第2話 研究対象
翌朝の庭は、いつもと同じ光を落としていた。
椅子は円形に並び、
中心は空いている。
けれど、視線の重さが少し違う。
イリアは、朝から庭に立っていた。
手帳を持ち、何かを書き留めている。
「観察、ですか」
私が声をかけると、彼女は顔を上げた。
「はい。環境要因も重要ですから」
環境要因。
庭の木々。
円形の配置。
中心の空白。
それらが、理論の一部として分類されていく。
私は椅子に座る。
彼女も向かいに座る。
中心は空いたまま。
「あなたは、自分が研究対象になっていることを、どう思われますか」
イリアは静かに問う。
研究対象。
私は少し考える。
「珍しいことではありません」
「国際政策の講義では、あなたの事例が必ず扱われています」
彼女の声に誇張はない。
「外側型安定モデル」
「制度外重心維持理論」
整った名称。
私は庭を見渡す。
十年前は、ただの選択だった。
今は、概念になっている。
午後、カミル・ローデンが訪れた。
若手官僚。
庭方式マニュアルの作成者。
「正式ガイドラインの改訂版が完成しました」
彼は資料を広げる。
『庭方式標準手順』
・椅子は必ず円形配置
・議題は事前共有
・発言は順番制
・中心は空席とする
私は資料を読み終え、静かに閉じる。
「これで、各国での再現性が高まります」
カミルは満足げだ。
善意。
成果。
私は問い返す。
「なぜ、再現したいのですか」
彼は少し驚く。
「成功しているからです」
成功。
イリアが口を挟む。
「理論化と標準化は、拡張に必要です」
二人の視線が私に向く。
私は庭の中心を見る。
空いた椅子。
「形式は真似できます」
私は言う。
「けれど、立ち方は真似できません」
カミルは首を傾げる。
「立ち方とは?」
私はすぐに答えない。
十年前の選択。
顧問を断った日。
国際顧問を拒否した夜。
中心に立たなかった瞬間。
それは手順ではない。
「責任の持ち方です」
私は静かに言う。
「外側に立つということは、決定を避けることではありません」
イリアの瞳がわずかに揺れる。
「では、何ですか」
「選び続けることです」
沈黙が落ちる。
カミルは資料を閉じる。
「標準化は続けます」
彼は言う。
「現場は、指針を必要としています」
否定はしない。
合理は必要だ。
夕方、庭に立つ。
足音が一つ。
そして、もう一つ。
「あなたは、研究されることを恐れていますか」
彼が問う。
私は少し考える。
「恐れてはいません」
ただ、
固定されることに、違和感がある。
夜、書斎に戻る。
イリアの論文草稿と、
カミルのマニュアル。
どちらも整っている。
どちらも正しい。
けれど、
整った瞬間に、
呼吸が浅くなる。
私は初めて自問する。
私の立ち方は、
体系にできないから価値があるのか。
それとも、
体系にできないから、未熟なのか。
十年の安定は、
新しい問いを生んだ。
外側は、研究対象になった。
そして私は、
初めて少しだけ、
迷っていた。
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