4-2
ばん!
頭を抱えてがたがた震えている少女のすぐそばで、少女の考えを打ち砕くような銃声が響いた。どうやら、ジョンが内臓人形を撃ったらしい。金属と肉が千切れる音がして内臓人形が火花をあげながら吹っ飛んで行く。
廊下に叩きつけられてもがく内臓人形に止めを刺そうと老人たちが廊下に上半身を出した時だった。オフィスの向こうに見える道路に、内臓人形に囲まれて異様なものが立っているのを老人たちは見つけた。全高は、三mほどだろうか。大きめのビルの廊下ならぎりぎり通れるぐらいの巨体が交番の扉につかえるので外で待機していたのだろう。
マーメイド型だ。
ションに半ば引きずられるようにして少女が廊下に顔を出した途端、過負荷で潰れそうな心が勝手に知識を引っ張り出してくる。キャタピラを備えた下半身にちゃんと指が五本あるアームを二本備えた人間みたいな上半身。アームの下には戦闘機用の嘘みたいに大口径のバルカン砲が一つずつついている。シュテルグが売っている鋼鉄製の戦闘用ロボットだ。
きゅいーん。
そのバルカン砲が、映画とかでよく聞く耳障りな音を奏で始める。
「まずい!」
ジョンが少女に覆いかぶさるようにして身を投げ出す。ドムが同じような行動をとったその時だった。
まるで爆撃みたいな衝撃が襲ってくる。特大の弾丸が、世界の全てを削り取っていくような衝撃の中、少女の頭にいつもの問いが浮かんで来る。
私は一体何をやっているんだろう。
しかし今回の問いは、今までと違って、壊れる寸前の心がシュテルグに屈服するのを正当化するために少女が発したものだった。
シュテルグに逆らって苦しい思いをしているかと思えば、こんな馬鹿みたいな威力の銃撃に晒されて、こんなことなら一生あのままが良かった。今からでも遅くはない。戻るんだ、あの天国みたいな空間に。
という意味のことを手を変え品を変え少女の心が繰り返す。どうにか心が壊れてしまわないようにしようと、必死に言い訳を探す。
「こい!」
頭がどんどん真っ白になっていく少女。おかげで敵の銃撃が止んだことにも気付かなかった。少女は突然ジョンに抱え上げられると、銃撃のせいで大穴が開いた壁から外へ運ばれて行く。その途中で先ほどショットガンで撃たれた内臓人形が額に弾を食らっている――恐らく、ジョンが撃ったのだろう――のを見た少女は、更に明確に死や空虚さをイメージする。少女の心が、いよいよ限界を迎えようとしていた。
少女たちが逃げていくのに気づいた敵が、わらわら建物の中に入って来る。無表情な自分が追いかけてくるさまは、まるで空虚が自分を元の場所に引きずり戻そうとしている様だった。
それは嫌だ。最後にぽつりとつぶやいた少女の心が、完全に思考を停止する。無というべきものが少女の内側全てを満たしていく。もう、全てがどうでもよかった。こんなに苦しいなら、生きなくていいやと思った。死んで全ての苦しみから解放されたい気分だった。
「へえ、はよう!」
幸いにして銃撃の被害を免れたパトカー仕様のクラウン・ヴィクトリアの横に立って、ドムが手招きする。反対の手では拳銃を構えているが、戦闘の経験が乏しいことは火を見るよりも明らかだ。
「分かってる」
ジョンは少女を車の後部座席に放り込むと、運転席に納まって車を急発進させる。反対側のドアやシートに激しく体を打ちつける少女だが、特に痛いとも思わず、ましてやきちんと座り直す気になんかさらさらなれなかった。
ガソリンエンジンが頼もしい唸りをあげ、パトカーが夜の市街地を爆走していく。その音と振動に負けない声でドムが言う。
「へえ、奴ら追って来てるぞ」
「わかってる」
