第九話 試される器
海で、息をする。九話です!今回は段々と主人公のつよさが周りに認知され始めます!
【前回のあらすじ】
初めてSクラスに出会い、絶望的な状況へ陥った潮斗達の前に円卓の騎士一位であるアーサーが現れて窮地を救った。そして潮斗は何も出来なかった無力感で強くなろうと決意する。
廊下の水流が、淡く光を乱した。美香は少し苛立った顔つきでTWCの管路を歩く。報告書を片手に、潮のように流れる粒子の間をすり抜ける。心のなかで小言が続く。
「たく……私が後輩にカッコいいところを見せるつもりだったのに……」
扉の前で大きく息をつき、ノブを押す。中の部屋の空気は低く、薄暗い灯りが書類の輪郭を浮かび上がらせていた。扉を開けると、上官が机の前に座っている。美香は資料を差し出した。
「上官。終わりました。報告書です」
「……あぁ、ご苦労」
上官は淡々と受け取り、目を通しながら顔を上げた。「で、どうだった。あの後輩は?」
美香は手を腰に当て、口を尖らせる。言葉が溢れ出す。
「上官の言ってた通り、命令無視する奴でしたよ。いきなり飛び出したと思ったら、いつの間にかレヴィアタンを倒してて……私の出番を奪われたんですよ? 信じられます? 全く、生意気な……」
最後の部分は小さく、独り言のように呟かれた。上官の目が一瞬、鋭く光る。
「そうか……」
短く漏れたその声には、興味と計算が混じっていた。美香は不思議そうに眉を上げる。
「ところで、なんで今回は直接上官に資料を渡すんですか? いつもは窓口ですよね」
上官は資料を掌で動かしながら肩をすくめた。
「ふむ。いや、どんな奴か、直接聞きたくてね」
「ふーん、わかりました。じゃあ、失礼します」
美香は軽く会釈をして出て行った。扉が閉まると、上官は小声で呟いた。
「入隊して数日で単独撃破か……少し調べる必要があるな」
その声は、廊下を渡る水流にかき消されるように消えた。だが上官の目は、既に記録の数字と名前を結びつけ始めていた。
(場面は切り替わる)
その頃、潮斗は海砂地で刃を振るっていた。砂紋が淡く揺れ、プランクトンの光が散る中、相手は中型のレヴィアタン。Cクラスだが、漁業に被害を出す厄介者だ。
咆哮が水を震わせる。潮斗は呼吸を整え、距離を詰める。刃先が鱗を抉り、衝撃が腕へと返る。レヴィアタンは暴れたが、群れの気配は薄い。近くにいた小型の個体が、すでに動けなくなっているのが視界の端に見えた。
一閃。大剣が深く入る。相手は崩れ落ち、砂が舞い上がる。倒れると同時に、周囲に点在していた小型レヴィアタンの屍が目に入った。寄せ集まっていたのか、それとも先に何かに襲われていたのか――理由はすぐにわからない。ただ、一面に横たわる光景が、胸にざわめきを残す。
「君、本当に三等兵かい? ほぼ二等兵レベルじゃないか?」
背後から声がした。任務を共にしていた田中さん――二等兵だ。彼は肩をすくめて近づき、淡い笑みを見せる。
「ありがとうございます」
潮斗は素直に答えたが、どこか満たされない表情をしているのを田中さんは見逃さない。
「……なんだか、満足してなさそうな顔だね」
「え? 俺、そんな顔してました?」
「まぁね、そういう感じがしてた」
田中さんは水面のように穏やかに言い、周囲を見渡した。潮斗は言葉を探すように息を飲む。
「で、何に困ってるんだい?」
潮斗は小さく視線を伏せてから、決心したように胸の内を吐き出す。リンネットのこと。Sクラスとの遭遇。守りたいという思い――それが自分をここまで駆り立てていることを、率直に話した。
田中さんは黙って聞き、やがて頷いた。「なるほど。それで強くなりたい、と」
潮斗は強く頷く。
「リンネットさんとは知り合いだから、あの人がどんなふうに強くなったかも少しは想像がつく。あの人は積み重ねで強くなったんだ。だから、ハッキリと言える」
潮斗は息を吞む。
「どうしたら……もっと強くなれますか……」
声は震えていた。田中さんは少しだけ笑ってから、はっきり言った。
「挑戦し続けることだよ。難しい言い方にすると“漸進的過負荷”ってやつだが、要はこうだ。単に同じレベルの敵を何度も倒しても、得られる経験は同じだけだ。経験値が飽和して、成長曲線が鈍る。ならどうする? もっと強い敵を倒して、その分だけ得る経験値を増やすんだ」
「もっと強い敵……」
潮斗はその言葉を反芻する。水中の音が遠くで重なり合い、砂が静かに沈んでいく。
