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*このページ:最終話には、本編全体のネタバレがあります。例えばミステリィなら前もって犯人を知っていないと安心して読めない、などという特殊な方以外は、最初にこのページを読まないで下さい。
彼は、相変わらず色素の薄い肌と髪の毛をしており、少し大人びた顔付きになって、ずいぶんと背が伸びている。さすがにもう魔法学校の制服は着ていなかったが、それと似た格好にトレンチコウトを羽織っていた。首には見覚えのあるようなマフラが巻かれている。月の光でははっきりと確認できなかったが、ルニエがバランタインズデイにプレゼントしたものだろう。
「ラ・コスタ?」
「こんばんは、お嬢さん。月の綺麗な夜ですね」彼は目を細めた。
ちょうど四年くらいまえに見た光景とほとんど同じである。ラ・コスタは手摺の上で足を水平に伸ばし、重心を上手く移動させてくるりと真後ろへと向きを変え、そこから飛び降りた。向かい合って立ってみたら、ルニエが僅かに見上げなければいけないほど彼の身長は伸びているようだ。
「セクシィだね」冗談っぽく彼は言って、ルニエの肩にコウトを脱いでかけてくれる。
(先生はどこかにいるのかしら?)
「念のために聞くけど、僕のこと……まだ好き?」覗き込むように、彼は顔を斜めにした。
「それはもちろん……でも……」
「そう……」彼は嬉しげな微笑を見せ、ルニエの首筋にそっとキスをする。「約束どおり結婚しよう」
(結婚? わたし、ラ・コスタともそんな約束したかしら……)きょとんとしたまま彼を見つめ返す。
「ねぇ、ラ・コスタ……先生は?」
風がゆっくりと吹いていた。雲が月をゆっくりと侵食しようとしたが、力及ばず通り過ぎていく。ラ・コスタの髪もマフラの先も、ルニエのドレスの裾もコウトもゆっくりと風に揺れていた。
「あー、先生か……。そういえば……、ルニエにいくつか嘘を吐いていたんだっけ? いまのうちの謝っておけば許してくれる? 悪気があったわけじゃないんだけど、君に答えた僕の歳とか……本当じゃないし」
遠慮がちに予想外のことを彼が言い出したので、ルニエはびっくりする。たしか、あのときラ・コスタは指で一本と三本立てたので、十三歳だと受け取ったはずだ。まさか、あれは三十一歳だったというのではないだろう。
「では、いま十七歳ではないの?」
「実は僕、ルニエよりずっと年上なんだよ。でも、そうは見えないじゃない? だから、歳を聞かれたら十三歳って答えることにしているんだ。今日は、魔法で外見を変えてるんだよ。一応、成長してないとおかしいかと思ってね」
「え? 成長しておかないと……?」だんだんと混乱してきたルニエは、彼の言った台詞の一部を復唱する。
「それと、僕の名前がラ・コスタって言ったのも、本当でもないんだ。僕は、通称ラ・コスタだから嘘でもないけど」彼は無邪気そうに付け加える。
「え?」ますます訳が解らなくなってきた。「それなら、あなたの本当の名前は?」
「目を閉じて……ルニエ」ルニエが目を閉じると彼は左手を取る。「僕のことを、その名前で呼ぶ人はいないけど、君には教えた。……思い出せる?」指にひんやりとした感覚が走った。目を開けて左手を見てみたら、薬指に指輪が填められている。
「これ……」
顔を上げて見た彼は優しそうに微笑んでいる、ことだけは変わりなかった。
「普通、結婚するときは指輪を贈るんだよね?」落ち着いた声で彼は黒っぽい髪を掻き揚げる。
彼は、しつこくファーストネイムを聞いたルニエへ、特別に、と教えてくれた。
――ケイだよ、と。
「先生……どういう……、まだわたし、上手くお話が飲み込めません……」
明らかにルニエは混乱していた。そこには先ほどまでの少年ではなく、大人であるキュラソウが立っていたからだ。彼は眼鏡をかけておらず、コウトをなにも着ていなかった。彼はずっとルニエに触れたいた。だから、入れ替わった可能性はなかった。
つまり、いままでルニエの中で、ラ・コスタとキュラソウと分けて考えられていたものが、統一の必要性に迫られているみたいなのだ。
「えっと、混乱するのも解るけど、実際は単純なことで、君がラ・コスタだと思っていたのも、僕なんだよ。僕らの種族は、二十三歳で外見上の成長が止まるから、そのままか、自分が十五歳くらいだったときの姿で過ごすことが多いんだ。でも、僕は呪いで、満月の日しか、夜にこの姿でいられない」
つまり、彼が二十三歳だと言っていたことも、強ち間違いでもないわけだ。
「すると、わたしにここでキスをしたのも、先生なのですか?」次第に恥ずかしさで顔が赤くなってくることを感じながら、ルニエは泣きそうな声で言った。
「あ、うん。君を初めて見たとき、君が『青き月の涙』だと知って、どうにかして見られる機会がないかな、と思って、満月を見るときは、ここで見ていたんだ。君の主治医になってから、ずっとね」
ルニエは開いた口が塞がらない。このバルコニィが満月が綺麗に見える場所で、見付かるつもりはなかった、などと言いつつも、彼が目を開いた、つまり起きたルニエと遭遇することを望んでいたというのだ。
「……だから、解熱のときも、わたしが怒らないと思った、と仰ったの? ラ・コスタのときは、怒らなかったから……」
