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08

 いつのまにかルニエは眠ってしまっていたようで、ぼんやり目を開けると天井が見え、辺りは時計の音だけが聞こえてくるほどの静けさだ。足先を丸め、窓のほうに寝返りを打つ。そこで何故かラ・コスタと目が合った。


「…………こんばんは……」ベッドの横の椅子に座り、枕元に半ばもたれるようにしていた彼は、身体を起こして気まずそうに言う。


 ルニエは反対方向に寝返りを打ち直し、改めてそっと窺うようにラ・コスタを見る。「酷い……、もしかしてずっと寝顔を見ていたの……?」


「鍵が開いていたから、勝手に入っちゃったけど」彼は両手を挙げた。「起こすと悪いと思ってね。……といって、約束したのに黙って帰るのも……」


「鍵が開いていたの? 気付かなかったわ、気を付けないと……」そろそろとシートで顔を隠しながらルニエはベッドの上に座り込む。


 シートで顔を隠したのはただ恥ずかしかったからではなく、ラ・コスタに対する妙な後ろめたさからだった。何気ない台詞で誤魔化してはみたものの、ルニエはどうして彼がここにいるのかが咄嗟に思い出せなかったのだ。でも、そんなことなんか、いまはどうでも良くなった。


 彼に会えたからだ。


「昼間のことで気を悪くしたなら、誤るよ」ラ・コスタは可愛らしく肩を上下させて言った。


 例のとんでもないプロポウズの話まで彼の耳に入っているのかと、ルニエは嫌になる。きっと最近の食卓の話題は、『本日のルニエ』で持ち切りなのだろう。二人であれこれと可笑しく話しているに違いないのだ。


「馬鹿な女だと、わたしを笑っているのでしょう? あれは……、冗談なのに!」


「本当?」ラ・コスタの目が輝いた。「良かった! そうじゃないかとも思ったんだけどね。全く……、冗談で口にできるような話じゃないよ、ルニエ」


「本当に! 損しかしなかったわ……もう」


 冗談を言ったせいで、まさか体調まで悪くなったという、まさに踏んだり蹴ったりだった。これらの体験でルニエが得たものを全部『損』の一文字で表すのは不満があったが、これ以上無駄な時間をつぎ込みたくない。


 ぼやきを聞いて、ラ・コスタは一瞬だけ笑ったが、本当に一瞬だけの間で、地面の暖かさであっと言う間に消えてしまう儚い雪のようだった。


「ねえ、きみは何歳なの?」


 ルニエがシートを隅に追いやり、そろそろとベッドを抜け出しながら聞く。彼は返事の代わりに右手の人差し指、左手の真ん中の三本を立てた。指が年齢を示していることを前提に右手を十、左手を一の位とすれば十三歳、いくらなんでも三十一歳ではないだろう。


 今度もルニエは差を計算する。彼は誕生日まえのルニエとなら二歳、キュラソウ医師とは十歳も違うのだ。これまで聞いた話から想像すると、彼はこの歳の離れた兄と二人暮しをしていることになる。キュラソウが仕事で帰りが遅くなれば、彼は家で独りぼっちになるのだ。


 しかし、いくら帰りが遅くなるとしても、夜中になっても帰ってこないものなのか? 満月の晩にラ・コスタが家に帰っても誰もいないとの発言を思い出してルニエは考える。どこか遠くまで診察に出かけていたのかもしれない。


「寂しくない?」ルニエは上着を着ながら、スリッパに足を引っかけた。

「なにが?」


「家で、独りなのでしょう?」


 ラ・コスタは驚いたように首を振る。そして、そのすぐあとに付け加えて言った。「何故? 僕はそれほど子どもじゃないよ」


 彼の言った言葉は本心なのか強がりなのか、ルニエにはどちらとも判断がつかなかった。もし自分がこの台詞を使うとしたら、絶対に後者の意味に違いないのだが。極端な子どもっぽさと大人っぽさを併せ持つラ・コスタに関しては、容易に判断を下すわけにはいかない。


 答えはさらに追究することで得られそうだったが、そのために漠然とした何かを失いそうな気がして、どうしてもルニエは踏み込めなかった。もしかしたら、彼が『寂しいのはルニエじゃないの?』と反撃してくるのを無意識のうちに防ぎたかったのかもしれない。


 部屋は静かだ。


「ルニエは僕のことが知りたいの?」突然、振り向いてラ・コスタが言った。


「そうよ」


 即答しても、結局は教えてくれなさそうだったが、ルニエは少しでも可能性が高そうな選択を即断して実行する。いつからこんなにスウィッチが早く入るようになったのだろうか。


「ふーん……。最近の僕は君のせいで睡眠不足だよ」近況を口にして椅子から、脚を振り子にして飛び降りる。


 笑いながら彼が言ったので危うく、良い意味で取りそうになった。彼がルニエのことを考えて眠れなくなるだなんて、どう考えても現実的ではなかった。


 慌ててルニエはベッドから腰を上げる。スリッパーズをペタペタいわせながらバルコニィへ出る扉に近付き、閉まっていた鍵を外した。


「嬉しいな、解ってくれた?」


 ラ・コスタは近寄ってくると、するりと自然に腕を絡ませて引き寄せ、瞬時にルニエの首筋にキスをして、右目でウィンクをする。そのあとルニエはしばらく動けなくて、結局その扉を開けたのは彼だった。


 冷たい風で、リセットボタンが押される。


「本当にごめんなさい、引き止めてしまって。でも、ああ……残念だわ、ずっとこのまま一緒にいたいのに」


 背を向けているラ・コスタがこの台詞で、せめて最後に振り返ってくれることを期待した。予定どおり彼は月をバックに振り向き、ルニエのきっと鼻か眉間の辺りをじっと見つめる。そして彼の顔の高さで、ゆっくり流れるように右手を動かした。最後に、彼は忘れずにその右手を振ってからやっぱり手摺を飛び越えて帰ってしまう。


 何だったのだろう?


 さっきの動作の中で彼は、ルニエと空とを指差した。たしかほかにもあったのに、それ以外のジェスチャは全く思い出せないのだ。寒さで身震いをすると、また風邪を引かないように部屋の中に入った。


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