20
朝、目が覚めたとき、ルニエは一つ歳をとって十六歳になっていた。ルニエが生まれたのは真夜中であったらしいので、その日の月が綺麗であっただろうことを祈る。毎日新しい朝がやって来て、昨日と違う自分なのは当然のことなのに、それが歳をとったとなると、さらに違ってしまったような気がした。
ベッドの中でややまどろむ。誕生日当日だからと張り切って起きたところで、当日の準備のほうが忙しいから、と相手にしてもらえないだろう。たかが誕生日なのに、なにをそれほど準備することがあるのだろうか、と思うのだが、みんな仕事の合間を縫ってやっているからなのか、本格的に実行に移すのは当日からなのだ。きっと今日は、飾り付けの仕上げと料理の準備で大忙しなことだろう。ルニエは手伝わせてもらえないことが残念だった。
今夜のパーティで着る服はもう決めてあった。ふんわりとした布でできた乳白色のドレスで、胸元にはオリンジ色の花と赤いリボンがついている。別にラ・コスタからオリンジが似合うと言われたからではなかったものの、オリンジのアルギランセマムに似た花の飾りを持っていたのを思い出したのだ。
もらったアルギランセマムの花束は、窓辺に飾っている。コルドン氏に誰から貰ったのかと尋ねられたので、迷いもなくルニエは『キュラソウ先生から』と答えた。それに、『先生の弟をパーティに招いても構わないか?』との質問も、あっさりと受け入れられた。
特に、ルニエがキュラソウに対して特別な感情を持っているだろう、とは疑ってもいないようであった。
しかし、キュラソウを朝食に誘ったとき、遠回しに釘を刺していたくらいだ。ルニエの気持ちを知ったとすれば、少なくとも賛成はしてくれないだろう。たとえラ・コスタがルニエのことを好きになってくれたとしても、コルドン氏に反対されるとなれば、先はまだ遠そうであった。
そろそろとベッドから起き上がりカーテンを開ける。空は澄み切っていて、夜は綺麗な星空であろうと予想された。だが、星は星でもあの星は見えないだろう。
空にあの星がない分、今日の朝食はせめてゆで卵を食べよう、と何故かルニエは思った。
午前中いっぱいをかけてルニエは編物をし、キュラソウに渡す予定であるマフラを仕上げた。バランタインズデイまではまだ余裕もあり、時間的余裕、仕上がり具合においてなかなか満足のいくものになったものの、もやもやとした気がかりが残っていた。
バランタインズデイはちょうど定期検診の日に当たっていたため、キュラソウにマフラを渡せる確実さは問題ない。このプレゼントを受け取ってもらえるか否かについても、日ごろのお礼と誕生日プレゼントとして貰った花束のお返しだ、とでも言えば、受け取ってはくれるであろう。もちろん、使ってもらえるかどうかは、別として。
父であるコルドン氏以外の男性に、今までルニエは手編みの品を贈ったことはなかった。それなので、キュラソウが喜んでくれるのかとても気がかりだった。
それに、別のマフラを編むかどうかも重大な悩みの種である。
(ラ・コスタには……)
本屋でラ・コスタが首に巻いていた赤い手編みのマフラを思い出しては、何度もルニエは溜息を吐いた。何度も考えては、これほど悩むくらいなら、なにか別のものをプレゼントしよう、という結論に落ち着いた。
そこで、ルニエは今日の誕生日パーティに彼が来てくれることを思い出し、そのときに好きな食べ物などを聞いてみようと思った。場合によっては手作りのケイクなどもあり、かもしれなかった。上手くできるかどうかは、別として。
そんなこんなでパーティ開始の時間が近付いてくる。来客のもてなしでちゃんとした食事ができない可能性もあるため、ルニエは軽い食事をして着替える。髪はふんわりとしたドレスに合わせて、部分的に編んでまとめてもらった。
ハーバルティーを飲んで気分を落ち着かせながら、ときどき時計を眺めた。
パーティ開始時刻の三十分前に会場に下りていってみたところ、廊下や部屋の前ですれ違った何人かに『お誕生日おめでとうございます、お嬢様』と声をかけられた。
ルニエは誰にも止められなかったので、パーティ会場に入る。テイブルには様々な料理が並べられていて、ゆっくりとした音楽が流れ、キラキラと輝くほどの飾り付けがされていた。まだ準備は完了していないらしく、何人かは早足で歩いていた。
会場をぐるっと一回りすると玄関に向かってみる。既に何人かの招待客は来ているようであった。