「そうだよ。変だなって思って口にしちゃったんだよ。普通、両方の姿で僕が認識されることってないから、つい。兄弟を聞かれた辺りで、君がラ・コスタとキュラソウは別人だと勘違いしていると知って、仕事を断られたら困るし、兄と弟がいるのは嘘じゃないし、なにより、自分たちが特殊であることを知っているからこそ、あえて訂正しなかったんだ」
もしルニエが熱を出した日、夕べバルコニィにいたのは自分だった、とキュラソウに告白されたとしても、この人なにを言っているのだろう、で終わっていただろう。常識的に考えて。
ようやくいま、ルニエは元二人がそれほど似ていた訳に納得できる。いや……似ているではなく、そもそも同じなのだから。部屋にあったメモも本も彼のものだし、博士号を持っているのも彼だ。オリンジのアルギランセマムを選んでくれたのも、あの女性が好きだったのも。
「ずっと、先生とラ・コスタが二人暮しなのだと思って……わたし」可笑しくて涙が出た。
「ああ、僕が一緒に暮らしていたのは、君も会ったでしょ? 彼がやたらと君のことを気に入って、一緒にいたいって煩かったんだよ。彼になにか言った?」
頭の中でルニエは、彼の同居人を想像する。少し信じられなかったが、彼だと思った。
「あなたがケイなら、……ラ・コスタは、一体誰なのですか?」
その疑問は当然だった。
キュラソウは手摺にややもたれかかり、左手を前に広げて見せる。もちろん、その手の中になにかが乗っているわけではなかった。
「解りやすく言うと、君がいま見ている相手は、ラ・コスタ・キュラソウ。でも、話している相手は僕。解るかなぁ? ラ・コスタは多重人格で、僕は彼の創り出した人格の一つに過ぎないんだ。彼は普段は眠っていて、管理人が僕で、僕の手が回らなかったときの間繋ぎがジェイ」彼は火が消える前の一瞬に見せる輝きのような、そんな切ない微笑を見せる。
そのときやっと、ルニエは彼がそんなにまで不安定なのか悟った。彼が主人格ではなかったのなら、本来のラ・コスタと自分とのギャップを埋めながら、ラ・コスタとして生活してきたのに違いないのだ。
だから、『僕』を強調していたのだろう。
「ジェイが、君を好きになった理由も解る。僕も同じだったから……。きっと、君が読んだ本のお姫様のように、僕がラ・コスタでなくても必要としてくれる誰かが欲しかったんだ」
一瞬だけ、彼が微笑む。
「では、わたし、ちゃんとあなたを見付けられました?」
「五段階評価で、六かな……?」よく分からない冗談を言って、彼は口元を斜めにする。
「ところで、例の電話の女性は……まだ怒っていますか?」付き合っていたわけでもないのに、あれほど怒っていたのだから、結婚するとなるとどうなるのだろう、とルニエはふと思い出し、不安に思って聞いた。
「フィーにはまだ、言っていないんだけどね、もしかして……これも誤解されているのかな? 彼女は僕の妹なんだけど……。僕を取られると思っているなんて可愛いよね」そう言って彼はくすくす笑う。
「もう……!」ルニエは頬を膨らませた。
キュラソウはその頬を指で突付く。ルニエは自分自身でも思い込んでいたし、あの青年に言われた『幼馴染』という言葉をすっかり信じ切っていた。まだまだ彼に対する不思議は残っていたが、これから少しずつ解きほぐしていけば良いだろう。
「もう一度確認するけど、ルニエがしたい結婚って、一般的な、一緒に暮らすとか、そういう結婚なんだよね? ほかの国へ行くなら、君の家族と離れ離れになるけど、本当に良いの?」
「……ええ、覚悟はしています。それでも、先生と一緒にいたいの」また出てきた一般的ではない結婚とは何だろう、とルニエはまた思いながらも答える。
「解ったと思うけど、僕は普通の人間じゃないんだよ? 君が僕といることで、普通の人間と同じ歳の取り方ができなくなるとしても、それでも構わない? それでも僕を好きだと言ってくれる?」
不安な子どものように、キュラソウは何度も尋ねた。
「そういえば、先生は月を欲しがっていましたね。何故ですか?」
ルニエは話を逸らす。だがそれは、ずっと聞いてみたいことだった。
「月は……、満ちては欠けるけど、ずっと僕を照らしてくれる。彼女が、これからもずっと一緒なら、僕が僕で在り続けられるような気がしたんだ……」
寂しそうに呟く彼。もしかすると、『彼』という存在は、いつ消えるかどうかも解らない、あやふやなものなのかもしれなかった。そんな中、彼が一つ、頼りにしていたもの。
「手を出して……」ルニエは微笑んで、ずっと右手に握っていた球体を、彼の差し出した掌に載せる。「あなたがそう望むなら……。いつか本ものに手が届くまで……これが、その代わり」
ベッドの隙間から発見されたそれは、一つだけ行方不明になっていたプラスティックの月だった。彼が、例の星……月を手に入れたいと願っていたから、それを見付けたとき、せめて偽ものでも彼にあげたいと思った。本ものの月が、とてもルニエには届かなくても。
彼はそれをぎゅっと握り締める。彼の掌に納まってしまう、ちっぽけな球体。
「信じる……君のこと」一瞬目が合う。
「わたしのこと、好きになってくれました?」
「そうだね、ほかの誰かよりは……」彼は照れたように微笑み、ルニエの左瞼にそっと唇で触れた。
そこにあるのは、ルニエが持つ『青き月の涙』。
ほかの誰かより、――言い換えれば、一番好きだということ。
まさにそれは二人の『好き』の違いを埋める、理想的な答えだ。確かめるようにもう一度、左手の指輪を確認すると、ルニエは彼に思い切り抱き付く。
「わたし……あなたの星ね。あなたの、あの……輝ける星……」
THE END.




