第三章 別の人 (3)
ジュンは、奈緒に心がありながらも瞳との関係を深くしていきます。
そして、それは、予想以上の流れに発展していきます。
(3)
「ジュン、あまり飲みすぎては、だめよ。後、必ず連絡を入れて。待っているから」
「分かった。必ずそうする」
「じゃあ」
「うん」
少し寂しそうな顔をしながら、歩き始めた奈緒の後姿を見ると、自分も経堂の改札に入った。
奈緒を三時過ぎに経堂の駅まで送ったジュンは、もう一度、豪徳寺、山下、三軒茶屋、用賀と今日、二度目の同じルートで家に戻った。
なんとなく、奈緒と会っていたことを流したかった。気持ちの整理と言ってもいい。五時に竹宮と渋谷で待合わせている。奈緒と会ったままの気持ちや洋服でそのまま行くことを自分の気持ちが許さなかった。
それは、自分自身の奈緒や竹宮に対する後ろめたさから、逃げることだったのかもしれない。
「ただいま」
この時間では、誰もいないことは分かっていたが、一応声を出して家に入ると、そのまま、洗面所に入った。服を脱ぎ、バスへ入るとお湯のスイッチをオンにした。蛇口を手前に回すと、水が冷たかったが、何も気にせずに浴びた。
「ひゃーっ、冷たい」
段々暖かくなって来たので、石鹸を取ると顔を洗いシャンプーで髪の毛を洗うと大分すっきりとした。ボディブラシで体を洗い、再度シャワーを浴びると、今度は暖かいお湯が出て来たのでしっかりと浴びて、バスを出た。
ちらっと時計を見るともう四時を過ぎていた。いけないと思って、急いで着替えると駅に向かった。
土曜だと言うのに、いつも田園都市線は混んでいる。両親が用賀に初めて越して来た頃、まだ渋谷、二子多摩川間しか走っておらず、新玉線と呼ばれ、とても空いていたと聞いていたが、今を考えると信じられなかった。
渋谷で田園都市線を降り、中央の改札からセンター街方向に抜けて、この前行ったお店の前を通りパルコの裏側に出ると、もう人だかりでいっぱいだった。みんな、公開放送が行われているガラス越しのボックスを覗いている。スペイン坂方向からは、人が流れ出て来ている。
ジュンは、竹宮が来ていると思い、探したが見当たらないので、早かったかなと思い腕時計を見ると午後五時を少しだけ回っていた。
遅れているのかなと思って、人だかりを少し離れて見ていると、ボックスの中で司会者が何か言うたびに、みんなが笑っている。その様子を見ながら待っていると、
「山之内君、待ったあ、ごめん。家を出るのが遅れた」
声の方向に振り向くと、いつもよりしっかりと化粧をして、爽やかな白を基調としたワンピースにオレンジ色のバッグ。ジュンには知らないマークが付いている。そしてスクエアプレートにバリーのシンボルをかたどったクリームイエローの靴を履いていた。
あまりにもいつもと違うイメージに、ジュンはつい目を見張っていると
「どうしたの。私に何か付いている」
「いや、取っても爽やかで素敵だなと思って」
「ふふっ、ありがとう」
実際、竹宮は山之内とのデートの為、結構洋服を選んでいるうちに遅れたのも事実だった。
ジュンは、濃い目のブルーのコットンパンツにストライプの入ったシャツ。そして紺のジャケットと気軽な装いだった。
「見て、ガラス越しのボックスの中にいる男性と女性のDJ。結構有名なのよ。二人の会話が楽しくて、この時間は、いつも一人でFMを聞いているの。こうやって生で公開放送聞けるなんて嬉しいな」
そう言って、いきなり、だらりと下げていた腕を掴まれた。気づかれないようにチラリと見ると、腕をつかんだのが当たり前の様にしてガラスボックスを見ていた。そうしながら竹宮は、ジュンに色々説明をしてくれる。
ジュンは、分からないながらも嬉しそうに話す竹宮を見ていた。
「さて、今までお聞き頂いた皆さん。六時で終了の時間です」
そう言いながら、隣の女性との掛け合いをしていた。やがてその放送が終わり、次の放送のDJが現れると
「楽しかったあ。山之内君、こういうの見るの初めて」
「うん」
「どうだった。面白かったでしょう」
ジュンは、あまり良く分からなかったが、竹宮の言葉に
「うん、楽しかった。あまりよく分からなかったけど」
「そうだよね」
そう言いながらジュンの反応をものともしないで
「ねえ、少し早いけど食事行かない」
期待するような顔で言う竹宮に
「そうだね。どこが良い」
「山之内君、選んで」
またー、もう。と思いながらも
「どこにしようか。竹宮さんワインとか飲める」
「ワイン・・。少しは」
