10 異世界の女神8 賢者(看守)
カイゼリン&スペルモル(12)…双子。女神の民からは「重なりの女神」と呼称されている。
「対話」の魔法…スペルモルが開発した魔法。夢の中で誰とでも話し合いが出来る。混沌から「何か」を特定できるあたり、誰とでも、の範囲はかなり広そうだ。
時は少し遡る。
着替え終わったスペルモルは、過保護から入念に加護魔法を重ね掛けされた。リンも同じく。
「ハンドベルは持ちました? ひざ掛けは? お腹、足りなければコレを。それから」
リンの飾りポケットの隙間に板飴が差し込まれた。ボコッと、はみ出している。「食いしん坊の少女」と化した。
スペルモルは「肩が冷えそう」と、ひざ掛けをマントにされた。「戦士ゴッコのやんちゃ少年」と化した。
双子は眼で不服を訴えたが、装備したサングラスが裏目に出て過保護には伝わらなかった。
「アウローラ。おいちゃんがついている」
姪を優しくなだめてから、アレインはシルクハットへ変わった。
「そうよね。叔父上さまがいれば大丈夫よね。そうだ、叔父上さまの分の飴を」
まだ囀りたがるアウローラに呆れ、スペルモルはさっさと姉を横抱きにした。
シルクハットが頭に飛び乗る。
「十分ある。てか、お前に行く可能性のが高いんだぞ。気を緩めるな。ちゃんと叫べよ、アウローラ」
言い捨て、そのまま裏の斜面を駆け下りた。
異界に草木はない。一本も生えていない。地層は歪んで露出し、石や岩、砂や粘土質が秩序なく凹凸を成して広がる。
碌でもない過去を匂わせる衰亡した大地を駆け抜け、スペルモルは目的地に辿り着いた。
深淵は、禍々しい有様だった。
小石の代わりに罵声が満ちていた。
草の代わりに無関心が道を指図し、無理解が見下しながら背を小突く。
誹謗中傷が風のように吹き荒れる中、リンを横抱きにしたスペルモルは、ほとりまで足を進めた。
浅瀬の手前で立ち止まると、背後から追い風のように正論を名乗る軽視と侮蔑が追い詰めてきた。
振り返り、同じ感情を込めて睨み返してやると、それらは裏切られたといわんばかりに勢いを増した。
立ち向かおうとすれば、嫌悪と嫉妬が足を引っぱる。拒絶と侮辱が纏わりつき、咎め詰りながら立ちはだかってくる。
スペルモルは鼻で笑った。蹴りつけ、退かす。
全ての負の感情が熱り立った。深淵から離れようと歩き出したスペルモルを人類の敵と見做した。
ドロドロと汚泥に塗れた建前の巨人と化して、双子は行く手を阻まれた。
スペルモルはサングラスの下で半眼になった。
「デカい顔の本性は無責任。分かった。陳腐ってやつだ。ふたりはどうだ?」
頭の帽子はチョンと1回だけ跳ねた。腕の中のリンは鼻を鳴らした。
「受け取る価値のない感情よ。それだけ」
一瞥もせずシッシッと片手を振り払い、リンは選民主義の巨人をたちまち灰に変えた。
「わたくしたち、忙しいの。行きましょ」
「そうだな。派手にいこうぜ」
足裏に縋りつく後悔と未練を蹴散らし、スペルモルは深淵から距離をとった。
(決めた。迎えに行けばいい。俺が)
親友は頭の上。片割れは腕の中。大切な存在が己に身を預けてくれている。
だったら負の心にかまける暇はない。この際、己に価値が見出だせるかどうかなど「それどころじゃない」でしかなさそうだ。
それなら、おとなだって同じだろう、と賢者は信じた。彼に居場所の何たるかを教えたのは女神だ。
(俺が知りたかったのは兄上だ。それなのに、「対話」の魔法で繋がったのはモドキ。辿り着いたのは深淵…それはつまり)
スペルモルは気づいた。だから確認したかった。
姉は「当然わたくしも行くわよね」と無敵の笑みを浮かべ、親友も「検証は重要である」と覚悟を決めてくれた。
(深淵はいわば食虫植物。「何か」は餌だ。傷つき溺れる者の心に湧く毒を集め蓄え、毒に依存した者を誘い込む。…そうにしかなれなかった適性者たちの拠り所。
兄上たちは、恐らく。でも、こちら側にいてくれる。強いってのはきっとそういうことだ。
だったら俺は見守る。何度でも迎えに行く。宝を巻き込むヘマはしない。俺だって強くなりたい。なれるはずだ。
だって俺たちは宝なんだ。宝なんだよ、ふたりとも。兄上も、俺たちの)
背を向けられた深淵は、見棄てられたことを悟って上澄みを波打たせた。
