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注:この作品は人に読んでいただくためではなく、作者が自分のために書いたものです。
「私は一体何をしているんだろう」
学校からの帰り道、少女の口から小さく呟きが零れた。いつもだったらそっと胸の中にしまっておくはずの恒常化した呟きが、どう言う訳だか今日は口から洩れてきた。いや、原因は分かっている。きっと、八年生向けの進路指導なんていうものを本日最後の講義の時間に受けてしまったからだろう。そして、そこで友人たちの将来の展望なんていうものを聞いてしまったからに違いなかった。
超が付くほど近代化された都市の中、栗色の髪をショートに纏め、伝統的なデザインの学生服に身を包んだ少女は、右手に学校の塀、左手に電動カーや水素エンジンカーが走り抜けていく地上の幹道を見ながら歩道を歩いて行く。環境破壊に対する反発とガソリンの枯渇で、今ではガソリン車は金持ちの道楽であるクラシックカーか、軍用車両ぐらいしか存在していなかった。おかげで幹道脇の歩道といえど、排気ガスで少女がむせ返るようなことにはならなかった。
その遥か頭上では、同心円状の都市を中心から円周までぶち抜いている高架道路が走り抜けている。しかし少女の目にそれは入らない。経済的成功者を集める都市中心部の現代的どころか未来的な風景も天高くそびえるビル群も、何もかも、俯いてすり減ったアスファルトを見ながら歩いている少女の目には入らない。
綺麗な都市を目指した再開発計画のおかげで、この都市は完璧な円形に整形され完璧な住み分けが実現されていた。ドーナッツの中心にある穴のような都市中心部には、各種政治機構や裁判所、巨大企業のビルが立ち並び、ガラスとコンクリートで構成された密林じみた光景を現出させている。
その周辺部分には、ドーナッツの穴を取り囲む薄い生地のように富裕層の住む地区が広がり、煌びやかだがどこか静かな雰囲気を湛えている。
ドーナッツの〝身〟の部分たる中流層の住む部分は、富裕層の住む区画から広がり都市面積の半分以上を占めているが、ホワイトカラーもブルーカラーもごった煮状態のこの区画では慢性的に住宅が不足していた。
最後に、薄皮みたいに都市の最外円部に広がるのがスラム街だ。その日を生きるのに精一杯の人々が狭い面積にひしめき合うようにして暮らし、妖しい店や犯罪の天国になっている。
「やあやあ」
溜息を吐きながら少女が富裕区と中心街の中間辺りにある道を歩いていると、唐突に件の友人に後ろから肩を叩かれた。友人は彼女持前の明るさで、言った。
「パペット=シュテルグ君。どうしたのかね? 浮かない顔をして?」
パペット=シュテルグ――それがここでの少女の名だった。父親がつけてくれた名だ。だが、少女はどうにもこの名前が好きになれなかった。この名前を聞くたびに、お前は一生操り人形なんだよ、と言われている気分になるからだ。
何度傷心を癒してくれたか分からない友人の天性の朗らかさも、今は名前と合わさって心苦しさを招くばかりで、自分は一体何をやっているのだろうという問いが、少女の心の中にリフレインする。
「もぉ、だからその名前で呼ばないでって言ってるでしょ?」
だがそれにも関わらず慌てて笑顔を繕おうとする少女。しかし結局は間に合わず、友人に悩んでいることを一瞬で見抜かれてしまう。自分の迂闊さを呪いながら、友人の方に顔を向ける。
「あ、もしかして、今日の進路指導のこと?」
しかも、これまた彼女の才能というのか、人の核心をあっさりと突いてくる。
「うん、まあ」
隠すと余計なことまで見抜かれるだけだと思った少女は、素直にうなずく。
「あー、やっぱり?」
友人が少女の正面に回り込んで、顔を覗き込むようにしながら言った。
「あんなの、やってられないよね。将来のことなんて、誰が知るかっての。ねえ?」
どうやら自分を元気づけようとしてくれているらしく、軽い調子で進路指導のことを馬鹿にする。少女も、それに合わせて言った。
「うん、そうだよね」
合わせながら、少女は友人に対して少しだけ妬ましい気持ちになった。少女は知っていた。こんなことを言う友人だが、実はしっかりと将来のことが心に決まっていて、実はしっかりとハイ・スクールのパンフレットまで持っていて、その上しっかりと勉強していることを。
「でもさ、あんたはいいよね」
からかうような調子で友人は言う。
「この都市の中で今一番人気の企業のご令嬢なんでしょ? てことは、この国一番の上昇株の企業のご令嬢ってことでしょ? いいなぁ」
その言葉を聞いた途端、ずきんと少女の胸が大きく傷んだ。だがそれを表情に出さないように努める少女。
「ほら、ドール社だっけ? すごいよね。オルガ……オルガ……なんだっけ? ほら、とにかくすごい人形。ロボットとかサイボーグとかの技術革新しちゃったやつ。あれ作ってる会社でしょ? 別になんにも悩まなくても、その会社継ぐんでしょ? なんか色々言われてるけど、やっぱり将来あんたいじゃん?」
「あはは……ひゃ!」
苦笑いするパペットの右手が友人によって持ち上げられた。しかも、頬ずりまでされる。
「んー、この冷たい義手の感触。これは軍事用の技術を使った最新モデルですなぁ」
「ちょ、やめてよ」
そう言って金属製の手に頬ずりする友人を振りほどこうとするが、そうはさせてくれなかった。
「しかも何? このごっつい手甲みたいなの? こりゃ大事にされてる証拠ですなぁ」