田中さんは続けた。「だがな、無茶は別だ。自分の限界を知ること。死に急ぐのは違う。だが、ちょっとずつ自分を押し上げていく。戦いのレベルを一段ずつ上げていくんだ。それに、自分で意図的に“挑戦”を選ぶこと。偶発的な戦闘に振り回されるんじゃなくてな」
潮斗は深く息をついた。胸の中の重さが、ほんの少しだけしぼんだ気がした。だが、同時に新しい覚悟の輪郭が見えてきた。
(もっと強い敵を――だが、死なないで済む方法で)
海の粒子が淡く光り、二人はその光の中に立っていた。潮斗の拳は固く握られ、指先に僅かな白さが差す。隣で田中さんが小さく笑うと、その笑みが励ましになった。
「よし。次は少しだけ上の段を狙ってみよう。無茶はするなよ、潮斗くん」
「はい」
海は静かに応え、潮斗の決意は水の中で、ゆっくりと固まっていった。
アトランティスへ戻ると、街の水流は何事もなかったかのように淡く光を返していた。俺は本部の広いロビーに置かれたソファに腰掛け、自動販売機で買った缶コーヒーを手にしていた。缶を傾けると、熱が手のひらに伝わる。水が光を乱す中、口に入ったコーヒーの苦味だけが現実だった。
人の流れはいつも通りだ。任務帰りの顔、これから出る顔。誰もが淡々と日常を回しているように見える。だが胸の中のざわめきは消えない。缶を握る指先が、ほんの少しだけ白くなるのを感じた。
(場面は切り替わる)
田中さんは一人で本部の一室に入っていった。扉を押し開けると、中の上官が資料を机に広げている。田中さんは深く一礼し、報告書を差し出した。
「戻りましたよ、上官」
「ご苦労だった」
上官は目を細めて資料を受け取り、ざっと目を通す。その表情は読み取りにくいが、確かに何かを計算しているようだった。
「ひとつ、聞きたいことがある――」
上官の声は低い。田中さんは肩の力を抜き、素直に返す。
「なんでしょうか」
「今日、お前と一緒だった潮斗のことだが……どうだった?」
田中さんはすぐに顔をほころばせ、はっきりとした口調で答えた。
「あー、潮斗くんですか。あの子は凄い人ですよ。私が別のレヴィアタンを相手にしている間に、取り巻きの小型レヴィアタンを全部片付けて、さらに中型の個体まで倒してましたから」
上官はその言葉を受け、短くうなった。
「ふむ。そうか……」
田中さんは少しだけ警戒するように問い返す。
「何か、気になる点でも?」
上官は資料を軽く叩きながら、言葉を選ぶように答えた。
「いや、新人にしてはいい腕をしていると思っただけだ。入隊して数日で単独撃破――という報告が来ると、つい耳がそっちに向く。調べる価値はあるな」
田中さんはにこりと頷いた。
「そうですか。私も、あの子は只者じゃない気がしました。では、失礼します」
立ち上がった田中さんが部屋を出ると、扉が閉まる直前に上官は小さく呟いた。
「――試してみるか……」
言葉は風に溶けるように薄く、だが確かな決意を含んでいた。
翌日、潮斗に単独任務が割り振られた。
「ついに単独任務…」と、胸がざわつく。入隊して間もない身での初めての単独任務だ。任務書に記された場所は、サンゴの森と海砂地の境目。依頼内容は単純だが危険――人を襲った中型のレヴィアタンの討伐。表向きはただの討伐だが、潮斗はそれが上官からの“試し”だとはまだ気づいていなかった。
目的地に着くと、潮斗は周囲を警戒しながら慎重に足を進める。サンゴの森の端、藻の揺れが微かに光を乱し、海砂地の平坦な地形が視界を広げる。プランクトンの光が点滅する中、目的のレヴィアタンがゆっくりと姿を見せた。
「いた……」
潮斗は低く息を吐く。背後へ回り込み、気配を殺して奇襲の隙をうかがう。大剣を構え、呼吸を整えて――合図を待たずに動き出した。潮斗の刃が振り抜かれ、鋭く鱗を切り裂く。
だが、それが相手の怒りを買った。レヴィアタンは暴れ、潮流が巻き上がる。砂が舞い、視界を奪われる。潮斗は咄嗟に目を覆い、「くっ! 目に砂が!」と声を上げる。視界の奥に薄く見えたのは、すぐ側へ迫る太い尻尾だった。
「うおっ!」
間一髪で身をよじり、尻尾をかわす。だが追撃を仕掛けても、刃が跳ね返る感触がある。硬い。適正値が落ちているわけでも、当たり所が悪いわけでもない、ただ――硬かったのだ。
(変だ……)
そう直感した瞬間、違和感は確信に変わる。最初の砂煙は偶然ではない。こいつが意図的に砂を巻き上げ、視界を奪って攻撃の有利を作っているのだ。Cクラス相手にここまで工夫された行動をされるとは思わなかった。
