第4話 基準にされる人
港町の会議室は、窓が大きい。
潮の光がそのまま差し込み、
机の上の書類を白く照らしている。
私は中央ではなく、端の席に腰を下ろした。
誰に指示されたわけでもない。
ただ、その位置が自然だった。
それでも、
視線は集まる。
発言しているのは代表者だ。
説明をしているのも別の担当者。
けれど、
言葉が一区切りつくたびに、
ほんのわずかに視線がこちらへ向く。
私は頷きもしない。
首を振りもしない。
ただ、聞いている。
「……以上です」
説明が終わる。
室内が静かになる。
沈黙は長くない。
誰かが意見を言えば動き出す程度の、
短い空白。
だがその空白のあいだ、
場は私の反応を待っている。
私は視線を資料へ落としたまま、
一枚を閉じる。
「続けてください」
それだけ言う。
代表者が少し息を整え、
次の議題へ進む。
会議は動き出す。
私は、中心ではない。
決定権を握っているわけでもない。
それでも、
場の“基準”として置かれている。
それが分かる。
休憩の時間、
若い担当者が近づいてきた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ」
丁寧な挨拶。
そして、少し迷ったあとで言う。
「やはり、あなたがいると違います」
違う、という言葉は曖昧だ。
私は問い返さない。
「どのように?」
そう尋ねれば、
彼はきっと答えを探すだろう。
けれど私は、探させない。
「そう感じるだけです」
彼は小さく笑った。
それで十分だ。
私は違いを作っているつもりはない。
特別な判断もしていない。
ただ、
急がないだけだ。
会議が終わる頃には、
当初まとまりかけていた案は、
少し形を変えていた。
誰かが反論し、
誰かが補足し、
誰かが一度持ち帰ると言った。
整わないまま、
しかし動き続ける形。
それを私は止めない。
夕方、港を歩く。
潮の匂いが濃くなる。
後ろから足音が追いつく。
リナだった。
「今日の進行、いかがでしたか」
真剣な目。
「進んでいます」
私は答える。
「整ってはいませんが」
彼女は少し考える。
「整っていないのに、進んでいる……」
「はい」
私は立ち止まり、海を見る。
「整えることを急ぐと、
動きが止まります」
「止まらない形のほうが、
長く続きます」
彼女は静かに頷いた。
まだ完全には理解していないだろう。
それでいい。
理解は、
他人から渡されるものではない。
「皆、あなたの反応を見ています」
リナは言った。
私はわずかに首を傾ける。
「そうですか」
「はい。あなたが否定しなければ、
それで安心するようです」
私は小さく息を吐いた。
安心を与えるつもりはない。
判断を下すつもりもない。
それでも、
“そこにいる”だけで、
基準になってしまう。
数年前、
私は距離を取ることを覚えた。
今は、
基準にされる距離を保っている。
中心には立たない。
だが、
場を乱さない。
それが、
今の私の位置だった。
夜、滞在先へ戻る。
机に向かい、
今日の議事を簡単にまとめる。
長い記録は残さない。
必要なのは、
“正解”ではなく、
“経過”だからだ。
ふと、
屋敷の庭を思い出す。
あの静かな小径。
並んで歩く足音。
ここでは、
私は基準にされる。
あちらでは、
私は並ぶ人だ。
どちらも、
無理はない。
どちらも、
私だ。
私は筆を置く。
象徴になりたいわけではない。
模範になりたいわけでもない。
ただ、
選び続けているだけだ。
それでも、
人はそこに意味を見出す。
基準にされても、
私は急がない。
明日もまた、
会議は続く。
整わないまま、
動き続ける。
私は、
その端に立っている。