可視化された汚泥は朝日の加減で赤みを帯びる。それはまるで血の涙を流したようだ…そうさせた加害者はお前なのだと、深淵は少年の背に後ろ指を指した。捨て台詞として投げつけた罪悪感は、しかしアウローラの加護によって阻まれた。護られている双子には届かない。
閉ざされたこの新世界には虹髪が咲いている。
その意味を、己の終焉を、深淵はまだ気付いていない。
スペルモルは、実体化した深淵の盲点で立ち止まった。
地図を睨みつけたカイザルが指し示した地点だ。
「ここから…ここまで。地形上、唯一にして絶好の死角だ。必ず範囲内に潜め。
アレイン、好きにくねればいいが、はみ出しやがったら切り取る。
スペルモル。その時は庇わず呼べよ?」
「憑依して制裁」と告げられたアレインとスペルモルは、肩を寄せ合って頷くしかなかった。
弟は知っている。兄はやるといったらやる。良い笑顔でやる。そゆとこ本当に兄姉でそっくり。
範囲内を仮拠点にするため双子は動き出した。
アレインも体長20センチを維持してちまっとお手伝い。全く役に立っていないと言うなかれ。ちまいロボットが身を縮めてチョコマカ動く姿はそれだけで価値がある。
慣れた連携で手早く準備を終えた頃、遠くからアウローラの歌声が聴こえてきた。
耳を澄ませたスペルモルが、忌々し気に呟く。
「…声量がどんどん上がってるぞ。度胸どうなってんだ。囮に名乗り出た時も思ったが…非戦闘員の自覚ねぇな、あいつ」
「…我がレディらしい。きみたちの盾になれるのは、われらの誉れだ。どうか許してもらいたい」
双子は顔を見合わせ、黙って肩をすくめた。一番最後までゴネたアレインがそれを言うかと思ったので。
双子も納得していないが、アウローラのすることならば受け入れてやらなくもない。
◆
「何か」のかけらは今日も行く。
憎しみと執着をその胸(?)に、揃いも揃って「なんちゃら少年、許すまじ」をスローガンに掲げ、えっちらおっちら異界を孤高に進みゆく。
そんな各地のかけらたちは、ある時、スパパパパと滅多切りにされた。
増えるかけらちゃん。
乾燥ワカメならば増えるのは体積だが、かけらは数が増えた。55ミリ以下に分割されたともいう。
((((…今、強風きた?))))
などと思う間もなく、銃声が鳴り響き、かけらたちは顔を見合わせる隙すらないまま虚無に還った。
◆
レルムである。
アレインの指定したルートを正確に走り抜けるマッハ11の奇跡は、空中分解することなく任務を遂行していた。
陸地にいるモドキは問答無用で刻む。射撃。想定ラインの内側にいるモドキがいたら、退魔に加えて記録をつける。並行してゴミ拾いも。レルムは己を大人の男と自負している。
海上は特殊魔法「浮遊」で移動した。Xー15と並走するくらいに速度が落ちたのは最初だけ、すぐに使いこなしてマッハ9。
途中、ぷかぷか泳ぐモドキを見つけたが、アレインに指示されたとおり映像記録装置による5分間の観察と記録に留めた。諜報も重要な任務である。
レルムは真剣だ。全力を出していた。とっとと終わらせたかったのだ。
何故なら愛する妻は己の帰りを待っていない。
安全なおうちで待つどころか、異界の果てで囮を担っている。気が気じゃない。
(…ラ、…ロー…、アウ…)
うっかり我を忘れないよう、鳥頭は心の中で呪文を呟き続ける。心を保つ魔法のおまじないである。
風圧により着ていた物質は縫い目からバラけたが、今回のレルムは全裸ではない。むろん首輪に腰布だけでもない。新作の軍服だ。アレインが対策していた。
「凪を呼び138種の魔法を組み合わせることで風圧を(以下略)むろん動きやすさは重要でレルム卿の場合は耐久性(以下略)つまり僕が考えた最強にカッコいい最強の軍服がこちらである!(早口)
仕上げとしてアンナ嬢! 君の特殊魔法でどうか更なる強化を望っ…痛ぁ…ぃ」
アレインは舌を噛んだ。機械人種は人間なので怪我すればちゃんと痛い。
「着てみて」とアレインがいそいそ着付けた軍服は、やたらとキツく生地も薄かった。ただし、着てしまえば動きやすい。
レルムは上官から渡されたら着る。そこに感想も感情もいれない。仕事なので。お礼を言って受け入れた。
新作軍服の軍人を目の当たりにしたアンナは、しょっぱい表情で男性体へ変身した。それから、さり気なく軍服と軍用コートを支度した。
