第十四話 嵐が晴れる時
海で、息をする。十四話です!今回はブリギットと激しい戦い画繰り広げられ、勝敗が決まります!
【前回のあらすじ】
乗り越えるべき大きな壁、ブリギット。そしてブリギットと決闘をする約束を果たしに来た潮斗は、最初こそは苦戦するものの段々と適応して行った……
《パイルバンカー》は本来、対レヴィアタン専用――鋭い鉄の丸棒を突き刺して内部から押し出すことで、物理的な破壊を与える能力だ。人に発動すれば身体は原形を留めないほどの力を持つ。
それほどの力を、彼女はそれを良しとしなかった。自ら「ルールは無い、殺し合いだ」と言い放ちつつも、彼女の中にただ一つだけ譲れないものがある。
──プライド
それだけが、この戦いの唯一のルールだった。
それでも、ブリギットは思いっきり《パイルバンカー》を地面に突き刺す。
「グサッ……」
鈍い音が広場に響き、「パイルバンカー!」とブリギットが低く叫ぶと、能力が発動した。
地震のような振動が大地を伝い、衝撃が一帯を揺らす。地面が砕け、潮斗は崩れる足場と振動に体勢を崩す。――その刹那、拳が腹部を抉った。
「ボディーブロー!」
海賊の一人の声が響き、連打が潮斗に叩き込まれる。
「姉貴の拳は岩をも砕く! アイツ死んだぞ!」
歓声が飛ぶ。潮斗は《タイド》で防ごうと懸命に構えたが、明らかにスピード負けしていた。視界は揺れ、呼吸は乱れる。次の瞬間、胸ぐらを掴まれ、そのまま──叩きつけられる。
「壁?!」
ここは平面の広場。壁などあるはずがない。だが潮斗が目にしたのは、地に突き刺さった《パイルバンカー》そのものだった。能力によって固定された鉄杭が即席の“壁”となり、彼は追い詰められ防戦一方となる。
「姉貴! 殺っちまぇ!」
海賊たちの歓声が渦巻き、ブリギットは拳を止めない。殴打が続き、衝撃で呼吸が困難になるほどだ。その様子を見たリンネットは駆け出そうとするが、近くの海賊に肩を掴まれ止められる。
「離してください!」
振りほどこうとするリンネットに、男は静かに言った。
「姉ちゃん、それは悪手だぜ? あの男が仲間なら気持ちはわかる。でも、あの顔を見てみろ?」
リンネットが視線を向けると、殴られ追い詰められ、壁に押しつけられながらも、潮斗は笑っていた。怯えでもなく絶望でもない。何かを掴みかけた者の顔。海賊が静かに答えを問う。
「それでも、止めるかい?」
リンネットは一瞬目を閉じ、ゆっくり首を振った。
「……いいえ」
彼を信じる。それが今、自分にできる唯一のことだった。
拳の雨は止まらない。潮斗は連打を受け、視界は白く滲み、意識は遠のきかける。肺は焼けるように苦しい。それでも、彼は“成長”していた。殴られながらも、肩の入りや腰の捻り、重心の流れを読み取り、コンマ0.1秒にも満たない綻びを探る。その瞬間を見出した刹那、潮斗の拳はブリギットの顎へ突き刺さった。
「…ッ?!」
反応するより早く入った一撃。ブリギットの連打は止まり、姿勢がわずかに崩れる。広場に静寂が落ちると、次の瞬間、歓声が爆発した。
「やりやがった!」「ハハハ! マジかよ!」
そのとき、誰かが気づく。潮斗の手に《タイド》は無く、彼は素手で殴り合いを選んでいたのだ。迷いではない。現場で最適解を選び取り、適応した結果──それが成長の証だった。
ブリギットは血を拭いながらにやりと笑う。
「ハハハ……面白い! ここからは純粋な殴り合いだ!」
歓声はさらに熱を帯び、拳と拳の応酬は続く。
潮斗の目前で、ブリギットの左フックが鋭く振り抜かれた。紙一重でかわした彼はそのまま懐へ潜り、アッパーを入れにいく——が、読みは通じない。相手は身体を捻り、上から叩き落とすようなスマッシュを振り下ろす。
