日陰は日なたを求めている
統べてが嘘だったらいい・・・そう思うのはいつだってどうにもならない、動かない現実を目の前にしているときだ。
そんな時、僕はこう考えることにしている。これはもう起きてしまったことなのだ、と。そしてそれはきっと乗換駅が違えどこうなる運命であったのだと。この立場を明確にしておくことで後々、針がズレにくくなる。古くから物語れているように、一度流れた水は二度と元には戻らないのだ。
このことは人生における一つの重大なテーゼである。
僕は電車に揺られ、窓に映る見慣れた男の顔を見ながらぼんやりとそんな事を考えていた。
男は一体全体、何を考えているのかがてんで解らないような表情をしていた。
目はうつろで、唇はあおく、生きている人間の精気というものが全く感じられなかった。
あるいは男は死んでいるのかもしれなかった。
だけれど時折、眉間にシワをよせたり咳ばらいをするのを確認できた。
男はたしかに生きているのだ。
次の瞬間、ホームに電車が到着して目の前のドアが開き、男の姿が窓から立ち退いた。そして僕の体と男の残像とが重なったところで、あの男が僕自身であったことを思い出した。
あの男は僕なのだ。
そして僕ーあの男ーは生きているのだ。
彼女が自らの命に一つの結果を見出だしたのは、まだ日も昇らない冬の寒い朝のことだった。