竹宮は、ワインの事は全く分からなかった。どちらかと言うと日本酒派だ。父親譲りなのかもしれない。ただ母が白ワインを好んで飲むので、全く知らない訳ではなかった。
「じゃあ、ちょっと聞いてみる」
と言うとポケットからスマホを取り出して、アドレス帳を出すとタップした。
「あの、今日開いてますか。・・はい、今から行きます。・・二人です」
「大丈夫だって。ここからちょっと歩くけど、こじんまりしたお店がある。フランスの田舎料理屋さんって感じ。ワインはとても美味しいよ」
「うん」
竹宮は、この前に続いて、山之内が、自分の為にお店を予約してくれた事がとても嬉しかった。
ラジオの公開スタジオから一度パルコ通りに出て、駅の方に下った。土曜日の夕方だけに人通りはとても多かった。
丸井の方に下って行くとそのまま、宮下公園方向に歩いた。この辺はどちらかと言うと渋谷の中では、あまりきれいな地区ではない。
竹宮は、ちょっと抵抗が有ったが、山之内が付いているならと思い、何も言わず一緒に歩いたが、ガードを抜けて行くときは、さすがに山之内にくっ付いた。
ジュンは、道路側を歩きながらも結構べったりと腕にくっ付いてくる竹宮に遠慮なく来るなあ。と思ったが、抵抗のあるものが結構ガード壁側に居る為、仕方ないのかと思ってそのままにした。
ガードを潜り抜けると掴んでいた山之内の腕を離し、
「ごめんなさい。ちょっと苦手なの」
「いいよ。仕方ないから」
「ありがとう」
微笑みながら言う竹宮は可愛かった。白のワンピースがとても良く似合う。この姿ならホテルのレストランとかが合うのかもしれないが、山之内は、自分の財布と相談すると、どうしても今行く所が限界かなと思った。
明治通りの信号を渡り、少しだけ歩いて右の坂を途中まで上ると左側にその店は有った。
「竹宮さん、ここ」
年季の入った重たそうなドアと曇ったガラス窓の店だ。どういうところなんだろうと思っていると山之内がドアを開けた。
「今、電話した山之内ですけど」
「お待ちしておりました」
中から、愛想のよさそうな腰から長いエプロンをつけている店員が声を掛けた。
「どうぞ、こちらへ」
左奥に二人掛けのテーブルとイスが用意されていた。竹宮は、店内を見ると右側に四人座りのテーブルが二つだけある。それと自分達のテーブルだ。
わあ、こじんまりしている。それにフランスのワインの産地の地図だらけ。へーっ、渋谷にこんなお店があるなんて。感心しながら案内されたテーブルに着くと、先程の店員が竹宮の為に椅子を引いてくれた。
にこっと笑ってゆっくりと座ると山之内も座った。
「どお、こじんまりしているけど素敵なお店でしょ」
「うん、とても素敵」
二人の会話を聞きながら嬉しそうな顔をしている店員が、
「おしぼりです」
と言って二人におしぼりを渡した。そして
「ワインリストとメニューです」
そう言って、二つが一緒になっているメニューを渡した。
「ワインも頼むけど、ちょっとのどが渇いたね。グラスビール先に頼もうか」
「うん、そうしよう」
「その間に料理も決めよう」
そう言ってジュンは、グラスビールを二つ注文した。竹宮は、メニューを見ながら
「わあ、色々あるね。山之内君に任せた」
実際、全く分からなかった。その言葉にジュンはにこっとすると
「うん、了解。適当に決める」
ジュンが、メニューを見ている間、竹宮は、お店の中をキョロキョロと見た。店の中全体がウッディな感じだ。ライトも適度に明るく、柔らかい感じを醸し出している。
結構素敵なところ知っているんだな。誰と来ていたんだろう。そんな気持ちになって、つい山之内を見ると、自分の方を見ているのに気が付いた。
「どうしたの」
「えっ、いえ、ちょっと」
そう言って自分の思いに、つい顔を染めた。
どうしたのかな。と思ったが、ジュンは、まあいいか。と思うと
「竹宮さん、赤ワインと白ワインどちらが良い」
「山之内君の好きな方でいいよ」
実際に分からなかった。
「じゃあ、マスター、サンテミリオンのこれお願いします。それと料理だけど、ソフトシェルクラブ、サラダは、シェフのお任せ。後、お肉は・・」
と言って、先程の店員に言うと
「ありがとうございます」
と言ってテーブルから下った。
そして、先程頼んだグラスビールをすぐに持ってくると、また、にこっとしてテーブルから離れた。
「竹宮さん、乾杯」
「山之内君、乾杯」
そう言って、ジュンは、グラスビールを一気に半分くらい飲むと竹宮も三分の一位飲んだ。
「やっぱり、結構のど乾いていたね」
「うん」
