12
その日も、いつものように勉強を教えにやって来たエルは、目ざとくソファに置いてあった編みかけのマフラを見付けた。慌てたルニエがそれを隠そうとするが、もう遅い。彼女はマフラを手に取り、仕上がり具合を検討している。
「良く編めているじゃない。誰にあげるの?」
なにを隠そう、編物を教えてくれたのは彼女だ。
「キュラソウ先生です……」仕方なくルニエは答える。
「キュラソウ? あ……ああ、眼鏡の……。貴女の主治医だったのね」彼女はライトを眺めて瞳を細めると、マフラを綺麗に畳んでソファに戻した。
「知っているの?」
驚いてルニエは聞き返す。少なくとも、ここで逢う機会はなかったはずだ。
「ええ、身体を壊したときに診てもらって、良い方よ。手話も彼がキッカケで始めることにしたの。……もしかして、ルニエの好きな人って先生のこと?」
エルがもたらした恐るべき新情報にルニエは驚かずにはいられない。彼女は手話を始めたときの話をしたとき、その話題をあまり喋りたくなさそうだったので、まさかキュラソウがキッカケで手話を始めることになったとは思いもしなかった。
「いえ……先生ではなくて、先生の弟です。でも、わたし……先生のことも気になっているみたいなの。別の二人を好きになることって、あり得るのかしら?」
俯いて話すルニエの肩に手を置き、覗き込むように話を聴いていたエルだったが、ルニエの金色の髪をそっとすくうように撫で、微笑んで言った。
「そういう感情は、他人と比較するべきではないわ。もし、あり得ないと答えられたら、貴女の感情が否定されるでしょう? それにしても兄弟がいたのねえ、あの先生も。彼……、年齢の割には童顔よね」
「ええ、眼鏡を外すと特に……」
年齢の割には、というエルの言葉に深い意味があるのだろうか、と少し考えてルニエは答える。実際にキュラソウの性格も落ち着いてこそいるものの、子どもっぽいところがあった。だが、もし若く見えたとしても、彼が答えた二十三歳であれば当然若いのであるし、別に若く見えても問題ないと疑問に思う。
「あら、先生が眼鏡を外したところまで見たことあるの?」
エルの言葉にまだルニエも訝しさを感じながらも、返事をしようとして、自ら墓穴を掘ってしまったことに気付く。ルニエが彼の眼鏡を外した顔を見たのは、キスをされたときだったからだ。いくら相手がエルであるとしても、まさか本当のことを言うわけにもいかないだろう。
それ以外でキュラソウが眼鏡を外している瞬間を目撃したことはなかったし、それほど親密なのかと問いかけられているようで、すぐにはなにも答えられないでいた。
「以前、眼鏡を拭いていたときに……」当たり障りのない理由を何とか捻出することに成功する。そしてふと、ルニエの頭の中にこのまえに彼と交わした会話を思い出された。「ねえエル、先生のファーストネイムは知っている?」適当に誤魔化して話を摩り替える。
「知らないわ」
少しだけルニエはホッとする。「ケイ……なのよ」
「それは名前の頭文字ではなくて、ケイ?」
「ええそう」奥深い推察に舌を巻きながらルニエは微笑む。
「ふうん……、先生は自分のこと全然話さない人だったけど、貴女には違うのね。もしかして脈があるのじゃない?」彼女の言葉に、ルニエはさらに墓穴を掘ったことに気付いた。「そうね、どうしても二人が同じように好きなら最後の手段として、彼らは一緒に暮らしているのでしょう? どちらかと結婚してしまえば、もう一人が結婚でもしない限り貴女も一緒にいられるわよ」
微笑の端が少し引き攣ったルニエの耳元にエルは囁いた。
ルニエを笑わせようとして、彼女は冗談を言ったのだと思う。
しかし、ルニエは笑えなかった。冗談だったとはいえ、それは既に実行してしまっていたからだ。表情を強張らせ、ルニエは背中からなにかが抜け出ていくような感覚を得る。
「大丈夫?」
心配そうに尋ねるエルにぎこちなく微笑み返すことが、今のルニエには精一杯できる唯一の仕草だった。




