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夜、少女――パペットは廊下を歩いていた。コンクリートで長方形に形作られた、オフィスビルの廊下だ。現在は夜中。廊下はほとんど灯りが点いておらず、薄暗く不気味だ。
昼間の学生服姿のまま、右手に九㎜径の軍用自動拳銃を持って歩いていた。この国の軍隊で内臓人形向けに支給されているものだ。弾痕だらけの体からは赤色と黒色の二種類の血がしたたり、廊下に血の足跡を刻み付けていく。
私は一体何をしているんだろう? 幽鬼みたいな足取りで歩きながら、パペットは頭のどこかでぼんやり考える。同時に別のどこかから、私は一生このままなんだろうか、という考えも浮かんで来る。
弾は全部体内装甲で止まっている。ここで弾が止まれば三〇分から一時間は活動可能、というふれこみ通りの性能を体内装甲が発揮してくれているなら、あと二〇分は動ける。それだけあれば、十分だ。
パペットはいつもの胸を苦しくさせる思考を頭から追い出すと、目の前の懸案事項を片づけるための現実的な思考をしながら、廊下に並んだドアのうちの一つを開いた。
「ひ、ひぃ!」
開いた瞬間、悲鳴と共に銃口が向けられた。いつも通りの反応だ。パペットは銃口に構わずに手の拳銃をホルスターに納めた。部屋の中は、広々としたオフィスだった。部屋の中央に木のデスクが置かれ、その上にはデスクトップ型のPCが鎮座している。男の背後の窓には、遥か地上の中心街の夜景が映っていた。
「け、警備はどうした?」
そんなの皆殺しにしたに決まってるのに。今まで葬ってきた男たちと全く同じ反応をする男。それに向かって、パペットは無造作に右手を構えた。雷撃器付きの手を向けられただけで、今にも拳銃を暴発させそうな男。その男を捉えるパペットの視界に、にわかに変化が訪れる。
接続器を経由した視界に、戦闘機のロックオンマーカーのような物が現れる。それは、視界の中を暫く彷徨っていたかと思うと、男に重なったところで停まった。
《起動命令。ランキン・タービン始動。雷撃器展開》
少女が声にならない命令を発すると、腕の雷撃器に変化が起こった。義手と雷撃器との接続部から二本のレールが展張する。そのレールは、少女の腕を挟み込むような恰好で手から三〇㎝ほど飛び出すような長さまでになった。同時に、雷撃器から掌に差し出された棒状のものを握り込む。すると仕込みナイフが飛び出すように、雷撃器の指を覆う部分だけが空中に取り残される。
「こ、この!」
それを見て危機を悟ったのか、男が引き金を引いた。
「ぐっ!」
銃声に混じって肉が裂ける音と金属同士がぶつかる音がして、パペットの体に新たに孔が穿たれる。開いた孔から黒い人工血液が流れだす。だが体内装甲を貫通した弾はなく、致命傷には至らない。
もはや慣れきった痛みだった。何度も同じ痛みを味わったせいで不感症気味になっているパペットは歯を食いしばるだけでそれに耐えると、左手を胸に当てた。内臓人形が義肢を駆動させるために胸の動脈に搭載している発電用タービンの律動が伝わる。
だが少女のそれは、普通のタービンとは違う特別製だった。こんなことしたらせっかく暴走に見せかけたのが水の泡になっちゃうのに、などという父親への文句を思い浮かべながら意識をランキン・タービンと呼ばれる胸の特別製の機械に集中させる。タービンの鼓動が徐々に高まってくるのが感じられ、腕から伸びたレールに仕込まれ電磁石に通電するのが分かった。同時に、空中に取り残された雷撃器の先端が、高電圧を受けて青白く発光する。
だがそこまでだった。一定のところまでうなりを高めたタービンだったが、一定値を超えたところで急速に力を失っていく。パペットの視界でちらついていたエネルギーゲージが一気にゼロ付近まで落ち込み、電磁石も力を失う。義手が元通りの形になる。
ああ、やっぱりだめだったか。いつも通りの展開に、パペットは感情の無い声で呟くと腰から拳銃を抜いた。
「く、くそ!」
それを弾倉を拳銃に押し込もうと格闘している男に向けると、撃った。取りあえず、弾倉の中に残っていた全弾を。男が赤い血を流して、窓まで吹っ飛んで行った。赤い返り血を浴びるパペット。無造作に弾倉を排出して新たな弾倉を突っ込みながら、無造作に男に歩み寄る。
驚くべきことに、男は生きていた。何発になるかもわからない弾を食らって。いや、それも当然だ。出来る限り急所を外して撃ったのだから。
「が……なに、を?」
傷を押さえる力すら失った男が、パペットの行動を見て小さく声をあげる。パペットは右手に拳銃を持ったまま、左手に超小型のカメラを構えた。スパイなんかが使う軍需品だ。
男の言葉に答えることなく録画ボタンを押すパペット。こうするのが、父親の趣味だから。こうやって踏み躙られる人を見て優越感に浸るのが。パペットが銃の引き金を引いた。何度も何度も。わざと男の頭や胸を外して撃つ。そのたびに、男が悲鳴をあげる。
