第二章 あなたは (3)
新規プロジェクトに参加したジュンは、選ばれたプロジェクトのメンバーとトランスファーの為、シンガポールに主張で来ます。上司である柏木と後藤が、二人を置いて街に繰り出すと竹宮は、山之内に後を期待しますが。
(3)
竹宮は、柏木部長が体を慣らすためとか言って、観光目的で前日入りしたのを理解していた。
だが、シンガポールに同行しているメンバの内、後藤と柏木は、自分の年齢の倍近い。せっかくの時間だが、とてもまともな会話が出来ると思っていなかった。それだけに山之内が一緒だったのは、助かったと感じていた。
一行は、市内のホテルにチェックインすると、まだ午後三時だ。シンガポールと日本の時差一時間は、得した気分だ。
柏木は、空港からホテルに着くとチェックイン前に、同行の三人を目に前にして
「明日、シンガポールオフィスには九時半に入る。ホテルからタクシーで行くから、フロントに九時一〇分に集合だ」
そう言うと後藤に目配せしてフロントへ向かった。
ジュンは頭のなかで、過去何度か来ていて、遊びどころを知っているんだな。まあ仕方ないか。・・・ふと竹宮を見ると少し困った顔をしていた。
「竹宮さん、僕たちもチェックインしましょう」
そう言って竹宮にチェックインするように促すと、竹宮は柏木と後藤の後姿を見ながら
「山之内君は、どうするの」
竹宮は、海外出張は初めてだった。だが、山之内は、語学力を買われ、USボストンの開発拠点やサンフランシスコの本社に行っている。それだけにシンガポールと言っても違和感はないだろうと期待していた。期待を込めて質問をすると
「どうするのと言われても、ここ初めてだし」
竹宮は、まったく、もっとまともな返事できないの・・。と思いつつ、
「でも山之内君は、海外色々行っているからここでも大丈夫でしょ」
「うーん、どうしようかな」
煮え切らない言葉に
「ねえ、私、海外出張初めてなの。山之内君、リードしてよ」
頭の中でえーっ、そんなこと言われたって、ここ初めてだし・・。と思いながら
「分かった。じゃあ、コンシェルジュに聞いてみる。ちょっと待って」
と言って、コンシェルジュに行くと何か話しているようだった。
「竹宮さん、大体分かった。取りあえず、チェックインして部屋に荷物置こう。ここに二〇分後でいい」
「分かったわ」
助かった。山之内君が、適当になんて言われて自分一人になったら、時間の潰しようがない。へたに外に出て、迷うなってこともしたくないし・・。心の中で、うんと思うと山之内と一緒にフロントに向かった。
フロントから左方向に行き、三台あるエレベータの間の一つのボタンを押すと
「山之内君、何階」
フロントで渡されたチェックインシートを見ながら、到着したエレベータに乗ると
「一五階の一五〇七」
竹宮は、自分のチェックインシートを見ると一五一七と書いてある。
「わあ、同じ階だ」
少し恥ずかしそうに微笑みながら言うと一五階のボタンを押した。
どうしたんだろう。この感じ。奈緒は、自分の体調の異変に気をかけると、一度だけ思い当る節があった。あの時。でもまさか・・。医療系の企業に勤める奈緒は、基本的な事はさすがに知っている。とにかく確認が必要と思うと、部屋着から外出着に着替えて家を出た。
近くの薬局という訳にはいかないわ。新宿まで出れば、気づかれる事もないし・・。奈緒は、新宿まで出ると有名な大型薬局で、妊娠チェックキットを購入した。
帰りの電車の中で、間違いで有ってほしい。でも本当だったら・・。たまらないほどに頭を悩ませながら家に着くとすぐにトイレに行った。
自分でも恥ずかしかったが、紙コップに少し取って、キットの先端を付けた。三〇秒後、キットのマークが+と現れた。本能的にお腹を右手で触りながら、
どうしよう。ジュンは、シンガポール。とにかく親にばれないようにしないと。ジュンが戻ってから。今は仕事中だから変な心配かけたくないし・・。そう思って部屋に戻った。