と言うともう一度竹宮は、グラスビールを口にした。竹宮は、今日のラジオの公開放送で司会をしていた男女の事や、いつもどんな話をしているか、細かく説明した。
ジュンは、一生懸命話す竹宮の口元を見ながら、可愛いなと思いながらその口元から流れ出る言葉を聞いていた。
「ところで、山之内君、休みはどうしているの。今日はデートだけど」
竹宮の質問に、ちょっと思考を動かすと
「うん、結構にぎやか。土曜の朝は、会社に行く時間と同じに起きて、コーヒー、新聞、観葉植物の水を上げた後、ゴルフの練習と水泳をする。後はのんびりかな」
「ゴルフと水泳」
どこでするんだろうと思うとすぐに言葉が出た。
「うん、砧にある世田谷総合運動場の中にある」
「そう、誰と行くの」
「誰と。一人だよ」
「じゃあ、今度私を誘って。ゴルフするから。水泳はちょっとだけど」
ゴルフするんだ。と思うと
「いいよ。今度行くとき誘う」
「ありがとう。ところでラウンドは」
「うん、御殿場に会員権を持っているコースがある」
「えーっ、御殿場」
竹宮は、ゴルフをするだけに御殿場の言葉に反応した。
「有名なとこじゃない。ちょっとトリッキーだけど、全ホールから富士山が見える」
「わーっ、本当。ねえ今度連れてって」
「うん、いいよ」
他愛無い会話に赤ワインが効いて、竹宮は楽しかった。それに明日は日曜日。特に帰りの時間を気にすることもないと思うと山之内との会話が弾んだ。
「食べたね。結構お腹一杯」
「うん、僕もだよ」
ちらっと腕時計を見ると、まだ八時半だった。
「食事始めるのが早かったから、まだ早い時間ね。取りあえず出ようか」
「そうしよう」
ジュンは、マスタにチェックを頼むと、これからどうしようと思った。やがて、請求書を持ってくると、ジュンは、クレジットカードを渡し精算が終わると、
「山之内君ご馳走様」
そう言って竹宮は椅子を外した。坂を降りてすぐ左に行けば渋谷駅だが、何となく時間も早かったせいか。右に歩いた。いつの間にか竹宮が自分の左手を握っている。
言葉も言わずに歩いていると
「山之内君、あそこ通りたくない」
竹宮の視線の先に宮下公園下のガードが有った。
「分かった」
それだけ言うと大回りになるが、明治通りをまっすぐ行って、線路沿いの次のガードを左に回った。竹宮はここでも山之内にぴったりと付きながら歩いた。結構、くっ付いてくるな。竹内の柔らかな手や体が、遠慮なしに体に触れる。ちょっと頭の後ろの方に、要らぬ思いを感じながら、黙ったまま歩いていると
「山之内君、誤解しないで聞いてくれる」
意味の分からないままに頷くと
「私、小さい頃から、お父さんは出張が多くて。東京にいても帰ってくるのは遅かったの。だからお父さんのご両親とお母さんに育てられた。小学校、中学校は勿論のこと、高校も厳しいしつけの女子高。お母さんも通学したと言っていた。大学でもそうだった。だから男の子の彼なんて出来なかった。作れなかったと言った方がいいかな。お母さんやお父さんの両親が心配するから。それだけに今の会社もお父さんの指示で入ったの」
それだけ言うと少し黙った後、
「シンガポールで山之内君といつも二人だけになった時、ちょっと不安だった。柏木部長や後藤課長は、勝手にどこか行くし、知らない土地で同じ会社の人とはいえ、男の人と二人きりなって、初めての経験。だから、最初強く出たのは、山之内君を牽制する意味もあった」
そう言う事だったのか。聞いていながら、ジュンは心に残っている記憶を戻すと
「だから、最後までずっと優しくしてくれた山之内君に少しだけ心が許せた。デートと言ったのは、そんな気持ちから。でもこうして一緒にいると、本当に・・・。ごめん。私でいい」
竹宮の気持ちを理解したジュンは、何も言わず竹宮の顔を見ると軽く頷いた。
「いいよ。僕こそ宜しく」
山之内の左手を持っていた自分の右手で、少しだけ引いて山之内の顔を見た。少しだけ目を潤ませて。そしてゆっくりと目を閉じた。周りには誰もいない。
ジュンは、ゆっくりと自分の唇を竹宮の唇に合そうとすると唇が震えている。ジュンは、両手で竹宮の体を支えるとしっかりと唇を合わせた。
どの位経ったのか、長いのか短いのか分からない時間が通り過ぎると、またゆっくりと唇を離した。竹宮は、山之内の顔を見た後、胸に顔をうずめた。
瞳との関係が深みに入って行くジュン。そしてジュンとの関係を望み始めた瞳。次回は、ジュンと瞳の関係が深まります。そして奈緒は、ジュンのいつもと違う態度に何かを感じます。
お楽しみに