シートの上に寝転がる少女の視界に、いくつものライトを反射させたルームミラーが映る。どうやらここは中流区の中でも外側の区域らしく、安っぽい電動カーや薄汚れた服装をした人が目立つ。それらを踏み砕くように、多数のドール社製の軍用車両と先ほどの戦闘用ロボットが爆走してくる。流石に一般人のいるところで撃ってくることはないが、前に何があろうと気にせず驀進する敵。あれに追いつかれたらこっちまで踏み砕かれてしまうのではないだろうか、ともはや完全に他人事の境地で考える少女。現実感が全く伴っていなかった。その内奇声をあげて自傷行為に走りそうだ。
そんな少女の目に映る敵のライトが、徐々に大きくなってくる。
「むう!」
ジョンの手が虚しくシフトレバーの上を行き来する。できれば今すぐギアを上げて速度を出したいが、市街地でそんなことをすれば間違いなく交通事故を起こして一巻の終わり。そう物語るジョンの右手を、ドムが叩く。
「へえ、あれ!」
そう言って頭上の道路標識を指さすドム。そこには、都市を貫く高架道路の入り口が近くにあることが示されていた。咄嗟にドムの意図を察するジョン。すぐさま標識に従って進路を変更する。
料金所のバーを吹っ飛ばして高架道路に躍り出るパトカー。待ってましたとばかりにエンジンの唸りが高まる。だが敵も同じように高架道路に飛び出す。
「嵌められたか?」
ぐんぐんスピードを上げていくパトカーの運転席でジョンが呟く。高架道路上には、一台も車がいなかった。いくら夜中とはいえ、都市の大動脈である高架道路に車が一台もないということはあり得ない。だとしたら、答えは一つだ。
それを裏付けるように、首を曲げて後ろを窺っていたドムが叫ぶ。
「おいおい、何やってんだよ!」
流石のドムも楽観的ではいられなくなる。ドムの指の先では、まるで曲芸のような数の内臓人形が各軍用車両の窓から身を乗り出していた。手に手に武器を携えて。どうやら罠にかかった敵に止めを刺すもりのようだ。戦闘用ロボットまでマニピュレーターにくわえ込んだライフルを構える。どう足掻いても少女たちの勝ちはないと思っているのか、悠々と狙いをつけている。
ルームミラー越しにその光景を確認する少女。心のどこかが、今すぐに自分を撃ってほしい、という言葉を紡ぐ。ここまでくると、一周回って楽しい気分だった。このままひき肉にしてもらえれば、少なくともシュテルグに捕まることはなくなる。それを思うと、なんだかすごく愉快な気分になる気がした。
「おい」
ルームミラーで敵の行動を確認したジョンは、こういう時こそ冷静にならなければというように、落ち着いた様子でドムにショットガンを手渡す。
なんでよ。邪魔しないでよという言葉が小さく少女の口から出て来るが、幸いにして二人の耳には届かなかった。
「こおいうのはおれの専門じゃねえんだけどよお」
文句を言いながらもショットガンを受け取ったドムは、その場で体の向きを変えると、ダッシュボードに背中を預けるような恰好になる。運転席と助手席の間からショットガンを後ろに向ける。
ドムの構えるショットガンの銃口に視線が吸い込まれる少女。どうせなら、このまま私のことを撃ってほしいと思う少女。それも、脳みそを。ほらお願いだから、撃ってよ。私が楽になるのを邪魔しないでよ、という叫び声をあげる少女。だが実際は、心の中で叫んだだけで、口には出していなかった。心がへし折れているせいで、体を動かすことができなかった
壊れかけの少女にではなく敵に向かって銃火が勃発する。散弾によって吹き飛ばされたリアウィンドウの破片が少女に降り注ぐがが、それを嫌だと思うような心は今の少女には存在しなかった。
ばん! ばん! ばん!