少女の四肢は、義手だった。生まれつき手足の無い少女に、最新のロボット技術とサイボーグ技術を駆使して与えられた義手が、今友人の触っているもの。友人の言うところの〝ごっつい〟軍事技術の転用で作り上げられた代物だが、見た目はほとんど本物の手足と変わらなかった。ただ一つ、右手を除いては。
他の手足はすべすべの人口皮膚で全面を覆われているのに、少女の右手だけは手の甲の側半分が、甲冑みたいな金属で覆われていた。それは肘の辺りから腕と一体化するように突き出し、日本の鎧兜のように腕、手の甲、指の第一関節の辺りまでを覆っていた。
「だから、これは前にも言ったけど、私は右腕ばっかり使う癖があって、義手がすぐに壊れちゃうから、その補助用の補助具で……」
「ほう。軍事技術の塊を壊すとは、中々にハードな使い方をしていらっしゃるようで」
さてはこんなことをしているのかな、なんて言って友人は少女の義手を自分の胸にあてがい、ご丁寧に、あん、だめ、なんて言いながら少女の手に自分の手を重ねて胸を揉みしだく。
「ちょ、なにしてるの!」
柔らかい感触が手に伝わってきて、慌てて右手を引っ込める。友人の下ネタに対して、ちょっとだけ怒ってるんだよ、という顔をする少女。気づけば、すっかり暗い気分は吹き飛んでいた。どうやら、気を使わせてしまったようだ。でも残念ながら、この娘と分かれた後――それもすぐに――またあの暗い気持ちにとらわれるだろうことは分かっていた。
「もしもし、お嬢さん方?」
少女二人がふざけ合っていると、突然声をかけられた。渋いが穏やかな声だ。一瞬のうちに余所行き用の顔になった二人がそちらを向くと、年配の警察官が一人、すぐそこに立っていた。年代物のリボルバー拳銃を腰に提げ、これまた払下げ品みたいな年代物の装備で身を固めている。本人といい装備といい、いかにも引退寸前という感じだった。
見た目は全くそんな感じじゃないのに、何となくカウボーイとか三代目の大泥棒の相棒である世界一のガンマンとかみたいと思う少女の前で、それだけ今さっきどこかで買ってきましたという感じのサングラスを取りながら、警察官は穏やかな声で言った。
「最近この辺では内臓人形による事故が多発している。ふざけていないで、真っ直ぐ帰りなさい」
あ、オルガロイドだ、とその言葉を聞いた瞬間に友人が言った。
内臓人形とは、少女の父親が経営する兵器会社であるドール社の制作するエポックメイキングな軍事用のロボットだった。クローン技術の応用で制作された手足と脳の無い人間の体に、戦闘用の義肢とコンピューター、防御用の体内装甲を備え付け、インストールされた戦闘用プログラムによって駆動する。
基本が人間の体のため、面倒くさいメンテナンスの手間を減らすことができ、体の神経系や内臓からのフィードバックの影響なのか、純度一〇〇%のロボットよりもずっと柔軟に動ける。その戦闘の様は、まるで百戦錬磨の特殊部隊員のよう。さりとてサイボーグと違って人間ではないので高い給料も必要ない。衣食住も人間だったら人権条約とかで問題にされそうなレベルのものでオーケー。唯一の弱点は、SFみたいに内蔵された兵器で戦うのではなく、通常の銃器を使用するところだろうか。
その内臓人形が、ここ数年、都市の中で度々事故を起こすのだ。警備用に民間に卸されたものや、研究用にライバル会社に買われたもの。それらが度々暴走し不幸な死亡事故を起こす。しかも、富裕区や中心街でばかり。そのおかげで、少女の実家たるドール社にも、少々悪い噂が持ち上がるようになっていた。
こんなことが立て続けに起こったところで、流石にこれは看過していられないと思ったのか、行政は最近になって街中――と言っても富裕区と中心街だけだが――に警察官を配備したのだ。この老警察官も、その内の一人だろう。
「あ、はーい」
二人して適当な返事をすると、警察官は、仕事は果たした、とでも言いたげな様子でパトカーに戻って行った。その姿を目で追う少女たちの前で警察官はパトカー――何世代も前の、クラウン・ヴィクトリアを元にしたガソリンエンジンのパトカーだ。ガソリン云々以前の問題として、銃撃戦において燃料タンクが発火する欠陥が明らかになったため、今は田舎でだって使っていないようなものだ――に乗り込み、車内に待機していた相棒の警察官と何事か話すと、走り去っていった。
本当にやる気があるのだろうか。何もかもが払下げ品みたいな警察官たちが走り去るのを見ながら、少女は思う。もし本当に内臓人形の事故を問題にしているのなら、もっと良い装備を持った若い警察官を使いそうな気がするけれど。警察官の数が足りていないのか、お役所仕事のたまものなのか、それとも……
「ほら、何ぼーっとしてんの?」
「きゃ!」
そこで唐突に、友人に尻を触れた。痴漢なんかにあったことはないけれど、きっとこんな触り方をするんだろうな、と思わせる友人の手つきに思わず悲鳴をあげてしまう。
「ちょっと!」
「ほら、捕まえてごらんなさい」
からからと笑いながら逃げていく友人を少女は小走りで追いかける。
「こら、待て!」
「ほらほら、そんなことじゃ、次に事故にあうのは君かもよ?」
笑いながら街中を駆けていく。
そうしながら、少女は頭の片隅で呟いた。
それとも、父親がそうならないようにしているのだろうか。
お久しぶりです。
本当は全て書き上げてから投稿するつもりだったのですが、クライマックスシーン(文庫換算で残り40~60頁ぐらい)あたりでモチベーションが下がってしまったので、それを上げて、ついでに筆速も上げるために前倒しで投稿です。