空気が裂ける。一秒の遅れが命取りで、一瞬の判断ミスが致命傷になる。だが二人は退かない。海賊の一人が呟く。「あ、姉貴ら……あんな激しい攻防してんのに、ほとんどその場から動いてねぇ……」
確かに足はほとんど動いていない。半歩も引かず、半歩も逃げず、中心点は変わらない。ただ、互いの“間合い”の中で世界だけが高速で動いている。殴り合いながら笑うふたり――殺し合いのはずなのに、そこには奇妙な高揚があった。戦場でしか交わせない対話。拳が、言葉の代わりだった。
嵐のような連打が続く。しかし、その軌道は既に読めないものではなかった。彼は拳が閃くたびにわずかに頭を振り、肩をずらし、紙一重でかわす。空いた一瞬を見逃さず、脇腹へ拳を突き刺した。鈍い衝撃が飛ぶ。
「くっ……フッハハハ!」
ブリギットは顔を歪めつつも笑う。痛みを愉悦に変えるような笑いだ。潮斗も同じだった。削り合いながら互いの成長を確かめ合うように、拳を通して届いている実感があった。
だが次の瞬間、ブリギットのコンビネーションのリズムが変化する。フェイントが入り、角度が散り、上・下・横と拳が降りかかる。視界が忙しく揺れ、最後にストレートが襲いかかる。反射的にガードを固めた彼の目の前で、その拳は途中で“消え”、次の瞬間には顎にあった。
「……ッ!」
燕返し――縦に立てた拳が弧を描きながら下からすり上がる。ガードの隙間を縫って顎を突き上げる右のアッパー。まるで燕が空中で切り返すような軌道が、顎を貫いた。視界が白く弾け、足の感覚が消え、身体が浮く。意識が切れかけ、重力に引かれて落ちる――そのとき、はっきりとした声が届いた。
「潮斗くん! 頑張って!」
声の主は、近くで祈るように拳を握っていた先輩だ。意識の底から名を呼び、落ちる直前に瞳が開く。地面に触れる刹那、脚に力を戻し、膝を折って衝撃を逃がす。倒れはしない。ぐらつきながらも、踏みとどまる。
静まり返る群衆。ブリギットの目がわずかに細まる。顎を打ち抜かれ、意識を飛ばされかけたのに、それでも立っている彼を見て、ブリギットは低く呟く。
「……ほぉ」
潮斗はゆっくりと顔を上げ、焦点を合わせる。荒い呼吸を伴いながらも、口元に薄く笑みを浮かべている。刃は再びぶつかる。拳と拳が、もう一度、荒々しく交じり合った。
潮斗の動きは、しかし確実に鈍っていた。足取りは重く、反応は遅れる。膝がガクッと崩れた瞬間を逃さず、ブリギットの拳が顔面を捉える。潮斗は打ち返す。拳は当たる。しかし、その威力は初めの一撃とは違っていた。あの顎を抜いたときの鋭さはなく、確実に質が落ちている。誰の目にも明らかだった――潮斗の負けは見えている。
歓声は少しずつ消え、広場には緊張が満ちる。それでも、離れた場所でリンネットは祈るように拳を握っていた。立って。あと一瞬でいい。掴んで。ブリギットが構え直す。終わらせるための一撃が、一直線に放たれる。完璧な軌道、完璧な踏み込み。だが潮斗はそれを待っていた。身体は限界を迎え、視界は揺れている。それでも、この瞬間だけは見えていた――踏み込みの癖、肩の入り、拳の通る線。
ストレートが迫る刹那、潮斗の拳はブリギットの腕を滑るようにすり抜けた。交差する軌道。一直線と、逆一直線。群衆の中から
「ク、クロスカウンター!」
という叫びが上がり、拳は頬を捉える。鈍い衝撃とともに空気が止まり、ブリギットの瞳が揺れ、身体の反応が遅れる。そして――膝から崩れ落ちる音が、重く広場に響いた。海賊女王が膝をついた。静寂。誰も声を出せない。
潮斗はその場に立ち尽くし、肩で息をする。深く肺に空気を吸い込み、震える腕を天に突き上げる。
「……スゥゥゥ」
そして、渾身の声を張り上げた。
「よッッッしゃあああああああああ!!」
その叫びとともに歓声が遅れて爆発し、海が震えるような熱狂が広場を包んだ。戦場に響くのは、勝者の咆哮だった。成長は、勝利を掴んだ。