砂煙が晴れるかどうかの刹那、尻尾が砂煙を切り分けるように振り下ろされ、潮斗はその衝撃で吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。
「くっ! 痛え……」
立ち上がると、唇に血を滲ませながら潮斗は息を整える。体に走る痛みが鋭く、だが頭は冴えていた。戦いの中での違和感が、論理を働かせる。相手は砂煙を作り、その中で尻尾を振るう。だとすれば――砂煙の発生と尻尾の一撃のタイミングを逆手に取ればいい。
集中する。水の微かな振動、砂粒の流れ、相手の呼吸に紛れる筋肉の動き。目に見えない小さな波紋を追い、感覚の閾値を引き上げるように自分を研ぎ澄ます。集中が深まると、アロンダイト適正値も連動して安定し始めるのが分かった。呼吸が落ち着き、世界のノイズが徐々に消えていく。
そして、次の砂煙が立った。レヴィアタンが再び視界を奪い、尻尾を振るおうとする――その瞬間を狙って、潮斗は刃を振るった。砂の粒子が舞う中、気配だけを頼りに斬り込む。切っ先が振動を捉え、硬い尻尾が弾けるような感触と共に断ち切られた。
砂煙が晴れると、尻尾の先端が海砂に突き刺さり、そこに横たわっている。レヴィアタンは一瞬、痛みで咆哮を上げた。潮斗はその咆哮に合わせて突進し、横一直線に大きく斬りつけた。刃が肉を裂き、深い傷跡が右側面に刻まれる。相手は勢いを失い、やがて砂地に崩れ落ちた。
「……ッ! よし!」
潮斗は自然とガッツポーズを取り、苦戦の末の勝利に小さな達成感を噛み締める。息は荒いが、心はすこし膨らんでいた。勝利の理由は一つ。敵の“工夫”を見抜き、こちらの工夫で返したことだ。集中し、適正値を呼び起こし、カウンターを刺した――その全てが今の自分にできた。
だが、その喜びのすぐ裏側で、潮斗の胸には小さな不安も残る。相手がCクラスでこの戦術を使ってくるということは、もっと上のものが同じ手を使う可能性を示している。今日の勝利は確かに自信になった。しかし、同時に何かが違うという感覚は消えなかった。
潮斗は大剣を砂に突き立て、深く息を吐いた。目の前の倒れた巨体を見下ろしながら、ふと空気の片隅で聞こえた言葉を思い出す――(普通じゃない)。
その言葉が、胸の奥で小さく反響した。
砂の匂いがまだ体に染み付いている感覚のまま、潮斗は慣れない資料作成に取り組んでいた。記録の書式、討伐の経緯、被害状況――どれも普段は他人に任せていた項目ばかりだ。手が震えるのを隠しながら、田中さんが落ち着いた声で隣に立ち、ひとつずつチェックしてくれる。
「ここは時系列で」「攻撃のタイミングとカウンターを書け」「被害報告は正確に」
田中さんの助けがあったから、潮斗はなんとか体裁を整えられた。完成した報告書を胸に、潮斗は本部の薄暗い廊下を進む。いつもより長く感じる一歩一歩。扉の前に立つと、深呼吸をしてからノブを押した。
「失礼します!」
潮斗が礼をして部屋に入ると、上官は書類の山から顔を上げ、じっと潮斗を見つめた。椅子から立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。近くで見ると、簡潔な表情の裏に何か計算めいた厳しさが潜んでいるのが分かった。
「潮斗か……待っていたよ」
その声は柔らかくも、なにか含みがあった。潮斗は震える手で報告書を差し出す。
「はい。初の単独任務の報告書です。田中さんに手伝ってもらって作りました」
上官は受け取り、ぱらりとページをめくる。その視線は端末の数値と潮斗の顔を交互に行き来した。
「それで、どうだったかな? 初の単独任務は……」
「苦戦はしましたが、何とか……討伐はできました」
潮斗は出来るだけ落ち着いて答え、詳細を簡潔に口頭で補足した。上官は頷き、書類をテーブルに置く。
「ふむ。では、ご苦労だった」
短い労いの言葉に、潮斗は胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
「ありがとうございます。では、失礼します」
潮斗は深く会釈し、そのまま部屋を後にした。
扉が静かに閉まり、足音が廊下の奥へと遠ざかっていく。
しばらくしてから、上官は報告書にもう一度視線を落とし、誰に聞かせるでもなく小さく息を吐いた。
「……Bクラスを単独で、か。
三等兵のままでは……惜しいな……」
その声は部屋に溶けるように消え、次の“判断”だけが静かに残った。
海で、息をする。九話はどうでしたか?もし面白いと感じたら感想と評価をいただけると励みになります!次回は昇格した主人公が、新たな場所で任務を行います!




