思い出話、恨み話
楢崎に関する聞き込みがほとんど空振りに終わり、晴奈たちは仕方なく、宿に戻った。
「はあ……」
戻って以降、ずっと雪乃は机に頬杖を付き、ため息を漏らしていた。
「楢崎殿、一体どこへ行ってしまったのでしょうね。ご無事だと良いのですが」
「そうね……」
生返事をする雪乃を前にし、晴奈も不安が募ってくる。
「まさか楢崎殿、敗北を恥じて自害された……などと言うことは」
「……ふっ」
と、晴奈の言葉に雪乃が吹き出す。
「島に負けることよりありえないわ。瞬二さんは心身共に頑強そのものだもの。と言うよりむしろ、敗北や挫折をバネにしてより強くなろうとする、不屈の人よ。わたしが入門した時から、そう言う人だった。普段から気性が穏やかで、勝負事や仕合の類はあまり得意ではなかったけれど、いつも真正面から全身全霊でぶつかる、正々堂々とした戦いをする人だった。だから『剛剣』と呼ばれ、みんなにも、わたしにも慕われていたの。
どこまでも正直で、清々しくて、はっきり言って好人物。だから好きだった」
「す……好き?」
話が妙な方向に転がり、晴奈は面食らう。それを横目で見ながら、雪乃は薄く笑っていた。
「初恋の人だった。いつか……わたしが免許皆伝を得て名実共に剣士となれたら、その時に告白しようと、こっそり決意していたの。でも、……いつかは来なかったわ。免許皆伝を得る前に、彼は塞を離れてしまったから。
それから故郷のここで結婚したって聞いたし、もう恋心はしぼんでしまったわ。今でも兄のように慕ってはいるけれど……ね」
「さ、さようでしたか」
思わぬ話を聞かされ動転しつつも、晴奈は言葉を紡いだ。
「その……無事だといいですね、楢崎殿」
「そうね」
と――部屋の戸がトントンと、どこか申し訳なさそうに叩かれる。
「柊様、おいででしょうか。お話がございます」
その消え入りそうな声を聞き、雪乃が顔を上げた。
「誰かしら? わたしのことを知っているの?」
「我が師、楢崎瞬二より伺っております」
それを聞いて、晴奈と雪乃は顔を見合わせた。
「今開けるわ。話を聞かせて」
雪乃が答えたところで、晴奈が戸を開ける。入ってきたのは淡い黄色の毛並みの、虎獣人の青年だった。
「巷で師匠の情報を尋ね歩いている二人がいると聞きつけ人相風体を伺ったところ、師匠より聞かされていた柊雪乃様の特徴そのままでございましたので、こうして訪ねた次第です。……ええ、緑髪の長耳、穏やかなお顔立ちで可憐そのものだが、非常に腕の立つ剣士であると」
「それはどうも。それで話とは何かしら」
尋ねられ、虎獣人は話を切り出した。
「まず、自己紹介からさせていただきます。私の名は柏木栄一、楢崎先生の一番弟子でございます。しかし今は寄る辺を失い、失意の日々を過ごしております。全ての元凶はあの下劣な男、島竜王です。あの男は先生を卑劣な罠にかけ、先生を負かしたのです」
「罠ですって?」
「先生の御子息が勝負の前日、かどわかされたのです。そして勝負の日、島はこう言いました。『息子の命が惜しければ敗北を宣言し、道場を明け渡せ』と」
聞かされた途端、雪乃と晴奈の顔に朱が差した。
「なんてことを!」
「人質を取って脅迫しただと!? 卑劣にも程がある!」
「話には続きがあります」
柏木はぼたぼたと涙を流し、こう続けた。
「先生が負けを宣言しても、島は御子息を引き渡さなかった。あろうことか、既にどこかに売り飛ばしたと言うのです。奴自身からその言葉を聞いた先生はそのまま道場を飛び出し、御子息を探しに出て……それっきり、誰も行方を知る者はおりません」
「なんと……なんとむごい!」
あまりに残酷な話を聞かされ、晴奈は怒りで尻尾の毛を毛羽立たせる。
「奥方も心労で倒れられ、今は臥せっております。私自身が仇を討とうとしたものの、実際島は強く、私ではとても太刀打ちできなかったのです。ですが柊様ならきっと、あの男を倒せるでしょう!
お願いです、柊様! なにとぞあの悪党を討って下さい!」
「……」
話を聞き終え、雪乃はすっと立ち上がり、刀を手に取った。
「任せなさい。すぐ片付けるわ」
「おおっ……!」
頭を深々と下げる柏木に背を向け、雪乃は晴奈の目をしげしげと見つめた。
「晴奈」
「はい」
「あなたも助太刀してくれるかしら」
「是非もございません」
晴奈は即答し、同様に刀を手に取った。
「ここで助太刀せざるは、剣士に非ずです」
「ありがとう」




