第13話 ほんの一瞬の揺れ
午後の空は、薄く曇っていた。
日差しは強くない。
けれど、明るさは十分で、
庭に落ちる影は柔らかい。
私は、白百合の近くの椅子に腰を下ろし、
読みかけの本を膝に置いていた。
集中しているつもりだったが、
頁は、あまり進んでいない。
考え事をしている自覚はない。
ただ、
静かに、間が空いている。
「失礼します」
聞き慣れた声に、顔を上げる。
エドワード様が、
いつもの距離を保ったまま立っていた。
「お邪魔でしたか」
「いいえ」
それも、
いつものやり取り。
「少しだけ、
父と話を終えまして」
「そうですか」
彼は、
それ以上言わなかった。
私も、
本を閉じたまま、
何も言わない。
沈黙が落ちる。
けれど、
不安はなかった。
「……先日のことですが」
彼が、少しだけ声を低くした。
先日、
街での出来事のことだと、
すぐに分かった。
「はい」
「驚かれませんでしたか」
私は、
少し考えてから答えた。
「いいえ。
驚きは、ありませんでした」
それは、
自分でも意外な答えだった。
「……そうですか」
彼は、
ほんの一瞬だけ、
視線を伏せた。
その仕草が、
いつもより、わずかに遅れる。
「もし」
彼は、言葉を選ぶように、
一拍置いた。
「もし、
不安を感じるようなことがあれば」
言い切らない。
「すぐに、
距離を取ってください」
その言葉は、
私を守るためのものだ。
けれど――
声の奥に、
ほんのわずかな揺れがあった。
感情を抑えきれなかった、
その一瞬。
私は、
それを見逃さなかった。
「……大丈夫です」
私は、
静かに答えた。
「今のところ、
不安はありません」
それは、
彼を安心させるための言葉ではない。
ただの、事実。
彼は、
ほんの一瞬だけ、
安堵したように息を吐いた。
それから、
いつもの表情に戻る。
「それなら、よかった」
短く、
それだけ。
そのとき、
私は、はっきりと気づいた。
この人は、
私が思っている以上に、
慎重だ。
近づかないことを選びながら、
それでも、
離れきることはしない。
そして、
その均衡を崩すことを、
少しだけ、怖れている。
――私のために。
「……お気遣い、
ありがとうございます」
私は、
ほんの少しだけ、
言葉を添えた。
それ以上は、言わない。
彼も、
何も言わなかった。
けれど、
その沈黙は、
以前より、少しだけ温度を持っていた。
夕方、
彼が帰ったあと。
私は一人で庭を歩きながら、
考えていた。
距離は、
まだ保たれている。
けれど、
その距離の中で、
確かに感情は動いている。
抑えられたまま。
壊れないように。
「……それで、いい」
私は、
小さくそう呟いた。
夜、灯りを落とす。
今日見た、
ほんの一瞬の揺れ。
それは、
私を追い詰めるものではなかった。
むしろ――
信じてもいいと思わせる、
静かな証だった。
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