気持ち悪い。みんな、死んじゃえ。何に対するものなのかわからい言葉がパペットの脳裏に浮かぶ。がち、がち、と引き金が空転する音がする。いつの間にか弾を撃ち尽くしていたらしい。だが弾倉を交換する必要はないだろう。すでに男は死んでいるのだから。
男の死に対して擦り切れた心でも多少は罪悪感が湧くかと思ったが、パペットの心に湧いてきたのは、むしろどこかすっとするような感情だった。いや、それも当然だろう、とパペットは思う。
この都市では、果ての無い上昇志向と野心こそが正義とされている。よりドーナッツの穴に近づくことがステータスであるとされている。勿論、ここでそれを目指す者たちの間にも一定のルールはあるのだが、それさえ守っていれば、他の事は大抵が許された。例え自らの上昇志向の為に人を殺したとしても、ほとんどは許容される。今のパペットのように。
パペットはそんな都市のありかたが嫌いだった。どうせ真ん中を目指したところで、そこに待ち構えているのは虚無でしかない。虚無を撒き散らしながら虚無を目指すという行為が、パペットにとっては厭悪の対象でしかなかった。
そして今殺したのは、そんな虚無を撒く男たちの内の一人なのだ。パペットが男の死に胸を軽くしたのは、むしろ当然のことだろう。
パペットは拳銃とカメラをそれぞれホルスターと服のポケットに納めると、代わりにUSBメモリを取り出した。デスクの上にあるPCに歩み寄り、電源を入れる。起動するためにパスワードを要求されるが、それを無視してUSBをポートに差し込んだ。
途端にハッキングプログラムが作動し、PCの中身が吸い出されて行く。男のビジネスやら悪事やらの記録が、USBの中にしか存在しなくなる。
この上昇志向こそが正義であると語るこの都市において、ルールすら無視してドーナッツの中心を目指しているのがパペットの父だった。
若くして起業し一大兵器会社を作り上げた男の自己実現。金と社会的地位という外部のものでの自己実現。他人の評価を空っぽの自分の中に入れて悦ぶ男。馬鹿馬鹿しいことこの上ないものを目指す父親。それに従うしかない自分は、もっと馬鹿馬鹿しい。
パペットがそんなことを考えていると、PCの画面にデータの移動を終えたことを示す表示が現れる。パペットはUSBを引っこ抜いてポケットにつっこむと代わりに銃を取り出す。余裕を持って銃の弾倉を交換し、PCを撃った。念には念を入れて、二度とこのPCが起動することが無いように。
PCが破壊されたことを確認したパペットはこの場を去るべく歩み寄る。オフィスの入り口ではなく窓に。高層ビル用の強化ガラス越しに地上までの高さを確認する。地上の様子を確認する。計画通りだけど、少し大変そう。そういう感想を抱くパペットだが、体はそれとは関係なしにやるべきことをさくさく実行する。
窓に向かって銃を構えて引き金を引く。自分が通る出入り口を作るみたいに、四角く。これぐらいで良いだろうと思ったところでパペットは今度は拳銃をホルスターに納めて右手で窓を殴りつけた。軍事技術の本領発揮とばかりに、機械仕掛けの腕が強化ガラスを叩き割る。派手な音がしてガラスが割れた途端、ビル風が吹き込んで、パペットの栗色の髪やら赤黒く染まった制服やらが風になびく。ちょっとだけ清々しい気分になる。自分の体の中に溜まった汚濁が風で吹き飛ばされる気分だ。できれば、自分自身もこのまま吹き飛ばされてしまいたい。
そんな願いを実現するかのごとく、パペットは風に取り込まれるようにして窓から飛んだ。
急激な浮遊感に包まれる体。今頃になって活動し始めた損傷修復用のナノマシーンが皮下で蠢くのを感じながら、パペットはビルに向かって手を伸ばした。単純な落下から脱し、それを制御するべく。
ぎゃりぎゃりぎゃりという音がして、コンクリート壁と義手の間で火花が散る。人工皮膚やらコンクリート片やらが飛び散るのにも構わずに、右手の指をビルに突き立てる。浮遊感が急激に失せていき、落下がコントロールされたものになるのを感じる。肩の辺りに痛みが走り、右手から嫌な音が聞こえるが、強度がいつも通りなら目標地点まではもつはずだ。
ビルの壁面をまるでエレベーターか何かのように移動するパペットは、地上まであと一〇mほどというところで、おもむろに手をビルから離した。だが今回はさっきの無軌道な落下とは違う。目的あってのことだ。パペットは両足をぴったりと合わせ、両手を胸の前で交差する。まるでこれから一個の砲弾になって、何かを突き破ろうとしているようだ。
ばがん! 先ほど殺した男のビル前ロータリーに響く大音。同時に、そこにあったマンホールの蓋が盛大にはじけ飛ぶ。下水道に転がり込んだパペットは、ざわつくロータリーの下を人間離れした義足の脚力で一気に駆けていった。
申し訳ありません。パソコン大破事件(内臓HDDが壊れたのでメーカーで交換)を引き起こしてしまい、すっかり遅くなりました。
というか、あまりにも予定外で、私自身めっちゃびびってます。
本来ならこのお話は8月中に書き上げるつもりだったのですが、いまだに書きあがってません。
マジでどうしよう。