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婚約は破棄されましたが、私は静かに身を引いただけです  作者: リリア・ノワール


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第1話 婚約は、静かに終わった

婚約破棄は、

悲劇であるべきだと思われている。


けれど、

役割としての婚約が終わるのなら、

私は静かに身を引くだけでよかった。


これは、

何も争わず、

何も奪わず、

ただ距離を取った私の話。


そして、

それでもなぜか、

周囲に大切にされてしまう物語。

婚約破棄は、もっと劇的なものだと思っていた。


広間の空気が張りつめ、誰かが声を荒げ、

あるいは私が取り乱し、涙を流す――

そんな場面を、どこかで想像していたのかもしれない。


けれど実際は、驚くほど穏やかだった。


王城の小会議室。

午後の光が高い窓から差し込み、磨かれた床に淡く反射している。

そこにいたのは、王太子殿下と、立会人として数名の重臣、

そして、私。


「君とは、これ以上、同じ未来を歩めない」


殿下は、感情を抑えた声でそう告げた。

非難も、苛立ちもなかった。ただ、決定事項を読み上げるような口調。


理由も説明されたけれど、

その言葉は、私の中をそのまま通り抜けていった。


そうなのですね、と理解するより先に、

「ああ、やはり」

という思いが、静かに胸に落ちた。


私は席を立ち、軽く頭を下げた。


「承知いたしました」


それだけを口にした。


誰かが、私の反応を窺うように息を詰めた気配があったけれど、

私は何も付け加えなかった。


引き止める言葉も、弁明も、必要ない。

この婚約は、もともと私の意思で始まったものではない。


私は公爵家の娘として、

王太子の婚約者として、

ふさわしい役割を果たしてきただけだった。


役割が終わったのなら、

身を引く。それでいい。


会議室を出るとき、

殿下が何か言いかけたような気配があった。

けれど、私は振り返らなかった。


振り返らないことが、

いちばん穏やかな終わらせ方だと思ったから。


王城の回廊は、いつも通りだった。


使用人たちは静かに頭を下げ、

誰も私に声をかけない。

それが、ありがたかった。


けれど、庭に出たとき、

空気が少し変わったのを感じた。


白百合の咲く庭園。

この季節になると、甘い香りが風に混じる。


私は歩みを止め、花の一つに視線を落とした。


――これから、どうするのだろう。


問いかけのようでいて、

答えを求めていない問いだった。


私は、王太子妃になる未来を失った。

けれど、それ以上に、

何かを「取り戻そう」と思っていない自分に気づいていた。


失ったものを数えるより、

距離を取ることのほうが、私には自然だった。


「……お嬢様」


控えめな声で呼ばれ、振り返る。

侍女のマリアが、少しだけ困ったような顔で立っていた。


「お部屋の準備を、どういたしましょうか」


その言葉に、ほんの一瞬だけ考える。


王城に与えられていた居室は、

もう必要ないだろう。


「実家に戻ります。荷物は最低限で」


そう答えると、

マリアは一瞬、目を見開いた。


「ですが……」


「大丈夫です」


私は微笑んだ。

安心させるための笑みではなく、

自分に向けた、静かな確認のようなもの。


「長居する理由はありませんから」


マリアは何か言いたそうにしていたけれど、

やがて小さく頷いた。


「……かしこまりました」


それだけで、十分だった。


馬車に乗るまでの間、

すれ違う人たちが、少しだけ私を気にしているのを感じた。


同情でも、好奇心でもない。

どちらかと言えば――戸惑い。


婚約を破棄された令嬢は、

もっと取り乱すものだと思われていたのだろう。


私は、ただ静かに、

その視線を受け流した。


期待に応えないことが、

こんなにも楽だとは、知らなかった。


馬車が動き出すと、

王城の塔が、ゆっくりと遠ざかっていく。


胸が痛まないわけではない。

けれど、それは鋭い痛みではなく、

古い傷に触れたときの、鈍い感覚に近かった。


時間が経てば、

きっと、気にならなくなる。


そう思えた。


実家に戻ると、

出迎えは、想像以上にあっさりしていた。


父は私を見て、

「そうか」

とだけ言い、余計なことは聞かなかった。


母は、

「お疲れさま」

と紅茶を淹れてくれた。


それだけで、胸の奥が少し緩む。


誰も、私を責めない。

誰も、何かを取り戻せと言わない。


私は、ただ席に座り、

湯気の立つカップを両手で包んだ。


静かで、穏やかな時間。


――これでいい。


私は、改めてそう思った。


距離を取る。

期待からも、役割からも、

そして、過去からも。


そうして静かに生きていけば、

きっと、この先も大丈夫だ。


そのときは、

まだ知らなかった。


この「身を引く」という選択が、

なぜか周囲との距離を縮めてしまうことを。


そして私が思っている以上に、

この世界が、

私に優しすぎることを。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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