「おめでとう、お嬢さん。今日はお招きありがとう」コルドン氏の招いた紳士が帽子を取って会釈した。
「ようこそおいで下さいました。ごゆっくりどうぞ」ルニエも会釈を返す。
「こんばんは、お嬢さん。そのドレス、とてもお似合いですよ」
後ろから声をかけられて振り向く。誰かと思えばラ・コスタであった。予告どおりの魔法学校の制服を着ている。まさかバルコニィから来るのではないか、というルニエの心配が現実にならなかったことは幸運だった。
「本当に来てくれたのね。嬉しいわ」
「はいこれ、プレゼント。昨日、花束をあげたからいらないかとも思ったんだけどね、せっかくパーティに呼んでもらったから追加で」
彼が差し出したリボンつきのカゴには、小さな鉢植えが入っている。その鉢植えは、ラ・コスタの家に侵入したときに見たことがあった。葉っぱだけの植物が植わっている。
「ありがとう……これは……」
「内緒で一つ持ってきちゃった。彼には内緒。鉢は窓際に置いて、水は朝に少し。蕾がついたら夕方にも少しかけてね」悪戯っぽく彼が笑う。
パーティのドサクサに紛れて引っくり返されでもしたら大変なので、ルニエは鉢植えを自分の部屋の窓際に置いてきた。戻ってくるとラ・コスタがコルドン氏に話しかけているのが見える。
「こんにちは、キュラソウです。今夜はこんな格好で失礼しています」
「ああ、話は娘から……。魔法学校の制服ですな」高い子どもの声で話しかけられたコルドン氏は、彼が誰であるのか認識したようであった。
「ええ、もう卒業はしていますが……」苦笑いしながらラ・コスタは言う。「ほとんど研究ばかりしていたので、パーティに着ていく子どもの服を持っていなかったものですから」
会話をしている二人にルニエはゆっくりと近付いていく。
「研究? 若いのに立派だ。どのような研究をしているのかね?」感心したようにコルドン氏は鼻を鳴らした。
「若いだなんてとんでもない……。僕の研究対象は妖精の翅です。ご存知ですか? 妖精。その形成過程や特性を調べています」
以前、ルニエがラ・コスタの部屋に入ったとき、机の上にメモやスケッチが散乱していたのを思い出す。
(あれは妖精の翅の線画だったのね。そうすると、メモの字は、先生ではなくてラ・コスタのものだったのかしら?)
コルドン氏は妖精があまり分からなかったようで、それ以上の内容追究はしなかった。ルニエはルニエで兄弟なら字も似ているだろう、と勝手に結論付けていた。
「おっと、ドマール氏だ。来賓のもてなしがありますので、失礼」コルドン氏は、ついさっき玄関から入ってきた夫婦とその息子を出迎えるために去っていく。
「ねえ、ラ・コスタ、こっちよ」
ルニエはラ・コスタの手をとって会場へと入っていく。テイブルの上には所狭しと盛り合わせやスープ、ケイク、果物などが並べられていたが、まだパーティは厳密には始まっていなかったため、窓際のスペイスへと歩いていった。
「ラ・コスタはどんな食べ物が好きなの?」まさにこの場で尋ねるのに、何の疑問も抱かれないであろう質問であった。
「うーん、生の果物は好きかな。特に果汁が多いような、モモとかオリンジとかは好き」
そこでルニエは、以前彼が食品にアラジィがあると言っていたことを思い出す。やはり不用意に食べ物をプレゼントしなくて正解だったようだ。失敗覚悟で手作りして、辛うじてまともなものができ上がったとしても、それが食べてもらえなかったでは意味がない。
「ケイクとかは? 甘いものは嫌い?」自分が好きなだけに、答えが気になるルニエだった。
「ケイクは、大体卵とか乳製品が入っているから無理。甘いものが嫌いなわけじゃないけど、わざわざ甘くしているようなものは苦手かな。やっぱり調理しているもので食べられるものは、ほとんどないと思うよ」
「そんなので、よく生きていられるのね……」
調理しているものがほとんど駄目だとは、生の果物や野菜だけしか食べられないということだろうか? ルニエはとても驚いて、少しだけ、聞かなければ良かったと思った。
「僕が特殊だからだよ。ルニエなら無理だろうね」彼は目を細めて言った。「あーあ、眼鏡をかけてくれば良かった」
「何故?」
「この部屋は眩しすぎる」
ルニエはキラキラと頭上に輝くシャンデリアを見上げた。彼の家ではどの部屋も照明が点けられていなかった。もっとも、昼間では、だが。
光はキラキラと降り注ぎ、ラ・コスタの髪と同じシルヴァアッシュである睫毛を透り、その奥の眼を少し非人工的に照らしていた。




