれは、実行に移す前に、突然勃発した銃火によって遮られた。

 隣の部屋とを隔てる壁が、こちら側に向かって捲れ上がる。

「ショットガンか!」

 床に身を投げ出しながら、ジョンが叫ぶ。

 朝顔もジョンに倣って身を伏せようとした時、視界の隅にさっきまで自分がいた部屋の中にずらりと並んだ内臓人形(オルガロイド)が映った。踏み荒らされ熱した薬莢で焦がされる部屋を見て、無性に腹が立った。人生で一番大切なものを他人に踏み荒らされたみたいに。

「ぱ、ペット……パペット」

銃撃の間を縫って、呪いのようなシュテルグの声が朝顔の耳に届く。それはまるで、朝顔の心を叩き折ろうとしている様だった。

 その声を聞いて、また朝顔の中で怒りのようなものがわく。苛烈な銃火と呪いみたいな声。それは、まるで動物の調教だと朝顔は思う。どこまでも朝顔のことを馬鹿にした男の態度。それを目の当たりにした心が、命令を下す。動け、と。このままいつもみたいにやられるだけではだめだと。

新な一歩をふみだしたことで心の中に燃える何かに従って、朝顔は、立ち上がった(、、、、、、)

「朝顔!」

 老人たちの驚愕の声が耳朶を打ち、散弾が朝顔の体を襲う。体内装甲(ヴァイタル・アーマー)と鉛玉がぶつかり火花をあげる。黒い人工血液が飛び散り、歯を食いしばって痛みに耐える朝顔。朝顔の突飛な行動に、このまま捕獲対象を攻撃してもいいのだろうか、と一瞬だけ内臓人形(オルガロイド)の攻撃の手が止まる。

 その隙に、朝顔は間抜け面をさらしている老人たちを抱え上げると、銃撃によって何倍もの大きさになった窓から、外に飛び出した。

 落下による強烈な浮遊感の中、朝顔は素早く体勢を整える。老人たちに衝撃がいかないように気を配りながら、朝顔は先ほど殴り飛ばした内臓人形(オルガロイド)の横に着地した。

 義足と生体の接続部分が鈍い痛みを訴え、無茶な行動に対する抗議のように血が幾筋か零れるが、それを無視して老人たちを地面に降ろしながら朝顔は言う。

「逃げるぞ」

「へえ、逃げるぞじゃねえ!」

 途端に、真っ青を通り越して真っ白な顔をしたドムが文句を言う。

「どんな無茶な行動するんだよ! いろんな意味で死ぬかと思ったぞ!」

 猛抗議するドムの前で、朝顔は何だか楽しくなってきて、大声で笑った。ああ、自分は今、生きているという気がした。

「おい」

 その笑いを遮る声がした。ジョンだった。少女の肩を叩き、周りを見るように促す。少女がそれに従って目の前にあるマンションの駐車場を見回すと、すっかり囲まれていた。内臓人形(オルガロイド)に。

 朝顔たちがこのような行動に打って出ることが分かっていたのだろうか。駐車場に止められた大型トレーラーの中から、次々と内臓人形(オルガロイド)が溢れ出してくる。

「ああ、心配すんな」

 そう言うと、朝顔は右手を前に突き出した。今なら、出来る気がした。

《起動命令。第二及び第三タービン(スーパチャージャー)始動。雷撃器(ガントレット)展開》

 朝顔の胸の鼓動が急激に高まり、それに呼応して無機質なシステム音声が返事をする。

《起動命令承認。ランキン・タービン、戦闘出力》

 一瞬の弛緩の後、体がかっと熱くなり、少女の右手に膨大なエネルギーが流れ込む。とてつもない高圧に全身の血管が悲鳴を上げ、血が噴き出る。全身が切り裂かれる痛みが脳を刺す。

 だが今の朝顔にとって、この痛みすら喜びだった。乗り越えに伴う痛み。自分が変わっているという実感を感じさせてくれるものだった。

「ぱぺっと……戻って、おいで」

 その間にも、大型トレーラーからわきだした内臓人形(オルガロイド)は朝顔を幾重にも取り囲んでいた。脳に流し込まれたプログラムに従って、地獄の底を漂う人魂のような声で少女をよぶ。

《FCSオンライン。ロックオン》

 有意義さを完全に失ってしまった自分を思わせる内臓人形(オルガロイド)に向かって、少女は右腕をかまえる。途端に、視界に無数のマーカーが現れ、敵をロックする。

 限界まで溜まったエネルギーが少女を白く染め上げる中、少女は、叫んだ。

「ふざけるな!」

 同時に、臨界寸前のエネルギーを解き放つ。

「これは、私の人生だ!」

 雷に触れた敵が、蒸発していく。

「誰がお前らなんかに」

 駐車場のアスファルトが融けて、地面がむき出しになる。

「やるものか!」

 エネルギーを放出しきった少女の前には、何も残らなかった。内臓人形(オルガロイド)どころか、駐車場のアスファルトすら蒸発している。

 全てのエネルギーを出し切った朝顔は、その場で倒れ込みそうになる。だが、今回は血まみれの自身の足でどっしりと地面の上に立ったまま、言った。

「私は、生きている(自由な)んだ!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