哀愛傘
あの日、教室の窓辺で、
わたしは“好き”を言えなかった。
「うん、待つね」って笑ったあなたの声を、
信じてしまったから。
でも——
雪が降る前に、傘は閉じられてしまった。
そのキスは、愛じゃなく、
さよならの合図だった。
まだ、雪の降らない日
教室の窓に、夕焼けが滲んでいた。
四限目が終わってすぐの時間。
外は冷たい風が吹いていたけれど、校舎の中はまだ冬の手前の匂いがした。
陽菜は、誰もいない教室で、机に頬を預けていた。
友達に断って残った放課後。
ただ、あの子が迎えに来てくれる気がして——そうしていた。
「……陽菜」
名前を呼ぶ声が、廊下から覗く。
顔を上げると、そこにいたのはカナだった。
肩にかかる黒髪。制服のスカートの下から、紺のタイツが少しだけ見える。
カナは、陽菜の隣のクラスで、文芸部の先輩。
でも今は、ふたりきりの放課後の友達だった。
「……帰ろっか、一緒に」
「……うん」
それだけの会話。
でも、ふたりには十分だった。
靴箱で上履きを脱ぐとき、カナが少しだけ陽菜の袖を引いた。
振り向くと、カナはいつものように、言葉を探しているみたいに唇を噛んでいた。
「……あのね」
「なに?」
廊下の窓の外は、もうすっかり暮れていた。
遠くの空に、細く白い月が浮かんでいた。
「……好き、なの。陽菜のこと」
陽菜の心臓が、ふ、と止まったような気がした。
冬の空気よりも冷たく、けれど火のように熱く、言葉が胸の奥に突き刺さった。
カナは、陽菜の目をまっすぐ見ていた。
怖がってるようで、それでも逃げてなくて。
答えを、待っている目だった。
でも、陽菜は——
「……ちょっとだけ、考えさせてほしい」
カナは、すぐにうなずいた。
「うん、待つね」って、笑って。
だけどその笑顔が、どこかで震えているのを、陽菜は見逃していた。
——それが、最初だった。
冬が来た。
雪が降る前の、しんとした寒さが、教室にまで染みてくるようになった。
陽菜は、あれから毎日、カナのことを考えていた。
休み時間も、帰り道も、夢の中ですら。
どうして自分は、あの時すぐに「好き」って言えなかったのか——。
でも、時間だけが過ぎていった。
怖かった。告白して、今の関係が壊れるのが。
そんなある日、風の強い放課後。
「……カナ、他の子に告白されたらしいよ」
クラスメイトの何気ない一言に、陽菜の心臓が跳ねた。
「……で、付き合うって……」
その瞬間、陽菜は教室を飛び出していた。
どこにいるのか、わからなかった。
でも、足は知っていた。カナが、いつも帰る前に立ち寄る場所を。
——教室。あの日、告白されたあの場所。
扉を開けると、そこにいた。
「カナっ……!」
陽菜は息を切らして、駆け寄った。
「……っ、やだ……やだよ……」
そのまま、抱きしめた。カナの肩が、細かく震えていた。
「わたし……好き……ずっと、カナのこと……」
その言葉に、カナの動きが止まる。
陽菜は、そっとカナの唇にキスをした。
けれど——
「……もう……遅いよ……陽菜……」
カナの声が、ひび割れた硝子のように痛くて、冷たくて。
「もう、待つの……疲れちゃったよ……」
カナは、陽菜の腕の中からすり抜けるようにして、教室を出ていった。
陽菜は、ただそこに立ち尽くすしかなかった。
窓の外に、雪が降り始めていた。
教室の中に差し込む白い光が、陽菜の涙を照らしていた。
それはまるで、雪が彼女の涙になったみたいだった。
——好きって、もっと早く言えたら。
陽菜は、唇を噛みながら、ただ立っていた。
その冬、初めての雪だった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
「好き」って、たった二文字なのに
どうして、こんなに重たくなるんでしょうか。
うまく言えなかった想いが、
ちゃんと届いていたらよかったのに……と、
書きながらずっと思っていました。
でも、たぶんこの物語の中では、
雪だけが全部を知っていて、
わたしには、もう何も言えないのかもしれません。
読んでくださったあなたの心に、
小さな余韻だけでも残せていたら嬉しいです。