立て続けに発生する銃火。だが効果の方は今一つのようで、ドムが舌打ちする。
「へえ、やっぱり当たらん」
全弾撃ち尽くしたらしく、弾を装填しにかかるドム。それを見たジョンが舌打ちしながら右手でリボルバー拳銃を抜く。
「もうちょっと銃の練習したらどうだ?」
ため息交じりにそう言うと、拳銃を後ろに向けてミラーで狙いをつけると、撃った。銃声が一つに聞こえるような怒涛の連射だ。
五連発の弾倉が一瞬で空になり、追っていた軍用車両のうちの一台がエンジンから火を噴く。いくら軍用といえど、神業じみた射撃で一点を突かれることなんか想定されていない。燃料に火が回り、火を噴いた車両が爆発して火柱と化す。
そのお返しだと言わんばかりに、残りの敵の銃器が一斉に火を噴いた。内臓人形ばかりかマーメイド型も両のマニピュレーターのアサルトライフルをこちらに向かって撃ちまくる。ジョンとドムが身を伏せるのと同時に、車体が大きく揺さぶられる。窓が割れて車体の外板が一瞬で穴だらけになるが、パトカーだけあって防弾はそれなりに施されているらしく、車体を貫通してくる弾は今のところない。
ほら、頑張ってよ。頑張って私を天国に送り込んで、と壊れた笑顔を顔に貼りつかせて自分の脳天を撃ち抜いてくれる決定的な一撃を渇望する少女。
「どうやら敵さん、このおじょおさんにご執心みたいだ。さっきからこっちの致命傷になるようなのが一発も飛んでこないぞ」
「ああ。おかげで助かっているが、この車でこんなもの食らい続けたら、そのうち火達磨だ!」
二人の必死の声が聞こえるが、少女にとってその言葉は全く別の意味に聞こえる。この車の弱点が思い出され、更に愉快な気分になる。そうだ、この車は燃えるんだ。焼かれて死ぬのも、楽しそうだ、とうきうきした心で歌う少女。
少女が、焼死する自分を明確にイメージした瞬間、それはやってきた。かつて燃料タンクの防弾に問題があって銃撃戦の最中に燃えることが問題になった車が、今また、燃え始めた。
きた!
心待ちにしていたものの到来に心躍る少女。だが、ジョンとドムは反対に、死にもの狂いだった。
「こい!」
ガラスにまみれてにやにや笑っている少女の胸ぐらを掴むと、座席の間から無理矢理前席に引っ張り込むジョン。
ちょっと、もうすぐ天国に行けるのに何するの、と心の中で抗議する少女を膝の上に抱えたところで一度だけ大きくブレーキを踏むと、ジョンとドムは一斉に車外に躍り出た。
ばらばらになって道路の上を転がる三人。一度速度を殺したとはいえ高速走行をしていた車から飛び降りたのだ。体をばらばらに引きちぎられそうな痛みが少女を襲う。
どうにか少女が道路の上で止まったところで、自走して行った車が爆発する。天高く巻き上げられた部品の数々が少女の上に降り注ぐ。
さっきまで死にたいとか思っていたクセに、しっかりと体を抱えて身を守ろうとする少女。何やかんや言ったところで、いざ死を目の前にすると、たまらなく怖かった。先ほど見た脳天を撃たれた内臓人形の姿がフラッシュバックし、自らの額に穴が開くところを幻視する。
不意に少女の背をつつくものがあった。恐る恐る顔を上げてみると、それは内臓人形だった。
「あ、あ」
アサルトライフルの銃口でこんこんと少女の背中を叩く内臓人形。少女の口から声にならない声が漏れる。
怖い。それが偽らざる少女の心情だった。結局、何を言ったところで、自分が死ぬのは怖いのだ。有意義な人生を送れないなら死んだほうがいいと思ってみたところで、死ぬ気になんかさらさらなれない。何て中途半端なんだろうと少女は思う。こんな自分は、きっと、空虚なまま生きるのがお似合いだ、と壊れかけの心が少女に耳打ちする。
ただその一方で、恐怖に支配されつくしたと思われた少女の心の一部が未だにささやいていた。空虚な生を送るぐらいなら死んでしまえと。
内臓人形によってジョンとドムと共に一か所に集められて座らされる間も、死にたいという思いと生きたいという思いの間を高速で往復する少女の心。そのことだけで思考がいっぱいになり、目の前にあるガトリングガンの銃口すら意識に入らなくなっていた。
そんなときだった。シュテルグの声が聞こえてきたのは。
「やあ、パペット、二日ぶりかな?」
俯いて鬱状態に陥っていた少女は、その声にはっとして顔を上げる。ジョンとドムも同じようにそちらを向く。
「シュテルグ……」
少女たちを取り囲んでいる内臓人形のうちの一体が持つ携帯端末の画面にシュテルグの顔を認めたとたん、少女は小さく呟いた。敵意と虚脱感が共存する、なんとも痛ましい声だった。
「父と呼んでほしいものだね」
どうやら録音ではなく電話のようで、少女の呟きに反応するシュテルグ。スピーカー越しに聞こえるその声は、まるで少女に〝娘〟という役柄を押し付けようとしている様だった。
「さておき、散歩はこの位にして、こちらに戻っておいで。反抗期だからその位のことをしたくなるのはわからないでもない。今回のことは、大目に見るから。また一緒に、正しいものを目指そう、な?」
あの、他人と慈しんでいるようで実は自分のことしか考えていない声でシュテルグは言った。それに合わせて内臓人形たちが一斉に銃を構える。恐怖で一歩下がる少女たち。
死にたくない! 少女の心が叫ぶ。シュテルグに本気で撃つつもりがあるのかはわからない。でも、こんな所で死ぬのはいやだ!
