昼下がりの嘘
わたしの職場には、何故かどう考えても不必要なものが置いてある。例えば、ガラス製の皿。ソウメン皿だろうか。っていうか、誰が使うんだよ、こんなモン。
でもその筆頭格なのが、おそらく“開かずの間”にブチこまれっぱなしのぬいぐるみの数々。くまにうさぎに小さなハムスター二匹。THE 家族。しかもぬいぐるみの。
しかし、探偵事務所にそんなものが何で置かれているのかは分からない。聞いたことがないから。
所長や風沙子さんなら知っているとは思うが、何となく聞きづらい。だって依頼者の方が置いていったものだったりしたら気まずいもん。
「所長、郵便みてきますね」わたしが奥に座っている所長に向かって言った。
「ん、お願いします」
所長は、新聞に目を落としたまま言った。窓ガラスを拭いていた風沙子さんが目配せしてくれた。
“開かずの間”は、廊下の真ん中あたりにある。
わたしはその前に立ち止まった。白く塗られた鉄の扉に触れてみる。冷たい感触が指先に伝わってきた。
ぬいぐるみやガラスの皿が、暗闇の中にひっそりと息づいているのだ。
わたしの父は、五年前に家を出ていってしまった。
母もわたしも必死になって探したが、見つかりはしなかった。
この探偵事務所は、その時に知った。短大を卒業したあと、所長や風沙子さんにここで働かないかと誘われていなかったらきっと、わたしは路頭に迷っていたに違いない。
わたしは一応、事務員兼探偵助手みたいなことをやっている……今はまだ、もっぱら事務の作業の方が多いんだけどね。
わたしは、光ひとつ差さない暗闇に閉じ込められたガラクタについて考えた。
忘れられた家族。
(……父さんはわたしたちのことを捨ててしまったのだろうか)
幾度となくくり返した問い。その答えは、今のところまだ出ていない。
わたしは扉から指を離して、再び歩き出した。どうしようもない問いに、頭を悩ませたって仕方がない。
あの“開かずの間”の中に、この問いを入れてしまえればいいのに。
わたしの怖れと一緒くたにして。
※ ※ ※ ※ ※ ※
郵便ポストは、新聞やら手紙やらではち切れそうになっていた。ジャンパーのポケットから出した鍵を使い、郵便物を取り出す。
いつものように持ちきれないぐらいの郵便物を抱えて、ふと視線をビルの外にやった。
目の前の道路を行き交う車の流れ。ビルの前を歩いて行く人々の流れ。
その流れが途切れた瞬間、ちょうど向こう側で佇んでいる人と目が合った。
それはあまりにも懐かしい姿で。
「……父さん?」
無意識のうちに、わたしは声に出してつぶやいていた。
慌てたように彼は身を翻して、向こう側の路地へと消えていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
一段一段、自問自答しながら階段を昇っていく。機械的に足を動かしながらも、頭の中はぐしゃぐしゃだ。
あれは確かに父さんだったなら何故姿をくらませるのもしかしたら人間違いかもいやでも絶対あれは父さんだ……。
「ただいま戻りました……ひゃっ」
事務所のドアを開けた拍子にかかえていた郵便物が、腕からバサバサと音をたててこぼれ落ちた。
「ごめんなさい!」あわてて、わたしはしゃがみ込んで郵便物をかき集めた。
「おかえりなさいー、あらら」
音を聞きつけてやって来た風沙子さんが、
「はい、これで最後かな」と言いながら封筒を差し出した。
「すみません、ありがとうございます」そう言って、わたしは受け取る。
「あー、派手にまた……」
声に視線をあげて見ると、デスクに座っていたはずの所長がわたしの前で腕を組んで立っていた。流れるような所作で、しゃがみ込んで、
「君らしくないなぁ、なんかあったのか?」わたしの目をのぞき込んだ。
所長の目を見ていると吸い込まれていきそうな気分になって、わたしは目を逸らした。
完全にわたしの負けだ。
「いえ、ごめんなさい……何でもないです」
わたしは所長の目を見ずに、そう言った。負け犬の遠ぼえってヤツ。
「ふぅん、……ま、そう言うコトにしておこうか」
所長はにやりと笑ってそう言った。
……完全に見透かされてる。動揺してること。探偵に隠し事は出来ないのだ、きっと。
「そうだ、コーヒーを入れたんだ。お茶にしましょう」
ヤケに明るい口調で、風沙子さんが宣言した。
壁の時計が午後3時をつげる。