ホテルのフロントで竹宮と待合わせたジュンは、コンシェルジュでタクシーを呼んでもらうことにした。USの出張の時は空港でレンタカーを借りて自分で移動することが当たり前になっているが、ここシンガポールでは、そこまでしなくても問題ない。だが、日本と違い流しのタクシーを拾う気にはならずコンシェルジュの依頼したのだ。
「山之内君、どこ行くの」
少し不安げな顔をする竹宮に
「シンガポールと言えば、マーライオンでしょう。話のネタ位にはなるよ」
そう言いながら、自分もタクシーに乗り込むと運転手に行先を告げた。シンガポールのタクシーは、日本と違って安い。少し位、待ってもらっていても大した金額にはならなかった。チップを先にはずめば、丁重に扱ってくれる。
竹宮は、運転手とジュンのやり取りに、慣れているな。私も仕事の英語は出来るけど、こんな会話は出来ないわ・・。少し感心しながら横に座るジュンの横顔を気づかれないように横目で見ていた。
ジュンは、港に行った後、タクシーで街中に戻って、竹宮が見知らぬホテルの前でタクシーを止めた。二人で降りると
えっ、山之内さんどういうつもり・・。本能的に身構える様にして
「山之内君、ここは」
怪訝な目で自分を見る竹宮を無視して
「あっ、そうか。シンガポールは、主要な建物は地下道でつながっていて、お店も地下道の中に有るんだ。ここからならホテルに戻れる。外は暑いからね」
山之内の言葉に、竹宮は周りを見ると。本当だ。ほとんど人が歩いていない。でも・・。
「山之内君、ここはじめてなんでしょ。何でそんな事知っているの」
要らぬ疑いの目で見る竹宮に
「チェックイン前にコンシェルジュに行ったでしょ。あの時、教えてくれたんだ」
そうなのか。変に疑ちゃって悪かったな。考えすぎか・・。竹宮の顔が普通に戻ると
「竹宮さん、何か誤解してました」
「何、誤解って」
空々しく言う竹宮に、どう見ても疑ってたでしょ。まあいいか・・。と思うと自分から階段を降りて行った。
この街はホテル同士を地下通路でつないでそこにお土産、本屋などが並んでいる。暑いせいなのだろう。昼は道路を歩く人は少ない街だ。
竹宮は、珍しそうにお店を見て回っている。それに付き合いながら、ジュンは腕時計を見ると六時になった。だが、当たり前の話、柏木も後藤も夕食が一緒と言うことはなかった。
「竹宮さん。お腹すきませんか」
山之内の言葉に嬉しそうな顔で
「うん、どこ行くの」
えーっ、この人、僕に丸投げ・・。呆れた気持ちを顔に出さずに、
「じゃあ、折角だから、港の近くのレストランでも行こうか」
山之内の提案に、嬉しそうに
「うん」と頷くと
「じゃあ、タクシーで行こうか」
そう言って、ホテルの名前の付いた出口を出ると、玄関で待っているタクシーに乗った。ジュンと一緒に港近くのレストランで食事をした後、ホテルに戻った竹宮は、時計を見ると
「ねえ、山之内君、まだ、七時半。ちょっと早いから、ラウンジに行かない」
えっと思いながら
「うん、いいよ」
と言うと二人でラウンジに向かった。
ラウンジと言っても二階の一部をバーにしただけだ。テーブルの側に有る椅子に座り、ジュンは、ボーイに手を上げるとドリンクメニューを頼んだ。
竹宮はその姿に、やはり慣れているな・・。そう思いながら視線をジュンに合わせていると
「どうしたの、竹宮さん」
「えっ、いや、慣れているなと思って」
少し恥ずかしそうに言う竹宮に
「そんなことないよ。それに女性と外国のバーで一緒に飲むなんて始めてだし」
「初めて」
「うん、USの出張の時は、みんなと一緒の時が多いから、今回の様なシチュエーションは初めてだよ」
ジュンは、そう言って見つめ返すと、竹宮は、少し俯いて、恥ずかしそうな仕草をした。