恐怖に染まった少女がシュテルグに降伏しようとする。だがその直前、シュテルグの顔を正面から捉えた瞬間に、心がまたもや否を突き付ける。
こんな男に従って空虚に生きるのは、もっと嫌だ! それなら、例え一瞬でも有意義に生きて死ぬ方が、何万倍もまし!
少女の中で急激にシュテルグに対する敵意が広がる。だが、同時に死にたくないという気持ちも膨れ上がる。もうとっくにばらばらになったと思っていた心が、引き裂かれるような痛みを訴えてくる。心臓がかつてないほどの早く大きく鼓動し、限界を超えて分泌された脳内物質で脳が焦げるようだ。心と体が空中分解するような苦痛に少女がさいなまれる。今が人生の瀬戸際で、ここで選択を誤れば一生を棒に振ることになるという途轍もない強迫観念。それに耐えきれなくなった少女が、心の中で呟いた。
私は一体何をやっているのだろう? 一体、どうしたらいいの?
《神経安全弁の破壊を確認。第二及び第三タービン始動》
それに応えるかのように、いつか聞いた無慈悲なシステム音声が勃発した。
なに? と思う間もなく、少女の体に変化が起こる。ランキン・タービンと呼ばれる少女の胸の発電機構が、戦闘出力で目覚めたのだ。
普段から使用されている第一タービンのエネルギーが全て第二及タービンに回され、少女の四肢が一瞬弛緩する。だが、次の瞬間には、血液循環を超加速する役目を負った第二タービンと、高負荷状態の発電に特化した第三タービンによって、膨大なエネルギーが生み出される。
何だか訳が分からないが、取りあえず世界中の全てを吹き飛ばしてしまいたい衝動に駆られる少女。
とてつもないエネルギーによって駆動する義足で地面に立つと、右手を敵に向ける少女。その様はまるで重戦車の様で、敵が一斉にたじろぐ。シュテルグが驚喜と怒りの眼差しを、ジョンとドムが驚きと観察するような目を向けでくるが、今の少女にとってはどちらも知ったことではなかった。
《雷撃器の接続を確認。火器管制システムオンライン》
電磁石を仕込まれたレールが展張し、保護棒を握りしめる少女。空中に取り残された指を覆っていた部分から、高出力の雷が放出される。
同時に、人間の限界を超える血液循環に耐えられなくなった少女の全身の血管が裂け、ドス黒い人工血液が噴き出す。
「あああああああああああああああああああああああああああ!」
口からごぼごぼと人工血液が溢れ出て来る。放出されたエネルギーが、電磁石によって誘導され、ありえないぐらいに圧縮される。
もはやロックオンする必要なんかないと判断されたのか、少女の視界にロックオンマーカーが表示されることはなかった。
早く、自分を含む世界の全てを壊してしまいたい。その衝動に従って、エネルギーを解き放った。
信じられないような音がして、蒼い筋が内臓人形たちとマーメイド型のロボットに伸びていく。少女の放つ雷に打たれた瞬間に、内臓人形たちはおろかロボットすら霧となって蒸発した。
「おおおおおおおおおおおおおお!」
獣みたいな声で咆える少女。激情に従い、世界を焼き尽くす為に雷を放つ。こうすれば、押しつぶされた心がもとに戻るような気がして
後には何も残らなかった。
少女が全てのエネルギーを放出し終えたとき、敵は全てきれいさっぱり消え去っていた。恐らく、膨大な電熱によって蒸発したのだろう。
「へ、ざまあみろ」
それを確認した少女は訳の分からない陶酔感に従って一言そう言うと、自らが作り出した血の海に倒れ込んだ。