↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約は破棄されましたが、私は静かに身を引いただけです  作者: リリア・ノワール
第1部 静かに身を引いた日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/142

第13話 ほんの一瞬の揺れ

午後の空は薄く曇っていた。

日差しは強くない。

けれど、明るさは十分で、

庭に落ちる影は柔らかい。


私は、白百合の近くの椅子に腰を下ろし、

読みかけの本を膝に置いていた。


集中しているつもりだったが、

頁はあまり進んでいない。


考え事をしている自覚はない。

ただ、

静かに間が空いている。


「失礼します」


聞き慣れた声に顔を上げる。

エドワード様が、

いつもの距離を保ったまま立っていた。


「お邪魔でしたか」


「いいえ」


それも、

いつものやり取り。


「少しだけ、

 父と話を終えまして」


「そうですか」


彼は、

それ以上言わなかった。

私も、

本を閉じたまま、

何も言わない。

沈黙が落ちる。


けれど、

不安はなかった。


「……先日のことですが」


彼が、少しだけ声を低くした。

先日、

街での出来事のことだと、

すぐに分かった。


「はい」


「驚かれませんでしたか」


私は少し考えてから答えた。


「いいえ。

 驚きは、ありませんでした」


それは、

自分でも意外な答えだった。


「……そうですか」


彼は、

ほんの一瞬だけ、

視線を伏せた。

その仕草が、

いつもよりわずかに遅れる。


「もし」


彼は言葉を選ぶように、

一拍置いた。


「もし、

 不安を感じるようなことがあれば」


言い切らない。


「すぐに、

 距離を取ってください」


その言葉は、

私を守るためのものだ。

けれど――

声の奥に、

ほんのわずかな揺れがあった。


感情を抑えきれなかった、

その一瞬。

私は、

それを見逃さなかった。


「……大丈夫です」


私は静かに答えた。


「今のところ、

 不安はありません」


それは、

彼を安心させるための言葉ではない。

ただの事実。


彼は、

ほんの一瞬だけ、

安堵したように息を吐いた。

それから

いつもの表情に戻る。


「……そうですか」


短く、

それだけ。

そのとき、

私は、はっきりと気づいた。

この人は、

私が思っている以上に、

慎重だ。


近づかないことを選びながら、

それでも、

離れきることはしない。


そして、

その均衡を崩すことを、

少しだけ怖れている。


――私のために。


「……お気遣い、

 ありがとうございます」


私は、

ほんの少しだけ、

言葉を添えた。

それ以上は言わない。

彼も、

何も言わなかった。


けれど、

その沈黙は、

以前より少しだけ温度を持っていた。

膝の上の本を、

私は開き直さなかった。


開いても、

同じ頁を、

もう一度読むことになる気がしたから。


夕方。


彼は、

いつもの距離で一礼した。


「明日も、

 父上に、用がありまして」


「……明日も、ですか」


「ええ。

 少し、続きます」


二日続けての用。

父の仕事が、

そんなに立て込んでいるとは、

聞いていない。


けれど、

侯爵家と公爵家のあいだのことを、

私が全部知っているわけでもない。


「そうですか」


私は、

それだけ答えた。

彼は、

もう一度だけ白百合のほうを見てから、

帰っていった。


明日も彼は来る。


父に、

用があるのだそうだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。