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07

「気分でも悪いのか?」


 心配してコルドン氏が尋ねるくらい、ルニエは何だか食欲がなく、せっかくの夕食もほとんど喉を通らない。食欲のない理由をでっち上げるために、仕方なくルニエは、まだ風邪が治りきってないのかもしれないと嘘を吐いた。本当は風邪なんてとっくに治っている。


「ごめんなさい……、わたし部屋に戻ります。眠れば良くなると思うの」


 また嘘を吐いて、ルニエは部屋に戻った。眠るつもりなど、当然ない。


 廊下を歩きながら考えてみるが、この調子の悪さの原因はキュラソウのあの返事以外に考えられなかった。ルニエはまさか事態があんな風に展開するとは、全く思っていなかったのだ。


 部屋の前でノブに手をかけたまま、しばらくぼんやり立っていると後ろから妹が小走りに駆け寄ってくる。ルニエが彼女を見ると、彼女は目を輝かせて精一杯背伸びをしながら耳打ちをしてきた。


「風邪なんて嘘でしょ? 本当はキュラソウ先生に会いたいのね? きっとご本に出てくる恋の病よ」


 言い終わると楽しそうに彼女は、ルニエを残して自分の部屋に入っていった。だが、ルニエはまたそれからしばらく、靴の裏が床に張り付いてしまったようにその場所を動くことができなかった。


 ようやく靴の裏が剥がれ部屋の中に入ると、ルニエは明かりも点けずベッドの上に倒れ込んだ。妹に言われた『恋の病』という言葉が何度も頭の中でリフレインされる。風邪は治ったはずなのに、ちっとも良くならないのは恋の病のせいかもしれない。けれど、ルニエのそれはラ・コスタに対してであるはずで、キュラソウに対してではないはずなのだ。


(たしかに本気ではないわ……)


 あのとき部屋を出た時点で、特別彼に相談したいこともなかった。本当にただ、彼と体調について以外の話題で会話をしたかっただけなのだ。相談がある、と言えば、彼が帰らないだろうと思ったのだ。話を聞いてくれると思ったのだ。ルニエが最もラ・コスタの身近な存在であると思う彼と、もっと話がしてみたかった。そして彼の年齢を聞き、七歳程度の歳の差なら結婚しても全く不自然ではないと思ってしまったものだから、すぐさまそれを口にした。


(本当に冗談だったのよ。それなのに先生……、笑って下さらないのだもの)


 ルニエは、キュラソウがあれほど動揺するとは思わなかったが、笑って否定もしくは肯定する展開を予想していた。まさか、飄々としている彼が本気にするとは思わなかったのだ。だからこれほど嫌な気分になったのだろう。『冗談だろう?』と一言笑ってくれさえすれば、会話も盛り上がり、それで終わりだったはず。


 好きでもない人と結婚をするなんて、ルニエには考えられなかったし、あの恐るべき提案を受け入れる人がいるとも思えなかった。もしキュラソウがOKしたとしても、冗談だと笑ってすませられる。


 結果は予想を裏切って、どちらでもなかったのだ。


 気持ちを少しでも切り替えようと、ルニエはベッドの上に上着を脱ぎ捨ててバスルームへ行き、普段より熱いシャワを浴びる。髪を念入りにドライアで乾かしていると、コルドン氏が様子を見にきた。寝るところだったと答え、彼が部屋を出ていってしまうとすぐにシートの中に潜り込む。


(どうして断ると言われたとき、むきになって聞き返してしまったのかしら。すぐに冗談だった、と言えば良かったのに……)


 でもそれは、彼から全く興味を持たれていないことを認めるかのようで、ルニエは悔しかったのだ。


 答えにたどり着けそうにもない疑問だけは、目を閉じればいくらでも思い付けそうだった。ただ、考えれば考えるほどキュラソウは興味深い存在に思える。いままで興味のなかったくせに、知らなかった彼の一面を知ってしまったせいで、読みかけた本の続きが気になるように、もっと彼のことを知りたくなる。


 いや、もっと知りたいのはキュラソウではなくてラ・コスタのことではなかったのか? と自分自身にルニエは問いかけた。


 寝返りを打ち、枕に顔を埋める。軟らかい羽毛の枕は、頭の重みでどこまでも沈んでいってしまいそうだった。ルニエは枕の布と布との縫い目から羽根の根元が飛び出しているのを見付け、さっと指先で摘んで引き抜く。小さく軽そうな羽根が顔を出したので、息をかけて吹き飛ばした。羽根はスリップするみたいに浮き上がり、再び降りてくる。


 その羽根からは遠くに行くまいという意志が感じられたが、やがて羽根はついに諦めたのかベッドの下の視線さえ届かないところへ逃げていった。


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