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 ルニエはふとシートの中で、次の日になっていることに気が付く。天気はがた落ちしていた。雨こそ降っていなかったものの、あの青く澄んでいた空を灰色にくすんだ雲が塗り潰してしまっていた。部屋の中は暖房のお蔭で暖かく、外の寒さなど忘れてしまいそうだったが、昨日の出来事を思い出し、ルニエは外の寒さも思い出す。部屋の中の暖かさを再確認するために、窓を開けるか外に出るまでもなかった。


 機嫌を損ねた子どもみたいに、あれからずっとベッドでぐずぐず過ごしていた。夕方に食事が運ばれていたが、手をつけないで置いてある。


 いい加減ベッドにいるのに飽き、起き上がって窓の外を見ると雨が降り始めていた。のろのろとシャワを浴びて、着替えをする。鏡台の前に座り、ぼーっと髪をとかしていたら扉がノックされ、続いて鍵が外される音がし、女中が恐る恐る顔を覗かせる。彼女は昨日運んだ食事がそのままになっているのを見て、顔を曇らせた。


「お嬢様、朝食はいかが致しましょう」シートを換えながら彼女が聞く。


「紅茶をミルクで。エルは来るの?」


「はい、いつも通り。お嬢様……なにか召し上がられませんか……?」おどおどしながら彼女は付け加えた。


「要らないわ」


「……はい、では……失礼します」


 しょんぼりとお盆を下げていく彼女は可哀相だったが、ルニエはほかの誰かに気遣いできるほど心に余裕がないのだから仕方ない。コルドン氏に言いつけられているのであろう、扉には再び外から鍵がかけられる。


 紅茶が運ばれてきたとき、お盆の上にはカップと砂糖とミルクのほかにチョコリットの包みが数個載っていた。ルニエはチョコリットさえも食べる気にはなれなかったものの、彼女のその気持ちを嬉しく思う。


 次に鍵が開けられたのはエルがやって来たときだ。


「一体どんなことをしでかしたの貴女!」彼女はこの状況に大変驚いていた。


「わたしがキュラソウ先生に、会いにいけないように……お父様が」


「キュラソウ先生に?」


「わたし、先生に会いたいのに……」


「彼みたいなタイプは、攫いになんて来てくれないわね」彼と会いたがるルニエに疑問を覚えるでもなく、エルはつまらなさそうに言う。


 授業が終わると、エルにアルギランセマムの色が変わっていないか? と指摘され、改めて見るとオリンジではなく黄色になっていた。


 彼女は挫けないで、と言って帰っていった。そしてまた、ルニエは鍵がかけられた部屋の中に独りぼっちになる。


(先生に会いたい……)


 会いたいのは何故か、ラ・コスタではなくキュラソウだった。


 いつ終わるか分からない時間を、ルニエはどう過ごそうか考えることにした。しかし頭の中に浮かんでくるのはキュラソウのことばかりで、彼のことばかりを考えてしまう。この先、ルニエの気持ちにどう決着をつければ良いのか、を。


(先生に会えない……)


 そのうち、どうやって部屋を抜け出すかどうかを考えるようになる。


 良い考えが浮かばないあまり、ルニエはいきなり部屋の模様替えを始めた。模様替えといっても、重くて独りでは動かせない家具がほとんどを占めており、結果的には代わり映えがしないが、要は気分の問題なのだ。


 ベッドを力任せに少し動かしてみると、壁との隙間から埃と一緒に球状の物体が発見された。一目見でルニエはその物体が何なのかを悟り、ドクンと心臓が高鳴る。ずっと見付からなかったジグサウパズルの最後のピースを見付けたときのように。


 ちょうどそのとき、足音が近付いてくるのを感じて、咄嗟に震える手でその物体をシートの中に押し込んだ。


「失礼します」声と共に扉が二回ノックされる。


 空から舞い降りたチャンスだった。


 高鳴る鼓動を深呼吸でどうにか静めながら、ルニエはベッドの陰に身を潜めた。鍵が外され、女中が昼食の載せられたお盆を手に入ってくるが、彼女はルニエの姿が見当たらないので驚いて辺りを見回す。彼女が開けたままの扉から離れると、気付かれないように後ろに回り込んで無我夢中で扉から飛び出した。


 廊下を走り、玄関を飛び抜け、傘も差さずに雨の中をルニエは走る。雨で濡れた髪の毛が頬に張り付き、水分を含んで重くなったスカートが足元にまとわりつき、靴は地面に着くたび水しぶきを飛ばし上げた。


 白い息が一瞬だけ見え、後ろへと消えていく。息が上がって心臓は壊れそうに熱いのに、指先と足先が切れそうなくらい冷たかった。それでも、間違いなくキュラソウの家がある方向へ走った。


 ランド通りに入ってすぐ、広げた蝙蝠傘を肩にかけ、左手に鞄を持って右手で愛想良く手を振りながら、誰かの家の門から出てくるキュラソウに遭遇する。ルニエはこの夢のような偶然に涙が出そうになった。彼は手を振り終えるとロウソクが消えるように無表情になり、右手で傘を持ち直す。


「先生!」ルニエは叫ぶ。驚いてポカンとしている彼に駆け寄って抱き付いた。


「ルニエ……?」キュラソウは鞄を持つ手は離さなかったが、傘は呆気なく落とす。「どうしたの? ずぶ濡れじゃないか……」


「会いたかった……」


「そう? でも、昨日は来なかったね」


「待っていて下さったの?」どうせまた、はぐらかされるだろうと思いながら言う。


「うん……少し」


 驚いてルニエが顔を上げると、はにかんだように微笑むキュラソウの顔がそこにあった。彼の白い肌に雨粒が次々と落下し、ついには流れ出す筋が、頬ではまるで涙みたいに見える。


 昨日、考えた彼は、なにか少しでもルニエに対する認識を変えたのだろうか?

 胸がいっぱいで言葉が出なかった。


「風邪を引くよ。さあ、来て」彼は鞄から取り出したタウルをルニエに渡して、拾い上げた傘の中に入れてくれる。ルニエはもう、濡れている頬が雨でなのか涙でなのか判らなかった。


 歩きながら、傘からはみ出した彼の右肩や鞄が、雨に晒されて濡れていることに気が付いた。それなのに彼はルニエが顔を見上げるとタラクサカムの綿毛を飛ばすように微笑んだ。さっきの、一瞬で無表情になった彼を思い出し、ルニエはその笑顔がどこまで本ものなのか判らない。

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