「…あ、あー…うん。「強化」だね。他のもやろうか。ほい。やったよ。
ところで、その上に、これ…とか。重ね着、どうかなぁ…? ほら、寒そうだし…。
これね、前世で発明された宇宙服用の新素材で、微生物いない環境でも5年で分解されるの。完璧に再現したった。だから破れても拾わなくていいよ。だから、ね? うん…ありがと…」
コートも軍服も定番デザイン。慣れた着心地で動きやすかった。なので、レルムはお礼を言って受け入れた。仕事着は消耗品。数あると助かる。
軍服をボロボロにしつつ、レルムは世界一周を果たした。
待機地点に到着し、ゆっくり速度を落としながら、対モドキ兵器をホルダーにしまう。
高温になった短銃は、内部や銃口が溶けかけて崩壊寸前だった。すぐにホルダーも熱を帯び、革が焦げる独特の臭いがあたりに漂う。
流れ落ちる汗を手で拭い、レルムは息を抜いた。
(よく保ったな、コレ。アンナ嬢の「強化」凄いな)
背嚢から新しく着替えと短銃をとりだし、装備を直す。水筒の水を煽り飲み、片付け終わっても、独特の耳はしきりに左右に動いていた。
その動く耳が、ふいに愛しい高音を捉えた。
レルムの動きが一瞬止まり、その一瞬で魔力の翼が生える。ほぼ同時に虹色の光が彼を包む。
界が裏返る。
異界へ瞬間移動したレルムはすぐさま飛びたった。
◆
アレインは語る。
「モドキは情報を盗む。
カイザル殿から「抜かれたのは目が合った瞬間、自白魔法と感覚が似ていた」と聞いた。
自白魔法とは、かつて勇者がカイザル殿に行使した未知の能力の仮称。転移前の世界では解析不能。全てが謎。かろうじて判明したのは魔法であることだけ。
だからこそ勇者から民を守るためには、全ての魔法を存在ごと封じるしかなかったわけだがそれはともかく。
昨夜、カイザル殿と精査検証の結論として、これからは未知の魔法が再現可能である。まほうたのしい」
「…夜中に兄上の牢がやたら光るのはソレか。
おいちゃん…完徹したろ。さては初犯じゃねぇな…?」
良い子の双子から「うわぁ…悪い大人だぁ…」のドン引き視線を食らったアレインはたじろいだ。
「う…いや…僕は、ほら、機械人種だから…。睡眠いらなくて…」
「人だけど機械だから寝ないと異常発熱するかもって、ちょくちょく昼寝するじゃん。それは?」
スペルモルから矛盾を指摘され、アレインはくにゃりと地に伏した。身体中に色鮮やかなリボンを飾られているため、観念したのにその思いは相殺された。結果ふざけた姿勢に見える。
「…ざんげする…いっぱいよふかししたひは…かみんとりました…。今日はちゃんと寝る…約束する…」
「おう。後、わかったことは?」
「うむ!
目を合わせてモドキに抜かれるのは表面的な情報である。
今回は全員が目を隠して検証…アンナ嬢は「アウローラはいっそチラ見せてやって動揺した隙をつこう」などと言っていたが、おいちゃんは嫌だ。
囮も嫌だった。まだあんなに幼いのに…いや大人だけど…あんな薄着で…美しいけど…身体が冷えるだろう。あんなに無理して…。気が気じゃない。嫌。
チラだろうと瞳まで見せてやる必要など…しかし我がレディの望みは…消滅の魔法も…」
苦悩するアレインをリンが突く。
「失礼。
結論として、モドキには仲間意識がない。同胞が目の前で消滅しても反応しなかった。同一個体であろうと分割されたら互いを別個体と認識する。徹底的に自分本位を貫き、連携をとらない。
そしてモドキは銃声を聞き流す。しかし人の声には強く反応する」
スペルモルは舌打ちした。
「それじゃ派手に燃しても敵は分散しないのか? アウローラに集る…くそ。
凪の糸で弱体化させる気らしいが…パウンドケーキじゃねぇんだぞ。そんな上手くいくものか?」
歌声が途絶え、すぐさま凄まじい悲鳴が響き渡った。
ビリビリと地面を通じて腹の奥が振動する。スペルモルは慌てて姉の耳を塞いだ。
「…っ、この距離でも耳がいてぇ…! 凪を呼んだんだろうが…これは、…まさか一声だけでも倒せ」
空が一瞬、陰る。
双子の手元にポトと映像記録装置が落とされた。メモ帳も。
リンは空を見上げ、満足げに微笑んだ。
「アウローラはもう大丈夫ね。
さて、わたくしの出番」
リンがハミングする。膨大な魔力が渦巻きはじめる。