竹宮は、ボーイが持ってきたドリンクメニューを見ると、英語で書かれたメニューは、何となくわかるようで、分からない。何をオーダーすればいいかな。山之内君どうするんだろ。日本だったら簡単なのにな。こういうところで飲んだことないし・・。困った顔をしながら
「山之内君は、何を飲むの」
「うーん、やっぱりシンガポールは、シンガポール・スリングだよね。ラッフルズ・ホテルじゃないけど作ってくれると思う」
シンガポール・スリング、ラッフルズ・ホテル。聞いたことはあるが、現物を知るはずもない。竹宮は、
「あっ、私もそうする」
助け舟とばかりに同じオーダーをした。
「実言うと全然分からなくて」
少し恥ずかしそうに笑いながら言う竹宮に
「まあ、いいよ。こういうところ慣れている女性じゃ、ちょっと抵抗あるし」
えっ、どういう意味・・。と思いながら、周りの様子を見ていると自分たちと同じ様なグループが三組位有った。日本人はいない。
ボーイが持ってきたグラスを見ると竹宮は、目を見張った。強烈なチェリー色の飲み物だ。ボーイが自分と山之内の前にコースターを敷いてシンガポール・スリングのグラスを置いて立ち去ると竹宮は、
「結構、ストレートな色合いね」
期待と物珍しさ半分づつの顔で、手にドリンクを持った。グラスに差してあるストローから少し飲むと結構美味しい。
「わあ、美味しい。頼んで良かった」
竹宮のしぐさに微笑みながら
「そう、良かった」
ジュンもストローに口を付けた。甘みと酸味と少しアルコールの味がする。ジンが薄いなと思って飲んでいるといきなり竹宮が話かけてきた。
「ねえ、山之内君、彼女いるでしょう。どんな人」
えっ、ジュンは、いきなりの質問に、口の中に入っている液体を吹き出しそうになりながら、竹宮の顔を見ると
「いきなり、直球投げるね。竹宮さんは」
一瞬、奈緒の顔を思い出すと、それを振り払ってから
「別に、普通の友達だけだよ」
どう見ても二か月前の電話は、彼女への電話だ。直感で分かる。そう思うと、少しいたずら、してみたくなった。
「ふーん、じゃあ、私と付き合ってみる」
ジュンの顔をじーっと見ながら、真面目な顔で言う目の前に座る女性に、
どういうつもりだ。からかっているのかな・・。と思い、
「からかわないで下さい。竹宮さん。君ほどの人なら、両手両足の指、足しても足らないほど言い寄られるんじゃないですか」
あながちウソでもないよ。という感じで言うと
「ぜーんぜん、社会人になって二年経つけど、だーれも声も掛けてくれない」
ウソはついていなかった。声をかける人はいても、とても相手する気にならい男ばかりだった。竹宮の容姿と体目的で近付いてきたとしか思えない男だけだ。
実際、竹宮は、美しく可愛かった。大きな瞳、すっとした鼻立ちに可愛く下唇が少しだけ厚くプリンとしている。すっきりした顔立ちに輝くほど手入れされた肩先まである髪の毛。色白な肌に、はっきりと目立つ胸は男を引き付けて当たり前だった。
「そうなんだ」
竹宮は、もう、もう少し別の反応ないの・・。と思いながら
「ねえ、さっき言った事ほんとよ」
大きな瞳で見つめられると、少し恥ずかしくなったジュンは、視線をグラスに戻した。
ふふふっ、もう少し、楽しもうかな・・。
「ねえ、山之内君。日本に戻ったらデートしない」
グラスに落としていた視線を横に座る女性に戻すと
「いいけど」
もう、もう少し喜べないの。と思いながら
「じゃあ、そうしよう」
と言って、竹宮は、何気なくスマホの時計を見ると
「あっ、もう九時半だ。二時間もここに居たんだ。山之内君、部屋に戻る。女性は色々あるから」
と言って、さっと引き揚げてしまった。
参ったな。何なんだあの子は。それにここの飲み代、僕が払うの・・。ちょっとお嬢様風な対応に戸惑いながら、まあいいか。そう思って、バーテンにチェックアウトを言ってルームナンバーを記入すると、シンガポールドル紙幣をコースターとグラスの間に挟んで椅子を降りた。
