第37話 名前のない役割
その仕事には、
まだ名前がなかった。
制度とも、
計画とも呼べない。
ただ、
「やってみよう」という段階のもの。
私は、その曖昧さを
不安よりも、
余白として受け取っていた。
午前中、
小さな打ち合わせがあった。
相手は、
父の補佐をしている官吏と、
現地を知る数名。
人数は少ない。
机も広くない。
けれど、
話は具体的だった。
「予算は、
最初から大きくしないほうが
よいでしょう」
「既存の施設を
活かす形であれば、
反発も少ないかと」
私は、
一つひとつ頷きながら聞いた。
意見を集める。
すぐに決めない。
それが、
今の私のやり方だった。
「……どう思われますか」
ふと、
視線がこちらに集まる。
私は、
少しだけ間を置いた。
考えてから話す。
急がない。
「現地で見た限りでは」
言葉を選びながら、
続ける。
「新しい仕組みを
持ち込むよりも」
「今ある動きを
支える形のほうが、
長く続くと思います」
誰かの意見を
否定しない。
けれど、
自分の視点は
はっきりと置く。
部屋の空気が、
わずかに変わった。
打ち合わせが終わり、
書類をまとめる。
私は、
その一枚一枚に
不思議な感覚を覚えていた。
これは、
誰かの代理ではない。
誰かに任された役割でもない。
私が、
引き受けたことだ。
昼過ぎ、
庭に出る。
いつもの小径。
けれど、
今日は少しだけ
足を止める。
ここは、
考える場所になっている。
「……重くは、ありませんね」
独り言は、
確認だった。
責任はある。
けれど、
押し付けられてはいない。
「こんにちは」
背後から、
声がする。
振り返ると、
エドワード様が立っていた。
「こんにちは」
いつもと同じ距離。
同じ調子。
「先ほど、
打ち合わせがあったと
聞きました」
「はい。
小さなものですが」
「それで、
十分です」
彼は、
そう言っただけだった。
成果を求めない。
進捗も問わない。
「役割には」
彼は続ける。
「名前がつく前の
時間があります」
「その時間が、
一番大切なことも
多い」
私は、
その言葉を静かに受け取る。
「……今の私は」
私は、
ふと思ったことを口にした。
「何者でもない
感じがします」
彼は、
すぐに答えなかった。
「何者でもない、
というより」
一拍置いて。
「何者にも
固定されていない、
のではありませんか」
その言葉に、
胸の奥が、
すっと軽くなる。
夕方、
書斎で一人になる。
私は、
今日の出来事を
思い返していた。
名前のない役割。
形になっていない仕事。
けれど、
確かに動いている。
私自身も。
夜、
灯りを落とす前。
私は、
静かに思う。
私は、
誰かの隣にいる。
けれど、
その肩書きで
生きてはいない。
名前のない役割を
引き受けながら、
自分の重心で
立っている。
それが、
今の私だった。
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