リン専用にアレンジされた分離の呪文は、魔力を高純度で圧縮する。
「…全力を出すなんて転移前以来」
リンの桃色の唇が吊り上がる。琥珀色の瞳に揺らぎが反射しちらちらと光を弾く。
「燃やせばいいだけなんて最高にわたくし向き…好ましいわ。
兄上の発案なのは気に食わないけど、昨日はほんのちょっとやりすぎたと言えなくもない気がするから。
借りを返すために、今回は従ってあげなくもないってだけで、別に」
「リン、それさぁ…勝手に脱毛散髪ゴメンねの一言ですむぞ。
兄上もう水に流しているし、リンがそう気に病むなら早く言っ」
「絶対に謝らない」
ツンギレ少女は強固に言い張った。
「アウローラが謝ろうとわたくしは謝らない。
兄上にだけは絶対に負けを認めない。
ちょっと服選びが悪くないくらいで、ちょっと抱っこがまぁまぁなくらいで…!」
昨日、リンは、ヴィルヘルミナを癒すつもりで女帝セラピーを提供した。
よってたかって愛でられたリンちゃんサマは、自分も癒されウトウトになった。
その様子を見たカイザルは、コートの前を開いて「湯たんぽちゃん、昼寝の定位置はここだろう。ほら…かくれんぼだ」と12歳を腹に放り込んだ。
眠いリンちゃんサマは、レルムの抱っこと思い込み、素直に熟睡した。
そして寝ぼけ眼で香水の違いに気づき、怨敵の慈愛の視線を至近距離から浴びたツンギレ妹は、威嚇して逃げ出した。
呆れ顔の弟にしがみつき、しばらく警戒していた。屈辱だったらしい。
思い出し警戒をしたリンは、愛らしい顔に兄そっくりの邪悪な笑みを浮かべた。
「兄上を倒すために編み出した必殺技、お披露目よ」
リンは得意の「熱」魔法を放った。
一瞬遅れて、深淵は爆音を立てて蒸発をはじめた。
「これも!」
さらに複数の魔法を重ね掛けする。見えない内部で立体的にきりもみ回転していた汚泥が、一定距離で分断され、せき止められた。
連続する巨大タンクと化した深淵は、たちまち温度を上げて、そこここから火を噴きあげるようになった。
遠目で見ても分かるほど、炎上している。
浅瀬の上澄みが相転移により浄化されていく。
炎の柱の上で立ち上る深淵の成分は、まるで走馬灯のように見知らぬ文明の景色をチラチラと映し出した。
美しい自然、多種多様な命、叡智を示す建造物、そばで馴染む品々、寄り添う集団。
無慈悲に踏みにじられる尊厳、貶められる廃墟、棄てられる思い出、孤独の集まり。
追憶の蜃気楼は様々に移り変わる。他の異世界にも似たような歴史があったことを彷彿とさせた。
「…きれいね…」
ぽつり、とリンが呟いた。優しい声。少女の瞳は美を見いだす。ありのままで好ましいのだと慈愛をもって見守る。そうあれるよう浄化の炎を捧げる。
スペルモルは「ああ」と同意しながら、その瞳で悍ましい世界を見守っていた。少年の瞳はありのままを受け止める。浄化の炎に慈悲を見いだして、いつか分かってほしいと黙とうを捧げる。
好ましさも、悍ましさも、深淵に奪われた何もかもが、炎にあぶられ流転していく。
無垢であり無垢ならぬ瞳は全てを見逃さない。
幼い重なりの女神は見守っている。己が望んだ看守を果たすために。
◆
同時刻、「何か」のかけらは金切り声を聞いた。女の悲鳴。深淵方面だ。てんでバラバラに神域投影に向かっていたかけらたちは、一斉に進路を変更した。
海にいたかけらも同様だ。海流なんてへっちゃら。何の抵抗もなく速やかにUターンし、来た方角へまっすぐ泳ぎ始めた。
いつもと違い、朝日の明度が低い。
空の色はどんどん明るくなっているが、なにやら煙のような雲がうっすらと立ち上っている。
びゅうびゅう鳴る風に、聞き慣れない轟音がわずかに混ざっている。
少し探るだけで深淵の異常に気付けただろうに、「何か」のかけらたちは違和感を気にしなかった。
ただただ「人の声」の発信源に惹き寄せられていた。
かけらたちは、ぞろぞろと一方向を目指す。神域投影に背を向け、異界へ戻る。
苦労の先に約束された確実な勝利を捨て、奪い合い前提の分かりやすい利益を選んだのだ。
カイザルの筋書きどおりに。
かけらたちは果てへ集結する。そして虚無へ還される。
たったひとつのかけらを除いて。
Q.おいちゃん渾身の軍服、何でしょっぱい顔なの?
A.さすがのアンナですらエッッッッ…セクシーすぎた。




