↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約は破棄されましたが、私は静かに身を引いただけです  作者: リリア・ノワール
第1部 静かに身を引いた日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/142

第22話 期待という重さ

屋敷に戻ってから、

数日が静かに過ぎた。


特別な出来事はない。

外出も控えめで、

庭と書庫を行き来するいつも通りの生活。


けれど、

人の言葉だけが、

少しずつ増えていった。


「最近は、

 とても落ち着いて見えますね」


そう声をかけてきたのは、

親族筋の伯母だった。

笑顔は柔らかく、

心配の色はない。


「ありがとうございます」


私はそう返した。

それで会話は終わるはずだった。


「やはり、

 良い方と一緒にいらっしゃるからかしら」


言葉は、

さりげない。

断定でも詮索でもない。

ただの感想のようでいて、

前提が含まれている。


私は、

一拍だけ置いた。


「……そう見えるなら」


それ以上は言わない。

伯母は満足そうに頷いた。


「ええ。

 このまま、穏やかに進めばいいわね」


進めば。

その言葉が、

胸の奥に小さく引っかかった。


伯母が帰ったあと、

母が、紅茶を注ぎながら言った。


「あの人、

 あなたに聞く前に、私に聞いたのよ」


「……何を、ですか」


「"いつ"って」


母は、

それだけ言って、

カップを私の前に置いた。


「私も、

 聞き返さなかったわ」


いつ。

何がいつなのか。

母は、

それ以上説明しなかった。

説明しないことが、

母の返事だった。


別の日には、

母の知人が屋敷を訪れた。

お茶の席で、

話題は自然と私に向く。


「最近は、

 お二人でいらっしゃることが多いとか」


「ええ」


否定しない。

肯定もしない。


「周りも、

 安心して見ていられます」


安心。

それは、

善意の言葉だ。

私は、

その善意を疑わない。

疑えないからこそ、

少しだけ重かった。


部屋に戻り、

一人になる。

私は、

椅子に腰を下ろして、

静かに考えた。

誰も、

私を急かしてはいない。


誰も、

決断を迫ってはいない。

それなのに――

「流れ」ができつつある。


流れに逆らう理由はない。

流れに乗ることも、

間違いではない。


けれど、

流れに任せることと、

自分で選ぶことは、

同じではない。


「……期待、ですか」


ため息に近かった。


夕方、

庭に出ると、

エドワード様が、小径の入口にいた。


挨拶のあと、

彼は、

私の顔を見て、

何も言わなかった。

理由を問わない。

推測もしない。


「今日は、

 一周、多く歩きましょうか」


それだけ。

私は、

その距離感に助けられて、

歩きながら正直に話した。


「……周囲が、

 少しだけ」


「はい」


続きを、

静かに待つ。


「期待してくださっているのは、

 分かるのですが」


言葉を探しながら、

私は続けた。


「それが、

 少しだけ、重く感じます」


言ってしまえば、

楽になる。

けれど、

同時に、弱さを見せることでもある。


彼は、

すぐに答えなかった。

その沈黙が、

考えている証だと分かる。


「期待は」


彼は、

ゆっくりと言った。


「応えなくても、

 失礼にはなりません」


「……そうでしょうか」


「ええ」


迷いのない声だった。


「あなたが、

 自分の速度を守ることは、

 誰かを否定することではありません」


その言葉を聞いて、

肩の力が少しだけ抜ける。


「……ありがとうございます」


「謝意は、不要です」


いつもの言葉。

けれど、

今日は、いつもより深く染みた。


二周目の小径を、

私たちは、

何も話さずに歩いた。


夜、

部屋に戻る。


善意は、

ありがたい。

けれど、

善意でできた期待も、

積み重なれば形になる。


私はまだ、

その形の中に

自分を収めたくない。


「……もう少しだけ」


自分に言い聞かせる。


「もう少しだけ、

 今のままで」


それは、

誰かを待たせる言葉ではない。

私自身が、

自分に許した時間だった。


扉の外で、

マリアの声がした。


「お嬢様。

 侯爵家から、ご連絡が」


「……ええ」


「エドワード様は、

 明日から数日、

 領地へお戻りだそうです」


「そう」


私は、

それだけ答えた。

もう少しだけ今のままで。


その「今」に、

彼のいない数日が含まれていることを、

私はまだ、数に入れていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。