バーテンが、嬉しそうにサンキューという言葉を背中に受けながら、ジュンは部屋に戻った。
一週間のビジネストランスファーも順調にこなして、明日は帰るという最後の夕方に例によって柏木は、
「明日は、土曜日だ。フライトの時間は決まっているから、それぞれチェックアウトして、空港で落ち合おう」
と言うと、また後藤とオフィスを先に出て行った。
さすがにジュンも
「うーん、柏木部長、海外出張慣れてるな」
と言うと
「じゃあ、私たちも早くホテルに戻ったら食事に行こう」
シンガポールにいる間、現地の人のウエルカムディナー以外は、食事もバラバラなので竹宮は、ジュンに頼るしかなかった。
ジュンは、ほぼ仕方ないと思いながら、部長が自分を一緒に連れて来たのは、竹宮対策か。と思う程、仕事が終わると自分たちは、勝手に夜のシンガポールの街に繰り出していた。
それだけにジュンは、竹宮にとても優しく接した。初日の約束など忘れたかのように。 だが、ここでのジュンの竹宮に対する接し方は、竹宮の心の中に、別の感情を抱かせる十分な一因を作っていた。顔には出していないが。
結局、ジュンは、毎日、竹宮と一緒の為、奈緒にお土産を街中で買うことが出来ず、空港でも一緒に付いてくる竹宮に妹向けと言って、奈緒の土産を買った。
エスティローダの可愛いポシェットと、綺麗な口紅のセットだ。
「山之内君、妹さん向けにしては、濃いもの買うのね」
「えっ、ああ、うちの妹は我がままだから」
奈緒の事を思うとあながちウソでもなかった。
帰りの機内で、竹宮は少し疲れが出たのか、日本に帰ると言うことで気が緩んだのか、食事以外はほぼ寝ていた。
隣に座るジュンは、竹宮さんの寝顔可愛いな・・。つい奈緒と比較していることに一瞬だけまずいと思いながら、前シートの背中に付いているTVで暇をつぶした。ビデオ化されたドラマを見ていないと、飛行機の方向と高さだけが表示されている。時計を見ると、後四時間で到着の予定を示していた。
羽田に到着すると竹宮と別れたジュンは、すぐにスマホで奈緒に電話した。もう土曜日の午後四時を過ぎていたが、ジュンも奈緒の声が聞きたかった。少しの呼び出し音の後、
「奈緒、今、羽田に着いた」
「お帰り、ジュン」
いつもとトーンが違う奈緒の声を気にしながら
「これから家に戻る。多分、六時過ぎると思うから今日は無理だけど、明日会わないか」
「うん、勿論いいよ」
「じゃあ、十時にハチ公前交番で」
「分かった」
「じゃあ、明日ね」
ジュンは、奈緒の声に戸惑いを覚えた。どうしたんだろう。いつもの奈緒なら飛びつくように、今日でもいいから会いたい。という言葉を予想していただけに、奈緒の声のトーンの低さに一抹の不安を覚えた。
ジュンは、田園都市線の階段を急ぎ足で駆け上がると、左にくるっとUターンして交番の前を見た。右手には奈緒へのお土産の入った紙袋を持っている。当然いるだろうと思って期待していたが、彼女はいなかった。
あれっ、いつもなら。と思いつつ交番の方へ歩き出すと、後ろからいきなり左手を掴まれた。くるっと振り向くと
「ジュン、私が立っていなかったから心配したんでしょう。階段上がった時の顔に書いてあった」
「えーっ」
と言っていつもの元気のいい奈緒の声に
「どこいたの」
「へへっ、あそこ」
と言って、東急東横店の正面ガラスを指さした。あそこなら階段を上がって来たジュンを正面から見ることが出来る。交番の前にいるとばかり思っていたジュンは、そちらを気にもしなかった。
「どうだったのシンガポールは」
「うん、順調に仕事できた。あっ、これ奈緒へのお土産。後で見せるから、どこかに入ろうか」
「うん」
そう言うと二人で、目の前にある信号を渡った。日曜日、渋谷のスクランブル交差点は、人だらけだ。
ジュンが、シンガポールに行っている間に奈緒の体には大きな変化が起こっていました。ジュンの帰国を待って、奈緒は、ジュンに事実を打ち明けます。
来週をお楽しみに。