広場の中央で、ブリギットは膝をついたまま動かなかった。
歓声が止み、波の音だけが遠くに響く。
やがて彼女はゆっくりと顔を上げる。
「……フフ、負けか」
噛みしめるような声だった。
悔しさはある。だが、それ以上に――満足があった。
そのままあぐらをかくように座り込み、肩を震わせる。
「フ、フフ……ハハハハ!」
堪えきれず、豪快に笑い出した。
乾いた笑いではない。
心の底から戦いを楽しんだ者だけが浮かべる笑いだった。
立ったまま肩で息をしている潮斗を見上げる。
「……潮斗、だっけか?」
血の滲む口元を拭い、にやりと笑う。
「強いなお前! 気に入った!」
その笑顔は、先ほどまで拳を振るっていた海賊女王とは思えないほど晴れやかだった。
周囲の海賊たちも、やがて笑い出す。
敗北の空気はない。
そこにあるのは、本気で殴り合った者同士だけが共有できる奇妙な清々しさだった。
潮斗は苦笑する。
「ハハ……俺も楽しかっ……」
言い終えるより早く、膝が折れた。
どさり、と力なく崩れ落ちる。
「うお! 潮斗大丈夫か?!」
真っ先に声を上げたのはブリギットだった。
「潮斗くん!」
少し遅れて、リンネットが駆け寄る。
「やべ……意識が……」
視界が暗く染まり、歓声もざわめきも遠ざかっていく。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
――その表情は、勝者のそれだった。
次に目を覚ますと、見上げた天井は見知らぬ鉄板だった。錆びついたコンテナの内壁が薄暗く、かすかに潮の匂いが漂っている。
身体を起こそうとし、周囲を見渡すと簡易ベッドと棚に並んだ薬品、無造作に置かれた医療器具が目に入った。どうやら海賊の――簡素だが機能的な医療室らしい。
規則正しい寝息が隣から聞こえて、そっと隣を見ると、毛布にぐるまれた リンネット が椅子で眠っていた。心配でずっと付き添ってくれていたのだろう。胸が熱くなる。
「うっ…痛ッ」と頭を押さえると、布ののれんが揺れて誰かが入ってくる。現れたのは、あの女だった。 ブリギット だ。
「よ、潮斗。大丈夫か? お前、数時間寝てたぞ」
気負いのない声。潮斗はろくに返事できず、ぼんやりと「今何時だよ…?」と問い返す。
「夜の十二時。もう皆、寝てるよ」
ベッドから立ち上がろうとしたが、足に力が戻らずよろめく。ブリギットが不意に肩を支え、驚くほどに優しい声で言った。
「まだ寝てろ。あんな激しい戦いだったんだ」
潮斗は苦笑をこぼして、言われた通りに再び横になる。ブリギットはそれを確認すると、何も言わずに出ていった。のれんが静かに揺れる音だけが残る。
薄暗い医療室。隣で眠る 潮斗 の寝息。身体は痛い。でも胸の奥には、不思議なほど温かい余韻が残っていた。
「……楽しかったな」
ぽつりと零したその言葉が、戦いの余韻をそっと閉じる。潮斗は目を閉じ、波の音と誰かの寝息に包まれながら静かに眠りへ落ちていった。
――こうして、ブリギットとの決闘は幕を閉じた。
【付け足し】
海中世界で「燕返し」のように、陸の動物の名前が付いた技が残っているのは、ボクシングの技名がほぼそのままの形で二百年ものあいだ受け継がれてきたからだ。技名は変わらずに伝承され続けたため、「ガゼルパンチ」のような陸生動物を由来にする呼び名もそのまま残っている。
海で、息をする。十四話はどうでしたか?ブリギットとの激しい攻防、そして潮斗が掴み取った勝利、熱い戦いでしたね。そして戦いの後のお互いを尊敬し合っているあの感じ…いいですね。もし面白いと思ったら感想と評価をいただけると励みになります!
次回はブリギットが率いるアイザーン・ヴァーストとワイワイします!お楽しみに!




